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峠越えれば

峠境に むこうとこっち 峠越えれば別の国

一景一句(44) 向日葵

2008-07-23 | 一景一句

向日葵の一茎一花咲きとほす  津田清子

 梅雨が明けたと思った途端、向日葵と出会った。炎天にこれほど似合う花はない。近世の終わり頃に入ってきて、字のままに「ひゅうがあおい」と呼ばれた時期もあったのであろう。「ひまわり」とはよくぞ名づけたりで、別に花が太陽を追うはずもないのだが、常に太陽と向き合っているかの印象は、花自体が炎をあしらった日輪そのままで、あまりにできすぎているからに違いない。

 「黒みつつ充実しつつ向日葵立つ」(西東三鬼) 花もいろいろ、梅雨時闇に浮かんでいた純白の梔や、さんざ楽しませてもらった紫陽花も、今は枯れ色あせ、炎天下に無惨な姿をさらしている。花の後は見ないというわけにもいかず、この点はけっこう厄介で、桜のように一気に咲いて花吹雪、後は葉桜という、そこまで見事にはいかないまでも、やはりそのあたりの違いも花の印象の中に入る。向日葵はといえば、咲き終わって、その先がまた絵になり、立ち姿はどこまでも堂々として、茎の太さ、逞しさも尋常ではない

 「向日葵を斬つて捨つるに刃物磨ぐ」(三橋鷹女) 「向日葵や信長の首切り落とす」(角川春樹) 向日葵に目鼻をつけたような太陽王を称する人物もいたりして、その周囲に、中には物騒な妄想にとりつかれる者がいたとしてもおかしくはない。「ひまはりのたかだか咲ける憎きかな」(久保田万太郎)

 「向日葵の大愚ますます旺んなり」(飯田龍太) 一般的には目鼻のついた向日葵には、敵意や憎悪より、幼児の絵のような、おおらかさの方が似つかわしい。「にんげんが好きで向日葵よく笑う」( 村上子陽) 「ひまわりの百万本の笑ひ声」(石井匡巳) はたしてどのように聞こえたものか。これと比べると、「向日葵が好きで狂ひて死にし画家」、月並みにゴッホを引き合いに、五七五としただけの、これはいただけない。虚子も随分つまらない句を残したもので、向日葵がそれらしく詠まれるようになったのは、戦後になってからということかもしれない。 

向日葵の老いきれざるを抜きにけり  肥田埜勝美

一景一句(43) 合歓の花

2008-07-21 | 一景一句

ほほゑみといふしづけさに合歓の花 坂本宮尾

 輪郭のはっきりしない花で、淡い紅色の綿毛のようなのが雄花らしいのだが、夕暮れ時や雨の中では、いよいよ輪郭が曖昧になり、その模糊とした様が面白い。葉が閉じる、夕方に咲き出すというのも変わっているのだが、炎天下で見てもどうということもなく、やはり梅雨が明け掛けた、今のこの時期が見頃という気がする。

 「象潟や雨に西施がねぶの花」見ようによっては美しいというだけの花に、究極の美女を配したあたりが俳句で、芭蕉ならではということであろうか。以来よく詠まれているが、さすがに近世には「ねぶの花」に「合歓」を当てたりはしていない。「羅の中になやめりねふのはな」(支考) のような艶めかしいのもあるが、「雨の日やまだきにくれてねむの花」(蕪村) これで十分華やかで絵になっている。生活臭むき出しの一茶の、「合歓さくや七つ下りの茶菓子売り」にしても、昼寝を我慢して健気に働いているのは、やはり年端のいかない可愛い女の子なのであろう。

 万葉集の相聞歌に「昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花」(1461晝者咲 夜者戀宿 合歡木花)というのがあるが、これは念の入ったことに、わざわざ女が花を添えて贈っている。戯れとはいえ、あまり品のよい話ではない。漢語の合歓は承知の上で、花さながら輪郭を曖昧にしたまま何食わぬ顔をしているあたりが俳句らしいのだが、曖昧さも夢現この世あの世の、その辺まで掘り下げてしまえば、それはそれで合歓でよいのかもしれない。

