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峠越えれば

峠境に むこうとこっち 峠越えれば別の国

一景一句(14) 柿の実

2007-11-23 | 一景一句

しみじみと日を吸ふ柿の静かな  前田普羅


 紅葉した柿の葉は美しい。赤と黄に、緑が複雑に交じり、手に取ってみると一枚ずつそれぞれに異なり、楓や銀杏のような単調でないところが面白い。その紅葉も霜が降りると、一気に散って裸木に赤い実が輝き、また暫くの間楽しませてくれる。「裸木に満ちて赤々柿灯る」(瀧春一)

 「里古りて柿の木持たぬ家もなし」(芭蕉) 晩秋の里に、柿の実ほど似合うものはない。柿はよく育ち種類も多い。渋と称する自生した原木に、好みの柿の小枝を貰って接ぎ木する。年を経ると思わぬ大木になり、収穫に難儀する。「柿耀りて牛にしづかな刻うつる」(桂信子)「存念のいろ定まれる山の柿」(飯田龍太)

 木から採ってそのまま食べる甘柿と、収穫後熟してから食べる渋柿と、どちらを好むかは人それぞれ。渋柿は熟柿となればこの上なく甘い、甘柿の比ではない。「渋柿の如きものにては候へど」(松根東洋城) には、俳句らしい惚けたおかしみがあるのだが、どの歳時記に必ず採られている「渋柿の滅法生りし愚さよ」(松本たかし) はどうであろうか。まさか熟柿を知らないわけもなく、よく分からない句である。

 「炉火よりも赤き熟柿をすすりけり」(橋本鶏二) 熟柿は食べるのではなく啜る。潰れないよう、そっと掌にのせて、口を近づけて、冷えた果肉を啜り込む。冬籠り最高の贅沢で、炬燵や炉端であれば申し分ない。「柿食へば命剰さず生きよの語」(石田波郷) 「柿食ふやすでに至福の余生かな」(結城昌治) どちらも、ナイフで皮を剥いて食べる甘柿よりは、熟柿を啜っている光景とした方がしっくりする。

 上にあげたのは、土手に植えられた、大ぶりな、見るからに美味そうな柿なのだが、数本の中の、残された枝振りの見事な大きな一本が問題で、足場も悪いし、手の届くところまでは採ったものの、さてどうしたものかといった風情で、ことによると、このまま子守柿にされてしまうのかもしれない。子守柿は一つだけ残せばよいのだが、最近は一本まるごとというのをよく見かける。事情は察せられるにしても、もったいない話ではある。

一木に千の夕日や柿の秋  井上匡

一景一句(13) 花八つ手

2007-11-13 | 一景一句

花八ツ手書架に周平・周五郎  松本孝太郎

 隣家との間に一本あり、いつの間にか随分大きくなった。花を撮るのだから、日の当たっている方がいいのだが、これが難しい。庭の隅の日陰で、昼過ぎのわずかの間だけ、花の一部に辛うじて日が差す。蜂や虻の仲間が結構集まり、しきりに周囲を飛び回っている。こんな地味な花でも、やはり花は花と感心してしまう。冬の、花の少ない時期だからこれでよいのであろう。花も様々、花やかなばかりが花ではない。

 「日向より日陰が澄みぬ花八つ手」(馬場移公子) もとより花を期待して植えたわけではない。常緑の、大きな手の平のような葉の形が面白くて、庭の隅が寂しくならないようにしただけなのだが、親しんでみると、花の方もどうしてなかなか捨てがたい。俳句にもよく詠まれている。あえて主張せず、目立たないところがよい。「どの露地のどこ曲つても花八ツ手」(菖蒲あや)

 「泣き止んだ後の明るさ花八ツ手」(下条冬二) 家の裏に回って、あるいは庭の片隅で思いっきり泣いたのであろう。そんな時、色鮮やかな派手な花はうっとうしい。「紐といふ自在な物よ花八つ手」(濱田のぶ子) ありふれた単純なものほど応用が利くし、役にも立つ。紐や八つ手の花などという、変哲もないものに目を向けるのが俳句のよさかもしれない。

