だいぢのEasyBassing

初めはバス釣行記のブログだったんですが…。
関東を中心に釣りや散策に出掛けていましたが…。
熊本県民になりました。

竹崎季長の墓 (熊本県宇城市)

2022年03月19日 | 散策記
今回は、熊本県宇城市にある「竹崎季長(たけざきすえなが)の墓」に行ってみた。

竹崎季長は、鎌倉時代中期の武士で肥後国の御家人である。
元寇で戦功を挙げ、その恩賞地として、墓のある肥後国 甲佐神社領 海東(かいとう)郷(現熊本県宇城市小川町海東地区)の地頭に任じられた。

歴史の教科書にも載っている、国宝「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」は、
季長が元寇での自身の戦いを描かせた絵巻物として知られている。
「蒙古襲来絵詞」は、季長により甲佐神社に奉納され、明治時代になって皇室へ献上された。

 
竹崎季長の墓は鳥の鳴き声しか聞こえないような静かな集落内にある。

竹崎季長の墓の周辺は現在「平原公園」として整備され、竹崎季長やその重臣の藤井末成の解説板などがあるほか、
東郷平八郎の書による「弓せんのみちすすむをもてしょうとす」という言葉が刻まれた記念碑が建っている。

 
平原公園は遊具などもない静かな小さな公園である。季長の墓は公園の一角にある。

(現地解説板)
   平原公園案内
 この公園は、小川町海東の北端 高台に位置し春には桜やツツジに彩られ、素晴らしい景観が開けます。
 ここに元寇の勇士竹崎季長の墓と下益城郡教育委員会が建立した元寇記念碑があります。
●竹崎季長の墓
 墓は、永いあいだ所在もわからないほど草木に埋もれていましたが、明治27年(1894年)に発見確認されました。
かたちは、征夷大将軍 源頼朝の墓と同型の五輪塔です。
 墓の横には、大正4年(1915年)大正天皇即位の礼に際し追贈された従三位(天皇から与えらた位)の石碑があります。
●元寇記念碑(大正6年建立)
 碑文字は、連合艦隊司令長官 東郷平八郎元帥の書で季長の言葉「弓箭のみちすゝむをもてしやうとす」が刻まれており、
その文字上部に、季長の旗指紋「三つ目結い吉」がつけられ、台座には清浦奎吾子爵(熊本県出身の首相)の碑文があります。
                                                    平成十六年二月          小川町教育委員会

【散策地データ】
名称:「竹崎季長の墓」
所在地: 熊本県宇城市小川町北海東平原公園内
形態:墓所
見学可能時間:常時開放
駐車場:有(無料) 平原公園駐車場に駐車
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