明日に架ける虹

家族の大腸がん、自身の卵巣腫瘍などの体験記と日々の日記

はじめに

父と母
生前の父と母の最後の2ショット
◎将来的には3人に1人の確率で癌になると言われていますが我が実家は4分の3の確率でした。
母はすでに旅立ち、父は現在も闘病中、私はサバイバーです。
家族と自分のがん体験記そして 持病の子宮内膜症治療とチョコ膿腫摘出などの記録 その他日々の所感について綴っています。

◎たいした内容はもりこんでありませんが、闘病記など特定のジャンルのみ閲覧希望のかたは、 カテゴリ表示で絞ってご覧下さい。

標準的抗がん剤治療と平均余命

2007年08月29日 | 大腸がん 母の闘病
母が末期がんと初めて診断された時、医師は「ステージ4の大腸がんの場合の平均余命(生存期間中央値)は22ヶ月です。」と言った。
これは、単純に言えば、10人中5人目の人が22ヶ月で亡くなると言う事で、この時点での半分の方は亡くなり、残り半分の人は生存していると言う事で、
ただし、母の場合がとちらの半分のグループに属するのかは分からないという事も色々ネットで情報を調べた私は覚悟していた。
決して、母は22ヶ月は大丈夫などと安心していた訳ではない。
それにしても、昨年9月の宣告から約1年弱。少なくとも母の場合、標準的抗がん剤治療といわれるFOLFOX4などが、予後を延長してくれたとはどうしても思えない
抗がん剤治療も人によってよく奏功してくれる人、あまり効かない人がいて、こればかりは医師もやってみないと分からないと言うが、それも仕方ないと思う。
私は、当初、母の術後の体調があまりにも良いので、とりあえず標準的抗がん剤治療で様子を見て、
副作用や体力消耗などがひどかったら、次の一手を考えればよいと考えていた。
でも本当に今更だが、この安堵感が母の余命を大きく削ってしまったのだと後悔してやまない。
母の相当辛抱強いという性格を考慮せず、「副作用そんなに我慢できない程じゃないよ。大丈夫!」と言う言葉だけで判断し
標準的抗がん剤治療を受け続ける事に対して油断しきっていた。
母は、完全に歩けなくなる4,5日前まで車の運転もして、父や弟の仕事の手伝いまでしていた。
2日前、大好きな私の息子達の為に、スーパーに好物のメロンを買いに行っていた。
まさに坂道を転がり落ちるようにと思っていたが、きっと普通の生活を送ることは、もっと前から相当辛かったに違いない。
そこまで、なぜ気がついてあげられなかったのか
あと数ヶ月はやく、標準的抗がん剤治療を即刻辞めさせていれば、今頃U先生の治療に元気に通院していられたかも知れない。
U先生の所に通えれば、今後認可される抗がん剤。アバスチンの少量単独投与、たとえ費用がかさんでも、出来る限りの事をしてあげたいと決意しても、
本人に通院の体力が残されていない今となっては、何の手立てを打ってあげることが出来ないのだ。
過ぎた事を悔いても仕方ないことは充分承知しているけれど、その事については、家族のばかさ加減を何度悔やんでも悔やみきれない
1つだけ言える事、完治が難しく再発予防の為でもない、腹膜播種の母に対しての標準的抗がん剤治療は、余命の延長は逆効果だった。
まだ、間に合う人には、どうか、どうか、私達の様な思いはして欲しくない。早いうちに効果を見極めて、治療路線を決めて欲しいと切に願います

現実と夢のはざま

2007年08月28日 | 大腸がん 母の闘病
母は殆ど1日中うとうとしている
その時に夢を見ているのか聞いてみた。
「色々。夢を見ることも多いけれど、全然関係ない人の夢。」だそうだ。
でも出来事はろくなものではないと詳細は言いたがらなかった。
夜中も同じ状態なので、4、5回目を覚ましては、近くに付き添っている家族を呼んだりする。
これでは、付き添いが一番多い父はたまったものではないなと心配なのだが、
母はいつも現実と夢のはざまにいるので、夜の暗闇で目を覚ます時、おそらく、ここは現実なのだろうか?
まだ自分は生きて現実の中にいるのだろうか?とたいそう不安になるのだろう。
だから、誰かに声をかけて、現実を確かめずにはいられないのだと思う。
それから、今や左腕以外は全身麻痺状態なので、周囲に誰もいなくて1人ぼっちになる事がとても不安なんだと話してくれた。
私は、母がこの病気になってから、会社や父母会等の集団にいること、話を合わせる事すら面倒くさくて、
自分で引き寄せたくせにいつも孤独を感じていたけれど、今や寝たきりのがん患者である母の孤独感は、そんな物とは比べ物にならない事を改めて感じた