 藤沢周平が亡くなってほぼ十年、藤沢作品には長年お世話になってきた。俳句に興味を持つようになって、藤沢周平の出発点が俳句であることを知って納得できるところがいくつかある。時代小説は俳句かもしれない。共にあえて無理な形式を引き受けることで、かえって大抵のものは、その中に無理なく収まっている。

花八ツ手縁に母居るぬくさかな  針ヶ谷久枝

一景一句(12) 鶏頭

2007-11-10 | 一景一句

秋風の吹きのこしてや鶏頭花  蕪村

 それにしても凄まじい赤。接写した画像を拡大してみると、縄文の火炎土器のように渦巻いている。これはもう、燃える鶏冠としか呼びようがない。誰が見たってそう。「紅となるべきもの鶏頭に凝りにけり」(山口誓子)

 近所に、なぜか鶏頭が一本、門口に植えられた家があり、これはそれを撮らせてもらったのだが、十一月になっていよいよ色鮮やかで、一向に衰える気配がない。確かにこれなら一本で十分で、狭い庭に、こんなのが「十四五本」もあったら、とんでもないことになる。

 「鶏頭に鶏頭ごつと触れゐたる」(川崎展宏) まさか鶏が頭をぶつけたとしても、ごつんとはいうわけもないのだが、それだけの存在感があるのだから仕方がない。「鶏頭の短く切りて置かれある」(岸本尚毅) これもその存在感故に、写生がそのまま句になる。

 「ヒト科ヒトふと鶏頭の脇に立つ」(摂津幸彦)とか、「鶏頭の頸動脈をさぐるかな」(坂巻純子)とか、これでも句になるのだから面白い。上の岸本尚毅に「河骨にどすんと鯉の頭かな」という傑作があるが、頭と頭で「ごつん」なら、骨にあたれば「どすん」ということか。言葉の遊びには違いないのだが、植物にこんな名前がついたところから既に俳句が始まっている。
 
 「仲わるき隣鶏頭火の如し」(野村喜舟) 「一本の鶏頭燃えて戦終る」(加藤楸邨) この常軌を逸した赤は、隣家との諍いから戦争までをも、句の中に取り込んでしまうのだから、あっぱれと言う外ない。

鶏頭を抜けばくるもの風と雪  大野林火

一景一句(11) 落葉踏む

2007-11-08 | 一景一句

落葉踏む今日の明るさ明日もあれ  水原秋櫻子

 足許にがさごそと音をさせ、落葉を踏んで道を行くといった風情はいかにも俳句的で、そんな季語でもあるかのように、よく詠まれている

 上の風景は、十一月初の浅間山麓、標高千の林道。紅葉の景とも言えるが、道にはもう落葉が敷きつめられている。季語としては「紅葉」は秋、「落葉」は冬、中間に「木の葉」、これは冬に入れる。「紅葉」が見頃を終え、散り始めたあたりを「木の葉」、漱石に「風に聞けいづれか先にちる木の葉」がある。その後に踏まれたり、風に運ばれたりしているのが「落葉」、大雑把にこんな感じであろうか。樹種の違いで、これが上の風景のように混在することもある。「紅葉」を愛でつつ、「木の葉」散る中を、「落葉」の道を踏ませてもらった。

 秋から冬へ、紅葉が落葉するにつれ、山の中はどんどん明るくなり、大気は透明になってゆく。五感も鋭くなり、聞こえない音が聞こえたりもするのであろうか。「身の内の音となりつつ一葉落つ」(高木きみ子) 「今日生きていのちの音の落葉踏む」(湊元子)

  「落葉踏む山懐の深さかな」(前大用治) 林道は普通標高がほぼ一定しているので、谷筋を越える毎に大きく蛇行し、そのため葉を散らした樹間を通して、いきなり視界が開けたり、周囲の眺めは変化に富み、どこまで行っても戻る気がしない。聞こえてくるのは、がさごそと落葉を踏む自分の足音ばかり。「落葉ふんでひと道念を全うす」(飯田蛇笏)「個は全や落葉の道の大曲り」(西東三鬼) 落葉を踏み続けていると、ごく単純なことに思い至ったりもする。

