櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

オイリュトミー&ダンス「イノチ響くカラダ2011」感想など

2011-12-08 | レッスン・WSノート
去る11月23日に行なったクラスショーイング&オープンワークショップ「イノチ響くカラダ2011」の模様です!
グループレッスンから個人レッスンまで、ふだん別々に練習しているメンバーが集まり、さらに一般の方も交えての大きな稽古会です。
踊りを見ては一緒に踊り、また見て、さらに踊って。
身体の変化や踊りの発生を感じあい学び合うというコンセプトのなか、30名ちかくが一緒に踊りの場を形成しました。


まず立つ。

あらためて地を踏みしめる。
全身を意識して、凛と立つ姿は、それだけでひとりひとりの存在感を強めてゆく。
雑念を排して佇む姿は、やはり清く静かである。
踊りの稽古はいつもここから始まり、ここに集約される。




      
  
短期集中クラスによる「レクイエムのダンス」

多忙だが踊ってみたい、そんな方々が集中的な短期稽古に取り組んで生まれたのが、この舞踏景。
視線を交わす稽古から始まって毎回3時間余、みっちり各自が心身に向き合った。そして変化していった。
最後の稽古からこの会にかけて、一回一回の稽古体験を各自が急速にカタチへと凝縮、見事な勢いで着地した。
メンバーの方へ:感動したという声がいくつも届いています。ぜひまた集まって踊りましょうよ!



オイリュトミー。

言葉や音楽は心の響きだ。無心になってその響きを受けとめてゆくとき、カラダは次第に柔らかさへと向かい、風や炎のように空間を流動してゆく。
今回は谷川俊太郎さんの「生きる」全編、クロード・ドビュッシー作曲の「月の光」全曲。ともに長い作品に取り組んだ。毎週の稽古のなかで積み重ねられたエネルギーには確かさがあり、それゆえに柔らかく優しい舞がこぼれ出た。

  
  胸から指先までを柔らかな器にして・・・。

  これは母音「O=オ音」を受けとめる仕草の一番シンプルなもの。
※オイリュトミーは創案者ルドルフ・シュタイナーの直観した運動や造形や法則を習得しながら、音・言語・色彩・元素・図形などの潜在的な力学を身体に反映し舞踏化する客観芸術だ。教育や医療現場での利用でも知られるその練習は、注意力や集中力を高め、身体と脳の働きを活性化する

  
     
ダンス/舞踏クラス。

時間をかけて稽古した作品、日増しに大きくなってゆくフリームーブメンツ、表情のゆたかさ。
継続は力なり、ということがカタチとしてハッキリ見えた。そして、誠実に自分自身と向き合ってゆく姿が、身体をキラリと引き締める。同じ動きで踊っていても、ひとりひとりが個性を失わず、別々の動きを踊っていても、たがいの息を感じている。重い動きのなかでも軽さを、軽やかな動きにこそ強さを、etc、etc・・・。これぞ、ダンスならではの感覚だと思う。アンサンブル、即興、そして、ソロチャレンジ。ダンスを通じて、ひとりひとりの可能性を、どんどん開発してゆきたい。


全体でのフリーダンス。
心が動いた瞬間、身体は動きの必然を得る。身体の動きが感受されたとき、心の動きは確かな手応えを得る。
踊ることは自らの心と体の動きを信頼すること。刻一刻と変化する世界を受け入れ、自分自身も変革してゆくこと。みなさんの動きから、そんなこと、思いました。
最後には、声にならぬメッセージのようなものがひとりひとりの身体から発せられているようでした・・・。

今回、僕はインストラクションや進行をしながら、参加者ひとりひとりの存在感をとても強く感じました。
踊るということを通じて、何かをつかんでゆこうじゃないかという衝動が、ひとりひとりの動きからすごく伝わって、瞬間瞬間を大切にしてゆこうとする雰囲気が素晴らしかったです。
こうやって、自分自身に向き合ったり真剣に自由になってゆこうとする大人たちのすがた、子どもたちに見せたい!と思いました。
続けてゆかねば、と強く思っております。

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次回のクラスショーイングは
2014年8月10日
(日曜日)午後
杉並・久我山で開催です!
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