いくら丼

2007年08月27日 | 大腸がん 母の闘病
週末の日課で実家に帰る前に、いつものごとく母に「食べたい物ない~?」とTEL
今日は「いくら丼」との事。
いくら・・・、我が家の次男の大好物で、週末の野球練習日のおにぎりの具の第一希望がいくら。
でも我が家にとってはたいそう高価なものなので、たま~にコンビニおにぎりで買ってあげるものの、
自前のおにぎりの具には買ってあげた事もない。
母があんな状態なのに、「清水の舞台から飛び降りる気持」でいくらを買った自分の主婦根性が恥ずかしかった。
にもかかわらず、あんな状態でも茶碗に6~7分目のいくら丼を美味しそうに平らげる母を見た時、
キャビアだろうがふかひれだろうが何でも来い!と心新たに思った。
お盆の頃は一時尿量も激減し、軽い熱中症でまずい状態だったが、相変わらず熱の上下はあるものの、
尿量も回復し(私がお盆に帰省した時、排尿障害を起こして、尿道カテーテルになってしまった為、毎朝7時に尿量計測している)
一山越えたと言った所かな・・・・・。
話しかけないとほぼ1日眠り続けているので、父がしょっちゅう話しかけては、食事・体位変換・水分補給を催促している。
その都度何かしらの冗談を言いながら声をかける父は本当に偉いな~と感心する。
母も笑いながら答えている。
私達子供には父の体力・気力が日々心配の種だけれど、母は父と一緒にいられるから、幾つかの山を越えつつ、今も笑えるのだと思う。
今の1日1日が父と母のかけがえのない時間なんだな~

Blogの目的

2007年08月26日 | 大腸がん 母の闘病
もしも、このBlogを時々ご覧になって下さる方がいて、
読むたびに暗い気分にさせてしまっていたら、お詫びします。
ごめんなさい

ただ、このBlogに母の闘病の事を書こうとした時に、
「頑張ってるんだから、皆も頑張って!」みたいな前向きBlogというよりは
母と過ごした闘病の日々を忘れずに記しに残しておこう。
大好きな母との日々をこれからもずっと忘れないように。
楽しい事、辛い事含めすべてを母との日々として残したい。
そんな目的で書き始めました。

これからは、母の病気の進行に伴って、
もっともっと辛い状況も書く事もあるかも知れません。
だから、もしも、同じ病気で闘病中の方で、
明るさと元気と勇気が欲しい人は、今後はこのBlogはスルーして欲しいと思います。

いつか、心にゆとりが出来たら、現在のがん治療についての問題とか
母の癌闘病の反省点などを落ち着いて書ける時が来ると思います。

今は、母の現状を日記に綴ることが精一杯です
どうかご理解下さい。

末期がんのつらさ

2007年08月25日 | 大腸がん 母の闘病
足が動かなくなってからというもの、日々母の体力は衰弱している。
フェンタニルパッチ25mgでは、レスキューの塩化モルヒネの量が多くなりすぎるので、先週末からフェンタニルパッチ50mgに増量になった。
その後も1日に数回右手を痙攣させるようになり、ついに下半身だけでなく、右手も完全に麻痺。1人では食事も取れなくなった。
今では、寝ていても体位変換だけで体中が痛い様子だ。
それでも、痛いとかいっそのこと・・・とか泣き言を言わない母はとても辛抱強いと思うし、また癌というのは本当に恐るべき病気だと思う。
元は自分の細胞の一部なのに、ここまでかと言う位体中を痛めつけて侵食する。
今では、お見舞いの友人が訪ねて来てもほとんど話しを続ける事が難しく、家族にも、話しかけられた事に返事を返すこと位が精一杯だ。
先生がこれから家族は母の変化に対して様々な試練に耐えて慣れなくてはいけないと言っていたが、
こんな体でも必死で生きている母を見守る事は家族にとっても大きな試練だと思う。
それでも・・・・・母の方が何倍も辛いんだよね。

