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峠越えれば

峠境に むこうとこっち 峠越えれば別の国

一景一句(59) 葉鶏頭

2011-08-29 | 一景一句

かくれ住む門に目立つや葉鶏頭  永井荷風

 「紅滾々と」という句がどこかにあったが、写真の上部中央が芯、花ならぬ葉を日々滾々と吹き出している。色姿共、奇妙奇天烈なこと鶏頭に負けていない。しかもどちらも優雅な別称を持ち、万葉集の昔から親しまれている。庭に植えるのに何の遠慮もいらない。それにしてもである、葉鶏頭も鶏頭(一景一句12)も、その色たるや、よくもまあここまで、何ともはや強烈で見飽きない。「葉鶏頭途方に暮れしまま紅く」(柿並その子) 「何かさかさまの色なる雁来紅」(中井洋子) 「解脱など思いもよらぬ雁來紅」(本田幸信)

 芭蕉は奥の細道の、その行脚の終わり頃、旧暦の八月上旬、福井に旧知の等栽という「隠士 」を訪ねている。「市中ひそかに引き入りて、あやしの小家に夕顔・へちまのはへかかりて、鶏頭・箒木に戸ぼそを隠す」源氏の夕顔に絡めた、よく練られた文章なのだが、ここにも鶏頭が植えられている。よせばいいのにとも思うのだが、街中に隠れ住む者になぜか鶏頭が似合う。

 偶々今庭に植えてある葉鶏頭は矮性の園芸種で、背丈は程々なのだが、葉鶏頭は鶏頭よりよく伸び、一メートルを超える。ほうき草の箒木も同じくらいによく伸び、なるほど「戸ぼそを隠」してもおかしくない。ことによると、芭蕉はここで鶏頭と葉鶏頭を混同しているのかもしれない。鶏頭の方はもう少し背が低い。芭蕉に「鶏頭や雁の来る時尚あかし」があるが、雁の来る頃赤くなるから雁来紅で、この句の鶏頭もどちらを詠んだものか。

 「まだ咲かぬ菊の間に葉鶏頭」(牧稔人) 箒木は子供の頃毎年庭先に勝手に生え、実際箒にして使っていたが、最近はとんと見かけない。来年はちゃんとした葉鶏頭と、序でに箒木も植えてみたい。

根元まで赤き夕日の葉鶏頭  三橋敏雄

一景一句(58) 葛の花

2011-08-21 | 一景一句

崖下へ鎌で追い遣る葛の花  甲斐里枝

 「葛咲くや嬬恋村の字いくつ」(石田波郷) 昭和十七年八月、波郷は、浅間山麓を軽井沢から草津へと抜ける。嬬恋村は我が家からは山の反対側になるが、どこまで行っても嬬恋村、やたら広い。今では、高原野菜の産地で知られているが、当時はまだ、どこまで行っても葛の花、山道を「葛の花踏みしだかれて」とでも口ずさみながら、「字いくつ」と覚えずつぶやいたものか。

 「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花」 憶良詠の最初にあげられているのが「萩の花尾花葛花」の三種で、なるほどかつてこの国の山野は、この三種で埋め尽くされていたのであろう。萩や薄や葛の原を、田や畑に開墾して今の光景がある。

 「月天心家のなかまで真葛原」(河原枇杷男) 果てしなく続く萩や薄や葛の原は、いわば原風景で、郷愁が染みついている。だが葛については、やはり一言欲しい。真葛原に、わざわざ葛の花見に出掛ける酔狂はいない。面と向かえば、大き過ぎる葉っぱと異様に絡み合う蔓に圧倒され、萩や薄のようには、誰もその花を殊更に愛でたりはしない。葛は英語でもkudzuで、明治初年にアメリカに持ち込まれ、繁茂し過ぎて侵略的外来種とかで嫌われているらしい。

