忘却の彼方へ

ウエブ上のメモ

ゲーム依存は、麻薬中毒と同じ!

2005年12月30日 | 気になるニュースなど
今年読んだ本の中に岡田尊司氏の2冊がある。「悲しみの子どもたち」集英社新書と「子どもの『心の病』を知る」PHP新書だ。
その著者が、文芸春秋社から出した「脳内汚染」が今週号のAERAで紹介されていた。

内容は、ゲームやインターネットと少年犯罪の関連性について。かなり衝撃的な結論のようだ。
『合成された情報の「毒性」がそれにもっともさらされる若者の心や行動に異常を引き起こしている。脳にとっては、物質以上に情報が有害作用をもちうるのである。われわれの脳は、毒物によってだけでなく、有害な情報や疑似体験によっても汚染される』
その有害情報の入り口が、ゲームやインターネットなどの映像メディアだという。
ゲームという仮装的訓練によって、人の脳内に設定された禁忌プログラムの解除が行われるという米軍の実験の話や、ゲームには中毒性を高める技術が詰め込まれているいるという。

ゲームの開発者は、今にもやられそうな状況をできるだけリアルに体験させるシュチュエーションを作ることで、体にはアドレナリンを、脳内にはドーパミンを溢れさせる。そのために日夜知恵を絞っているのだ。
これによって麻薬的な依存性を導くことは公然の秘密となっている。ゲームをやり続けると覚醒剤を打った人間の身体反応と同じようなことが起きるというからびっくりだ。

この問題がメディアに取り上げられないわけは、メディアはゲーム業界から莫大な広告宣伝費の恩恵を受けているから・・・・

きれる子どもとゲームの関係は以前から言われていたが、ここまでクリアに解説した書籍はなかったのでないか。是非、読んでみたい一冊だ。

心の傷手当迅速に「聴く」がもっとも効果的

2005年10月16日 | 気になるニュースなど
読売新聞より
1997年から「エンパワメント・センター」を設立し、子どもの虐待やDVなどをテーマにした研修活動をしている森田ゆりさんの4回の寄稿で、「できること」を伝える。
1回目
ニュース:育児ネット:教育 子育て : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

「こども←→おとな」【森田ゆりさん寄稿】私たちにできること[虐待防止](1)心の傷手当て迅速に 「聴く」が最も効果的

  「10歳の娘が同居している舅(しゅうと)から性虐待を受けていると訴えてきたとき、娘をしかりとばさないでほんとうによかった」と母親のAさんは言った。

「最初は『まさか!』『なんでそんな嘘(うそ)をつくの』と思って頭が真っ白になったけれど、それを言ってはいけない、まずは子どもの訴えにしっかり耳を傾けるように、と、前に講演会で聞いていたことが役に立ちました。でも、その後どうしていいかわからず、娘と2人で泣きました」

 虐待を受けている子どもの多くは、そのことを誰にも言えずにいる。特に加害者が身内の者である場合、子どもの訴えは『そんなこと信じられない』と無視されるか、しかられるかで、子どもは傷を一層深める。被害体験が子どものその後の人格形成にしばしば深刻な影響を及ぼすのは、この『誰にも言えない』現実に由来している。

 今から70年以上も前に、子ども虐待の心的外傷に正面から取り組んだ稀有(けう)な精神分析家、シャンドール・フェレンツィは、こう主張している。

 「一人でいること」がトラウマを形成する。「喜びと悲しみをわかちあい、伝えあうことのできるだれかが〈そこにいる〉ことが、心的外傷を癒す」(Sフェレンツィ著 森茂起訳「臨床日記」 みすず書房)

 道端で子どもが大けがをしていたら、たまたま通りかかった人でも、血を止める、傷口を水で洗うなどの手当てをし、必要があれば救急車を呼ぶ。なるべく早くに施されたちょっとしたこの応急手当てが、その後の回復を左右するほど重要であることはいうまでもない。

