だいぢのEasyBassing

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関東を中心に釣りや散策に出掛けていましたが…。
熊本県民になりました。

産島貝塚 (熊本県八代市)

2022年03月16日 | 散策記
今回は、熊本県八代市内にある「産島(うぶしま)貝塚」に行ってみた。

 
かつて海に浮かぶ島であったことは見た目には分からない。

産島は、かつては八代海上に浮かぶ小島だったが、明治時代の干拓によって陸続きになったようだ。
島内には縄文時代の貝塚(産島貝塚 市指定史跡)があり、捨てられた貝類に混じって、縄文土器の破片が出土しているほか、
古墳時代4世紀後半築造と推定される古墳(産島古墳群 市指定史跡)の箱式石棺3基や人骨・鉄剣なども検出されている。
また、明治時代・大正時代にはこの島で採掘された石灰石を石灰にするために焼いた窯(石灰焼成窯跡 市指定史跡)の一部も残っている。

 
写真の右側中ほどには2号石棺の蓋石と思われる板状の石材が確認できる。   三社権現が祀られている。

(現地解説板)
   産島貝塚                        市指定文化財記念物(貝塚)    昭和38年4月20日指定
 近世の干拓で陸続きとなる以前は弧島で、「産島」または「亀島」と呼ばれていた。
「肥後国誌」によると、鵜が多く集まっていたという。「鵜島」が「生島」へ、さらに「産島」へ変化したと伝えられる。
 この貝塚は昭和37年秋に発見され、縄文時代早期の押型文土器・前期の曽畑式土器、晩期の黒川式土器、
弥生時代の黒髪式土器・免田式土器、古代の須恵器・土師器、中世の瓦質土器など各時代のものが出土している。
島の北側の高い部分には古墳時代の箱式石棺群もある。
 島の南東約800m、郡築十二番町の水田下にも貝層があり、縄文晩期の土器片などが出土している。
当時は現在よりも気温が低く、海水面も3mほど低かったと考えられている。
縄文時代晩期ごろの産島はそのあたりまで広がっ ていたものと考えられる。
                                                  八代市教育委員会

 
石灰焼成窯跡

ただ、干拓や石灰石の採掘、産廃土砂などの投棄などで、島は原型を留めておらず、
現在では「産島」という地名から、かつて島であったことが推測できるような状況である。

【文化財データ】
名称:熊本県八代市指定史跡「産島古墳」
所在地:熊本県八代市古閑浜町産島
時代区分:古墳時代前期(4世紀後半)
形態:古墳・貝塚
見学可能時間:常時開放
駐車場:なし(近隣に駐車スペースあり)
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