ボチボチかめさん

良い日本を夢見てきましたが 現実は遠のくばかり
のろまですが小さな脳で考えます
日本のこと 日本人のこと

柴田トヨの詩

2010-08-22 00:25:01 | 図書館







『 母 』

母の後を
風車を かざしながら
追いかけていく
風はやさしく
陽は暖かかった

振り向く母の笑顔に
安堵しながら
早く大人になって
孝行したいと
そう、思ったものだ

母の齢を とうに越して
今 私は
初夏の風に
吹かれている

若い母の声が聞こえる




トヨさんは、90歳を過ぎた頃から
詩を書き始められたそうだ。

動画があれば貼り付けたいのだがなかった。
今日、テレビでご自分で朗読された「母」の詩。

しゅわ枯れた声ではあったが、優しく凛としたお声だった。

いかにも上手に書いて、誰かを感激させようと意図したところがなく
ただ、ただ素直に書かれいるところが いい。


黒のチュールの帽子をかぶり
たしなみとしての白粉と紅をさした
トヨさんを映す姿が遠くなるころ

朗読を終えたトヨさんの
こっくりと頭を下げられたお姿は
美しかった。





人生とは 幾つからでも 輝き始められるものなのですね。





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6 コメント

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振り向く母の笑顔に・・・ (ベッラ・カンタービレ)
2010-08-22 01:42:36
母を慕いかざぐるまを持って後を追いかける子、そして母の慈愛に満ちたやさしい笑顔、昔、母が子供のすべてでした。
優しくいつも子供を心から愛している、かけがえのない大切な母、・・・今日、テレビで「岸壁の母」が流れていました。
私は必死に涙をこらえて家事をしました。
母の慈愛は100%、子供にとって完璧でした。今、親子での殺人、地獄ですね・・・。
母が母であり、子が子である、当たり前の世の中に戻ってほしいです。
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つらい、、、。 (ボチボチかめ)
2010-08-24 01:33:44
>母の慈愛に満ちたやさしい笑顔、昔、母が子供のすべてでした。

