goo blog サービス終了のお知らせ 

峠越えれば

峠境に むこうとこっち 峠越えれば別の国

水彩漫筆(11) アケビ

2012-10-27 | 水彩漫筆

 奇妙な生き物が顔突き合わせて、ひそひそと何事か話しているような風情だが、これはアケビ、通草と書いたりもする。近所の道の駅で五つ入って一袋二百五十円。珍しさに惹かれて買って帰り、しげしげと眺めてみると何とも不思議な色合いで、熟れて背中が割れた形も面白い。握ってみると掌にすっぽりと心地よく収まる。この色、形、風情は日本画向きだなと思いつつ水彩で描いてみた。

 買って帰ったのは、一緒に入っていた萎びた葉っぱから、どうやら三つ葉アケビらしいのだが、物足りないので、庭から普通の五つ葉のアケビの蔓を切り取って添えてみた。こっちの方は畑の隅に勝手に生えていたのを、庭に移植し枯れ木に絡ましておいたのだが、当分実を付けそうにない。アケビは里でもよく見かけるのだが、なかなか実を付けるまでには至らない。山の中で稀に見つけたりすると無上に何故か懐かしいというか嬉しくなる。熟れた果肉は口にしてもどうということもない代物なのだが、この感じは多分遺伝子レベルの何かなのだろう。このあたりは俳句向きで、結構詠まれている。ついでなので少しだけ上げてみる。

悪路王手下が喰ひしあけびかな 百合山羽公
杣が子はあけび待つらむ父待つらむ 石田清斗

 こんな風にも詠める。

つと径をそれて提げ来しあけびかな 鈴木キヌ子
好きなこに通草の秘密教えます 松田ひろむ

 ここまで詠めればもう言うことがない。

どこにても死ねる山中あけびの実 手塚美佐

 どうということもない代物などとうっかり書いてしまったが、昨今の果物や菓子に慣れ、味覚が麻痺してしまった舌では、もはやアケビの甘さは遠い懐かしい記憶でしかないのかもしれない。悪路王は田村麻呂伝説の蝦夷の族長、随分と古い記憶で、アケビは縄文以来の秋の実りの象徴であるのかもしれない。これはやはり日本画の画材であろう。

 時にまたまた健さんなのだが、健さんがアケビを描いたか、描かなかったか、見たことはないが多分描いたと思う。こんな格好の画材を健さんたるものが見逃すわけがない。健さんの水彩は、日本画に回帰するというか、その伝統を取り込むことで、質量共にその芸域を拡げていったことは間違いない。ただ、その量が問題で、直近の回顧展の作品の実に半分が初出で、今後まだまだ出てくるかもしれないし、今だに代表作が定まらない。健さんクラスの画家でこんなことはあまり聞いたことがない。


水彩漫筆(10) 栗と麦藁帽子

2012-10-24 | 水彩漫筆

 毬付きのまま貰ってきた大粒の栗を、夏の間ずっとお世話になった麦藁帽子の上に転がして描いてみた。栗の実は、ピカピカに瑞々しく、充実し切った勢いで毬を内側から弾き割り、外気に触れたばかりといった風情で、桃から生まれた桃太郎ならぬ栗太郎のよう。艶やかなことこの上ない。毬の色も黄緑、内側も柔らかい布団のようで真っ白。棘までも優しい。格好の画材とばかり早速取りかかったのだが、棘のある毬の扱いに四苦八苦している中、あっという間に、見ての通りの栗色になってしまった。栗が栗色で何が悪いというような言い方もあるにしても、描きたかったのは、こんなに刺々しい堅い印象ではない。

 移ろい行く瞬間の印象を捉えてなどとは言うのは簡単だが、やってみるとそうそう簡単にはいかない。描くためのには先ず以て視る。より確かに描くためには、じっくりと視る、凝視するという非日常的な営為が必要で、これはそのままものの本質に迫ることに他ならず、表面の印象は実はどうでもよい。そうなのだが、絵心を刺激する面白さは、そのどうでもよいはずの瞬間の印象の中にしかない。