道かへていよいよふかき落葉かな  久保田万太郎

一景一句(10) 唐松黄葉

2007-11-07 | 一景一句

山の日にねむきからまつ黄葉かな  山上樹実雄

 「黄葉」と「紅葉」、どちらも「もみじ」で、それが複雑に入り交じって織りなす風情が面白い。浅間山麓の黄葉を代表するのが唐松、松ながら落葉するので、落葉松と書いたりもする。落葉するので新緑も黄葉も美しく、裸木の林も悪くない。

 「落葉松の林を出でて 落葉松の林に入りぬ 落葉松の林に入りて また細く道は続けり」 白秋の歌のままの林道が、この辺りにはいくらもあり、「紅葉して明るき森の中となる」(伊藤玉枝)、日に日に、森の、林の中が明るくなって行く、今の時期、散策が楽しい。  

 唐松は、日当たりのよい斜面を選んで植えられていることが多く、日の当たる角度により、表情が刻々変わって行く。人工林なので樹齢も樹勢も同じはずなのだが、なぜか黄葉がばらつき、これも日々その表情が変わって行く。

 目の覚めるような「紅葉」を見た目で、唐松の「黄葉」を見たとすると、なるほど「ねむきからまつ」ということになるのかもしれない。

 「この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉」(三橋鷹女) 「極楽もぢごくも一つ照紅葉」(小島千架子) 紅葉、それも夕日を浴びたり、日に照らされた燃え立つようなそれとなると、別の世界を垣間見たかの印象も無理からぬのだが、唐松林の黄葉は、どこまでも穏やかで、安らぎに満ちている。 

 「色変へぬ松樅檜四十雀」(福永耕二) 「色変へぬ松」が、秋の季語であることを最近知った。確かに紅葉に交じった松の緑はひときわ目につく。輪郭のぼやけたような唐松の黄葉が心にしみるのも、楓や櫨のどぎついまでの紅葉あってのことかもしれない。

静かなり紅葉の中の松の色  越人

一景一句(9) 水澄む

2007-10-26 | 一景一句


水澄みて空には隅のなかりけり  八田木枯

 雨上がりの早朝、近くの林道を少しばかり歩いてみた。雑木が生い茂り、真夏だと少々うっとうしいのだが、落葉が始まり、林の中が随分明るくなっている。まいった。道いっぱいに水溜まりができ、前に進めない。さて、どうしたものか。水の中に少し黄葉した林と、それを透かして抜けるような青空が写っている。じっと見つめていると引き込まれそうになる。空が広大無辺であることをこのように実感することもある。もっともこの水溜まり、小一時間して戻ってきたら、あらかた消えてただの泥道になっていたのだが。

 「水温む」は春、「水澄む」は秋、季語はこの上なく的確に季節を捉えている。「水の秋」というような言い方もある。「墨おきて硯の海も水の秋」(鷹羽狩行) 硯の水であっても、思いを凝らせば海にもなる。山中の水溜まりなら立派なもので、こじつけでも何でもない。

 五行説では秋に白を配する。水も空気も、夏の湿気を失い、次第に白く透き通って、やがて冷え切った冬となる。「おのづから人澄む水の澄める里」(後藤比奈夫) 水澄むと同時に、人澄む感じもここ浅間山麓の山里ではひとしおで、ここにいる限りは、あまり余計なことを考えたり、気をつかったりしないですむ。

 水澄み、人澄む中に、言葉もだんだん余計なものを削ぎ落とし、単純なものにゆきつくようで、普段あまり思いつかないことを考えていたりもする。「秋思」でああろうか。

生も死も愛も一会や水の秋  鶴岡しげを

一景一句(8) 木の子

2007-10-25 | 一景一句


霧雨や白き木子の名は知らず  乙二

 やはり「きのこ」は、茸より「木の子」と書いた方が面白い。乙二は、一茶と同時代の東北の人。この時期、雨の後いろいろな茸が一斉に出てくる。土地の人間でも知らない茸はいくらでもある。知ったつもりで間違えることもあり、結構事故も多い。

 これは網茸の類で、この辺では「りこ坊」と呼んでいる。生えてすぐ採らないと、虫がどんどん食べてしまうので毒はない。一番無難な茸である。お裾分けに貰ったので、松葉やら何やら洗い落として、早速茹でて大根おろしでいただいた。うまい。野趣があって実にうまい。やはり茸は天然物に限る。

