忘却の彼方へ

ウエブ上のメモ

ほめる教育が子どもをつぶす?

2005年05月31日 | 気になるニュースなど
 施設にいる子どもたちは、自己肯定感情が低いとよく言われる。何事にも自信がないとも言われる。そのような子どもたちに対して、少しでも自信を持ってもらうことや自己肯定感情を高めてもらおうと、よい面を見つけながら言葉や態度で「ほめる」ということを繰り返してきた。
 この「ほめる」という行為を推進しているのは、何も施設だけではなく学校でも同じような方針のようであるが、「ほめるな」伊藤進著・講談社現代新書によると、意図的にほめるという行為は、子どもの自立心をはばむと論じている。
 ほめることに対して、そのマイナス面を深く考えたことがなかったので、「なるほど、そういう可能性もあるのか」とこれまでの自分の行為を振り返るよいきっかけとなった。
 著者は、意図的にほめるということではなく、まず子どもの話を聞こうと、「聞く」という技術についての大切さを説いている。この「聞く」「受け止める」という技術は対人援助技術の基本であるが実は大変難しいものだ。間違いなく、「ほめる」ことより難しい援助技術である。基本をおろそかにして、安易に「ほめる」ことでいい仕事をしていると思っていたかも・・・

 本のタイトルを見て、衝動買いをし一気に読んでみたが、「ほめる」「ほめない」といいうことよりも「教育の目的は自立の支援であること」「教育は聞く力であること」の基本をしっかり受け止める必要があることを感じた。




「受容」は援助技法のアルファでありオメガである

2005年05月13日 | 福祉のプロとして
対人援助を業とするものにとって、「受容」」という援助技術が大切なものであることは誰でも知っている。一般的に「受容」とは、クライエントをあるがままに批判をせずその存在を受け入れる、というように受け止められている。しかし、援助の実際場面で受容についてあまり意識してこなかったと、大正大学教授村瀬嘉代子氏の小論文を読んで思った。

氏は、内心、疑問や怒り、その他諸々の気持ちがわき上がってくるのを無理に黙っていることが「受容」だと我慢するするような平板なことではないとし、受容と共感という援助する側の基本姿勢について、観察と思考、知性に裏付けられて発動する感受性の所産であると言う。うーん、共感も受容もわかったような気をして使っていたが奥が深い援助技術であり、到達点というものがないものであることを改めてわかった気がする。

受容するための要因としての次の7つを常に振り返りながら援助にあたりたい。

(1)事実を綿密かつ多面的に観察する、(2)駆使できる知見の蓄積に努める(常に研鑽しないと・・)、(3)自分を相対化して眺める姿勢、原因を自分に引き受けて考える、自分を振り返る、(4)自分の内にわき起こる感情、思考内容を正直に認める(子どもの問題行動あるいは親の態度など本当に頭にくることも実際多い!)、(5)多軸で考え抜く、自分に都合のよい枠組みや理論を適用して、簡単にわかったつもりにならない(反省・・・)、(6)自分の満足のためではなく、相手は何を必要としているのかを考える、(7)自分自身をほどよく受け入れていること(これがなかなか難しい、自分も相当自己肯定感が低いぞ)。

発達障害者支援法施行

2005年05月12日 | 福祉のプロとして
2005年4月1日施行
知的障害のない、自閉症やアスペルガー、LD、ADHDなどを
これまでは、知的障害者福祉法の対症にするよう要望していたが、実現しなかった。
発達障害者支援センター(自閉症・発達障害者支援センター)が法的に裏付けされた。

福祉法との違い
 福祉に限定しない
 早期対応を強調

特別支援教育との関係も強い