crowkey’s ATSUSHIPERIENCE

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アーティスト≠ミュージシャン

2006-01-06 | ノンセクションの10
ぼくは若い頃、プロのギタリストにギターを習っていたことがある。
その先生に言われた言葉で今もよく覚えてるのは、
「アーティストとミュージシャンは同じようでいて、別のものなんやで。」
ということ。

その先生の定義はこうだ。

☆『アーティスト』
音楽を芸術の域にまで昇華させている人。多くのリスナーの支持を集める。
自らも歌えて、いろんな楽器をこなせる場合が多い。(ボーカリスト・プレイヤーも兼ねている)
作詞・作曲・編曲・プロデュースと総合的に作品に関わる。
印税収入で食える。

☆『ミュージシャン』
作詞・作曲よりも、人の作った曲を演奏することが主な仕事。
注文どおりに確実に演奏することが求められる。(コーラス・振付けなんかも含めて)
ギャラ収入。
『プレイヤー』『バンドマン』と同義語

と書いてみたけど、その言葉に対する意味の捉え方は人それぞれな気もする。
例えば、スタジオミュージシャンがレコーディングで演奏するにあたり、コード進行だけ渡されたが、コードのボイシング(ポジション)や細かいストロークの譜割りなんかは任されたり。
ソロはアドリブだったり。
オリジナルな音色やタイム感を持っているミュージシャンが重宝されたり。
こういう場合は作品にアーティスティックな貢献をしている。
(スティーリーダンのレコーディングにおけるスゴ腕ミュージシャンの起用みたいな)
バンドでもジャムセッションで曲ができる場合はメンバーそれぞれがアーティストだと言えるかもしれない。

その先生はこうも言っていた。

「誰でも死ぬほど努力をすればミュージシャンにはなれるかもしれない。」
「が、努力だけではアーティストにはなれない。(なれる人となれない人がいる)」
「技能は努力で身に付けられるが、センスは生まれつき決まっている部分が大きい。」

こんなことを聞いたら憤慨する人もいるかもしれない。
そもそも何をもって『アーティスト』とするか???
例えば、誰の支持も得られないまま自己満足だけで音世界を作っている『自称アーティスト』の人がいたらどうだろうか?人には分からないが自分だけが分かる魅力。
「センスなんて人それぞれ。」「音楽に良し悪しの基準なんて無い。」という一般論に従うならば、「すべての人がアーティストとしての可能性を持っている」とも言えるかもしれない。(リスナーに受け入れられる・受け入れられないは別の話として。)

ま、そういう〔言葉に対する意味の捉え方うんぬん〕はあるけれども、その先生が言う『アーティスト』と『ミュージシャン』のニュアンスの違いを当時のぼくはなんとなく理解したのだった。

そして暗に「キミはアーティストではなく、死ぬほどがんばって『ミュージシャン』を目指しなさい。」と言われていたのだと思う。