 芭蕉に「松茸や知らぬ木の葉のへばりつく」があるが、茸採りの風情とも読める。「舞茸をひっぱり出せば籠は空ら」(中田みづほ) これはもう間違いなく茸採りで、一つで籠いっぱいになってしまうような見事なものがあるらしい。浅間山麓のこの辺りは赤松林が珍しくなく、かつては松茸もよく採れたらしい。山を荒らした報いで今はとんと見かけない。松茸も舞茸も天然物はもう別の世界へ行ってしまった。 

 蕪村を補佐した几董に「毒茸や美しきものと見て過ぎる」があるが、美しくも妖しい毒茸もあったりで、賞味するだけでは済まず、茸からは何か不思議な世界がかいま見られる。「もろもろの茸の怒り泛く山中」(飯島晴子) なんていうのもあり、どこか恐ろしい。

茸食うこの世不思議とおもひつヽ  青柳志解樹

一景一句(7) 杜鵑草

2007-10-24 | 一景一句


杜鵑草そこより峡の天深し  青池秀二

 浅間山麓の知人の家を訪ねると、庭石の陰に見慣れない花が咲いている。杜鵑草だという。「時鳥草」と書いた方が分かりやすい。「ほととぎす」である。花びらの斑点が杜鵑の胸毛に似ている。近くの山から採ってきて植えたのだという。「野の庭に山が匂ひ来時鳥草」(前田正治) 裏山には猪も熊もいる、峡の山家のこととて、容易に根付いたとして不思議はない。

 初夏の鳥の杜鵑はお馴染みなのだが、植物の杜鵑草は知らなかった。俳句に限っては「杜鵑草」で「ほととぎす」と読む。こっちの方は秋、それも晩秋の季語で結構よく詠まれている。

 「夜をこめて咲きてむらさき時鳥草」(後藤比奈夫) 遠目には地味なのだが、間近によくよく見ると鮮やかな紫で、六つに割れて開いた花弁の形も優雅で気品がある。「杜鵑草活けて落柿舎女住む」(岸川素粒子) 芭蕉も滞在した嵯峨野の去来の落柿舎であろう。女性の管理人でも置かれているのであろうか。この句に収まるとしたら、なるほど杜鵑草しかない。

 知らない花の名前を覚えるのは楽しい。野生のままだと丈1メートルくらいになることもあるらしいのだが、大方の秋の花が盛りを過ぎた頃、ごく慎ましく、日陰に露を含んで、素知らぬ顔をして咲き続けている杜鵑草は、一度見たら忘れられない。

滅入ることもなく時鳥草咲いてゐし  飯島晴子

一景一句(6) 稲架

2007-10-22 | 一景一句


稲架並ぶ日本の空に帰りけり  太田梨三

 「稲架」は「はざ」「はさ」、浅間山麓のこの辺りでは「はで」という。刈り取った稲を束ね、簡単な木組みに掛けて乾燥させる。この木組みが稲架、近くの山から切り出した丸太を繰り返し使う。「はで棒」と呼んでいる。稲架が立つと田圃から人影が消え、山が色づく脱穀の時期まで、暫し長閑な日が続く。

 稲架が立つ頃、鳥が渡ってくる。稲架が列をなし、鳥の目にもよく馴染んでいるのであろう。まさしく「日本の空」である。

 虚子に「渓谷の少し開けて稲架ありぬ」があり、これはどこの渓谷かわからないが、谷筋を上っていくと、目の前に思いがけず棚田が現れ、この句のままである。標高千に近い。更に少し上って行くと、どんづまりの集落があり、養蚕の名残で家の造りが目立って大きく、屋根の上に煙り出しの小屋根の乗ったものもある。稲作も養蚕もこんなところまで広がっている。

 稲架があり、それが棚田とあれば、いよいよ懐かしい光景ではあるのだが、きつい斜面を実際に歩いてみると、そうもいっていられない。里の方では、このところ稲架が年々見られなくなっている。刈り取りと同時に脱穀し、乾燥には火力を用いる。人手と後継者の不足で機械化せざるをえない。ここではどうしているのであろうか。採算などはとうに度外視しているはずで、規模が小さいことが、かえって幸いしているのかもしれない。