 「極楽に行ったことなど合歓の花」(鳴戸奈菜) 「合歓の花にんげんに死の適齢期」(北上正枝) 「つぎの世の空とも合歓の花の空」(三田きえ子) 「合歓ごしに鳥海うかぶいつかゆく」(澁谷道) ここまでは至らぬとも「人恋いて飯炊くときや合歓の花」(津沢マサ子) 「朝粥に足りし胃の腑や合歓の花」(阿波野青畝) この辺りの、ほどほどが一番合歓らしいようにも思える。

今年また何見て淡し合歓の花  小檜山繁子

一景一句(42) 茨の花

2008-06-25 | 一景一句

愁ひつゝ岡にのぼれば花いばら  蕪村

 梅雨のこの時期、峠のむこうに行くと、どこへ行っても目につくのが茨の花。よくもまあというほど、どこにでも咲いている。花の時期以外は、他の雑草に紛れ見過ごすので、うっかり道の端に寄ったり、草むらに踏み入ったりすると、きまってその棘にやられる。枯れても棘は棘、年中だから始末が悪い。

 野バラには違いないのだが、さんざやられているので、そうは呼びたくない。茨は茨、花より棘が気になる。茨というと、まず思い浮かべるのが上の蕪村の句。そして次に出てくるのが、一茶の「古郷やよるもさはるも茨の花」。詠むには面白い素材だと思うのだが、他にはこれといってない。

 蕪村にはもう一つ、「花いばら古郷の路に似たる哉」があるのだが、二つ共通して、肝心の茨の棘の痛さは、観念の中でほどよく昇華されてしまっている。それに対して一茶の方は、引っ掻き傷の痛さがむき出しのままで、いかにも一茶らしい。

 「茨咲きぬ朝は真珠のいろに覚め」(石原八束) 「花茨没日しづもる間のながし」(吉川秀子) 花だけ取り出せば、純白の五瓣の花は、梅雨空の下で、それなりに美しく、芳香を放ち、上の写真のように、無数に虫が寄りつき、我を忘れて蜜を貪っている様は悪くない。
  
 万葉集の防人歌に、「道の辺の茨のうれに延ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」(4352)があるのだが、「君」だから女は変で、まつわりつく主家筋の若君といった解釈もあるが、茨に蔓草がからまっている光景は珍しくなく、手出し無用の棘のことを考えれば、その「はかれ」様のなさは明らかで、絡まってしまったのは男女に決まっている。

反骨の意地張り通す花茨  牧稔人

一景一句(41) 紫陽花

2008-06-15 | 一景一句

紫陽花の道でいつしか一つ傘  真木其三

 「人通るだけ道があき濃紫陽花」(倉又紫水) 行く先々どこへ行っても紫陽花ばかりが目につく。このところ梅雨の入りも明けもはっきりしない、妙な年ばかりが続いたせいか、やはり今年のようにすっきりと梅雨入りしてくれると、やはり六月は本来こうあってほしいと思う。しっとりと落ち着いた風情は梅雨ならでは、紫陽花が殊の外色鮮やかで、例年になく色付きがよい。

「紫陽花のみな玲瓏をもちきたる」(広井和之) 紫陽花は、植えられた土壌の性質の違いで、藍が勝ったり紅が勝ったりということらしいのだが、やはり紫陽花は藍に尽きる。明るいだけの紅色の紫陽花は感心しない。「あじさゐの藍をつくして了りけり」(安住敦)

 「紫陽花や白よりいでし淺みどり」(渡辺水巴) 上の写真はたまたま近所で見つけたのだが、遠目にも鮮やかさが際立ち、撮ってはみたものの、実物のままとはいかない。色に関しては、写真というのは結構やっかいで、こればかりは画家の領分かもしれない。

