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峠越えれば

峠境に むこうとこっち 峠越えれば別の国

水彩漫筆(01) 廃屋とコスモス

2011-11-03 | 水彩漫筆

 絵筆を手にするのは随分と久しぶりなのだが、眼前の景と心象の違いを少しずつ埋めていく作業が何とも楽しい。結局の所、満足の行く程には、それを埋める技も経験も持ち合わせず、程々のところで見切りをつけるしかないのだが、それはそれで、漫筆たる所以で、これでよしとする外ない。余白で成り立っている水墨画の伝統をどこかで引き継いでいる水彩画は、画面を塗り尽くさないで、気楽に入り、気楽に筆を止められるところがよい。これも漫筆たる所以で、最近は水筆などと称する優れ物もあるらしい。柄の部分に水を仕込んであるらしく、これだと、いちいち筆を洗う手間も省けるのだという。準備も片付けも気にせず、気が向いたら描き、いつでも止められる。 

 見ての通りの屋根にまで草生した正真正銘の廃屋で、最近はあまり見かけない。廃屋ならずとも草生した藁屋根もあったりして、家々の新旧の対照が村の景観をなしていた時代はとうに去り、峠のこちら側でも、見かけ上家の造りは総じて立派で、どれも新しい。向こう側で見慣れた、お馴染みの建て売り住宅と、大して変わるところがない。耐用年数が尽きれば、さっさと取り壊して、ローンを組んで建て替えてしまうらしく、家の新旧、大小が住む者の暮らし向きやら格式やら何やらを映し出し、そのまだら模様が農村、地方らしい景観を醸し出してきた名残はもはやどこにもない。

 千曲川の切り立った崖の上に広がった、水の乏しい台地に散在する人家の一つなのだが、ことによると物置代わりに使われているのかもしれない。この周囲だけが時が止まり、稀な景観をなし、ここ何年か、脇を通る度にしげしげと眺め、健在に安堵してきた。この地方独特の煙出しの吹き抜けが屋根の上にあり、かつては養蚕にも使われていた二階家で、強風でいつ倒れてもおかしくない風情ながら、それはそれ、結構頑丈に造られているのであろう。脇にある野放図に枝を伸ばし、旺盛に繁った松の大木も一役買って、往事を語って飽きることがない。

 例によって先日偶々通りかかると、隣の耕作放棄の荒れ地にコスモスが咲き乱れ、中には薄も混じり、それ越しに件の廃屋と絶妙のアングルをなしている。放ってもおかれず、かくなる一枚となる。実際のコスモスは盛りを過ぎ、ちらほらという感じなのだが、これも漫筆たる所以で、時間を少し戻して描いてみた。

一景一句(59) 葉鶏頭

2011-08-29 | 一景一句

かくれ住む門に目立つや葉鶏頭  永井荷風

 「紅滾々と」という句がどこかにあったが、写真の上部中央が芯、花ならぬ葉を日々滾々と吹き出している。色姿共、奇妙奇天烈なこと鶏頭に負けていない。しかもどちらも優雅な別称を持ち、万葉集の昔から親しまれている。庭に植えるのに何の遠慮もいらない。それにしてもである、葉鶏頭も鶏頭(一景一句12)も、その色たるや、よくもまあここまで、何ともはや強烈で見飽きない。「葉鶏頭途方に暮れしまま紅く」(柿並その子) 「何かさかさまの色なる雁来紅」(中井洋子) 「解脱など思いもよらぬ雁來紅」(本田幸信)

 芭蕉は奥の細道の、その行脚の終わり頃、旧暦の八月上旬、福井に旧知の等栽という「隠士 」を訪ねている。「市中ひそかに引き入りて、あやしの小家に夕顔・へちまのはへかかりて、鶏頭・箒木に戸ぼそを隠す」源氏の夕顔に絡めた、よく練られた文章なのだが、ここにも鶏頭が植えられている。よせばいいのにとも思うのだが、街中に隠れ住む者になぜか鶏頭が似合う。

 偶々今庭に植えてある葉鶏頭は矮性の園芸種で、背丈は程々なのだが、葉鶏頭は鶏頭よりよく伸び、一メートルを超える。ほうき草の箒木も同じくらいによく伸び、なるほど「戸ぼそを隠」してもおかしくない。ことによると、芭蕉はここで鶏頭と葉鶏頭を混同しているのかもしれない。鶏頭の方はもう少し背が低い。芭蕉に「鶏頭や雁の来る時尚あかし」があるが、雁の来る頃赤くなるから雁来紅で、この句の鶏頭もどちらを詠んだものか。

 「まだ咲かぬ菊の間に葉鶏頭」(牧稔人) 箒木は子供の頃毎年庭先に勝手に生え、実際箒にして使っていたが、最近はとんと見かけない。来年はちゃんとした葉鶏頭と、序でに箒木も植えてみたい。

根元まで赤き夕日の葉鶏頭  三橋敏雄

一景一句(58) 葛の花

2011-08-21 | 一景一句

崖下へ鎌で追い遣る葛の花  甲斐里枝

 「葛咲くや嬬恋村の字いくつ」(石田波郷) 昭和十七年八月、波郷は、浅間山麓を軽井沢から草津へと抜ける。嬬恋村は我が家からは山の反対側になるが、どこまで行っても嬬恋村、やたら広い。今では、高原野菜の産地で知られているが、当時はまだ、どこまで行っても葛の花、山道を「葛の花踏みしだかれて」とでも口ずさみながら、「字いくつ」と覚えずつぶやいたものか。

