櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

断想07/05(物質の方向に)

2023-07-05 | ダンスノート(からだ、くらし)

 

photo=Sakurai Ikuyta dance solo ©️CROSS-SECTION

 

集中すればするほど、踊りは、ただただひたすら裸である時空に私を突き放してゆくのかもしれない。踊りのなかで、主体を消されて客体に成ってゆくとでも言うか、物質の方向に少しずつズレてゆくというか、なかなか上手く言いようのない経験を何度かした憶えがあるのだけれど、最近このことに興味を持っている。あれは何の現象だったのか、何が原因であんな風に感じたのか、、、。(notes 2023)

 

 

 

 

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス :ご案内 

コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。

拠点は東京・荻窪。

各曜日のレッスン内容や参加方法など、上記クリックしてください。

 

Stage. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

櫻井郁也によるダンス公演の情報や記録を公開しております。

作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉の相と(オイリュトミー断想)

2023-06-09 | ダンスノート(からだ、くらし)

いま進めている新作と直接の関係が起こるかどうかはまるでわからないが、ひとり稽古のなかで、尊敬するひとの小説を少し踊った。そしてその柔らかな響きと、その奥にあるシンとした涼しさをあらためて愉しんだ。

このひとの言葉にだいぶ長く親しんできたが、踊ることで少しでも読み進めようとすると、目で読んでもわからないことが、やはり味わえる。覚え呟くだけでも目読とは違ってくる。記憶し、声にだし、さらに踊る、となるともっと違ってくる。言葉というものは、やはり分厚い。そう思う。

言葉を考える、言葉を書く、言う、話す、語る。それぞれ言葉の味わいが違う。

自分自身のことでも、レッスンで出せる言葉と、このブログに直接書き込む言葉と、ひとりつけているノートに書く言葉と、ひとり稽古のなかで出てくる言葉と、それぞれやはり違う次元が広がっている。やはり言葉というものには、手によってこそ活かされてゆく側面や、息によってこそ活かされてゆく側面が、それぞれあるのだろうか。

書かれた言葉を目で読むのではなく声に出して読んでいるだけでも言葉の相は変わってゆくし、誰かが読んでくれたりすると、さらに言葉は広く深くなってゆく。

肉体の奥に隠されている言葉や、魂の内海にあそぶ言葉のない言葉をも、となれば、もっと広がってゆく。それぞれの次元の差異は、振り返ってみると非常に面白い。広がりの彼方に、深まりの底なき底に、何があるのか。

そういうことに敏感になったのは、やはり現代ダンスと並行してオイリュトミーをやってきたからなのかしらと、たまに思う。

オイリュトミーはきちんと聴くということから始まる舞踊だ。言語の音声や音楽の楽音をエネルギーと捉え、法則性を持った全身運動で可視化する。踊る、ということと、聴く、ということ、そして解析する、ということが、結び付き、アウフヘーベンされて、時空に刻印されてゆく。ひたすら聴くことから、感受してゆくことから、生まれてくるモーションやタイムやスペースがあるのだ。

自分の気持ちを他人に表すためのメソッドではなく、他人の気持ちを聴きとり味わおうとするためのメソッド、それを基盤に表象され変化変容してゆこうとする踊り。このオイリュトミー(Eu+Rhythmos/ῥυθμός)なるものを起草したR.シュタイナーは認識についての考えを極めた人だが、認識は革命に通じてゆくのかと連想させられるような凄みを、その思想はもっている。関わりつつ、世界の革命を謳う前に自己自身を革命すべきではないか、己の世界をこそ変え続け刷新してゆこうとすべきではないか、という思いも湧いた。シュタイナーの感性をまるごと反映しているのがこの舞踊方法と僕は思い、ダンスと並行してオイリュトミーを稽古し続けてきた。そしてこの踊りを通じて様々な人と出会った。もう40年経つから、僕のダンス作品ダンス公演ダンスレッスンにも、少しくらいは影響し始めていると嬉しいが、、、。