 休耕地に囲まれた我が家の、その一角は竹藪で、地中を這って侵略してくる竹の子退治には毎年苦労しているのだが、加えていつの間にやら木質化した葛が竹藪にのしかかり、何とも凄まじい光景をなしている。上の写真の花の背後では竹が窒息しかけている。

 「野生馬の病めば真葛を刈り与ふ」(瓜生和子) 萩や薄とは対照的に、葛が有用な植物であることはいうまでもない。困ったことに、今では村に家畜はいなし、冬に葛の根を掘る者もいない。

葛の葉の吹きしづまりて葛の花  正岡子規

一景一句(57) 敗戦忌

2011-08-15 | 一景一句

言霊の抜け殻ばかり敗戦忌  平野摩周子

 「いつまでもいつも八月十五日」(綾部仁喜) 敗戦なのか、終戦なのか。偶々八月十五日の今日、目に止まった句を書き出してみたら、これが全て「敗戦」であったというだけの偶然であり、敗戦も終戦も直接には経験していない。当事者であるなら、それぞれに語り尽くせない思いとこだわりを今に持ち続けているに相違ない。「敗戦日一日にんげん休みます」(伊東辰之亟)

 一枚の写真がどれほどのことを語り得るか、一句にして何が語り得るか。先の三月十一日以降夥しい報道写真を目にしたのだが、宮城県の閖上という聞き慣れない地名と一緒に、中に一枚、今に目に焼け付いている。ゆりあげと読む。今風に装った若い娘が、赤い長靴を脱ぎ捨てて、むき出しの長い素足を抱えて、瓦礫の中でおいおい声を上げて泣いている。遠慮して遠くから撮ったからか、背景には、信じがたい津波の破壊狼藉ぶりが余すところなく、全てが収められている。失われたものと、残されたもののかけがえのなさが、共に全て語り尽くされている。

 同じく、ここにもう一枚、ことによったら、震災の写真がなければ見過ごしていたのかもしれない、これは二日前の新聞。直立不動の小学生が涙を堪えている。この時代、男の子は泣いてはいけなかったのであり、見事にさまになった不動の姿勢は自然に身につくはずもない。背に負われ寝入っているのは多分弟で、場所は長崎の焼き場。この兄弟の現在の年齢は六十代後半から七十代前半、いかなる戦後を生きたのであろうか。

 「父の顔知らず定年敗戦忌」(石川好夫) 「六十回の空仰ぎ見る敗戦日」(島崎靖子) 終戦よりは、敗戦の方が、一個の思いと喪失感が徹底している印象があり、やはり全てはそこから始まるし、始めなくてはならないのであろう。

すこし先見るため歩く敗戦忌  有村王志

一景一句(56) 撫子

2011-08-04 | 一景一句

なでしこや人をたのまぬ世すごしに  中村汀女

 散歩の途次、草叢に鮮やかなピンクを見付けて、無理矢理引き抜き、庭に植えて置いた撫子が、よく伸びること伸びること。支柱で支えてやると、揺れながら次々に花を咲かせている。

 見ての通り、花弁が刻まれているのが大和撫子。唐撫子の石竹の花弁は丸く整っている。ついでながらカーネーションも、よく見れば撫子で、こっちの方は、近世にはオランダ撫子と呼んでいたらしい。

 「夏は大和撫子の、濃くうすく錦を引けるやうになむ咲きたる。これは秋の末なれば見えぬ」。更級日記の著者が京に上る途次、こう語り聞き、撫子の群生に出会うのだが、この「もろこしが原」は相模川の河口に近い、その支流の河原と思われる。さすがに旧暦の九月末、「なお所々はうちこぼれ」という程になってはいるが、大和撫子は、別名河原撫子、真夏の焼け付いた河原に自生するほどに強靱で、かつ花季が長い。「撫子よ河原に足のやける迄」(鬼貫)

 なでしこジャパンはアテネオリンピック以来のファンなのだが、名こそが体を表す。この呼び名を得た時点で、すでに快挙は約束されていたというのが正しい。監督の名などを仰いでいる限りは奇跡はありえない。

