店で買った富有柿と我が家の渋柿を、縁側の日当たりに転がして描いてみた。富有柿は、姿形もなるほど名前の如くに見事で、大きさは我が家の柿とは親子ほども違い、三倍ほどもある。この渋柿はどうするかというと、このまま放っておけば勝手に渋が抜け、薄皮一枚残してとろとろに熟し切り、暮れにはこれ以上ない甘さの食べ頃になる。炬燵に入って、歯に浸みるような冷たい柿を、食べるのではなく啜る、これが柿の味で、固い柿にも、その甘さにも、まだどこか違和感がある。それにしても幼時親しんだ柿がこんなにも小粒であったとは。富有柿といった金を出して手にする柿が異様に大き過ぎるということなのであろう。
峠を越えると知らぬ者のいない高名な画家がおり、作品についての好みとか評価は別に、山国育ちらしい何とも強烈な、今ではどこか懐かしい、文学的とでも言うしかない、その人となりに惹かれて、最近はその周辺にも目を向けているのだが、そのお孫さんがこんなことを書いている。
……あの頃の柿の木は幸せだった。てっぺんに二、三個鳥の分を残して、あとは丁寧に実を採られていたのだから。……炬燵にあたり乍ら、鬼笊一ぱいの柿の皮を剥く。小学校へあがる前に、私はこの柿の皮剥きをやらされて刃物の扱いをおぼえた。先ず、小刀の尖ったところを柿のへたにあてて、回し乍らえぐるようにしてへたを落とす。そして、へたのあたりからくるくるとむきはじめる。へたの曲った柿、青い柿はごまが少く、手がぎしぎしとして渋で黒ずむ。これを二階の屋根に敷いたむしろの上に並べ干す。柿が小さいから、よその干し柿のように甘いたっぷりとしたものにはならず、種も多いのであまりおいしくはないけれど、お正月の御馳走のひとつである。こんな柿の木は家のまわりから消えてしまった。缶入りコーヒーの自動販売機はどんな村の中でも一晩中あかりをつけて唸っているけれど、藁屋根の家がこわされて新建材のしゃれた家にかわったとき、柿の木は消えてしまった。たまたま残っている木があっても、その木のとりまく家は住み捨てられている。いっぱいに実をつけた柿は、鴉や、尾長のつつくにまかせ、そのうち何度か霜が来ると黒ずみそして乾びてゆく。最後にへただけが枯れた枝にみにくく残る。毎年毎年このくりかえしである。庭に柿の木を植えたいと思う。美しい実を見て楽しみたいから。え、あの実食べられるってほんとう?と本気で言う人がそのうち出て来るような気がしてならない。
そうなのだ、ついこの間まで甘柿であれ、渋柿であれ、我が家の柿が「お正月の御馳走のひとつ」であったのだ。前回の「(05)稲架と柿」との関連もあり、ついつい長く引かせていただいたが、お孫さんとはいっても昭和も初めのお生まれ、柿にとって人に食われるのが幸せか、鳥に食われた方が幸せか、それはともあれ、柿にまつわる思い出とその深さは、年代、人により様々ではあっても、肝心なところは皆同じで、何も違ってはいない。