 虐待やいじめやその他の被害を受けた子どもは、身体の外傷の大小にかかわらず、大きな心の傷を負っている。身体の傷と同じように、心の傷もなるべく早くに手当てが施されなければならないのだが、心の傷は目に見えないために、気がついてもらえずに放置されていることが大半だ。

 「手当て」という日本語には深い叡智(えいち)がこめられている。たとえ消毒液がなくとも、最新の特効薬がなくとも、手を当ててもらうことで、傷ついた子どもの身体の回復は大きく促進される。「おなか痛い、手あてて。もっと下、そこ、そこ」と当ててもらった手のぬくもりを感じているうちに、痛みが消えてしまった記憶をわたしたちの多くが持っている。

 小さな子どもが転んだとき、わたしたちは「ちちんぷいぷいぷい」「いたいの いたいの お山のむこうに とんでいけー」といった言葉をかけながら手当てをする。このおまじないは実は大切な役割を果たしている。子どもの恐怖や不安や痛みに「こわいね」「いたいね」と共感し、「もうだいじょうぶだよ。こわいのはお山の向こうにとんでいっちゃうから」と安心と希望を持たせてあげることで、子どもの自己治癒力を活性化しているのだ。

 応急手当ての具体的な方法は「聴く」ことである。「どうした」「何があったの」と事実関係を「尋ねる」ではなく、うわのそらで「聞く」ではなく、あなたの耳と心を持って、相手の十四の気持ちを聴く。これは本来のこの漢字の由来ではないが、「聴く」という漢字はそう書いてあるように見える。相手のさまざまに乱れ、相反する、人に語ってもわかってはもらえないと思っている「十四」もの異なった気持ちを、分析するのではなく、同情するのでもなく、ただ「そうなんだ」「それはこわかったね」と共感して聴く。応急手当ての第一歩である。

 心の応急手当てのできる大人が500万人、1000万人と日本中に増えたなら、「誰にも言えない」子どもたちの生きる環境が変わる。わたしたち大人の一人一人が、子どもが「言える誰か」という環境になること、それが虐待防止の最も効果的な方法だと確信している。「聴く」ことは大人が子どもにあげることのできる最大の贈り物。


やりはじめないとやる気はでない

2005年07月11日 | 気になるニュースなど
今、「海馬 脳は疲れない」新潮文庫 を読み始めている。対談形式の内容だが、脳について、非常に興味深いことが書かれており、お薦めである。

中でも、勇気づけられたのが「30歳を過ぎてから頭はよくなる」ということ。
単純な記憶力という点では若い時期にはかなわないが、あらゆる発見やクリエイティブのもとである「あるものとあるものとのあいだにつながりを感じる能力」は30歳を超えた時から飛躍的に伸びるということだ。
最近、福祉の現場も経験よりも、マニュアル重視で、人が変わってもサービスの低下をしないようにという流れになっているが。どっこい、やはり年の功の存在価値もまだまだあるんじゃないかと勇気づけられたと勝手に解釈している。マニュアルだけ立派でも、実際に対人援助場面ではマニュアルが通用しないことのほうが多く、やはり過去の経験から(苦労したこと、失敗したことなど)判断することのほうが多いのだから。

また、「やる気」の生まれるメカニズムも紹介している。
「やる気」を生み出す場所は、脳の側坐核というところにあり、そこの神経細胞が活動すれば「やる気」がでるそうだ。刺激が与えられると活動する場所なので「やる気がない場合でも、やりはじめること」でやっているうちに側坐核が自己興奮してきて集中力が高まって気分が乗ってくるという。自分の経験上も、「そうだよな」と納得してしまった。
不規則な勤務のせいもあり、午後から出勤のときなどは、どうも朝からやる気がでなくて今日一日大丈夫かなあと感じることが度々ある。前の日に残していたちょっとした仕事や、これからの仕事の段取りなどをメモしたりしているうちに、少しずつやる気が出てくるというか「乗ってくる」というか気分が戦闘モードに切り替わっていくという感じを持っている。

「やる気がなくても、やることに意味がある」「やる気は後からついてくる」、子どもたちにも教えてやろうかな。

ほめる教育が子どもをつぶす?

