明日に架ける虹

家族の大腸がん、自身の卵巣腫瘍などの体験記と日々の日記

はじめに

父と母
生前の父と母の最後の2ショット
◎将来的には3人に1人の確率で癌になると言われていますが我が実家は4分の3の確率でした。
母はすでに旅立ち、父は現在も闘病中、私はサバイバーです。
家族と自分のがん体験記そして 持病の子宮内膜症治療とチョコ膿腫摘出などの記録 その他日々の所感について綴っています。

◎たいした内容はもりこんでありませんが、闘病記など特定のジャンルのみ閲覧希望のかたは、 カテゴリ表示で絞ってご覧下さい。

I市民病院へ

2006年09月26日 | 大腸がん 母の闘病
母の命~S病院の先生が見捨てた命でも、私達家族にとっては大切なたった1つの命。
知人やインターネットで、県内の病院の大腸専門の先生を探す。
何人かリストUPした中で、一番近かった地元のI市民病院へ。
セカンド・オピニオンの準備を早速始める。
それにしても・・・今の主治医の先生に上手く伝える事は難しい。
私「先生の診断も治療もすべて正しいと考えます。それでも家族の気持ちとしては、こんな病状だからこそ、複数の先生の見解を聞いて、心の準備と今後の治療方針を考えたいです。」
そんな風にお願いした気がする。
医師は、いとも簡単にあっさりと紹介状・検査結果を用意してくれた。
心の内までは知る由もないけれど・・・・・。
翌週早々I市民病院へ
知人によい先生がいると紹介されたこと、ネットで調べてたくさんの学会に所属し、勉強し指導医・認定医の資格をお持ちのこと、病院自体もがん拠点病院である事などを調査し、Y先生に母の執刀を御願いしたくてこちらに来たことを伝えると
Dr.Y「確かに、いまのお母さんは大変厳しい状況であるし、自分も実際に診察してみないと何とも言えないが、お引き受けしましょう。」と言ってくれた。
てきぱきと病棟のベットを空ける指示、手術の予約をその場で自ら手配してくれた。
入院は1週間後の10月2日。Ope10月6日。

インフォームド・コンセント

2006年09月19日 | 大腸がん 母の闘病
外科の先生からは家族はもちろんの事、
本人にもいつ手術しましょうとか何の話もないという。
おかしすぎる・・・、そう思った私は、お見舞いに行ったついでに
ナースステーションに行って、
母の今後の処遇などどうすればよいのか尋ねてみる。

「ちょうど先生がいますので、どうぞ」とあっさりナースステーションの中に通される。

TVでもよくありがちな、風景。
若くて小生意気そうな僕ちゃんが座っている。

Dr「内科の先生に大方聞いていると思いますが・・・」

私「いいえっ!癌と言うことだけでステージとか詳細は何も・・・。外科の先生から詳細は聞いて下さいとの事でした。」
Dr「そうですか・・・、お母さんの場合はステージⅣ、末期です。肝臓部にも転移が6箇所位見られますので、手の施しようがありません。平均余命はおおよそ22ヶ月でしょう。」
Drの声が遠くで反響していた。覚悟はしていたものの・・・不思議と涙も取り乱しもしなかった。
自分が第3者で、TVドラマを観ているような錯覚に落ちいっていたという表現が一番正しいのかも知れない。
だいいち、こんな重要なこと、こちらが聞きに行かなければ、いつまで放置しておくつもりだったのか・・・?都内の激混みの大学病院でもないのに。
たった1人で、こんなに大切で悲しい告知をなりゆきで受けてしまった。

私「そんな状態なら、どうしてすぐに手術とか、治療対策を決定してくれないのですか?」

Dr「Ⅲ期までで、手術の一刻で生死にかかわる状態の方ならその通りですが、お母様の場合はここで1月程度手術がずれても、結果が変わることはないからです。」
あきらめている・・・・・S医師会病院の先生は、はなから母の命をあきらめている・・・・・。
背中に冷たいものが走った。【ここの病院にいたらより早く見捨てられる】
その後は、大腸がんという病気について2,3事務的な話をしただけで、早々打ち切った。
すでに心の中では、母と家族と一緒に最大限戦って下さる先生を探す事を決意していた。

カーネーションはいつまでも赤がいい

2006年09月14日 | 大腸がん 母の闘病
9月5日の入院から10日が過ぎた頃、
主治医の内科の先生から説明がある

立会いは、私の他に父と弟。
医師「貧血の原因は腸にあるポリープです。
腸の内視鏡検査の結果、上行結腸(盲腸のすぐ上)に腫瘍があります。
(写真を見せながら「ここです」と説明される)
ここで、出血を起こしているので貧血なんです。」

「ポリープがあったのなら、なぜ内視鏡検査時に取ってくれなかったのですか?
9cm位までのものなら切除できると調べましたが・・・。」
(すでに、入院治療説明書に大腸腫瘍と書かれていたので、
最悪の場合の事をネットなどで調べていた)

医師(ちょっとムッとしたように)
「これでは大きすぎて内視鏡では取れません」

「そんなに大きいのですか・・・。悪性ですか?助かりますか?」

医師「おそらく癌です。これから先の治療は外科にお任せします。
外科の先生に話しておきましたから、近々手術などについて説明があるでしょう。
それ以上は、私には何とも言えません。」
(すでに、この説明を終わりにしてこの場から逃げたいと
内科医が思っているのが、はっきりと感じられた。
これ以上この先生と話しても埒が明かないと直感した
癌・・・・・しかも大きい。
予想の中で最悪の結果が返って来てしまった。
こうなったら一刻も早く手術で摘出して欲しい。
その昔、カーネーションの赤と白は、母のいる子といない子の違いだと聞いて
子供心にとてもショックで物悲しい気持ちになった事を昨日の事のように思い出す。
カーネーションはやっぱりいつでも赤がいい。


母、貧血で入院

2006年09月05日 | 大腸がん 母の闘病
実家からでした
「これから入院するけれど、心配して来なくても大丈夫」との事でした。

何でも、体がだるくて仕方ないのでかかりつけの医院に行ったら、
「ものすごい貧血ですよ。すぐに病院を紹介しますから入院して下さい。」
と言われたとの事。

夏休み、子供達と実家に遊びに行った時、
本当に病人そうでものすごく嫌な予感がした。
昨年暮れに大腿骨骨折で手術後、退院してリハビリ中だったせい?
ものすごく病人ぽくなっているのはと思ったけれど
やっぱりどこか悪い所があるんだ・・・

検査をしてみないと何とも言えないけれど、
大腸にしこりがあるのが気がかりと先生が言っていた。
はやく原因を突き止めて、治療して良くなって欲しい