いい時間が流れた。もっと踊りたくもっと話したかった。
金曜夜のダンスクラス(コンテンポラリー/舞踏)はいつも時間がたつのが早く感じる。きょうは「インプロヴィゼーション」つまり即興で踊る稽古の日だった。イメージのひろがり、自由表現の楽しみ、身体の反応、集中とリラクゼーション、自己との向き合い方、なんて列挙すればきりがない。言葉に説明することが表面的に感じてしまう、ダンスならではの「踊るべくして踊る」稽古がインプロヴィゼーション。僕はこれがこのうえなく大切なことに感じている。
レッスン中、僕はピアノ演奏をしながら声をかけたり動きの提案をしたりするが、次第に声がけの言葉とピアノ演奏の境目はなくなってゆく。音で、グルーヴで、ダイナミクスで踊る人と関わる。そしてすこし休みつつ踊りについて皆で話すのだけど、踊りの話は当然のように様々な話に関連し膨らんでゆく。音楽のこと、暮らしのこと、哲学や歴史もたびたび話題にからむ。そしてまた踊る。
最初は、ひとり、またひとり、と稽古場に来て、アップをしながらあれこれ話す。前回の稽古について、さいきん観たり読んだりという何かについて、気になっていることについて、、、。そしていつしか稽古になって踊りに踊る。
ちいさなことが大きなことに広がってゆく。日常のことが芸術のことに膨らんでゆく。ワタクシのことが人間のことに関わってゆく。ふとした気分が音楽とシンクロして膨らんで、カラダが揺れうごきジャンプとか回転になっていたりする。大切なことは、言葉になんかならないのかもしれない。
なにげない今日このひと時が、ダンスに変換されてゆく、それは、なんとも貴重な一瞬だったりする。理想の身体が踊るわけではない。いまここにある身体が、いまほんの少し、おそるおそるおどる。それが始まりなのだ。なにかの始まりが踊りなのだ。そんなことを、ふと思う。
きょうは深く踊れた。きょうは軽やかに踊れた。きょうは動けたが踊れなかった。きょうはちっとも動けなかったがなぜか踊れた心地がする。きょうは、きょうは、きょうは、、、。踊りはいつも「きょう」に関わっているのだろう。
踊りが関わるものは人間が関わる全て。それゆえにキリがないが、キリがないから面白く、話し尽きない。そしてまた踊り、踊るうち気付けばもう時間。毎週、惜しむように稽古を終えてまた来週と帰路に着く。
あす土曜日は基本稽古の日。これは僕自身にとってもうれしい重要な稽古で勉強日です。
1時からの「レギュラークラス」はダンス表現の基本を、3時からの「基礎オープンクラス」では僕も一緒に動いて身体操作の基本とダンス感覚の開発を丁寧にやる。ストレッチ、筋トレ、リズムやウォーキング、そしてシンプルな振りでクロスフロア。程よい発汗とメンテナンス。そして活力の保持。基礎の基礎というのは本当にずっと飽きない。楽しみにしています!
lesson 櫻井郁也ダンスクラス、オイリュトミークラス
stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報