明日に架ける虹

家族の大腸がん、自身の卵巣腫瘍などの体験記と日々の日記

はじめに

父と母
生前の父と母の最後の2ショット
◎将来的には3人に1人の確率で癌になると言われていますが我が実家は4分の3の確率でした。
母はすでに旅立ち、父は現在も闘病中、私はサバイバーです。
家族と自分のがん体験記そして 持病の子宮内膜症治療とチョコ膿腫摘出などの記録 その他日々の所感について綴っています。

◎たいした内容はもりこんでありませんが、闘病記など特定のジャンルのみ閲覧希望のかたは、 カテゴリ表示で絞ってご覧下さい。

インフォームド・コンセント

2006年09月19日 | 大腸がん 母の闘病
外科の先生からは家族はもちろんの事、
本人にもいつ手術しましょうとか何の話もないという。
おかしすぎる・・・、そう思った私は、お見舞いに行ったついでに
ナースステーションに行って、
母の今後の処遇などどうすればよいのか尋ねてみる。

「ちょうど先生がいますので、どうぞ」とあっさりナースステーションの中に通される。

TVでもよくありがちな、風景。
若くて小生意気そうな僕ちゃんが座っている。

Dr「内科の先生に大方聞いていると思いますが・・・」

私「いいえっ!癌と言うことだけでステージとか詳細は何も・・・。外科の先生から詳細は聞いて下さいとの事でした。」
Dr「そうですか・・・、お母さんの場合はステージⅣ、末期です。肝臓部にも転移が6箇所位見られますので、手の施しようがありません。平均余命はおおよそ22ヶ月でしょう。」
Drの声が遠くで反響していた。覚悟はしていたものの・・・不思議と涙も取り乱しもしなかった。
自分が第3者で、TVドラマを観ているような錯覚に落ちいっていたという表現が一番正しいのかも知れない。
だいいち、こんな重要なこと、こちらが聞きに行かなければ、いつまで放置しておくつもりだったのか・・・?都内の激混みの大学病院でもないのに。
たった1人で、こんなに大切で悲しい告知をなりゆきで受けてしまった。

私「そんな状態なら、どうしてすぐに手術とか、治療対策を決定してくれないのですか?」

Dr「Ⅲ期までで、手術の一刻で生死にかかわる状態の方ならその通りですが、お母様の場合はここで1月程度手術がずれても、結果が変わることはないからです。」
あきらめている・・・・・S医師会病院の先生は、はなから母の命をあきらめている・・・・・。
背中に冷たいものが走った。【ここの病院にいたらより早く見捨てられる】
その後は、大腸がんという病気について2,3事務的な話をしただけで、早々打ち切った。
すでに心の中では、母と家族と一緒に最大限戦って下さる先生を探す事を決意していた。