踊ることによって何かを主張するのではなく、踊ることによって何かを受容し理解しようとする。表現のための踊りでなく、受容のための踊り。これは非常に未来的な気がしてきたのである。幾分ヘーゲルくさいかもしれないが、相互受容への道筋を探る行為として踊りというものが古来あったのではないかなあと思うことも、あった。

心も体も澄まして言葉や音楽に触れそして揺振し、響きを心身の奥深くまで入れてゆこうとする。

踊りによって自己の内面を表出するだけではなく、踊ることによって他者が発する響きに参入し理解しようとする。響きの受容によって「ひと」を全身全霊で想像し認識しようとしてゆく。

未来において最も深刻に要請されるのは理解や認識であるのではないかという予感を、この踊りは孕んでいる。僕はそう思う。

自分を表現することも大切なのだが、自分の外のどこかに表れている何かを積極的に汲み取ろうとしたり、他者の声を積極的に感じ取ろうとしたりすることが、もっと大事になってくる未来というものが「やがて来る」という予感を僕はこの踊りを稽古するたび、抱く。抱きながら踊り、踊りながら、私たちの未来は理解をめぐる時代になるのではないか、ならざるを得ないのでは、、、、など、妄想する。

 

 

 

 

 

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス :ご案内 

コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。

拠点は東京・荻窪。

各曜日のレッスン内容や参加方法など、上記クリックしてください。

 

Stage. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

櫻井郁也によるダンス公演の情報や記録を公開しております。

作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断想4/22

2023-04-22 | ダンスノート(からだ、くらし)

踊ることで支えられているような、、、

この感触が想像や創造に結びつくかどうかはわからないが、踊ることで心に何かが始まり続けるのは確かで、ゆえに踊るという行為は実に古くからあるという考えも本当なのだろうと思えてくる。

踊りは原始的なほどに古い習わしらしいが、それはやはり元よりヒトの体は感情と環境と一緒にあったということなのだろう。

僕にとってはイマ目の前の出来事や予感や、あるいはさまざまな気持ちの揺れ動きが踊りの種になったり、そのようななかで、少なくとも、動きが踊りになってゆく体験のなかでは知覚や呼吸が繊細になるようだし、それとともに内界にも広さや深さが少し変わってくるみたいで、そこに何かチカラが湧くのも確かなのでは、などと、最近あらためて思う。(櫻井郁也・稽古記録より)

 

 

 

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス :ご案内 

コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。

拠点は東京・荻窪。

各曜日のレッスン内容や参加方法など、上記クリックしてください。

 

Stage. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

櫻井郁也によるダンス公演の情報や記録を公開しております。

作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断想2/26:夕べにすべてを

2023-02-26 | ダンスノート(からだ、くらし)

 

構想中の次作を手探りするように稽古しながら、きょう、という一日、について思い巡らずに、やはり、いられず。この日この東京で、かつて何があって、いま何が、あるのか。と。

動き、途絶え、また動き、そのうち、脈絡なしに、「夕べにすべてを見届ける」というベートーヴェンの言葉を連想した。なぜか、、、。

そのことばの美しさに打たれつつ、また止まる。そして、このいまの夕べに、「夜」が来るその前に、僕らは何ができるのだろうか、と、やはり考える。

考え、また踊る、踊りつつ、ベートーヴェンのいくつかのスコアが頭に浮かんで消え、踊る体の内部でそれらは混沌してゆく。体液になって蒸発する。

ベートーヴェンの音は人を励まし哀しみ、ときに瞑想の深海に、誘う。たとえば永遠に繰り返される三連符で、あるいは爆発を誘う喇叭で、あるいは気が遠くなるほど長い太鼓のトレモロで、そして急速な興奮を誘う弦のダイナミクスで、ベートヴェンは激しく心を叩く。つまり、何かを問う、何かを促す。そして、音楽は革命的瞬間の連続なのだ、ということを教えてくれる。そのように思う。

きょうのような日に、なぜこの作曲家の音符が頭の中で鳴ったのか。構想中の次作と何かの関係があるのか無いのか。

 