 芭蕉に「紫陽花や帷子時の薄浅黄」があるのだが、この「浅黄」は「浅葱」で、薄い藍色であろう。「紫陽花やはなだにかはるきのふけふ」(正岡子規) この「はなだ」も、縹色でやはり同じ薄い藍色ということになるが、上の写真の紫陽花は、碧というか、空色がかっており、植物離れした何とも不可思議な色に見える。 
  
 紫陽花を「七変化」などと呼ぶのはどうかと思うが、藍とはいっても緑や空色や紫を含んで微妙に移り変わってゆく、これほどに色の変化を楽しめる花は他にはない。色より、その移ろいの方に目が向いてしまうのが俳句ということであろうか、「紫陽花やきのふの誠けふの嘘」これが子規のものだと思うと面白い。「あぢさゐや変へぬ信念時に邪魔」(杉本正明)なんていうのもある。「あぢさゐの藍に狂気の潜みをる」(荻田恭三) そうかもしれない。

あぢさゐやつじつまあはぬゆめのすじ  高橋潤

一景一句(40) 青嵐

2008-05-25 | 一景一句

青あらし花の名覚えすぐ忘れ  甲斐里枝

 「花にはつらき風ながら」という句が、どこかにあったような気がするが、散りやすい花もあれば、風などものともしない逞しい花もある。峠のむこうで、このところ道端や畑の脇にやたら見掛けるのがジャーマンアイリス。遠目には菖蒲か杜若にしか見えない。休耕で荒らすわけにもいかない、広い畑全面に植えられたりもし、株分けされ年々殖えている。丈夫で手が掛からず、美しい。西洋あやめと思えば親しみもわく。写真は、風に揺れ入り交じった、若緑と濃紫を撮りたかったのだが、少々工夫が足りなかった。

 取ってつけたような話ではあるが、「青あらし神童のその後は知らず」(大串章)と「青嵐神社があったので拝む」(池田澄子) どこかにたまたまこの二つが並べられており、読み比べて季語と俳句の面白さが少し分かった気がした。前回の「風薫る」も、この「青嵐」も、夏野を渡る爽快な風で、微風に対し、やや強い程度の違いしかないのだが、句の趣は大分違ってくる。

 前回引いた「薫風や春秋共に五十年」(古藤一杏子)のような能天気な句と、例えば、「君地獄へわれ極楽へ青あらし」(高山れおな) を比べてみればよい。どちらもそれほど別のものを見ているわけではないのだが、できあがった句はまるで違う。

 「カルメンの振り向く視線青嵐」(小正子) 「青あらし浴女すつくと立ちあがり」(林原耒井) 微風が不意の強風に変わっただけで、驚かされたり、妙なところに目が止まったり、見えるはずのないものが見えたりと、緩急不定の風の気紛れが、様々連想や妄想を引き寄せ、俄然面白くなる。「青嵐どすんと落す象の糞」(栗原澄子) 「夫ならぬひとによりそふ青嵐」(鈴木しづ子) 「人妻の手首は細し青嵐」(筑紫磐井) 「かの髪の幾万本に青あらし」(和田悟朗) 「なつかしや未生以前の青嵐」(寺田寅彦) 「自我のなきものは去るべし青嵐」(鷹羽狩行) 季語あっての俳句ということか。

学校が消えてなくなる青嵐  岡田史乃

一景一句(39) 風薫る

2008-05-23 | 一景一句

風薫るよもにのびゆく葡萄蔓  真木其三

 「とかく奇麗な風の色」という古句があり、春の「風光る」が、立夏を過ぎると「風薫る」に変わる。俳句ならではと感心するほかない。ものの匂いを風が運んでくるのではない。風には色もあれば、匂いもある。

