櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

瞬間の記憶

2007-10-19 | ダンスノート(からだ、くらし)
踊りのイメージは、どこからくるの?って、よく訊かれます。
人によってはアタマの想像だのコンセプトだのにもあるのでしょうし、いろんな憧れとかもあるんだと思いますが、僕にはどうもしっくりこない。まどろっこしいのです。
やはり決定的なのは「体験」なんだと、今日も稽古していて思いました。
それも、「瞬間の体験」。
気がついた時には行っていた行為の体験。たとえば、あっと驚いたり、感動のあまり身体が動いてたり。
花を見てガッと転んだとか、水に入ってたまらなく痒いとか、惚れた人を見てなぜか腹が減ったとか・・・。そんな、野蛮、理に合わないことが、瞬間カラダに入ってくる。考えたり、感じたりなんていうヒマもなく、ショックに近い感じで身体の体験が起こって、それが蓄積される。そのようなことが身体には山と積まれている感じがするのです。

それが稽古の中で、パソコンの検索のようにザクザクと抽出されては削除され、再び抽出され、あるいは組み合わされモンタージュされる。理に合わぬものに、身が(小宇宙が)触れ、振れ、震えて、なんだか新しいココロが生まれてくるような感じになってきます。(新しいココロが集まり、再び身を震わせて作品になる。)

むかし、映画を習ったせいでしょうか、稽古中の僕は、まるで編集機にかけられたフィルムになったようにも感じます。
踊りのイメージは、カラダに堆積・定着した、無数の瞬間の記憶から起こされてくるのかもしれません。
ダンサーの身体は、精密なカメラ同時にメディアのように訓練されてゆくのでしょう。

僕は、ルドルフ・シュタイナーという人がとても好きで、気がつくと目やカラダで読むクセがあるのですが(オイリュトミーというのが、踊ることで彼の考えを読むように出来ているのですが・・・)、その人が驚きや共感のパワーをとても大事にしているんです。それが僕らの力の源泉だ、とまで言っている。つまり、僕らは外部を受け入れる喜びを感じて、活き活きと成る。この考え方、とても好きです。

今、公演ひと月前ですから、新作メーキングのピーク。
自分で自分に振付け、ダメを出して練習させ、その傍らでまた新しいイメージを課してしまう。
カラダで驚いた、カラダで共感した。そのような、瞬間の記憶が、ダンスイメージのコンポジションにつながっています。
これは、手から流出して絵にもかけるし、鍵盤上で音楽にも成りうる、キーボードに向かえばこうやって奇妙なロゴスにも。
それをまた味わいながら肉を揺さぶって・・・。
なんとも、酔狂な作業だと思います。
ケガや不眠なども絶えないのですが、この創作のピークが、とても良い感じです。

11月ソロ公演

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