 本当のところ、野にあるものを庭に植えたりはしない方がよいのであろう。丈ばかりが伸びて、どうにも座りが悪い。草叢に埋もれ、怖じることなく河原に短躯をさらしている方が撫子らしいのだが、そこは撫子、やはり身近にも置きたい。「露の世や露のなでしこ小なでしこ」(一茶)

撫子の朝がほ清し花の露   宗祇

一景一句(55) 冬桜

2010-12-17 | 一景一句
満開といふ時持たず冬桜  荒野桂子

 冬桜というものが世に存在することを知らなかった。狂い咲きの帰り花でも、春を待ちかねての早咲きでもない。暮れから正月に咲き続け、厳冬期に一休みして、春になるとまた咲き始める、花季が長いので二度咲きになる。

 庭に山桜を植えたついでに、花の途切れる冬に、それも桜が咲いたら面白かろうと、聞き知った三波川桜を植えてみたのだが、二年生の接ぎ木苗に、早くも花をつけている。気が早いのか、長いのか不思議な桜で、このところ毎日しげしげ眺めているのだが、たった一輪、見ての通り艶やかに匂い立ち、かつ凛として霜などものともしない。葉と違って花は本来寒さに強い。

 「一弁を吐ける莟や冬桜」(富安風生)「はなびらの小皺尊し冬さくら」(三橋敏雄) 咲きそうで咲かない、咲いたら一向に散る気配がない。脇にはもう次の莟が日に日に膨れてきているのだが、これまた簡単には咲きそうもない。その隣の堅そうな莟はまだ休眠中らしい。要するに、ぽつぽつと気長に、気ままに咲くのが好きなわけで、種としての事情があってのことなのであろう。

 「今日ありと思ふ余命の冬桜」(中村苑子)というような句もあるのだが、時ならぬ桜というのは、人の勝手な心象でしかなく、一斉に咲いて一斉に散る桜の方が、よほど儚く、根性に欠けている。一木一山の満開ではなく、たった一輪で、人の目を引きつけて離さない、際だった個性は並ではない。冬桜は器が大きすぎて俳句には収まりそうもない。

 「冬桜きまりがあってないような」(河村芳子)「白湯たぎる音のどこかに冬桜」(浅沼艸月) 強いてあげればこんなところか。

冬桜空青ければ散りもせず  百瀬美津

一景一句(54) 鵙の贄

2010-10-07 | 一景一句
飢えることなしともいえず鵙の贄  甲斐里枝

 「天刑は天のわがまま鵙の贄」(亀田虎童子) わがままというか、気まぐれというか、乱暴狼藉もいいところ、なんとまあということで、磔刑のような串刺しは、目の辺りにするとあまり俳句向きの光景とはいいがたい。秋の季語として想像を刺激するところから結構よく詠まれている。

 この場合、生け贄に供されたのが蛙ということもある。北アルプスの麓で庭造りを趣味にしている高名な作家が、その成果を写真集にして幾冊か出しているのだが、牡丹や薔薇の豪華な花の中からきまって雨蛙がもの言いたげに顔をのぞかせている。高踏に過ぎる作家の言説をからかっているかのようで、妙に分かった風の顔が愛嬌たっぷりで何とも可笑しい。本人もそれを承知で、蛙同志を会話させたりして遊んでいる。花を育てていると、なるほど近くに川や池がなくとも不思議と蛙が寄ってくる。

 我が家の、殺風景すぎる庭の真ん中に、とりあえず山桜を一本植えてみた。人の背丈をわずかに上回る程度のか細い若木を根付かせるのは、結構大変で、夏の間せっせと水をやり、どうにか持ちこたえさせたものの、九月の残暑できれいさっぱり葉を散らせ、枯れ木のようになってしまったのだが、そこへ秋の気配に誘われ里へ下りてきた、気の早い鵙が、早速に一仕事に及んだということで、情けない姿を樹上にさらしているのは、あろうことか一夏のよき隣人、あの雨蛙ではないか。「まだ乾びちぢむよちあり鵙の贄」(寺島ただし)などと馬鹿な句を詠むわけにはいかない。