 

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス :ご案内 

コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。

各曜日のレッスン内容や参加方法など、上記クリックしてください。

 

Stage. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

櫻井郁也によるダンス公演の情報や記録を公開しております。

作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断想2/16 : 足音と花〜カルロス・サウラ監督へ

2023-02-17 | ダンスノート(からだ、くらし)

新幹線の車内ニュースでカルロス・サウラさんの訃報を知った。血の婚礼にせよカルメンにせよ、それらは足音と運命を、あるいは地霊と肉を、結びつけるドラマなのかと思うのだが、その登場者や彼らの身体の有様を、まるで咲き誇っては散ってゆく花のように気高く哀しく感じたことがある。あの経験は、やはりこの人のフィルムなしに得ることが出来たかどうか、、、そう思う。サウラ監督の作品に出会っていなければ、クリスティナ・オヨスのあの狂おしい舞を知ることもなかったかもしれない。この人はフィルムを通じてダンスが最もダンスである瞬間を若い頃の僕に見せてくれたのだから、つまり、恩人とも思えて、何か特別な感情が胸をしめつけてくる。謝意を、、、。

 

 

 

 

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス :ご案内 

コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。

拠点は東京・荻窪。

各曜日のレッスン内容や参加方法など、上記クリックしてください。

 

Stage. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

櫻井郁也によるダンス公演の情報や記録を公開しております。

作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断想2/06:新作を構想しつつ思い出すこと

2023-02-06 | ダンスノート(からだ、くらし)
 
 
 

身体は言葉を呼び、

言葉は身体を育む。

身体は言葉によって変化し、

言葉は身体によって世界につながってゆく。

 

そのような実感がある。なぜそんなことを、、、。

と、新たな作品構想を進めながら、思う。

 

写真は2012年に鎌倉小学校で行った公演の稽古風景で、上記のような感覚をいだくようになったキッカケの一つが、この公演にあったかもしれないと振り返る。

『コドモのりょうぶん〜The Child's Territory』と題したこの公演は、いま思えば、東日本大震災をきっかけに連続創作した4つの作品(「TABULA RASA 20112011年7月・東京)」、「かつてなき、結晶 - 3.11/SILENT(2012年3月・東京)」、「むすび ・天地礼讃内景(2012年8月・越後妻有アートトリエンナーレ)「Hakobune:方舟(2012年10月・ルクセンブルク)を通じて出てきた、ダンスというものに対する僕なりの考えや思いを、小学生のための公演、という企画をお受けすることで、ある意味ハッキリと自覚する機会にもなっていたかもしれない。

この時の音楽(作曲・演奏=寒川晶子)は、全ての鍵盤がド音に特殊調律されたピアノによって演奏されるというものになり、舞台美術(美術=西川昌和)は、観客でもある小学生たちに書いてもらった文字が会場を埋め尽くし、そこに雨が降り注ぎ、文字が洗い流されて消えてゆく、というものになった。

あのなかで、いかなる思索や想いが実現され、かつ、実現され得なかったのか、何を見つめ、何を見つめ得なかったのか、あそこから、何が燃え続けているのか。いま、気になる。いま、次作を進めるなか、再考すべきかと思う過去作がいくつかある、そのひとつでもある。

新作を構想する時間は過去反芻の時間でもある。 

〈関連記事〉
 
 
 
 
 
コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー
からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。
各曜日のレッスン内容や参加方法など、上記クリックしてください。
 
櫻井郁也によるダンス公演の情報や記録を公開しております。
作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。
 
 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断想:学生さんたちと

2023-01-28 | ダンスノート(からだ、くらし)

バタバタするうち、もう一週間以上経ってしまったが、長く関わっているダンス学校で3年ぶりに有観客の卒業公演(渋谷公会堂)が実現され、舞踊監修と演出面でお手伝いをさせていただいた。

