夏に上演した『血の言葉(Ur-Speak)』のなかにショパンの第2ソナタを踊るシーンがあった。振付も実演も非常に苦労した難しいシーンだった。
18年前にアンサンブル作品で同じ曲をダンスにして以来、ソロでの踊り方がないものかと温めていたが、今回のソロ作品ではより難しく音の深さの果てしなさを感じた。
演奏の難易度も高い曲だが、舞踊化するとなると、肉体を音楽に溶かし込んでゆくことにかなりの時間と労力が必要だった。ショパンを踊れるよう身体を改造するのは、やはりハードルが高いが作業を挫けなかったのはその音楽の霊性ゆえだと思う。
フレデリック・ショパンという作曲家は、僕のダンスにかなり重大な影響を与えた一人で、公演でも稽古でもクラスレッスンでも数えられないほどの回数を関わってきたが、今回の作品で、あらためて音楽センスと身体センスは不可分であるということを思い知る機会を得た。
きのう10/17はショパンの命日で、今日は(日本時間だと夜中の日変わり頃か)いよいよショパコンのファイナルが始まるから、ちょっと、ソワソワしてしまう。
ショパンコンクールは5年に一回の大コンクールだが、この第18回はコロナのせいで延期されていたこともあり、どうにも気になってインターネットでの生配信を視聴し続けてきた。何人も何人も、次々に展開される熱演の数々で、浴びるようにショパンを聴き倒すことになる。様々な国から様々なハードルを越えてきた人ばかり、聴きごたえはハンパではない。
驚き、感心し、興奮し、胸打たれ、ということが延々と続く中から、心地よい疲労に襲われるのだけど、そのなかで、やはりショパンがこの世に生み出した音楽の切実さと、その根底に沸々とする「念」を、あらためて発見した感じがとてもある。
音を学び覚え練習して身につけ、何度も何度も演奏する、という行為が、人間の心を探す行為に重なる。これはダンスを踊ることにも共通する。
今回はアルゲリッチとフレイレが審査員を降板した代わりにブラジル出身のアルトゥール・モレイラ・リマが審査員に加わったことも特徴と聞くが、その12名のファイナリストに、日本の反田恭平さんと小林愛実さんが入ったのは凄いことだと思う。
3次審査での小林さんの演奏では拍手が長く鳴り止まなかったが、あの気迫と叙情には非常に人間的なものを感じて胸が熱くなった。反田さんの演奏には相当な説得力を感じたばかりでなく、その響きからは、まさに新しい風を感じた。
「唯一人の作曲家」をめぐって世界中から若い音楽家が集い切磋琢磨し演奏を競う。それは、音楽を通じて「一人の人間」をどれだけ深く掘り下げて理解し、人間と人間との理解力を追求してゆくかということだと思う。このコンクールが存在して長く継続されている意義は計り知れない。
どのような展開になるのか、興奮して落ち着かない。
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