かけ稲の穂先しづかにそろひけり  川本臥風

一景一句(5) 花芒

2007-10-15 | 一景一句

山は暮れて野は黄昏の薄かな  蕪村

 別に、「峠越えれば(9)武蔵野」でこの句を引用したのだが、国木田独歩は『武蔵野』で、この句を定型に従って上五を「山は暮れ」にしており、そこでは一応独歩に従い、そのままにしておいた。正しくは「山は暮れて」であり、蕪村はそのように詠んでいる。

 「て」が入ると入らないとで、句の印象がどう違うか、村上護編著『筆墨俳句歳時記 秋』に、「これにより明と暗がきわだち過ぎず、時間の推移もゆったりとなる」とある。字余りの効果だという。なるほどとも思うのだが、省略を想像力で補うのが俳句だとすると、どちらでもよいような気がしないでもない。後藤夜半の「滝の上に水現れて落ちにけり」の「に」も、字余りの効果でよく例に引かれるが、俳句が微妙なものであることはよく分かる。

 春の七草は摘んで食べるのが目的で、野にあるものなら何でもよいように思えるが、見て愛でる花として、秋の七草に芒を選ぶというのが面白い。今の時期どこに行っても芒で、上のものも浅間山麓の道端で撮った、どうということもない芒なのだが、改めて見てみると、どこかそれなりの風情が感じられないわけでもない。

美しく芒の枯るる子細かな  富安風生

 「貌が棲む芒の中の捨て鏡」(中村苑子)なんていう凄いのもあるが、過ぎ去った歳月を重ねて、老い枯れてゆく心の中を覗いてみたり、白髪にも似た揺れる芒が様々な感傷を呼びさます。「修羅の数忘れてしまった花芒」(依田壽子)

一景一句(4) 鳥兜

2007-10-13 | 一景一句

今生は病む生なりき烏頭  石田波郷

 烏頭(うず)はとりかぶと、正確にはその根茎、形が烏の頭に似ているからという。小さなものは附子(ぶし)、漢方の生薬だが、当然猛毒の成分を含む。花の形はといえば、これはなるほど舞楽の鳥兜である。

 浅間山麓の標高千三百ほど、廃道に近い登山道の脇に見つけた。雑木の落ち葉の中に埋もれて、びっくりするほど鮮やかで、竜胆や桔梗に負けていない。秋桜子に「荒寥と熊の湯ちかき鳥かぶと」があるが、この熊の湯は志賀高原であろうか。実景の印象としてはこの句に近い。熊笹をかき分けてもう少し登ると、ここにも湯治場の跡がある。

 波郷に「葛咲くや嬬恋村の字いくつ」「大瑠璃は落葉松の唄浅間山」があるところをみると、浅間山周辺で、実際に鳥兜を見ることがあったのかもしれない。嬬恋村は、山一つ越えた上州側の山麓に広がり、草津に近い。

 上の波郷の句は、鳥兜の、猛毒が薬と表裏一体をなす妙と、晩秋なお鮮やかなその花の色、それに療養に明け暮れる生死隣り合わせの自身の半生を重ねたものか。

 最近知ったのだが、波郷に俳句を勧めたのは、松山中学同級の中富正三、後の大友柳太朗だという。豪快な演技(笛吹童子の霧の小次郎とか)でならした時代劇スターが、晩年自ら命を絶ち釈然としなかったのだが、生来、波郷同様繊細で純粋な人物だったのであろう。

桔梗や男も汚れてはならず  石田波郷

一景一句(3) ひつじ田

2007-10-12 | 一景一句

穭田に昔捨てたる心かな   河原枇杷男

 「穭」はひつじ、稲の孫生(ひこばえ)を指す。刈り取り後の稲株に、再び青い芽が出てくることがあるが、やがて立ち枯れる。「穂の出来ていよゝさみしき穭かな」(原石鼎)、もの悲しくもある晩秋の光景ということになる。枇杷男が捨てた心の中が、どんなものであったかは容易に想像がつく。