僕自身の運営する稽古はどのクラスも少人数で個と個の関わりから生まれる踊りを目指しているが、この学校では100人単位の指導や演出を担当してきた。対照的ながら、積み重ねてきた指導経験の相互作用はあると思う。

公演では、コンテンポラリーダンスはもちろん、ストリート、ジャズ、クラシックバレエ、ほぼ全領域にまたがる演目で16歳から20歳が踊ったが、相当なエネルギーが発散され、胸を突かれた。

こないだ書いた土方さんのことを何回か話してもいた。危機に立つ身体という言葉があったが、このごろ、若い身体に、それを連想させられることが時々ある。踊りの奥に、何か剃刀のようなものがある人に、時々出会う。

最も多感な時期に震災を見てパンデミックのなかで成人を迎えてゆく世代。がんばる、ちゃんとする、そんな言葉をよく口にする。いろんな面で複雑な心情を背負っている気配を普段から感じてきたが、彼らの表現にとってそれは決してマイナスではないことを見せられた。初めてナマの観客に囲まれ、緊張し、集中し、目前の人と対峙する姿が、実に必死かつ粛々としていた。

僕個人のソロ公演は、様々なご協力や縁があって2001年夏に再開することができた。しかし、こちらの学校公演では、かなり多数の出演者とスタッフが関わるので、無観客公演が続き、公演以前の稽古運営もなかなか大変だった。この状況でこそ得られた学びもあったが、状況が長く過酷は否めなかった。

久々の正常開催で、人が人前で踊ること行為すること交感することの重要さを、人が人と同じ時と空間を共にし向き合うことの重大さを、たしかめた。

 

 

 

 

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス :ご案内 

コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。

各曜日のレッスン内容や参加方法など、上記クリックしてください。

 

Stage. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

櫻井郁也によるダンス公演の情報や記録を公開しております。

作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断想:土方巽さんの命日に

2023-01-23 | ダンスノート(からだ、くらし)

週末1月21日は、土方巽さんの命日だった。

今年は稽古をつけさせていただいたあと、縁ある人の公演におじゃました。だから一日踊りを見るということで過ごすことができた。昼の稽古は〈振付・創作クラス〉と〈基礎クラス〉で、いづれも踊る身体と日常身体の相のちがいを強く感じさせられる稽古だった。踊りで振付をもらうというのは人がとても大事にしているものをもらうのだから、これは本当に踊り独自の文化だと思うのだが、この日の振付・創作クラスではいま手がけている景のおさらいをしたあと振付を味わい楽しむことと即興との深い関係について話を交わし、そのあと基礎クラスでは、さらに具体的に身体の動きを誘発してゆくための体の立ち上げ方や力加減を稽古したが、対話としても日本人の体ということや身体やダンスに対する捉え方について話が及んで、かなり重要な日になったと思う。参加の方々もこの日がどういう日なのかはご存知と思ったから、土方さんの話題はあえて出さなかったけれど、やはり自然に、この日ならではの言葉が体から出てきたのだと思えてならなかった。また、夕方に観に行った舞台というのが正確な重さに満ちていて非常に考えさせられるものだったし、たまたまお会いできた方々も沢山いられたこともあり、帰宅後は慈悲心鳥のあの少し張ったような声を思い出しながら、古い本をパラパラとめくり眺めて飲酒した。

土方さんといえば舞踏ということなのだが、僕にとっての「ひじかたたつみ」という人は、劇場・舞台というものを思い知らせてくれた人でもある。踊りの場所、つまり、「ひとの前に立つ」「ひとを見つめる」という文化を創始した古人は本当に偉大だと思うようになった大きなキッカケは、この人の公演だったのだ、と今リアルに思う。そして同時に今リアルに感じていることが、このコロナ禍のえげつなさのなかで、ようやく少しづつ劇と踊りの回復を探り始めながら、やはり、人が人の前に立つ、生身の観客が生身の演者を受け止める、ということは素晴らしいことなのだという感情の再燃である。観る、という言葉のほかに、立ち会う、という言葉があるが、これも受け止めなおしたい言葉だ。舞台芸術は、まず人がそこに居る、という大前提から始まる。聖書外典のひとつに、真を知りたくば劇場に行け、という文言があったことを思い出す。