 回りくどい言い方をした上に、天才を引き合いに出すこともないのだが、セザンヌがあまり花を描かなかったのは、花の方が、その凝視に耐えられなかったからに違いない。静物とはいっても花の場合は、リンゴやタマネギのようにいつまでもじっとしてはいない。移ろい易く常に表情を変え、散ってしまえばもう花ではない。花は遅筆には向かない。

 個人的な趣味には違いないのだが、バラを描く気にはなれない。人工の造花でも間に合いそうなまでに、園芸の手が加えられ、花持ちもいい代わりに、本来の花らしい面白味がない。そうなのだが、それ故にというべきか、これほど画家好みの花もない。実際によく描かれている。油彩で花といればバラで、洋画家に裸婦がつきものと同じ位に月並みなのだが、画家の凝視に耐えられる点で、これ以上のものが他にないということなのであろう。

 時にまた健さんなのだが、実は健さんは花が大好きで、シャクナゲやツツジの類を飽くことなく生涯描き続けている。水絵と呼ばれ、一時多くを引きつけた水彩が、プロを目指す絵描きともなれば次々に油彩に転向していく中で、最後まで水彩画家であり続けた例は稀で、その稀な一人が健さんなのだが、花を好んで描くことと、これは何か関連がありそうな気がする。

水彩漫筆(09) 洋梨と水差し

2012-09-17 | 水彩漫筆

 タマネギもリンゴも静物画の常連なのだが、洋梨もよく登場する。同じ梨でも、今が盛りの豊水や幸水は、味は最高なのだが、色も形も捉え所がない。日持ちがしないので、いつまでも眺めているわけにもいかない。保存のきく洋梨は、秋も終わり頃にならないと出てこないのだが、なぜか思いがけなく手に入った。小振りで一山二百円、数えてみれば十以上もある。早速前回のタマネギとリンゴに加えて一緒に転がし、シベリアの片田舎から持ち帰った水差しを脇に置いてみた。後ろは籐の間仕切りで、これで何とか静物画の雰囲気だけは出来上がったのだが、ここからが俄絵描きの本領発揮、例によって四苦八苦、七転八倒、矯めつ眇めつ、筆を取ったり置いたり、いつまで経っても一向に埒が明かない。

……私が下の部屋で描いている間、翁は二階の画室を縦横に、恰も考えあぐんだ人のように歩き廻った。そうかと思うと度々庭に出て坐ったり、急にまた二階に駆け上ったりした。時には酷く沮喪した風で、園内をうろついているのを見かけて驚いた事もある。……

 この翁は晩年のセザンヌなのだが、妙に親しみを覚えてしまう。始めるのは簡単だが仕上げるのは容易でない。セザンヌの場合は、遅筆もいいところ、中途でそのままに放置したり、破り捨てたりした作品も少なくなかったらしい。セザンヌの余白、塗り残しは有名で、後世様々に勝手な解釈がなされているのだが、常に思い描いたイメージの方が先行してしまう、描くということの厄介さ加減こそを先ず以て考えてみる必要がある。セザンヌに限っては、生涯その作品を売りたいとも、売れる物とも思っていなかったことは確かで、それ故の遅筆ともいえる。描くことがすべてで、その先のことなど一切念頭にない。この点だけは素人の俄絵描きも天才に劣るところがない。

 五月に国立新美術館でセザンヌ展があり、会場の一角に、晩年のアトリエが再現されており、とっくにお馴染みの机やら陶器やら瓶やらが、そのままに並べられており面白かった。これらはどう見ても何の見栄えもしない、ただのがらくたでしかないのだが、作品の中では、時に荘厳なまでに異彩を放っている。見慣れた風景にしても同じ事なのだろう。画家が描くことて、画家の目と通じて初めてあるべき、より確かな姿が、そこに立ち現れてくるのであり、視ようとしない限りは、何もないに等しい。

 セザンヌの作品には、実のところ何がよいのかよく分からないものもあったりするのだが、風景画の空と水辺、静物画の地と背景ばかりは比類がない。がらくたばかりの殺風景なアトリエから、こんな美しいものが生まれたことは奇跡としか言い様がない。

 時に健さんなのだが、遅筆寡作とはおおよそ縁がない。偽物贋作も含めて、その作品の数たるや半端ではない。地域限定で伝説化される程の画家ともなると、やることなすこと破天荒で、一筋縄ではいかない。絵が商品として市場に投じられるようになるのも、簡便なチューブ入り絵の具の発明と軌を一にしており、そんな時代の中で、画家の身の処し方も随分変わっていったわけで、これはこれで興味深い。

水彩漫筆(08) タマネギとリンゴ

2012-09-07 | 水彩漫筆

 パソコンの壁紙にルノワールのタマネギを入れたのがよくなかった。日夜眺めて感心しているうちはよかったのだが、いつの間にやら絵筆を取る気力が萎えてしまった。「今に、リンゴ一つで、パリ中をあっと言わせてみせる」とは、よく知られたセザンヌの言葉なのだが、ルノワールのタマネギだって初めて見れば誰だって「あっ」で、ついでにマネのアスパラガスも、我らが北斎のスイカもその中に加えてよい。言うべき言葉のない驚きが「あっ」で、この場合、その中身を強いて詮索すれば結構厄介なことになりそうなのだが、この「あっ」は、暇つぶし、遊び半分の絵心なんぞは、瞬時に木っ端微塵に吹き飛ばしてしまう、それほどの力を秘めている。

 店先に、小ぶりだが色づきのよいリンゴが並び始め、採れたての瑞々しさにひかれ、つい買ってしまったのだが、一向に収まる気配のない残暑の最中、この真っ赤なリンゴはどうしたことかと、産地が気になり、確かめてみると、やはり外国産、ニュージーランドから来ている。地元産のリンゴがここまで色づくにはまだしばらくはかかりそう。勝手な憶測ながら、多分味の方はイマイチであろう、ならば描くに如くはない。ついでに我が家産の乾燥中のタマネギも脇に転がし、雲の上の天才のタマネギはそれはそれ、萎えた絵心を叱咤鼓舞し、無理矢理格好だけはつけてみた。描き上げてしまえばそれはそれ、下手の横好き、我ながらなかなかと、いつもながらの自己満足、描かないことには何も始まらない、その点天才も巨匠も素人もない。

 なけなしの絵心が萎え、描く気にもならず、その間どうしていたかといえば、画集の類を通じて、改めて複製とはいえ、随分といろいろな作品に触れてみた。何回読んでも要領を得ない解説、美術史の類も、この際とばかり、あれこれ読み囓ってみたりもした。大がかりなセザンヌ展にわざわざ足を運んだりもした。

 年中台所の隅に転がっているタマネギなどが多分一番分かり易い例で、身近な、どこにでもある見慣れたものたち、あるいは家の周辺のありふれた風景が、構図と色彩の工夫一つで立派に絵に仕立てられるという発見と独創こそが、この「あっ」という驚きの中身に違いない。簡便なチューブ入り絵の具という画期的な工業上の発明があり、誰彼問わず余暇遊び心がまんべんなく世の中に定着する、そんな時代の流れの中で、起こるべくして、この「あっ」という驚きの輪がどこまでも、果ては遠い東の国にまで広がっていったとみて間違いない。仕掛けたのが誰なのかは、実のところどうでもよいという言い方もあってよい。

 時に、件の健さん(水彩漫筆07)なのだが、彼もまた、この「あっ」の洗礼を、それも早い時期に受けた一人で、セザンヌの亡くなる数年前、そろそろ注目され始めていた、その作品にも、ことによるとパリで直に触れていたかもしれない。健さんが勇躍洋行したのは明治三十三年、西暦では千九百年の節目にあたる。晩年水彩の佳品を多く残したセザンヌと、生涯水彩画家で通した健さんに通じたものが当然あるとして、それは果たして、どのような形を取ったものか、健さんとはまだまだ長い付き合いになりそうな気がする。

水彩漫筆(07) 新雪浅間山

2011-12-25 | 水彩漫筆

 透明水彩の場合、白は塗らない。紙の地肌をそのまま活かす。そうであるなら、新雪の無垢を強調するには、いっそのこと単色の濃淡だけの方が良いかもしれない、ということで水墨画風に描いてみた。奥の真っ白なドームが浅間、手前左手の山頂だけ白いのが黒斑、この標高差は百数十㍍ほど。中間のギザギザは、名前の通りの牙山で、尾根続きの右手の一番高い剣ヶ峰でも、浅間よりは数百㍍低い。雪の多寡がそのまま峰の高さを表している。

 「(05) 稲架と柿」にもあるが、我が家からは遠くこのような牙付きの浅間が望める。牙を欠いては浅間ではない。東の軽井沢方面に行くと牙は見えないし、小諸の市街だと肝心の浅間本体が牙の背後に隠れてしまう。これは小諸市郊外の飯縄山の城跡から見たもの。ここからだと目一杯に広がる裾野に段をなす耕地と三つの峰との位置関係がなかなかにいい。今年は十二月も半ば過ぎにようやく、すっぽりと新雪に覆い尽くされ、この日一日だけは見慣れた溶岩流の跡も消え、雲一つ無い晴天に、噴煙も絶えて、山頂は真っ白に輝いていた。

 牙があるから浅間で、そして時に牙を剥くから浅間で、幼時の記憶にある浅間は、しょっちゅう真っ黒な噴煙を、盛大に天高く噴き上げていた。我が里も含めて、この辺りの住人の、素朴を通り越した粗野な荒っぽさは、腹中に大量のマグマを溜め込んだ、この牙付き浅間の佇まいと無縁なはずがない。「山国の蝶を荒しと思わずや」虚子が小諸に疎開して物した句なのだが、手弱かな蝶にかこつけて、この土地柄を当てつけたとしか読めない。同じ信州の出ながら、新婚時代の六年を小諸に暮らした藤村もまた、この荒っぽさには閉口していたみたいで、自伝的な短編(『岩石の間』)の中で、愛娘が日ごとに遊び友達の信じがたい言動に染まっていく様をあきれ顔で描いている。

 この辺りでは誰一人知らぬ者のいない高名な画家、地元で憚りもあるので、仮に健さんと呼んでおきたいのだが、健さんなどは、この牙付き浅間気質を象徴しているといえば分かり易い。癇癪持ちで、熱し易く冷め易い。この糞野郎が口癖で、思うようにならないとすぐに怒鳴る。誰彼の区別などない。聞いたこともない罵声をいきなり浴びせられた方はさぞかし驚いたに違いない。いたたまれず離れていった者も距離を置いた者も多かったはずなのだが、それに無頓着なのもまた健さんで、この地に生まれた者の業としかいいようがない。

 前回「(06) 渋柿と富有柿」で、エッセーの一部をお借りしたお孫さんの証言だと、田舎には不釣り合いな、ハイカラなものが大好きな健さんは九官鳥を飼ったこともあるという。おはよとか、おたけさんとかしかいわない九官鳥に、例によって例の罵声を浴びせ続けていたらしいのだが、ついに九官鳥が健さんに向かって、この糞野郎と怒鳴り返したということは、残念ながらなかったらしい。都会育ちの気の優しい九官鳥であったのだ。

 晴天に噴煙一筋ない、拍子抜けするような平和な牙付き浅間を眺めながら、健さんに倣って思い切り、この糞野郎とやってみたら、少しはすっきりするかなと、そんな諸々の多い一年ではあったなと、ふと思う年の暮れではある。