この日本ではクラシックも演奏会以外で
何らかのイベント・パフォーマンス、
として見る機会がある方も少しはいると思います。
しかしあまりにもその機会が少ないように思われます。
プロでもなく、仕事でもなく、趣味でもなく
野外で行う方は皆無に近いと思われます。
外国なら日常の中で当たり前のように行われています。
ここが日本だからでしょうか?
日本人だからでしょうか?
文化・環境が整ってないからでしょうか?
理由は探せばいくらでもありますが、逆に
だからこそやってみる価値もあると思います。
音大生の中にも、より多くの方にメッセージを送りたいと思ってる方も
多いのにどうしても型やテクニックにハメ過ぎていて
いつのまにかビジネス用の演奏となり、
疑問を感じても生活のためにそれを続けていき、駄目になってしまったり、、、
普段の練習場所として公園で少し弾いたり、
街角で仲間と一緒にやったりと。
弾く側も聴く側も何か新たなことを経験出来るでしょう♪
場所がしっかりした所じゃないと弾けない?
そう考えた時点で一流にはなれません。
最初は誰も足を止めないし、指さして笑われたり
騒音だと通報されるかもしれない。
でも、もしも本当に自己満足ではない演奏・パフォーマンスをより多くの方に伝えたい
という気持ちがあれば場所は関係なく、自分を表現できるものだと思います。
世界に通じるものを手に入れるためには前例がないことを当たり前のようにやり、
比較対象がいなくなるくらいの圧倒的な力を出せばいいんじゃないかと。
そのパワーの一つが肉体であり、身体が壊れる一歩手前までトレーニングをしたり。
バイオリンの直の練習をしないで譜面を何時間も見てるだけで
頭の中でイメージ演奏をする訓練だったり。
それが出来るようになれば日常生活の中で常に音が鳴り続け、
響きがうねりとなり、何かが見えるようになり。
自分を表現する一つの手段として芸術を創りたい気持ちと
それを創るが故の代償に対しての勇気・決断。
その代償を極限のものとし、誓約と誓いの中で使える条件とし、その世界で平静を保ち
撃ち勝てる精神力を持ち続ける。
多少のブレが生じても目線をしっかり的だけを見ていれば必ず近づけれる。
動物・自然・昆虫、様々なドキュメント番組を見ていて人間と比較すると色々違うものがある。
人間は複雑になり過ぎていて、自分たちで道を閉ざし、自分たちでつまらなくしていたりする。
人間が本能だけで生きるのは難しいかもしれない。
しかし歴史に名を刻んだ海外の方達はそのように進んでいった。
型にはまる生き方を今までしてきたのだからこそ、型を破るその方法が分かったりする。
偉業を達成してからでは遠い存在になってしまう。
だからこそ、その記録を俺の言葉で、整っていない設備で可能な限りの作品を出していこう。