人と人の交響が生み出す瞬間を、その凄さを、やはり思う。

 

 

 

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス :ご案内 

コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。

各曜日のレッスン内容や参加方法など、上記クリックしてください。

 

Stage. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

櫻井郁也によるダンス公演の情報や記録を公開しております。

作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断想1/10:繰り返しつつ始まる(例えばベートーヴェンから)

2023-01-10 | ダンスノート(からだ、くらし)

クラスの前にようやく自分の稽古はじめを行い、反芻中の前作ソロの返し稽古に加えてベートーヴェンのクロイツェルをさらった。

上はクラスレッスンでもたびたび踊ってもらっている曲でもあるけど、これを踊っておかなければと思ったのは、構想中の新しい作品にも無意識のどこかで関わっているのかもしれないと思うからだった。そういえば年末に第九を何度もきいた。どちらも、聴いても聴いても刺さり、ズキズキする。二曲いづれも舞台で踊ることはまだ出来ていないが、いったい何年くらい聴き続けてきたのだろう、もはや一生聴き続けるかもしれない、とか、思ってしまう。

同じ音楽を、何度も、何歳になっても、聴き続けることができるのは素敵だと思う。何歳になっても聴き続けることが出来る音楽を生み出せるというのは、もっと素敵なことだと思う。そのような曲をいくつも産んだベートーヴェンはやはり、とてつもない。

踊るとき、なぜか音楽は知らない猛獣みたいだと思う。舞台で踊った音楽は結構あっても、どの曲も、もういいかなと思ったことがなくて、次にこの曲を踊るときはああしたいこうしたいと妄想してしまう。例えばベートヴェンの場合でも、昔々オケにいたころ初めて演奏したのは6番だったということに始まり、ずいぶん色んな機会にさまざまな曲が出現したが、曲から髪を鷲掴みにされたような思いが何度も湧いて、いったいこの作曲家は何者なのだろう、と、いつも思えてきた。

僕が興味を持ってしまうひとつには反復性ということもあるかもしれない。繰り返すこと。これは僕のダンスにもどこか重なる気がする。常に新しくあることは常に異なってゆくことではなく、繰り返しをいかに生き活かすことができるかという反復にこそ新しさが宿るのではないかと、僕は考えている。ベートーヴェンの音楽の中では、いつだって何かが繰り返される。何かが繰り返されながら、繰り返されることによって、熱を帯び力を蓄え光を放ってゆく、そんな感じがする。確かに感じる。

繰り返す、ということ。これは、僕にとって、生活的にも舞踊的にも創作的にも、とても必要なことだったりする。同じ本を読み続けたり、同じ人と話し続けたり、同じ場所に行き続けたり、そういうところから、僕の場合は、踊りが出てくる元があるのではないかという気もする。「繰り返す」という行為には、人間にとって根源的な重要さがあるのではないか、と僕は思っている。繰り返すことによって、自分では気づかないほど少しづつ認識力や生命力が宿ってゆく。ダンスを通じて、そう感じてきた。

同じことを何度もやるのはつまらないと言う人も沢山いるが、僕は同じことを繰り返し続けてきた。同じことを繰り返すことからこそ、何かを開発することが出来ると思っている。また、繰り返しが出来る人を立派だと僕は、感じている、感じてきた。

「繰り返す」ということから、稽古や練習に関わる「り、はーす」という言葉も連想する。reは反復、hearsは鋤で耕す、ということだから、リハーサルというのは繰り返し耕すという意味なのだろう。そこに現れているように、「踊る」というのは、繰り返し動き、ながら、すなわち、身体を耕すことだったりもする、そんな気がしてならない。踵や指先や心臓や背中から、膨大なものが脳味噌に流れ込んでくる。繰り返し動き、繰り返し感じ、という、そのようなことからこそ、何か、始まりの種子が育ってゆく。そんな気がしてならない。