 「殺戮もて終へし青春鵙猛る」(松崎鉄之助) 「鵙の贄叫喚の口開きしまゝ」(佐野青陽人) 「夫の夢を断ちしはわれか鵙の贄」(朝賀みどり) 鵙が何故彼の仕儀に及ぶのか知りようもないのだが、その猛々しさが何事か痛切な記憶に呼び覚ますことは間違いない。

青年を呼びつつありき鵙の贄  永田耕衣

一景一句(53) 朝顔

2010-08-07 | 一景一句
学校が好き朝顔に水をやる  津田清子

 「蕣藍に定まりぬ」(子規)。そうなのだが、起き抜けの眠気も吹っ飛ぶ藍や紺の朝顔に、このところお目に掛かっていない。どれも空色に近い印象で、色に深みがない。写真の朝顔は、記憶をたよりに少々加工してある。

 庭だけは広い田舎家に引っ越して、早速幾種類か種を蒔いてみたのだが、これがひどいだめ土で、梅雨の間も一向に育たない。梅雨が明けると、今度は蔓ばかり伸ばして、莟がふくらむ気配がない。呆れていたら、秋立つのを待っていたかのように、ようやく咲き始めた。色はいまいちなのだが、前夜たっぷり水をやり露を含んで、夜明けとともに開花した大輪の朝顔は、これ以上なく清々しい。普段気の重い学校も、仕事も、一時好きになったとしても不思議はない。

 「朝顔に水遣りたくて早起きす」(あめみちを) 黎明即起、夜が明けたらぐずぐずしないで直ちに起き、身の回りの雑用くらいは、朝の中に片付けろということなのだが、田舎暮らしの、これが良いところで、こんな小難しいことを言われなくとも昔から誰もがそうしている。転居以来いつの間にかその習いに従っているのだが、朝顔が咲き始めると、いよいよ早起きが苦にならない。

 「朝顔に我は飯くふ男かな」「朝がほや一輪深き淵のいろ」それにしてもかなわないなと思う。朝顔の句はこのふたつで後はもういらない。後はもう眺めるだけでよい。近世にも今と同じで園芸ブームがあり、随分変わった色や形の朝顔がもて囃されたりしたらしいのだが、ここで詠まれている朝顔は、ひときわ朝顔らしい紺以外は考えられない。

朝顔の紺のかなたの月日かな  石田波郷

一景一句(52) 梅に目白

2009-02-26 | 一景一句

天平のままの大空梅の花  伊丹三樹彦

 「二もとの梅に遅速を愛す哉」(蕪村) これも温暖化であろうか。今年は、どの梅もあっという間に、枝の先まで一気に咲いてしまった。遅速を愛でる間とてない。満開の古木に小鳥が群れ、夢中で花を貪っている。見事な鶯色なのだが、愛嬌のある目で一目瞭然、これは梅に鶯ならぬ、梅に目白。白梅に目白はよく似合う。

 「白梅のあと紅梅の深空あり」(飯田龍太) 「咲ききりし梅に空澄むばかりかな」(木下夕爾) 梅二月、春とはいえまだ昨日までは冬、梅の花と冷たく澄んだ青空の他には、さして目を引かれるものもない。冬の寒気もそこここにまだ残っている。「隅々に残る寒さやうめの花」(蕪村)

 万葉集の頃は、花といえば当然に梅、多分大方は、一重五弁の白梅であったのであろう。江戸の頃ともなると途端に観賞用の品種が増え、紅梅ももてはやされるようになったのではなかろうか。杏との雑種で、遠目には桜としか見えないものもあり、最近は梅も色とりどり、八重も多く、それはそれでよいのだが、上の伊丹の句は当然に白でなくてはならない。