 JR相模原線の原当麻駅から少し歩くと、時宗の古刹、当麻山無量光寺がある。一遍の像がある境内を出て、山門から坂を下ってゆくと、目の前を相模川が流れており、川沿いの湿原に開かれた水田が、青々と見事な穭田になっていた。

 「孫生(ひこばえ)」という言葉を知ったのは有吉佐和子の『複合汚染』で、三十年ほども前よく読まれていた。農薬その他の汚染で、最近では、孫生が生えることもなくなったというような書き方であった。実際には、刈り取りの終わった後、水は落としてしまうので、水田の多くは、それほど孫生が生じたりはしない。対照的に水捌けの悪い土地だと孫生は珍しくない。

蘖や愛は左右の頬打たす  有馬朗人

 「蘖」は、これも孫生、広辞苑には「伐った草木の根株から出た芽」とある。小説から得ただけの知識で、孫生というと稲のそれしか思いつかず、晩秋の光景とはちぐはぐで、意味不明の句であった。俳句では、蘖は木から生えたものを指し、春の季語であることは後で知った。新約の例のイエスの言葉を踏まえて、伐られようが、打たれようが向かってゆくのが愛、なるほどそうかもしれない。

一景一句(2) 栃の実

2007-10-09 | 一景一句

栃の実を踏みしが木曾のはじめかな  藤田湘子

 藤田湘子が亡くなって二年半になる。数年前から日経を取るようになり、いつかその投稿俳句に親しむようになった。日経俳壇の選者が藤田湘子、別の誰かであったら多分、俳句は今ほど身近にはならなかった。わずか二百字ほどの中に、毎週過不足のない評言がすっきりと収まっていた。訃報が伝えられた翌週も湘子選で、それが最後の掲載であった。

 柿好きの子規に「三千の俳句を閲し柿二つ」というのがあるが、選句という、余程の集中力が必要な仕事を、闘病の気配など微塵もなく、最後までやり遂げて逝った湘子を忘れることはできない。

 近くの公園に落ちていた栃の実を拾ってきて、机の上に転がして大分遊ばせてもらった。似てはいるが、栗と違って、掌に収めてみると角がないのでよく馴染む。ずっしりとした充実感が心地よい。形も栗よりは愛嬌がある。

とち餅や十五までゐた城下町  丸谷才一

 湘子とは一つ違いの丸谷は、山形の鶴岡の出で、栃の実を晒して団子にして喰った経験があるのだろう。戦前の行商の記録に、山家で栃餅を出されて閉口した、というようなことが書いてあった。穀物に比べれば、固く不味いにきまっている。戦中が育ち盛りの丸谷だと、飢えその他諸々の戦時の記憶と、栃餅が重なっているに違いない。(1)の曼珠沙華も含めて、ひとはやむにやまれず、色々なものを口に入れてきたのであり、そんな気はなくても、句には土地の記憶が滲んでしまう。湘子の「木曾」もまた然り、街中の公園の栃の実を踏んでも句にはなりそうもない。

一景一句(1) 曼珠沙華

2007-10-08 | 一景一句

曼珠沙華あつけらかんと道の端  夏目漱石

 曼珠沙華が、確か近くの公園の隅に咲いていたのを思い出し、昨日、帰りに寄り道してみると、盛りは過ぎたもののまだ咲いている。黄昏時に闇から滲み出したように咲いている姿は、少々妖しい。

だしぬけに咲かねばならぬ曼珠沙華  後藤夜半

 彼岸の頃いきなり咲いて、いつの間にか忘れられ、その後の印象はない。葉のない異形の花は、名前同様派手で、目につき易く、よく詠まれているが、どうというこもない句が多い。「あかあかとあかあかあかと曼珠沙華」とでもいってみるしかないのかもしれない。

 非常時の食用に供されたこともあったようで、毒性の植物であることはよく知られている。以前住んでいた家の近くの、街中の墓地の縁に群生しており、そのあたりの日溜まりが、猫の溜まり場になっていた。土葬の頃の名残で、鼠を寄せ付けないよう植えたものらしい。田圃の畦によく見かけるのもやはり鼠避けであろう。

 猫と曼珠沙華の取り合わせは句になりそうで、いろいろ挑戦してみたが、やはり駄目であった。