「繰り返し」動き、「繰り返し」感じ、「繰り返し」歌い、「繰り返し」語り、「繰り返し」泣き、「繰り返し」苦しみ、「繰り返し」味わい、、、。

「繰り返し」は身体を存在を耕してゆく。何かを繰り返すことからこそ何かを生む土になってゆく。もしかして、すべてはそこからなのではないか。

と、いまおぼろげに、おもう。

 

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス :ご案内 

コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。

各曜日のレッスン内容や参加方法など、上記クリックしてください。

 

Stage. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

櫻井郁也によるダンス公演の情報や記録を公開しております。

作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断章1/04:「いれかわってゆく」瞬間

2023-01-04 | ダンスノート(からだ、くらし)

受け容れる、

ということから

踊りは始まるのだろう、

なんて、今更またしきりに思う。

伝えようとする前に何を受け止めたか受け止め得たかということがないと、踊る、ということ自体が始まらない気がして、ならない。

現実のことでも夢でも予感でも何かしらが、訪れて、それを全面的に、感覚し感受する、ということが、肉体を振る、のではないかという感触があって仕方がない。

これという出来事とか原因があったわけではないのだけれど、ある日の稽古を境に、ずんと思うようになった、冬の気配がする頃だったが今年の新作公演を事後検証するための稽古を何度か繰り返していた。

上演が終わった作品を稽古することは次作への結構大事な作業なのだけれど、それと同時に、ちょっとした痛みにつきあっていた。

体の痛みや心の痛みは、いろんなことに敏感になるのか、やはりある種の回路を作り出すのかもしれないし、作品反芻と同時に、体を反芻するというか、舞踏体というもの自体を経験しなおそうとしていたのかもしれない。

踊り、というのがなぜかくも抑えがたいものなのか、、、。

踊り、というのは表現でもあるが、表出でもあるんだと思う。意図的な行動でもあるが、抑えがたい衝動から出てくる純粋行動でもある、そう思う。

言い換えれば、それは意識と無意識の同時シンクロであるし、何かの訪れによって自分の奥のほうが波立ち、肉体が何かを受け容れて別の存在感に変容してゆく、ということだ。

これは、一種の存在の「旅」なのではないか、とも思う。

ワタクシというものが

ふとマッシロくなって

「いれかわってゆく」瞬間、、、

そのようなことを作品とか舞台に反映することができるには、どれくらい時間がかかるか分からないが、やはり、これは課題と思えて仕方がない。

そんなことを思いつつ新年の数日を送る。胸のなかが、ざわざわする。

 

 

 

___________________________

lesson 櫻井郁也ダンスクラス :ご案内 

コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。

各曜日のレッスン内容や参加方法など、上記クリックしてください。

 

Stage. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

櫻井郁也によるダンス公演の情報や記録を公開しております。

作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断想12/01(ことばのこと)

2022-12-01 | ダンスノート(からだ、くらし)

久々に読んだ本があった。一語一語が腹の底にどすんと落下してくるようで、こんなに強い言葉たちがこの一冊の中に封じられていたのかと溜息をついた。それらの言葉に、言葉の余韻に、身体を内部からひっくる返されるようでもあった。

変な言い方かもしれないけど、言葉のひとつひとつに体重があるのではないか、と、たまに思う。言葉は響きとともに空間を生み出すが、言葉には色彩や光や音が宿ってあり、それらが、その言葉の体重を生み出しているのではないかと思ったりもする。

言葉を巡って踊っているときは、言葉を受けとめたり、言葉に受けとめてもらったり、している。そんななかで、次第に言葉にも体重があるように感じるようになってきたのかもしれない。

音楽に身を揺すられるのもいいが、言葉と身体の関係には、また特別な感じがある。

初めて言葉を聴いたときの記憶や、初めて言葉を喋り得たときの記憶は、生きてるうちにどこかに消えたが、言葉を巡って踊っているときは、それらを思い出しているような感覚になることがある。

 

 

 

 