2005年05月31日 | 気になるニュースなど
 施設にいる子どもたちは、自己肯定感情が低いとよく言われる。何事にも自信がないとも言われる。そのような子どもたちに対して、少しでも自信を持ってもらうことや自己肯定感情を高めてもらおうと、よい面を見つけながら言葉や態度で「ほめる」ということを繰り返してきた。
 この「ほめる」という行為を推進しているのは、何も施設だけではなく学校でも同じような方針のようであるが、「ほめるな」伊藤進著・講談社現代新書によると、意図的にほめるという行為は、子どもの自立心をはばむと論じている。
 ほめることに対して、そのマイナス面を深く考えたことがなかったので、「なるほど、そういう可能性もあるのか」とこれまでの自分の行為を振り返るよいきっかけとなった。
 著者は、意図的にほめるということではなく、まず子どもの話を聞こうと、「聞く」という技術についての大切さを説いている。この「聞く」「受け止める」という技術は対人援助技術の基本であるが実は大変難しいものだ。間違いなく、「ほめる」ことより難しい援助技術である。基本をおろそかにして、安易に「ほめる」ことでいい仕事をしていると思っていたかも・・・

 本のタイトルを見て、衝動買いをし一気に読んでみたが、「ほめる」「ほめない」といいうことよりも「教育の目的は自立の支援であること」「教育は聞く力であること」の基本をしっかり受け止める必要があることを感じた。




施設における事故について(3)損害賠償の実務

2005年04月07日 | 気になるニュースなど
1 行為と損害の確認をする
 行為の確定のため:行為者からの事情聴取、被害者からの事情聴取(これらは、聴取の時期、場所について配慮が必要)。目撃者からの事情聴取、物的証拠の保管、写真撮影(現場撮影)
 損害の確定のため:診断書をとる、物的証拠を保管する、写真撮影(被害品の撮影)
2 行為者の責任弁識能力の検討
3 故意、過失の検討
 予見可能性の有無(親権者、施設の長、職員のそれぞれの立場で予見可能性は異なるから、それぞれの予見可能性を個別に検討する)。
 結果回避可能性の有無
4 因果関係等で問題があれば、その検討
5 被害者の過失の検討
 損害が生じても損害発生につき被害者に過失がある場合には、過失相殺(民法722条)により、加害者側の損害賠償義務が一定限度減じられる。
6 加害者側の事前協議(親権者、施設の長、職員等)
 行為の確認、それぞれの過失についての見解の確認、責任割合の協議
7 被害者との示談協議
 私的自治の原則:示談の内容は示談当事者が納得すれば、違法な内容を含まない限りどのような内容でも有効である。
 過失(過失相殺を含む)についての見解は。はっきり述べる方がよい。

施設における事故について(2)不法行為の成立要件とは?

2005年04月03日 | 気になるニュースなど
民法上 ア故意又は過失による行為、イ権利侵害(損害)、ウ違法性、エ行為と損害との因果関係の4つが成立条件となる。
ア過失とは、注意義務違反である。これには、a)予見可能性を前提とした予見義務違反、b)結果回避可能性を前提とした結果回避義務違反である。
養護学校在学中の少年(9歳)が、校外学習の帰途、突然車道に飛び出して自動車にはねられて死亡した事件では、少年は校外学習に16回参加していたが、それまでに特に危険な行動がなかったこと、当日も特に変わった行動がなかったことなどから、職員の予見義務違反を否定する判決がでた(東京地判昭和60年2月14日)。
また、保育園児が園内で板きれを投げて、他の園児に負傷を負わせた事件では、平素から乱暴な振る舞いがある児童であり、保育園自体がその取扱いに苦慮していたほどであることから、本件加害行為を予想しえなかったことではないとして、職員の代理義務違反を肯定した(和歌山地裁昭和46年8月10日)。

施設における事故について (1)損害賠償の責任を負う者とは?