 「紅梅の夢白梅のこころざし」(大串章) 分かりやすい句で、早咲きの寒中の冬の梅の印象も引き継ぎ、凛と香り高く他に先駆けて咲く白い梅の花に、一本筋の通った人の生き方を重ねてみたくなるのはごく自然な気がする。「白梅の一途なる白生きねばや」(斉藤東風人) 「現世を黒子で通し梅一輪」(清水弥生) 「踏ん張つて生きても一人梅の花」(古賀まり子) 「一人授り一人召されて梅二月」(林ヨシ子)

 「白梅や老子無心の旅に住む」(金子兜太) 「白梅や天没地没虚空没」(永田耕衣) 白梅ならではということか。


梅の花めぐらせ男耕せり  谷元左登

一景一句(51) 蕎麦の花

2008-09-16 | 一景一句

故里を煮つめてみれば蕎麦の花  山下千代

 別の解釈もあるのかもしれないが、女郎花は女飯(50)、粟だという。なるほど花は黄色い粟粒によく似ている。大陸の黄河文明を育んだのは粟で、米ではない。黍や稗にしたところで、五穀として豊穣を願うのが当たり前とされてきた。いつの頃からか、米以外はその他で、雑穀というような言い方に括られ、その代表が粟や蕎麦。「粟の穂や一友富みて遠ざかる」(能村登四郎)

 峠の向こうで、粟もわずかだが見かけることがあり、重たげに穂を垂れ、静かに揺れている様は、稔りそのものを絵にしたようで、忘れてほしくない光景なのだが、小鳥の餌にされたりもしているらしい。蕎麦はといえば、ついこの間、夏蕎麦が終わったと思う間もなく、もう一面に花が開いている。蕎麦に限っては、花ばかりがよく詠まれ、稔ってしまえば見向きもされない。「月光のおよぶかぎりの蕎麦の花」(柴田白葉女)

 真っ白な蕎麦の花は遠目によく目立ち、今の時期珍しくない。休耕の田や畑を使って、思いがけないところで作られていたりする。もの珍しさから観光用に蒔かれていた、ひところとは違い、それなりに力が入っている。ことによるとロハスとやらで、粟や蕎麦や黍やらが見直されている、そんな事情もあるのかもしれない。「減反田夜眼にも白し蕎麦の花」(村谷龍四郎)

 米のみに過度に入れ込んできた時代はとうに終わったのであろう。米あっての雑穀というような乱暴な括り方は、なくなるにこしたことはない。米があって、麦も蕎麦も、粟や黍や大豆もなくてはならない。「そばの白さもぞつとする」、それも含めて、その時々に詠み込まれてきた思いは、そうそう消えるものではない。[白眩し無我の心境そばの花」(鈴木キヌ子)

平和とは白の風なり蕎麦の花  田付賢一

一景一句(50) 女郎花

2008-09-10 | 一景一句

天涯に風吹いてをりをみなへし  有馬朗人

 車窓に瞬間、一叢の鮮やかな黄色が過ぎる。気になって帰路、わざわざ車を止めて確かめると、やはり女郎花。道路脇の砂利の中、排気ガスをものともせず、丈低く根を張っている。盆花といえば女郎花と桔梗、このあたりの草地には、どこにでも自生しており珍しくもなかったのだが、最近はあまり見かけない。草に埋もれて花茎を伸ばそうとするから、女郎花といえばひょろっとした、頼りない印象があるのだが、この女郎花ばかりはいやに逞しい。状況に適応して鍛えられたものであろうか。黄色が見事なまでに美しい。

 「壺の花をみなめしよりほか知らず」(安住敦) 女郎花の「女郎」を当てたのは平安以降で、万葉集の頃は「をみなめし」、米の男飯に対する、粟の女飯であったはずで、この方がどこにでもある身近な秋の七草に相応しい。萩とは対照的に、女郎花は平安朝の貴族にも愛され、女郎の字を当てられ、なるほどそういわれてみれば、どこか頼りなげな、鮮やかな黄色い花が、高貴な女性を連想させないわけでもない。しかし、表記というのはやっかいで、飯と女ではかけ離れてい過ぎる。