お盆休み

2007年08月11日 | 大腸がん 母の闘病
お盆休みになり、実家に戻って母の1日の様子をあらためて観察してみると、
状態は安定しているものの入院前よりも明らかに病状が悪化している。
寝たきりになってからも1日の殆どTVを観て過ごしていたが、退院後はTVもつけずに、1日を殆ど寝て過ごしている。
本人曰く、「退院の2日前から肋骨の背中側が痛くて痛くて、今度は座ったり上半身を起こすこともままならない。」
主治医に訴えても、ただ「頑張ってね」と言われるだけだったのだそうだ。
今も、1日おきに発熱と低体温の日を繰り返している。発熱の日は39度の熱。低体温の日は35度にも満たない。
食事も寝たままの状態で取るようになってしまって、痛々しい。
土曜日に、弟が東京に行こうと病院の予約を入れた。「俺がずっと背負ってあげるから。」と。
でも・・・・・ついに母は「全身が痛くて麻痺がひどくなっている。もう起きる事も辛いので東京にはとても行けそうにない。」と言いました。
そうだよね、頑張って頑張って寝ている時もずっとずっと癌の侵略と戦っているんだもんね。それだけで、いっぱいいっぱいの体力を使っているんだもんね。
すでに東京のキャンセルも3回。今生きる事が精一杯の母にとって、治療に通う体力は残されていない。
せめて、私のいる間は食べたいものなら何でも作ってあげるからね。痛みの事も何とか上手く共存出来るように先生と話しをするからね。
だから、1日でも長く生きて下さい。

退院

2007年08月07日 | 大腸がん 母の闘病
結局の所、週明けの火曜日の退院が決まる。
場合によってはこれが最後の自宅療養になるかも。とにかく、家族1人1人が自宅で出来るだけの事をしてあげるしかない。
父は覚悟を決めて介護すると言っているけれど、高齢なので気力・体力が心配。
暫定介護認定で、毎日の訪問看護、週3回のヘルパーさん、週1の入浴介護サービスが決まったから、皆さんの力を借りながら何とかなるかな・・・。
弟は、自宅で自由がきいたらおぶってでも東京に通院させたいらしい。
私もお盆休みにはすぐに帰って、出来るかぎり手伝おう!

父の思いと子供の思い

2007年08月02日 | 大腸がん 母の闘病
先日のBlogでも書いたが、母の状態(意識)がいつまで安定しているか、明日の事も分からない中、
家族でも意見の分かれる所は、このまま長期療養型病院への転院か自宅に連れ帰り自分達で出来る限りの介護をするかという選択だ。

主治医の先生は、本当に今しかないのだから、もう一度出来るところまで自宅で頑張ってみて欲しいという。
それも、もっともな意見だ。
けれど、今や母は、自分で自分のことが殆ど出来ない要介護者。
ここの所、本当に坂道を転げ落ちるようにどんどん状態悪化した為、介護認定もまだ1月近くかかるし、
何より自宅には、介護ベッドはおろか車椅子すらない。
こんな状態で、このくそ暑い最中、クーラーも設置していない自分の部屋に戻っても、
満足な事は何一つしてあげられない上に、暑さでより早く参ってしまうのではという心配はつきない。

また、父が健在(実際は体のあちこちが悪いのだ)と言う事で、介護認定がおりても、ヘルパーさんの派遣が難しいらしいのだ。

それでも、父は「今まで苦労をいっぱいかけたんだから、こんな時位、面倒見る。半端な覚悟で言ってるんじゃない。」と言う。
私達子供には、母と同じ位父が心配。だから、家での看護に疲れて父が先にダウンしてしまう事が一番心配なのだ。

今週は、Dr、看護士さん、ソーシャルワーカさん、と何度も面談している。
母、本人の思いを確認しても、皆に悪いから、迷惑かけたくないから病院にいると言っているけど、
このまま、病院から出られないまま容態が悪化して帰れなくなる可能性があると知ったら、家に帰りたいよね。