 蕪村に、「青海苔に風こそ薫れとろろ汁」があるが、青海苔に加えて、風まで薫るとなると、これ以上美味そうなととろ汁はない。「薫風を満たす綺麗な肺ふたつ」(白石のぶ子) 「薫風へ笑顔二つの肩車」(市川夏子) 森林浴ならぬ薫風浴。身の中の汚れまで洗い流して、風が吹き抜けるとあれば、ついつい「薫風や春秋共に五十年」(古藤一杏子)「薫風や来し方行く手祥気満ち」(ながさく清江)といった気分にもなる。

 写真は葡萄の花。浅間山から西へ、上信国境の山麓南斜面に点々と葡萄園がある。近年評判のワイナリーもあるが、大方は生食用の巨峰を作っている。葉が茂る前、今の時期、いつのまにか信じられない太さに育った、大樹の偉容が見て取れる。僅かの本数で、途方もない広さに蔓を伸ばし、葡萄棚を支えている。

 「歴史には残らぬ男薫風に」(相馬遷子)つい先日、葡萄作りの先駆者の一人に話を聞いたばかりで、老人は敗戦間際徴用先で空襲に遭い、九死に一生を得て、畑違いの農業を志し、桑畑を葡萄園に変えたのだという。自作のワイン片手に機嫌よくあれこれ話してくれた。

 信州では、「風光る」の春の趣もまだ半分は残っている。そこに葡萄の若葉と花の薫りも添えて、「風薫る」とあれば、これ以上の季節はない。山麓南斜面を下って千曲川を渡ると、そこは佐久。

くちびるに薫風あてて佐久の土堤  小谷野秀樹

一景一句(38) 牡丹

2008-05-21 | 一景一句

躊躇ひて莟のまゝの牡丹かな  甲斐里枝

 「きしきしと牡丹莟をゆるめつつ」(山口青邨) 待っていると牡丹はなかなか開かない。躊躇っているのか、焦らしてやろうという魂胆なのか、固い蕾が解かれる、その瞬間を見てみたいのだが、散る時はいやにあっけないのに、いざ咲くとなると、気配はあるもののなかなか動こうとしない。それなりの体力も気力も必要ということなのであろう。

 「今に咲きさうな牡丹に去り難し」(古賀昭浩) 「庭牡丹見つゝどこへも出ずじまひ」(池内たけし) 峠のむこう、標高千、牡丹も遅い。こっちの方では、連休前に終わっているのに、いまだ莟のまま。咲くのを見届けてから帰ろうとしたのだが、結局あきらめた。写真の牡丹は、朝日を浴び、出たばかりの赤みを帯びた、柔らかな葉に包まれ、いかにも初々しい。気温が上がったら、昼には開くかと期待したが、もう一日くらいはかかりそうで、見届けないまま帰ってきた。

 「この世から三尺浮ける牡丹かな」(小林貴子) 牡丹が好きかというと、豊麗に過ぎ、どちらかというと敬遠したい。薔薇園と同じで、これが無数に咲き競っているような場所に、わざわざ出かける気はしない。立てば芍薬、座れば牡丹の、芍薬の方が、草の優しさが感じられる分、好感が持てる。牡丹は草ではない。

 「牡丹に崩れ始めしこの世かな」(久保純夫) 「火の奧に牡丹崩るるさまを見つ」(加藤楸邨) 「假の世も長くなりけり牡丹散る」(野見山ひふみ) 「夕牡丹今生我身二つ無し」(安住敦) あっけなく崩れ散る様が信じがたい、この世ならぬ美しさというのも結構やっかいということか。