 「名にめでて折れるばかりぞ女郎花われおちにきと人にかたるな」古今集のよく知られた、六歌仙遍昭の歌。落ちたのは歌い手の遍昭にきまっているのだが、どうしても女郎花という表記が、生身の女が折れたり落ちたりしたかのような連想を誘ってしまう。やはり歌は万葉集に限る。別の女に心を移した男を恨んで、淵に身を投げた女の残した、山吹重ねの衣が女郎花になったというような話まであったりで、女郎花というと決まって、折れたり、折られたり、靡いたり、揺れたりすることになるのだが、こんなのはほどほどにした方がよい。「ことごとく坊のあとなりをみなへし」(黒田杏子) 「馬育つ日高の国のをみなへし」(山口青邨)

 上の写真の逞しい女郎花を見つけたのは、日高の国ならぬ、峠のむこうの信濃の国、ここもかつては馬を育てた御牧の地、万葉の昔と同じ風が今も吹いている。

日は空を月にゆずりて女郎花  桂信子

一景一句(49) 薄

2008-09-09 | 一景一句

武蔵野や薄見に行く蓑借らん  信徳

 信徳は江戸前期の京都の富商で、姓は伊藤。当時武蔵野は茫々とした薄原であったのであろう。前回の、萩の花見に「馬並めて」行く万葉集の光景と比べて、蓑着てというのがいかにも薄らしくて面白い。

 薄は(5)で一度鑑賞済みで、蕪村の「山は暮れて野は黄昏の薄かな」を、国木田独歩が『武蔵野』で引用していること等々に触れている。くり返しになるが、当然のことながら、今の武蔵野にその面影はどこにもない。しかし、かつて野という野を埋め尽くしていた萩と薄の中、薄については、失われたとはいうものの、薄原の残像は萩ほどではない。薄は相変わらずよく詠まれ、どれも面白い。

 「わが行けばうしろ閉ぢゆく薄原」(正木ゆう子) 「芒野に道はあれども果てしなく」(池内たけし) 「分け入りて芒となってしまいけり」 (杉江みずき) 「真つ白なあの世見たくて芒原」(務中正己) 漱石が、阿蘇山中で「行けど萩行けど薄の原広し」と詠んだ時、曾良の「行き行きてたふれ伏すとも萩の原」のような句が念頭にあったはずなのだが、手つかずの「萩の原」はとうに失われ、武蔵野を見るまでもなく、薄についても事情は同じようなものなのだが、薄は意外としぶとく逞しい。

 今のこの時期、峠のむこうで道路脇に一番目につくのが薄、ついこの間まで月見草ばっかりであったのが、あっという間に変わってしまった。しばらくすると、これがコスモスに変わるはずで、次々に変わって行く。花は、そのあり処を示すために咲く。薄といえども花、開花期の今が一番目につく。ただ、薄は花が終わっても、そこから枯れてなお、見ようによっては、より薄らしい存在感を漂わせるあたりが、萩との違いで、薄原の残像ばかりは、俳句の中にだけはしぶとく生き残り、容易に消えそうもない。

手を振つて芒の波に沈みゆく   長部多香子

一景一句(48) 萩

2008-08-31 | 一景一句

行けど萩行けど薄の原広し  夏目漱石

 明治32年、漱石は阿蘇山中で道に迷う。この時の、上の句や「灰に濡れて立つや薄と萩の中」の光景が『二百十日』に出てくる。「地にあるものは青い薄と、女郎花と、所々にわびしく交る桔梗のみ」。萩と薄に、女郎花、桔梗。秋の七草の中の、これで四つ。漱石がそれを意図したわけではなく、要するに、秋の七草は、手つかずの原野のもっともありふれた光景と考えればよい。