_______________________________

Stage. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

ダンス公演の情報や記録を公開しております。

作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス :募集情報 

コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。

内容や参加方法など、上記クリックしてください。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断想11/20 (至近稽古記より)

2022-11-21 | ダンスノート(からだ、くらし)

 

稽古しているときの面白さのひとつに、身体と自我との関係にハサミを入れるという感覚がある。

踊りによってものごとの認識が少し変わってゆくという現象もある気がする。舞台稽古など極端な集中力が必要なものでは、稽古によって細胞が入れ替わっているのだろうかと勘違いをすることもある。

肉や血は祖先から繋がっているのは勿論だが、人体の大部分は自分以外のもので出来ているのだと思う。それが、踊っていると非常にハッキリしてくるのだ。

体が思うように動かせるように稽古するというのもあるのだが、こうしたいああしたいということが出来ても特に面白くなくて、むしろ、思うようには動かないということを感じとることから、色々な疑問や感触や面白さというものを味わうことが圧倒的に多い。

病気の声や怪我の声や年齢の声もあるし、食った物の声や読んだり聞いたりした言葉の声や、耳から忍び込んできた音楽の声や街の人々や物質の声が、ギシギシと肉体の奥から、何か自我に何か喧嘩を売ってくるみたいでもある。そのような内的闘争感というか調和が壊れる、そういうところから作品が生まれてくる感じが、やはり強い。

僕にとって身体というのは、矛盾みたいなもので、ちょっと怖い気もする。矛盾は現実の証なのではないか、というようなことをシモーヌ・ヴェーユは書いていたように覚えているが、僕はその言葉に若干頷く。

 

 

 

_______________________________

Stage. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

ダンス公演の情報や記録を公開しております。

作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス :募集情報 

コンテンポラリー・舞踏・オイリュトミー

からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。

内容や参加方法など、上記クリックしてください。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断想11/12

2022-11-12 | ダンスノート(からだ、くらし)

 

肉体とともに、刻一刻と何かが盛衰しているのだろう。

形の無い生命かもしれない。

(櫻井郁也ダンスソロ『やがて、、、(タトエバ切ラレタ髪ノ時間ト)』創作ノートより)

 

前作反芻を進めつつ次への身体を探っていて、時折思い直すひとつがこれ。漠然とした言葉だが、これをメモしたときの感覚は比較的いまも新鮮だから次作にもどこかで繋がってゆくかもしれない。

似ているものの一つには、肉体の場所や時間に関わる認識があると思うが、これは観賞する場合にもたびたびあって共有しやすいかもしれない。

踊っているときでなくとも、別の肉体が踊っているのを眺めているときでも、ごくまれに、場所の認識や時間の感覚が変化することがあって、これはやはり印象に残る。

場面が見えてくるのは当たり前だが、それとは別に、何と言えばいいのか、代わりが無い場所、代わりが無い時間、とでも言うようなものが出現して、さまざまな物事に無常さとか名残惜しさを感じることがあるのだ。

視覚が捉えている物理は同じでも、その大事さが急速に変化するというのかしら。肉体がしっかり生かされていると、場所や時間も生きていることが、分かってくるのかもしれないし、それと共に、刻一刻の儚さが際立って体感されてくるのかもしれない。

かと思えば、ふと場所が消えたり、時間が停止したまま動かなくなってしまったように、感じることもある。特別な集中力が出た時に限ってだが、これは、深く真っ暗な所のような、少し怖しいような感覚でもある。

肉体が纏っている場所や時間が移ろいゆくような働きが、もしかすると、踊りにはあるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

_______________________________

Stage. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

ダンス公演の情報や記録を公開しております。

作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス :募集情報 

コンテンポラリー・舞踏・オイリュトミー

からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。

内容や参加方法など、上記クリックしてください。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断想10/22(季節が変わり、やっと)

2022-10-22 | ダンスノート(からだ、くらし)

 

 

久々に連絡をとった方が公演の感想文だよと送ってくださった手紙を拝読。この夏に上演した新作とコロナ前の2019年に上演したもの二作についてくわしく書かれていてこんなことは初めて。強く参考になった。