牡丹の一部始終を見てあくび  鳴戸奈菜

一景一句(37) 余花

2008-05-07 | 一景一句

出遅れて今がさかりの余生余花  牧稔人

 「いつせいに残花といへどふぶきけり」(黒田杏子) 「遅桜」と「残花」は、「花期の遅い桜と、花期は遅くないが、枝に散り残っている花との違い」というのが正解なのだろうが、「初花」や夏季の「余花」も含め、単純に花期の違いとしてよいのかもしれない。本来の桜である山桜の場合、樹の老若、立地、種の違いで、咲く時期はまるでてんでんばらばら。同じ山間でも、そこにわずかな標高差が加わっただけで、それが更に違ってくる。

  「余花余命惜しむといふは当たらねど」(中村苑子) 連休に、峠のむこうは山桜が見頃と出かけてみると、今年は花期が早まり、もう散っているのもある。標高千、このあたりの山桜は、常に「余花」なのだが、今年は「残花」や「遅桜」もあったことになる。それにしても、立夏を境に突然「残花」が「余花」に変わるというのは、しっくりこない。今時の、人の「余生」「余命」ともどこか似て。更にそれを寂しいと決めつけられては、いよいよしっくりこない。

 上の写真は、「余花」ということになるが、どう見ても「遅桜」であり、眠りから覚めた「山笑う」春の光景でしかない。どっちでもよいのだがとりあえず「余花」とした。芽吹いたばかりの新緑と山桜の白が、切れ目なく入り交じり、目に優しいことこの上ない。

 「杉山の背山は余花を裾にせり」(水原秋桜子) このあたりは、雑木の他は落葉松がほとんどなのだが、これも今年は例年になく芽吹きが早い。落葉松に入り交じった桜は、その白が際立つ。「たまに来る余花の落花をなつかしみ」(星野立子)

 「過去帳を見るのみに訪ふ余花の寺」(能村登四郎) 「音にぶき魚板に訪ひぬ余花の寺」(河野頼人) 勝手に二つ並べてみただけだが、「余花」はこんな小説のような世界によく似合う。

行き行きて余花くもりなき山の昼  飯田蛇笏

一景一句(36) 躑躅

2008-04-29 | 一景一句

白つゝじわが影ゆくにひかり出づ  山上樹実雄

 近世にも「宵月夜入日の岡や白つゝじ」(才丸)といった句があるのだが、花は光のあてようでどのようにでも表情を変える。花に限らず、写真の面白さはそれに尽きるのかもしれない。この躑躅は「返り花」(一景一句16)で使った同じ躑躅なのだが、白ではあっても微妙に桜色が加わり、他ではあまり見かけない。

 「万葉集あれこれ」はしばらく中断したままなのだが、人麻呂にこんなのがある。「物思はず 道行く行くも 青山を 振り放け見れば つつじ花 にほえ娘子 桜花 栄え娘子 汝れをぞも 我れに寄すといふ 我れをぞも 汝れに寄すといふ 汝はいかに思ふや  以下略」(3309) 躑躅に例え、桜に例え、その美しさを称え、女の気を引こうと必死なのであろう。ほぼ同じ歌の返歌に「天地の神をも我れは祈りてき恋といふものはかつてやまずけり」(3308)とあるのだが、こればかりはいつの時代も変わるところがない。

 「盛りなる花曼荼羅の躑躅かな」(高浜虚子) 「さまざまな思い出色につつじ咲く」(宇野笑子) 桜が終わると躑躅。葉のまったくないものもあり、色もやたら様々、色とりどり。山でも野でも、街中でも、どこへ行っても躑躅。いささか食傷気味であるのはいたしかたない。

 万葉集の原文では、つつじを「茵花」としたり「都追慈花」としたりしているのだが、「躑躅」は「てきちょく」、羊が足踏みしている状態、ようするに酩酊状態。躑躅には毒性があるということのようで、「まなうらに燃え上がらんとつつじ濃し」(野見山朱鳥) 「牛放つ蓮華つつじの火の海へ」(青柳志解樹) 見かけ上の色の強烈さはやはりそれだけではない。「白つつじ妻の愁ひは触れ難し」(安住敦) 躑躅は白を間近に見るくらいにしておくのが無難か。

花びらのうすしと思ふ白つつじ  高野素十

一景一句(35) 八重桜

2008-04-25 | 一景一句

爛漫と花押合ひて八重桜  牧稔人

 「おし昇りくる満月の八重ざくら」(林翔) 同じ桜ではあっても、お花見のソメイヨシノと吉野の山桜、それにこの八重桜とでは随分印象が異なる。間近に観た花の美しさをいうなら、八重桜につきる。あらゆる花の中でも、その華やかさで八重桜に勝るものはそうはありそうもない。濃艶な趣は牡丹桜の名の通りであり、頭上を振り仰いで、日の射し具合によっては思わず息を呑む。

 「風に落つ楊貴妃桜房のまま」(杉田久女) 楊貴妃桜とはどのような桜か知らないが、八重以外は思いつかない。芭蕉の「奈良七重七堂伽藍八重桜」も「いにしへの奈良の都の八重桜」を踏まえ、都の華やかさに重ねて詠んだものであろう。

 このところ理由(一景一句34)あって、桑の花などといった、華やかさとは無縁なものにいささか執着した後なので、今年の八重桜は殊の外印象深いのだが、近所の大通りの、今が盛りの八重桜は意外と人気がない。お花見気分は年に一度で十分で、今更桜というタイミングの悪さもあるかもしれない。

 花は華やかでありさえすればよいというわけのものでもなさそうで、早い話が、地味な桑の花にも虫がいっぱい集まっていたし、昨日今日咲き始めた藤にも熊蜂が群がっているのだが、桜の周囲に、あまり虫は見かけない。虫にも人にも好みがある。桜といえば本来が山桜、昨今の園芸品種の、華やかすぎる八重桜は、あまり日本人好みでないのかもしれない。

 「八重桜ちらし占ふ恋せし日」(神田とみ子) 花瓣の数を実際に数えてみると三十枚以上はある。色も存在感も勝った八重桜は、塩漬けにされ、湯に浮かべたり、アンパンの臍に埋められたり、妙なところでお馴染みというのが面白い。

風吹いて雲の切れ間や八重桜  山口壽子

一景一句(34) 桑の芽

2008-04-22 | 一景一句

桑の瘤卯月の山を重ねたる  増成栗人

 「邪魔なりし桑の一枝も芽をふける」(高野素十) 芽吹いた桑の付け根のあたりをよく見ると、雌花がついている。房状に結構長い雄花(一景一句33)は、遠目にもはっきり見て取れるが、雌花の方は新芽に隠れ、気づかなければ見落としてしまう。写真は、八王子駅前通りの街路樹で、目の高さの枝を払った跡から、柔らかな葉が姿を現し、その脇にひっそりと咲いていた。桑は雌雄異株で、雄花を垂らしている樹には実がつかない。

 夏の季語、桑の実は、漢字では椹をあてるが、関東ではドドメが普通。信州ではメゾ、西の方ではフナベと呼んだりする。桑の花に少々拘るのには理由があり、上田藩の出した地方文書に、椹を摘むことを禁じるという触書があり、その意味を考えあぐねたことによる。近世の代表的な蚕書『養蚕秘録』に、フナベを摘む図が描かれており、桑の雄花を摘み取っている。かつて花も実も同じ名で呼ばれていたようで、霜害対策の非常手段として、乾燥させた雄花を孵化直後の蚕に与えることがあったらしい。花は葉より霜に強い。

 上の上田藩の触書は、地元名産の紬の品質を維持するため、安易に葉に替えて花を与えることを禁じたものと考えられる。八十八夜の別れ霜。蚕の掃き立ての調節が出来ない頃、遅霜の備えは重要で、様々工夫がなされた。桑の花から、そんな昔を思い起こすことがあってもよい。

