忘却の彼方へ

ウエブ上のメモ

心の傷手当迅速に「聴く」がもっとも効果的

2005年10月16日 | 気になるニュースなど
読売新聞より
1997年から「エンパワメント・センター」を設立し、子どもの虐待やDVなどをテーマにした研修活動をしている森田ゆりさんの4回の寄稿で、「できること」を伝える。
1回目
ニュース:育児ネット:教育 子育て : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

「こども←→おとな」【森田ゆりさん寄稿】私たちにできること[虐待防止](1)心の傷手当て迅速に 「聴く」が最も効果的

  「10歳の娘が同居している舅(しゅうと)から性虐待を受けていると訴えてきたとき、娘をしかりとばさないでほんとうによかった」と母親のAさんは言った。

「最初は『まさか!』『なんでそんな嘘(うそ)をつくの』と思って頭が真っ白になったけれど、それを言ってはいけない、まずは子どもの訴えにしっかり耳を傾けるように、と、前に講演会で聞いていたことが役に立ちました。でも、その後どうしていいかわからず、娘と2人で泣きました」

 虐待を受けている子どもの多くは、そのことを誰にも言えずにいる。特に加害者が身内の者である場合、子どもの訴えは『そんなこと信じられない』と無視されるか、しかられるかで、子どもは傷を一層深める。被害体験が子どものその後の人格形成にしばしば深刻な影響を及ぼすのは、この『誰にも言えない』現実に由来している。

 今から70年以上も前に、子ども虐待の心的外傷に正面から取り組んだ稀有(けう)な精神分析家、シャンドール・フェレンツィは、こう主張している。

 「一人でいること」がトラウマを形成する。「喜びと悲しみをわかちあい、伝えあうことのできるだれかが〈そこにいる〉ことが、心的外傷を癒す」(Sフェレンツィ著 森茂起訳「臨床日記」 みすず書房)

 道端で子どもが大けがをしていたら、たまたま通りかかった人でも、血を止める、傷口を水で洗うなどの手当てをし、必要があれば救急車を呼ぶ。なるべく早くに施されたちょっとしたこの応急手当てが、その後の回復を左右するほど重要であることはいうまでもない。

 虐待やいじめやその他の被害を受けた子どもは、身体の外傷の大小にかかわらず、大きな心の傷を負っている。身体の傷と同じように、心の傷もなるべく早くに手当てが施されなければならないのだが、心の傷は目に見えないために、気がついてもらえずに放置されていることが大半だ。

 「手当て」という日本語には深い叡智(えいち)がこめられている。たとえ消毒液がなくとも、最新の特効薬がなくとも、手を当ててもらうことで、傷ついた子どもの身体の回復は大きく促進される。「おなか痛い、手あてて。もっと下、そこ、そこ」と当ててもらった手のぬくもりを感じているうちに、痛みが消えてしまった記憶をわたしたちの多くが持っている。

 小さな子どもが転んだとき、わたしたちは「ちちんぷいぷいぷい」「いたいの いたいの お山のむこうに とんでいけー」といった言葉をかけながら手当てをする。このおまじないは実は大切な役割を果たしている。子どもの恐怖や不安や痛みに「こわいね」「いたいね」と共感し、「もうだいじょうぶだよ。こわいのはお山の向こうにとんでいっちゃうから」と安心と希望を持たせてあげることで、子どもの自己治癒力を活性化しているのだ。

 応急手当ての具体的な方法は「聴く」ことである。「どうした」「何があったの」と事実関係を「尋ねる」ではなく、うわのそらで「聞く」ではなく、あなたの耳と心を持って、相手の十四の気持ちを聴く。これは本来のこの漢字の由来ではないが、「聴く」という漢字はそう書いてあるように見える。相手のさまざまに乱れ、相反する、人に語ってもわかってはもらえないと思っている「十四」もの異なった気持ちを、分析するのではなく、同情するのでもなく、ただ「そうなんだ」「それはこわかったね」と共感して聴く。応急手当ての第一歩である。

 心の応急手当てのできる大人が500万人、1000万人と日本中に増えたなら、「誰にも言えない」子どもたちの生きる環境が変わる。わたしたち大人の一人一人が、子どもが「言える誰か」という環境になること、それが虐待防止の最も効果的な方法だと確信している。「聴く」ことは大人が子どもにあげることのできる最大の贈り物。