ドラマでよく見る光景。
父親が子を叱り、子の身体に覆い被さるように
子を庇う母親の姿、、、

これ、私の母親の理想の姿です。
ベッラ様は、理想のお母様の下に生まれていらしたのですね。

私の母は、(勿論 母子ですから情はありますよ)
でも、娘のここ一番と言うときに、私の母は
私の最大の敵にまわりました。

自分の口で言うのは恥ずかしいですが
知恵の多い女で、コワイ者知らずのところがあり、話は機知に富 面白い女でした。

「あなたは、私のいう通りになるのよ」
これが、小さい頃からの私に向けられた母の言葉です。支配者でした。

母の期待に添えなかった娘。
五体満足に産んでやったのに嫁がなかった娘。
忌々しかったのだと思います。

楽しい母との思いでも沢山あります。
親孝行もしたほうです。

でも、、母が確実に亡くなると次第に分かってくると
失う悲しさと同時に、やっとこれで母から解放されるという喜びにも似た感情もあったのは事実です。

離れて暮らす弟たちが知っている母と
一緒に暮らしてきた私とで、母の印象がかなり違った、、ということを 最近、やっと姉弟でお互い知ったのでした。

愉快でないご返事でごめんなさい。


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母のこと・・・ (ベッラ・カンタービレ)
2010-08-24 03:34:16
ボチボチ様のお母様は強い女性だったのですね。ボチボチ様も女傑と思っています。
私の母は、悲劇でした。
舅に尽くし、夫を敬い、つらいことがあっても子供には笑顔でした。
私はそんな母に甘え、反発もしました。
でも、母はあまりにも真面目で優しく、天使のようで、やがて少しづつ精神状態を壊していったのです。父は転勤や海外出張など、当然ですが自分の仕事に夢中、母がおかしくなって入院してから、私は母に誠心誠意を尽くしました。
母は入院、でもお正月は必ず家に連れて帰りました。父は機嫌が悪く、母につらく当たるので、私は母をかばって、しかし、父のたまらない気持も察して、おせち料理やごちそうで喜んでもらおうとがんばりました。父は鬱で薬を飲むようになり、私はふたりを守らないと、と思い、強いふりをしていましたが、音楽で救われたと思います。母がおかしくなった年齢を超えた時、私は自分が大丈夫なことを確認、強い?からこそ人も自分も守れたのだと思います。
でも、母の笑顔は永遠に残っていて、そこを思うと母に対してもっと親孝行し、もっと喜ばすべきだった、と至らぬ娘であることに涙します。母は何もかも一生懸命して壊れていったんだ、と思うのです。でも、妹が言うには、母は父を愛していて、子供より父だったんですって。
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永遠の母 (ボチボチかめ)
2010-08-25 14:43:25
ベッラ様とブログを通じて お知り合いになって、過去のエントリーを沢山 読ませて頂いた時期がありました。

そして、不思議に感じていたこと、、、
これだけお父様のことを大切に思って書かれる方が、なぜお母様のことに 殆ど触れられないのだろう、、?と思っていました。

人は勝手な者で、自分勝手に解釈して
お母様はご存命なのに、何かの事情でお別れになったのではないだのろうか、、とそんな風に感じていました。

>舅に尽くし、夫を敬い、つらいことがあっても子供には笑顔でした。

慎ましく、控えめで 優しくて 日本女性の鏡みたいな 私の理想と思い描くお母様でいらしたのですね。

>母の笑顔は永遠に残っていて、そこを思うと母に対してもっと親孝行し、もっと喜ばすべきだった、と至らぬ娘であることに涙します。

子は、いつもそうです。
もっと、、もっと、、と悔やみます。
ですが、ベッラ様は、もう充分にお母様を大切に接しられました。

そして、向こうから 貴女に手を合わせていらっしゃる。
わたしの代わりに、お父さんを大切に介護してくれてありがとうね、、って。お世話懸けるねって、、。

>妹が言うには、母は父を愛していて、子供より父だったんですって。

お妹様もいらっしゃるのですか。
一人お嬢さんだとばかり思って、ブログ読んでいました。

ねぇ、ベッラ様 お会いしたことはありませんが、これからもお互いに虚飾はおこなわず、正直に率直なことを書き合うお友達でいて下さいね。

うちの母は、逆で、夫より子供でした。子供への執着が強すぎました。夫を立てない女は最低です。母が描く夢を父が実現できなくて、常に不平不満があったのだろうと思います。

姉弟でよく話すこと。
今、まだ両親が生きていたら、もっと喜ばせることをしてやれたのにと。

両親が出てくる夢をみます。
「あら、最近 どこにも旅行に連れていってない。食事にも行ってない。明日 話そう、、」

目が覚めて、「あー亡くなってたんだ」と思って 悲しくなることが 今でもよくあります。

>ボチボチ様も女傑と思っています。
ここ、違いますから!







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妹のことはほとんど書いていません。 (ベッラ・カンタービレ)
2010-08-25 22:30:16
妹は東京です。親の面倒はすべて私でしたが、子供の時のように話ができるときと、できないときがあります。
やはり老親介護を実際にしていないと机上のナントカになります。決して仲が悪いわけではないのですが・・・。
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長女 (ボチボチかめ)
2010-08-25 23:10:35
ベッラ様 またご返事ありがとうございます。

>決して仲が悪いわけではないのですが・・・。

えぇ、えぇ、分かりますとも。
我が家も同じでした。

一緒に暮らす子が親の面倒をみます。
そして、長女は そのようになっているようですね。

長女の友人たちも同じで、みな介護をやっています。時々、疲れるのですね。

愚痴を言いに うちに来ます。

一番、頭にくることは
普段 世話をしない兄弟(姉妹)が たまに遊びにきて
「あの子は優しい 私のことを思ってくれている」と、帰った後で親から言われる時だそうです。(笑)

あ~ どこの親も、おなじなのだなぁ、、と思います。(笑)
側で暮らす子が、一番 思っているのだけど。介護の大変さは、やった者しかわかりませんね。
 
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