 秋の七草は俳人好みなのだが、萩に限っては、漱石、子規以降に印象に残る句があまりない。「行けど萩」の原風景がいつの間にか失われてしまったのであり、萩ばかりは、遠景を省いて間近に眺めただけでは面白くも何ともない。

 萩を写真に撮るのも結構やっかいで、花はマメ科らしい形の外は、大した特徴があるわけではない。何といっても、草に括られて不自然でないほどに、花も葉も小さ過ぎる。寄せて撮ってみても何の風情もない。紅と白の色の違いなどないに等しい。上の写真は、庭先の萩を萩原らしく見立てられないか試してみたのだが、元より無理な話にきまっている。

 万葉集は萩だらけで、さして見栄えのしない花が、何故こうまで愛されるのか。草冠に秋で萩、秋を代表するのはまだしも、花といえば萩といった感じまではもう一つ分からない。「秋風は涼しくなりぬ馬並めていざ野に行かな萩の花見に」(2103) こんなかっこよいのがあるかと思うと、「秋萩ににほへる我が裳濡れぬとも君が御船の綱し取りてば」(3656) これは牽牛を迎える織女なのだが、ここにも萩が。

 萩は本来雑草のようなもので、どんな荒れ地にでも根を下ろし、マメ科特有の旺盛な繁殖力で、野という野を埋め尽くしていたに違いない。人は萩の間をぬって、それをかき分けて往来し、旅ともなれば、ひときわそれが印象的であったのに違いない。次は、病床で「首あげて折々見るや庭の萩」とも詠んでいる子規のもの。

押分けて行けば行かるる萩の原  正岡子規

一景一句(47) 桔梗

2008-08-29 | 一景一句

桔梗の空のひろがる信濃なり  阿部誠文

 漱石にも「仏性は白き桔梗にこそあらめ」があり、ことさらに白い桔梗が詠まれたりもするのだが、色の抜けた桔梗に面白味はない。「桔梗にあいまいな色なかりけり」( 中嶋秀子) 桔梗は紺、青紫の桔梗色をしているから桔梗であり、それ以外は形は同じでも桔梗とはいえない。

 「きりきりしやんとしてさく桔梗かな」(一茶) 園芸品種の桔梗は論外として、山取りの桔梗が庭先に植えられていたりするのだが、色の鮮やかさがどこか違う。野にあるがままの「きりきりしゃん」というわけにはいかない。撫子や女郎花にしても同じことで、野にあってこその秋の七草なのであろう。「修行者の径にめづるききやうかな」(蕪村) 「八ケ岳雲にうかべる野の桔梗」(水原秋桜子) こんなのもある。「桔梗や男に下野の処世あり」(大石悦子)

 盆花につきものの桔梗を、花市の立つその日の朝、山から摘み取ってくるのは、多くは子供の仕事であった。朝露の草むらのそこかしこに確かにきりきりしゃんと、一輪また二輪、鮮やかに顔をのぞかせている。桔梗は群生したりはしない。桔梗に特有の妙に懐かしい感じは、多分この類の記憶の彼方からくるものに違いない。「前生の桔梗の朝に立ち昏らむ」「一度死ぬふたたび桔梗となるために」(中村苑子)

 花数も少なく、群生しない桔梗がすっと立ち上がった姿に、孤高さとそれに伴う寂しさを感じるのは自然で、そこに処世上の思い入れが多少過ぎたとしても、これはおかしくない。「人の世のごとし桔梗のさびしさは」(折笠美秋) 「桔梗やおのれ惜しめといふことぞ」(森澄雄)「桔梗や信こそ人の絆なれ」(野見山朱鳥)

