長崎の秋の大祭「ながさき くんち」が昨日から始まりました。
7年に一度の各踊り町は、7年間のおくんち終了時から、今年の為に準備し
根引き衆(引き物を動かす若者)や踊り子、出演者一同は6月1日の小屋入りから
練習に明け暮れ、今年の奉納に備えます
読売新聞 長崎版です
18人の根曳(ねびき)衆によって勢いよく回される御朱印船。吉田一三さん(42)は、
その傍らで根曳を先導する「添(そえ)根曳」(4人)として3度目のくんちに臨む。
元々、くんちに良いイメージはなかった。仕事そっちのけで熱中する父
三男さん(2000年に56歳で死去)に疑問を感じたこともあった。しかし、
その父の強い勧めで前々回(1999年)のくんちに初めて参加した。
99年に任されたのは、根曳のうち、船の右舷後方を担当する「右9番」。
最初は「18人のうちの1人やろ」と、軽い気持ちだった。しかし、
実際に稽古に臨むと、次の動きを知らせる仲間の声はかき消され、
全体を指揮する長采(ながざい)も見えない。全員が息を合わせないと船はうまく回らないことも知った。
「俺のポジションやけん。恥かかせんなよ」。
稽古中、92年のくんちで右9番だった武田龍吉さん(58)から一喝されたことがあった。
「船の重さだけじゃないぞ」とも言われたが、その時は、その意味が分からなかった。
それでも、「気持ちと体で引き継がなければ」と改心。必死で稽古に励んだ。
本番初日の船回しを終えた後の爽快感、そして厳しかった武田さんから言われた「よくやったな」の一言。
気がつくと、父と同じ「くんちばか」になっていた。前回の2006年も同じ右9番を務めた。
今回、右9番をほかの仲間に譲り渡すことになり、「船の重さだけじゃない」の意味が分かった。
右9番の重み、誇りを自分が持っていたことが実感できた。
武田龍吉
7年に一度の各踊り町は、7年間のおくんち終了時から、今年の為に準備し
根引き衆(引き物を動かす若者)や踊り子、出演者一同は6月1日の小屋入りから
練習に明け暮れ、今年の奉納に備えます
読売新聞 長崎版です
18人の根曳(ねびき)衆によって勢いよく回される御朱印船。吉田一三さん(42)は、
その傍らで根曳を先導する「添(そえ)根曳」(4人)として3度目のくんちに臨む。
元々、くんちに良いイメージはなかった。仕事そっちのけで熱中する父
三男さん(2000年に56歳で死去)に疑問を感じたこともあった。しかし、
その父の強い勧めで前々回(1999年)のくんちに初めて参加した。
99年に任されたのは、根曳のうち、船の右舷後方を担当する「右9番」。
最初は「18人のうちの1人やろ」と、軽い気持ちだった。しかし、
実際に稽古に臨むと、次の動きを知らせる仲間の声はかき消され、
全体を指揮する長采(ながざい)も見えない。全員が息を合わせないと船はうまく回らないことも知った。
「俺のポジションやけん。恥かかせんなよ」。
稽古中、92年のくんちで右9番だった武田龍吉さん(58)から一喝されたことがあった。
「船の重さだけじゃないぞ」とも言われたが、その時は、その意味が分からなかった。
それでも、「気持ちと体で引き継がなければ」と改心。必死で稽古に励んだ。
本番初日の船回しを終えた後の爽快感、そして厳しかった武田さんから言われた「よくやったな」の一言。
気がつくと、父と同じ「くんちばか」になっていた。前回の2006年も同じ右9番を務めた。
今回、右9番をほかの仲間に譲り渡すことになり、「船の重さだけじゃない」の意味が分かった。
右9番の重み、誇りを自分が持っていたことが実感できた。
武田龍吉