 「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花」 憶良詠の最初にあげられているのが「萩の花尾花葛花」の三種で、なるほどかつてこの国の山野は、この三種で埋め尽くされていたのであろう。萩や薄や葛の原を、田や畑に開墾して今の光景がある。

 「月天心家のなかまで真葛原」(河原枇杷男) 果てしなく続く萩や薄や葛の原は、いわば原風景で、郷愁が染みついている。だが葛については、やはり一言欲しい。真葛原に、わざわざ葛の花見に出掛ける酔狂はいない。面と向かえば、大き過ぎる葉っぱと異様に絡み合う蔓に圧倒され、萩や薄のようには、誰もその花を殊更に愛でたりはしない。葛は英語でもkudzuで、明治初年にアメリカに持ち込まれ、繁茂し過ぎて侵略的外来種とかで嫌われているらしい。

 休耕地に囲まれた我が家の、その一角は竹藪で、地中を這って侵略してくる竹の子退治には毎年苦労しているのだが、加えていつの間にやら木質化した葛が竹藪にのしかかり、何とも凄まじい光景をなしている。上の写真の花の背後では竹が窒息しかけている。

 「野生馬の病めば真葛を刈り与ふ」(瓜生和子) 萩や薄とは対照的に、葛が有用な植物であることはいうまでもない。困ったことに、今では村に家畜はいなし、冬に葛の根を掘る者もいない。

葛の葉の吹きしづまりて葛の花  正岡子規

一景一句(57) 敗戦忌

2011-08-15 | 一景一句

言霊の抜け殻ばかり敗戦忌  平野摩周子

 「いつまでもいつも八月十五日」(綾部仁喜) 敗戦なのか、終戦なのか。偶々八月十五日の今日、目に止まった句を書き出してみたら、これが全て「敗戦」であったというだけの偶然であり、敗戦も終戦も直接には経験していない。当事者であるなら、それぞれに語り尽くせない思いとこだわりを今に持ち続けているに相違ない。「敗戦日一日にんげん休みます」(伊東辰之亟)

 一枚の写真がどれほどのことを語り得るか、一句にして何が語り得るか。先の三月十一日以降夥しい報道写真を目にしたのだが、宮城県の閖上という聞き慣れない地名と一緒に、中に一枚、今に目に焼け付いている。ゆりあげと読む。今風に装った若い娘が、赤い長靴を脱ぎ捨てて、むき出しの長い素足を抱えて、瓦礫の中でおいおい声を上げて泣いている。遠慮して遠くから撮ったからか、背景には、信じがたい津波の破壊狼藉ぶりが余すところなく、全てが収められている。失われたものと、残されたもののかけがえのなさが、共に全て語り尽くされている。

 同じく、ここにもう一枚、ことによったら、震災の写真がなければ見過ごしていたのかもしれない、これは二日前の新聞。直立不動の小学生が涙を堪えている。この時代、男の子は泣いてはいけなかったのであり、見事にさまになった不動の姿勢は自然に身につくはずもない。背に負われ寝入っているのは多分弟で、場所は長崎の焼き場。この兄弟の現在の年齢は六十代後半から七十代前半、いかなる戦後を生きたのであろうか。

 「父の顔知らず定年敗戦忌」(石川好夫) 「六十回の空仰ぎ見る敗戦日」(島崎靖子) 終戦よりは、敗戦の方が、一個の思いと喪失感が徹底している印象があり、やはり全てはそこから始まるし、始めなくてはならないのであろう。

すこし先見るため歩く敗戦忌  有村王志

一景一句(56) 撫子

2011-08-04 | 一景一句

なでしこや人をたのまぬ世すごしに  中村汀女

 散歩の途次、草叢に鮮やかなピンクを見付けて、無理矢理引き抜き、庭に植えて置いた撫子が、よく伸びること伸びること。支柱で支えてやると、揺れながら次々に花を咲かせている。

 見ての通り、花弁が刻まれているのが大和撫子。唐撫子の石竹の花弁は丸く整っている。ついでながらカーネーションも、よく見れば撫子で、こっちの方は、近世にはオランダ撫子と呼んでいたらしい。

 「夏は大和撫子の、濃くうすく錦を引けるやうになむ咲きたる。これは秋の末なれば見えぬ」。更級日記の著者が京に上る途次、こう語り聞き、撫子の群生に出会うのだが、この「もろこしが原」は相模川の河口に近い、その支流の河原と思われる。さすがに旧暦の九月末、「なお所々はうちこぼれ」という程になってはいるが、大和撫子は、別名河原撫子、真夏の焼け付いた河原に自生するほどに強靱で、かつ花季が長い。「撫子よ河原に足のやける迄」(鬼貫)

 なでしこジャパンはアテネオリンピック以来のファンなのだが、名こそが体を表す。この呼び名を得た時点で、すでに快挙は約束されていたというのが正しい。監督の名などを仰いでいる限りは奇跡はありえない。

 本当のところ、野にあるものを庭に植えたりはしない方がよいのであろう。丈ばかりが伸びて、どうにも座りが悪い。草叢に埋もれ、怖じることなく河原に短躯をさらしている方が撫子らしいのだが、そこは撫子、やはり身近にも置きたい。「露の世や露のなでしこ小なでしこ」(一茶)

撫子の朝がほ清し花の露   宗祇