われ遂に信濃を出でず桔梗濃し  小林侠子

一景一句(46) 月見草

2008-08-28 | 一景一句

月見草はらりと宇宙うらがへる 三橋鷹女

 月見草が夏の季語であることは承知しているのだが、この時期、峠のむこうではどこへ行っても月見草だらけ。道路際にやたらと目立つ。例の地方の疲弊と関係がありそうで、田舎道は、除草の手を抜けば、あっという間に舗装道路であっても雑草に覆われてしまいかねない。

 どの歳時記にもあるように、月見草は実際のところ待宵草。近代になってから帰化した典型的な雑草で、空き地に最初に姿を現し、やがては他の雑草に取って代わられる。月見草がやたら目立つのは、土地の放棄や整備の遅れで、荒れ地が増えてきた証拠であることは間違いない。

 「待てど来ずライターで焼く月見草」(寺山修司) 乱暴な句だとは思うのだが、夢二の「待てど暮らせど来ぬ人を」の、間延びした大正ロマンの月見草に対しては、これくらいでよいのかもしれない。昨今の月見草は、雑草の本性剥き出しで、昼間も簡単に萎れたりはしないし、花期の長さから秋の花とみた方がよい。いつまでも白花の観賞用月見草のイメージを引きずることもない。

 いつか、近所の住居跡から月見草を一株引き抜いて、わざわざ庭に植えてみた。こういう扱いをされる花ではないとみえ、根付かなかった。雑草とはいっても、遠目に花の色が、その周囲に滲み出したような風情は独特で、月見草は好きな花ではある。

 上の鷹女の月見草はどんなものであろうか。月見草を詠んだ句の中では、際立って面白いのだが、歳時記によっては、宇宙ではなく地球になっている。どっちが本来か分からないが、宇宙の方がよさそう。夜昼、裏表、夢現、あの世この世、それが「はらり」と入れ代わる。月見草には確かにそんなとらえどころのない覚束なさがある。際立った句をもう一つ。これも何版も重ねたある歳時記には、牛が手になっている。

月見草牛は四股より暮そめて  藤田湘子

一景一句(45) 豆の花

2008-08-05 | 一景一句

どこまでも続く斜面や豆の花  牧稔人

 「峡の家したたか豆を咲かせけり」(野村喜舟) 豆の花は季語としては春なのか、夏なのか。春に蒔き、初夏に咲くというのが普通で、豌豆や蚕豆だと春の中に咲いてしまうが、大方は夏であろう。写真は花豆で、赤い花が炎天がよく似合う。元々は観賞用でもあったらしく、それで花豆。山間の一定の標高以上でないと収穫が難しい。峠のむこう、浅間山麓では珍しくない。紫の大粒の実は味がよく、ファンも多い。

 「天までは昇れぬ齢豆の花」(信濃小雪) 『ジャックと豆の木』は、絵本には何やら蔓性の植物が描かれ、牛を豆に換え、母に叱られた子供が、その蔓をよじ登って、異界から金を持ち帰るという、よく分からない話なのだが、天に向かって、どこまでも伸びる豆の蔓という発想だけは納得がいく。豆は斜面の痩せ地でも、旺盛に繁茂し、よく育つ。

 「おしつこの童女のまつげ豆の花」(渡辺白泉) 「童顔の白泉は亡し豆の花」(上田五千石) 前の句があって後がある。ころころした実からの連想であろうか、豆の花には子供がよく似合う。「いとこはとこみんな似てゐる豆の花」(藤森まり子) そうかと思うと「涙ためて背戸に立つ児や豆の花」(西山泊雲) なんていう童謡のような句もあり、どこか懐かしい。
  
 今年初めて、蔓なし隠元と地豆を蒔いてみたのだが、どちらも暑くなればなる程よく育っている。よく見ると葉陰に小さな花をいっぱい着けており、収穫が期待できそう。豆は出来不出来がないところがよい。種類が違って大小はあっても、花の形は、みな五瓣で蝶の形をしている。「豆にして返す約束豆の花」(岩田由美)

豆の花どこへもゆかぬ母に咲く  加畑吉男