2005年04月02日 | 気になるニュースなど
施設現場においてもリスクマネジメントに取り組み、事故の未然防止に努めているが、もし、事故が起こった場合に損害賠償責任を負うことになる。先日、弁護士を講師に施設における事故についての学習会があった。

損害賠償の種類としては2つあり、ア契約上の債務不履行による損害賠償、イ不法行為に基づく損害賠償に分けられるが、主に施設現場で問題になるのはイの不法行為によるものである。
損害賠償の責任を負う者はa行為者本人、b監督義務者、c代理監督義務者である。

a行為者本人は、民法上は未成年者で「責任弁識能力」の無い者は賠償責任を負わないとされる。「責任弁識能力」とは、どういう責任があるかをわかる能力であり、11歳11ヶ月の少年に責任弁識能力を肯定する判決もあれば、12歳2ヶ月の少年についてそれを否定する判決もあるようだ。もちろん、精神の障害により「責任弁識能力」を欠く者は賠償責任を負わないとされる。
b監督義務者は、親権者、後見人、監護者、児童福祉施設の長とされる。監督義務者は行為者本人が行為責任を負わない場合に責任を負うことになるが11歳未満の児童の行為には当然として責任を負うことになる。ただし、未成年者が責任能力がある場合でも監督義務者の監督義務違反が認められれば不法行為責任を負うことになる。施設入所中の高校生が交通事故を起こした場合などは該当することもある。
c代理監督義務者は、例えば保育士や教員、施設の職員などが該当する。基本的には?の監督義務者と同様に考えてよいが、監督義務者(施設長など)が不法行為責任を問われることがなくても代理監督義務者(施設の職員など)が責任を問われることがある。なんでも上(施設長)が責任をとるものと思っていると、職員は痛い目に合うかもしれない。

私メッセージを使う、意見ことばを使う

2005年02月25日 | 気になるニュースなど
肯定的な表現を使う」
「気が小さいんじやなくて慎重なんだろう 」「謙虚に反省しているんだね
否定的な表現を使う
「気が小さいね。もつと気を大きく持て」「メソメソするんじやない 」

私メッセージ」を使う
「(私は)そのやりかたはすきだ 」「(私ほ)そのやり方たをやめてほしい」
あなたメッセージ」を使う
「(あなたの)そのやりかたはいい」「(あなたの)そのやりかたをやめなさい」

意見ことばを使う
「あなたは正しいと思う」「あなたの意見に私は賛成できない」
事実ことばを使う
「あなたは正しい」「あなたの意見は間違つている」

感謝し共感する 
「協力してくれてありがとう」「やる気があるので嬉しい」
賞賛し叱陀激励する
「よく働いてえらいね」「もっとがんばるんだよ」

勇気づけるメッセージ、くじくメッセージ

2005年02月19日 | 気になるニュースなど
『続アドラー心理学トーキングセミナー』野田俊作著より
勇気づけるメッセージ  1
貢献や協力に注自する
「あなたのおかげでとても助かつた」「 あなたが嬉しそうなので、私まで嬉しい」
勇気をくじくメッセージ 1
勝敗や能力に注目する
「あなたはほんとうに有能だ」「えらい,よくやつた」

勇気づけるメッセージ  2
過程を重視する
「努力したんだね」「失敗したけれど、一生懸命やったんだね」
勇気をくじくメッセージ 2
成果を重視する
「いい成績だ.私は満足だ」「 いくら頑張ったって,結果がこれではね」

心に傷を持つ子どもたちを相手にしているので、日頃から言葉には気を付けるようにしているつもりだけれど、「えらい、よくやった」が勇気をくじく言葉だとは・・・・・。言葉かけは日常のコミュニケーションそのものなので、もっと意識して使う必要があるなあ。続きは次回以降で。