季節が変わり、やっと7月公演の反芻作業も渦中に入ったところ。そこに、ゆっくり選ばれた言葉を投げていただけたこと、これは上演時の舞台と客席の間の無言の対話が継続しているようで、背を正す思い。僕自身も舞台を観た感想というのは時に何年も残り、発展してゆく。ダンスは一回性が強いと言っても、その残照残響がどこまで続くかは、ものによって、はなはだ未知なのかもしれない。そう考えると、創作も稽古もまた面白い。

過去にも感じたことがあるが、ソロ公演からしばらく経つと、自分の内部が変わっているように思えてくることがあって、それは次作構想ともやはり絡む。

作品というのは作るだけでなく、作る代わりに壊れるものも、ある。そして、上演という行為によって揺すり揺すられる。上演初日の最初の瞬間から終演日の踊り切リの瞬間までのどこかで、踊りと注視とがあいはたらきあってピッと張り詰めた水晶のような時空が生じることが、稀にある。日常にはなかなか生じない空間は忘れがたい。独舞と言っても一人から何かが生まれるわけではない、踊る肉体とそれが関わる魂すべてが働き合って何かが生まれるのだと思う。舞台では自分のイメジネーションのみならず観客の想像力とも踊ることに成るから、予想外の新たな火種も生まれる。今年の新作『やがて、、、(タトエバ切ラレタ髪ノ時間ト)』では、それが強くあった気がしてならない。

反芻を進めつつ、次作に向けて確かな作業を進めていきたい。

 

 

_______________________________

Stage. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

ダンス公演の情報や記録を公開しております。

作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス :募集情報 

コンテンポラリー・舞踏・オイリュトミー

からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。

内容や参加方法など、上記クリックしてください。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断想9/11(あの日のことから)

2022-09-12 | ダンスノート(からだ、くらし)

ちょうどいまごろの時間、悪寒とも少し違う、異様な予感で落ち着かないまま、テレビを見つめていた。巨大なビルの崩落が、繰り返し、流れ続けていた。20数年経っていると思えない。

あの日、稽古から帰宅するとNYでビルが燃えているというので、テレビに目をとられて身震いした。21時46分アメリカでは朝8時46分、さらに22時03分アメリカ9時03分。2台の旅客機が乗客を乗せたままワールドトレードセンターに突入した。そしてペンタゴンにも。あの瞬間から、突然、怒涛のように現在が始まった気がする。

9.11事件は21世紀の扉を暴力的にこじ開けたのではないかと思うことがある。

暴力の連鎖が始まっていることを生々しく知らされた。これまで感じたことのない種類の、深い暗さが近づいてくるように感じた。あれ以来、関係あることも、まるで別の次元のことも、なぜか雪崩のように物凄いことが次々に起きて、私たちがどこまで行ってしまうのか、わからないまま、いまここにいる。

あの直後に衝動に駆られ、つくり始めた作品群があった。『非暴力と不服従へのダンス・第1番〜第4番』である。

第1番はソロ、第2番がデュオ、第3番はカルテット、第4番で再びソロとなる。個体性と関係性のあいだを、揺らぐように、迷いながら、作品を作っては上演し、3年を過ごした。

その翌年、この4連作を通じて蓄積されたものから生まれたのが『カナリゼーション〈祈りの河〉』という作品だった。

男女のダンサーによってソロとデュエットが交互に踊られ、そこに一人の女優によるアクトが絡み、数え切れない量の身振りや言葉が浮かんでは消え、時間に運ばれて流れ去ってゆく。

これら合わせて5つの作品について、再考することが多い。この作品群を境に、現在までソロ作品が連続している。

(関連記事)

 

 

 

_______________________________

Stage info. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

ただいまHPでは7月末に行った新作公演の記録を公開しております。作品制作中に記されたテキストや過去の公演写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。

 

lesson 櫻井郁也ダンスクラス:ご案内  

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする