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コツコツと60代を突き進んでおります

40年前のパンク雑誌

2019-08-20 23:52:32 | あの日、あの時、あの場所で

8月初め、とんでもないものをゲットしてしまいました。
なーんてね、大げさに書いていますが、
甚だプライベート過ぎる、
自分の思い出にまつわるものなのですけど(^^;)

仕事中など(え?いいのか?)、作業に行きづまっているとき、
息抜きでインターネットで何やら検索したりすることがあります。
ただ、何か検索していると、
次から次へと気になった単語で検索を続けてしまい、
時に「あれ?何を探してここに行き着いたんだっけ?」
なんてことはしょっちゅう(^^;)

そう、この雑誌もそんな経緯だったのです。
で、この雑誌の検索をしていたとき、
「今でも手に入れられるのかな?」と、
今度は手に入れられるのかという目的での検索を続けました。
そうしたら、見つけてしまったのですよ!
大阪のレコード店に中古本大量入荷!とあり、
この号が写真とともに掲載されていたのです。

早速電話をかけて、取り置き依頼。
仕事帰りに速攻で買いに行きました\(^o^)/

それは40年前のパンク雑誌「ZOO」の1979年8月号。


パンク雑誌と言っても、
ユーミンのレコードのレビューがあったり、
アンルイスや鈴木茂やら
まだ、完全な“その世界だけに特化”したものではなく
多少、一般的な音楽雑誌の体を成しています。
そう、まだまだインディーズなんてのが一般的でなく
パンクでさえもメジャーなカルチャーの一つで、
いわゆるインディーズは“自主制作”なんて言葉で
流通していた頃のことです。

さて、なぜこの雑誌が“思い出”なのか?
ヘヘヘ、なんとワタシが載っているのです。
記事ではないです。
レコード店の広告に。

それがこちら。 ヒャッホーイ\(^o^)/


下北沢のワンダーランドというビルにあった、
「五番街」というレコード店。
このお店もたぶん(判然としていませんが)、
ワタシらがバンドを始めた頃に開店したと記憶しています。
あ、もちろん今はありません。
その後イエローボックスという名称になったビルも
今はどうなっているのやら。

「DESPERADO(デスペラード)」というバンドで
ボーカルだったワタシですが、日がな地元下北沢を皆でウロウロし、
「新しいレコード屋ができた」
「なんかステージもあるゾ」ってなもんで、
「あのステージに出れるんですか?」
などとみんなでヒゲの渡辺店長さんに確認した覚えもあります。
そんなこんなで、ここのミニステージには
1977年の2月、5月、12月と3回、
出演させてもらいまして。
その頃は、洋楽ロックのコピーバンドだったので、
主にアメリカンロックを中心に演奏していました。
ただ、なぜか翌年の1978年はここで演奏した記録がない。
まあ、オリジナルの曲を作り始めた過渡期でもあり、
メンバーの大学受験なんかも多少は影響していたかも。

で、この雑誌の1979年。
広告にあるように「下北沢音楽賞」という
超ローカルなコンテストの6月予選大会、
フォークっぽい曲とロックっぽい曲の2曲で参加。
何とか勝ち抜けて11月の決戦大会に出たはずで、
こちらは2位だか3位だか…。覚えていません(^^;)


この雑誌、当時ももちろん買いました。
そりゃ自分が載っていますからね。
バンド全体が載っていないのでメンバーには不評でしたが。

広告を書いた渡辺店長さんが気を遣ってくれて
さも、上手い地元バンドのようですが、まあ、そこそこでしたね。
一種の広告上の煽りと言えるでしょう。
あ、誇大広告とも言うか(^^;)

特にワタクシ…
「人気抜群」だそうです(恥)(^^;)
しかも「世田谷地区」って…。広いじゃんよぉ。


まだまだ文化、というか音楽カルチャーなども
未熟な時代でしたので、
この頃からの地道な活動を続けていたら、
結構、今はライブハウスの経営者とかなっていたかもね。
まあ、生活できていたかはわかりませんけどね(^^;)

音楽の実力なんて大したことはなかったけど、
楽しかったし、未来があったし、良い時代でした。

あ、ちなみに決戦大会のゲストは、
デビュー直後の「ヒカシュー」でした。懐かしッ!

何故か突然、40年前に戻ったお話でした。


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