 「千曲川心あてなる桑のみち」(鈴木花蓑) 「岐れ道いくつもありて桑の道」(高浜虚子) 「桑芽ぐむ農道はまた札所道」(桑原晴子) それにしても、あの蚕と桑、みんなどこに行ってしまったのであろうか。次の光景も記憶の中にはないのだが、どこか懐かしい。

婚礼の透けてゆくなり桑畠  飴山實

一景一句(33) 桑の花

2008-04-20 | 一景一句

山畑のいよいよ荒れて桑の花  青柳志解樹

 「八王子駅出でて直ぐ桑がくれ」(三橋敏雄) たまたまであるが、峠のむこうとこっち、「蚕都」と「桑都」に縁がある。信州上田と都下八王子、共にかつての養蚕の中心。戦前の古い地図を見ると、どちらもY字のような桑畑の記号が市街を包囲している。

 JR八王子駅北口を出て、大通りを少し進むと、両側の街路樹が桑に変わる。元々は駅前まで桑並木であり、駅前の広い歩道橋も、わざわざマルベリー(桑)ブリッジと呼んでいたらしいのだが、今や桑都の面影はかなり薄れつつある。上田の中心街にも枝垂れ桑が植えられ、かつての面目が少しだけ保たれているのだが、このあたりの事情はよく似ている。上の三橋の句は、いうまでもなくこの桑並木とは無関係で、桑畑を詠んでいる。

 「桑の花芽に先んじて咲きにけり」(細木芒角星) 桑の実は、今尚、時々は懐かしい思い出として語られることもあるのだが、花の方はどうであろうか。実がなるということは、花も咲くわけで、かつては花もよく詠まれている。上の八王子駅前の桑並木だと、さすがに風格のある古木なのだが、よく刈り込まれ、花はごくわずかしかついていない。今の時期、頭上に咲いてはいるのだが、地味な花を多くは見落としている。

 上の写真は、郊外の滝山城址に近い、同じ山城のあった高月にある大桑のもの。平成になってから移植されたらしく、双幹の一方が枯れ、見栄えはしないが、推定樹齢四百年とかの山桑で、野放図に伸びた枝に、それでも無数の雄花の穂が垂れている。

見上げたる老木に垂れし桑の花  水原秋桜子

一景一句(32) 桜

2008-04-17 | 一景一句

たましひのあしあとみゆるさくらどき  松岡貞子

 「一日をさくらさくらと使ひきる」(小倉通子) 峠のむこうでは今が桜の満開。梅と桃と杏も同時に満開。どこに行っても花また花。例年通りの見慣れた光景ながら、ついついカメラを向けてしまう。桜を一枚選んでみたいのだが、はてどうしたものか。上の桜は、アスファルトの歩道に散った桜を少しだけ加工してみた。頭上にばかり気を取られ、偶然足下に目を向けた、その瞬間の驚きがどうにか写っているような気がする。よく見ると、花の形を留めたまま散っているのもある。雀が食いちぎったのであろうか。これ以上散るとうっとうしいことになりそうで、散り始めの、ほどよい偶然に行き合ったとみえる。「胸そらしそのまま染井吉野かな」(五島高資) 桜は足下にもある。

 「さまざまのこと思ひ出す桜かな」(芭蕉) 一気に咲いて、あっという間に散る桜は、花期が短いだけ印象も強烈で、その時々の様々な思いが、次から次へと複雑に交錯して、一時現実を忘れ、花に酔う。普段は見えない「たましひのあしあと」なんていうものが、ふいに見えたりするかもしれない。「生と死のあはひに開く桜かな」(大志田勇志)

 「ごはんつぶよく噛んでゐて桜咲く」(桂信子) 「大釜の飯噴く匂ひ朝桜」(皆川盤水) 「日がないちにち口動かしている桜」(橋京子) 「湧きかけし白湯の匂ひや夕桜」(長谷川櫂) 「老木の息の気配や夜の桜」(小宮民子) 朝に、昼に、夕に、夜に、それぞれに桜、桜。積もり積もって、時代の影も見え隠れ。

