今回は、熊本県苓北町にある「富岡城跡」に行ってみた。
小高い山の上に復元された櫓などが見える。
富岡城は、天草下島の北西、砂州で繋がった陸繋島の富岡半島の南東部の丘陵上に、
1602年(慶長7年)唐津藩主寺沢広高によって天草を統治するために築かれた梯郭式の平山城である。
2代藩主堅高の1637年(寛永14年)には「島原・天草一揆(島原の乱)」が勃発し、
幕府側の拠点として天草四郎率いる一揆軍1万2千人の猛攻を受けたが守り抜いた。
乱の平定後、寺沢家は責任を問われ天草領は没収され、山崎家治の入封により富岡藩が成立し現在の富岡城の形ができた。
山崎家治の後に天草は天領となり代官鈴木重成の時代を経て、戸田伊賀守忠昌時代に破城され再び天領となる。
天領時代は、三の丸に代官所がおかれ天草の行政の中心となった。
二の丸跡から本丸を望む 二の丸跡から眼下に巴湾・富岡港を望む
二の丸跡にある苓北町歴史資料館では、富岡城に関する歴史や、天草・島原の乱の展示解説をしている。
天草四郎率いる一揆軍は、この城を落とせず敗走し、海を渡り原城で島原の一揆軍と合流し、籠城の上鎮圧される。
苓北町歴史資料館
2005年(平成17年)3月に復元作業が終了し、石垣や櫓・高麗門などが復元整備され、
本丸の櫓は展示施設「富岡ビジターセンター」として、天草の歴史・文化・自然などを紹介している。
立派に復元されているが、史跡にも指定されておらず、訪れる観光客は少ないようだ。
富岡城跡を見学した後は、富岡港船客待合所内にある苓北町観光案内所へ寄ってマンホールカードをもらった。
町の花「ハマユウ」と町の木「つばき」がデザインされている。
【城郭データ】
名称:熊本県 富岡ビジターセンター・富岡城
所在地:熊本県天草郡苓北町富岡字本丸2245-15
城郭構造:梯郭式平山城
築造主:寺沢広高
築造年:1605年(慶長10年)
主要城主:寺沢氏、山崎氏、戸田氏
廃城年:1670年(寛文10年)
遺構:石垣、堀切 (復元:櫓、門、塀)
観覧料:無料
開館時間:9:00~17:00(最終入館16:45まで)
休館日:毎週水曜日(休日の場合は翌日)
駐車場:あり(無料)
小高い山の上に復元された櫓などが見える。
富岡城は、天草下島の北西、砂州で繋がった陸繋島の富岡半島の南東部の丘陵上に、
1602年(慶長7年)唐津藩主寺沢広高によって天草を統治するために築かれた梯郭式の平山城である。
2代藩主堅高の1637年(寛永14年)には「島原・天草一揆(島原の乱)」が勃発し、
幕府側の拠点として天草四郎率いる一揆軍1万2千人の猛攻を受けたが守り抜いた。
乱の平定後、寺沢家は責任を問われ天草領は没収され、山崎家治の入封により富岡藩が成立し現在の富岡城の形ができた。
山崎家治の後に天草は天領となり代官鈴木重成の時代を経て、戸田伊賀守忠昌時代に破城され再び天領となる。
天領時代は、三の丸に代官所がおかれ天草の行政の中心となった。
二の丸跡から本丸を望む 二の丸跡から眼下に巴湾・富岡港を望む
二の丸跡にある苓北町歴史資料館では、富岡城に関する歴史や、天草・島原の乱の展示解説をしている。
天草四郎率いる一揆軍は、この城を落とせず敗走し、海を渡り原城で島原の一揆軍と合流し、籠城の上鎮圧される。
苓北町歴史資料館
2005年(平成17年)3月に復元作業が終了し、石垣や櫓・高麗門などが復元整備され、
本丸の櫓は展示施設「富岡ビジターセンター」として、天草の歴史・文化・自然などを紹介している。
立派に復元されているが、史跡にも指定されておらず、訪れる観光客は少ないようだ。
富岡城跡を見学した後は、富岡港船客待合所内にある苓北町観光案内所へ寄ってマンホールカードをもらった。
町の花「ハマユウ」と町の木「つばき」がデザインされている。
【城郭データ】
名称:熊本県 富岡ビジターセンター・富岡城
所在地:熊本県天草郡苓北町富岡字本丸2245-15
城郭構造:梯郭式平山城
築造主:寺沢広高
築造年:1605年(慶長10年)
主要城主:寺沢氏、山崎氏、戸田氏
廃城年:1670年(寛文10年)
遺構:石垣、堀切 (復元:櫓、門、塀)
観覧料:無料
開館時間:9:00~17:00(最終入館16:45まで)
休館日:毎週水曜日(休日の場合は翌日)
駐車場:あり(無料)