



『安心して産みたい』ことは、諦めるしかないのでしょうか?

今次の子を授かりたいと考えていますが、そこがいつも混み合っていて、以前のような受診ができにくく、とても悲しい。


「本当の主役はお母さん」
助産所 ドゥーラえむあい 池上道子さん
10月29日の意見交換会でもそうであったように、どこの交換会でも話が産婦人科医師の不足や分娩施設の閉鎖の話となると、“医師が大変だから”とか、“病院の体制が”とか、“人員不足で”とか…。
産む側のことはそっちのけで医療者側の意見ばっかり!! そう思いませんか?
世の中まったくおかしなことになってます。
もう何年も前の話ですが、私の助産婦学校の先輩がアフリカで取り上げた子供が死産だった時、先輩はオイオイ声を出して泣いたそうです。そうしたら、お産をしたお母さんが、「助産婦さん泣かないで、赤ちゃんは又私のところにやってくるから大丈夫ョ」と言ってくれたそうです。今の日本では考えられない状態です。
いまの訴訟の状態を見ると、産婦に原因があろうが、経過に原因があろうが、原因が判明しない状態であろうが、なんでも訴訟なんですよね。なんでの医療者側の責任。保険屋もなんとかしてできるだけお金をとろうという感じです。コミュニケーションが十分に取れていて、問題がなさそうな状態でも、どこかから、何かを取ってやろうという人物が現れて大きな亀裂を作ってしまう。
医療者側から言わせると「こんなに親身になって診てあげたのに」ということになるのです。しかし、この裏にはずさんな医療があることは確かです。
現在はセカンドオピニオンが普通に受けられるのですから、自分で医療を選べるはずです。しかし、分娩について本当に始めから医療が必要なのでしょうか?よく勉強して、感じて、選んでください。
私は、安心の中から安全が生まれると信じています。
病院の分娩は、安全安全と連呼して、硬い器械・機械だらけの冷たい壁の中に産婦を閉じ込め身動きが取れないようにして不安に慄かせ、体内の酸素濃度を減少させ、反って危険にさらし、医療が必要になるように仕向けているように思えてならないのです。
リスクがあって、止むを得ない場合を除いては、自然が一番だと思いますが如何でしょう。訴訟を起こして保障してもらうことが、お母さんを助けることなのでしょうか…?
私がモットーしている『お母さんが元気になれば 地球は元気になれる』は、お母さんに心(精神的に)を強く生き抜く力を養ってあげれば、自ずと子育てに自信が持てて、子供の虐待もなくなり、そうした自信の中で育てられた子供は家庭内暴力なんて振るわなくなる。母が、肝っ玉母さんになったら、世の中のずるい(意地汚い)出来事が減るということです。だから私は、お母さんたちを温かい目で見守ってあげましょう。世話焼き婆さんになってうるさいことも言いましょう。いずれ、良かったと言ってもらえる日が来ると信じています。
あなたが主役よ!いつだって。お母さんしっかりして!!
それって、義務と、責任を伴うって事を忘れずに!権利だけでは生きていけませんョ!
さんばば婆ちゃん より



3人目の出産にあたり、気がかりなのは5歳の長男の事。お腹が目立ちはじめた頃から甘えん坊になった感じ



どうやら赤ちゃんがえりの一種みたいだ。
2人目(妹)の出産の時は、長男2歳。状況が良く分かってなかったし、毎日お母さんと一緒の時間を過ごしていたから赤ちゃんがえりは気にならなかった。(あったのかなぁ…?!


それでも口にしてしまう『そのぐらい出来るでしょ!』の言葉

出来る、出来ないじゃなくて、自分の事を見て欲しいという欲求の表れだって、頭では分かっているんだけどなぁ。反省の毎日です

でも、これだけは心掛けている

朝起きた時、保育園から帰ってきた時、寝る前にギューっと抱きしめる事。『何をするんだよぉ~