昭和史を引きずっているさくらかな  五十嵐迪子

一景一句(31) 杉の花

2008-04-05 | 一景一句

千年の杉の花粉を浴び詣づ  滝峻石

 黄葉の初めのようにも見えるが、春先、杉の葉先についているのは雄花で、これが落ち切って、ようやく杉山も緑一色、初夏の装いとなる。梶井基次郎が、「杉林から山火事のような煙が起る」と書いたのは昭和の初めで、今のように、杉の花粉だけが格別話題になってはいない。写真は、高尾山の薬王院参道の大杉なのだが、三月下旬、まだ大量に花粉を蓄えているかにみえる。「山火事と紛ふ煙れる杉花粉」(小川知子)

 蕪村に「線香の灰やこぼれて松の花」があり、松の花なら、近世にも詠まれているが、杉の花が目を引くようになったのは、やはり植林が盛んになって以来ということなのであろう。水を好む杉は、自然の状態では、谷筋から離れた、山の上の方には生えない。それが、山全体に植林が及んだことから、必要以上に花粉をまき散らし、種の維持に励んでいる、ということのようで、「山火事のような」花粉は元々ではない。

 花も様々、風任せの、昆虫の気を引く必要のない杉の花は、ついでに人の目を楽しませてくれるわけではないが、それでも句になるところが面白い。「ただよへるものをふちどり杉の花」(富安風生) 「馬の首垂れて瀬にあり杉の花」(小澤實) 「つくばひにこぼれ泛めり杉の花」(松本たかし) 「海道の難所の峠杉の花」(和田孝子)

 「杉の花」はまだよい。「杉花粉」となると、昨今はや見たくもないということで、句どころではない。「杉花粉核の世に嚔充満す」(小檜山繁子) 「満を持しをりたるものに杉花粉」(茨木和生) 多分詠んでいる本人は、まだ花粉症のなんたるかを知らない。

山彦のあと一斉に杉花粉  岡本まち子

一景一句(30) 三椏の花

2008-04-03 | 一景一句

三椏が咲いてきのふの夢枕  手塚美佐

 三椏を詠んで、三三が九などと遊んでいる句がどこかにあったような気がするが、三又の枝の先がまた三又になり、その最先端に筒状の蕾が集まって球をなし、もう秋のうちから準備はできている。いつ咲くつもりなのか、もう咲いているつもりなのか、いい加減見飽きた頃、筒の先が黄色に染まってなるほど花が開いている。

 「三椏の蕾の礫びかりかな」(山西雅子) 「三椏の花の咲くともしまひとも」(上田日差子) 「三椏のもともと無垢の俯ける」(白岩絹子) 花が俯いているので、遠目には咲いているのか蕾なのか、よく分からない。それでも「礫びかり」して、じっとその日を待っているかの風情はやはり気になる。「みつまたの花だんまり屋はにかみ屋」(田邊香代子)

 上の三椏は、たまたま先月中旬、高尾山上で咲いているのを、下からのぞき込んで拡大してみたのだが、花の先端だけ見ると鮮やかな黄色で、筒の白とよく調和している。同じ黄色でも山茱萸のそれとも、この時期あちこちでみかける、どの花の黄色とも印象が違う。感じのよい花で、これなら咲くのをいつまで待ってもよい。上の手塚の句の夢枕は、何のお告げであったのだろうか。

 「三椏が紙漉村の墓の供華」(三宅千秋) 三椏は、紙漉の、それも上等な和紙の原料とされたらしい。となると、人の背丈よりは高く伸びたのであろうが、浅間山麓の庭の三椏は、枝も上の写真のように直線にならず、地面に蹲り、こんもりと横に広がっている。土地柄であろうか。余程のはにかみ屋とみえる。

三椏や子連れ夫婦の笑む如く  河合由二