~ カンクンより AIR MAIL ~

2007年11月21日より、地球の歩き方「東京特派員blog」でblog更新中。

CASA ROLANDS

2005-11-30 | ホテルゾーン・レストラン

イタリアン料理店。
値段もそんなに高くなく、おいしいと評判で
私もたまに行きます。
プラサカラコルのラグーン側にありますが
セントロの外れにも見かけたので人気があるようです。
ほうれん草のパスタとサーモンのクリームソースが
お気に入りで食べてます。
パスタはもちろん、デザートもおいしかた。
デザートは大きいので、食べ応えがあります^^;



訪問ありがとうございます^^
↓足跡としてワンクリックお願いします^^



HONG KONG

2005-11-29 | セントロ・レストラン
中華料理店。
メルカド28やWAL MARTのそばにある中華料理店。
ここは広い敷地に竜宮城のような建物の外見ですぐにわかるはず。
プラサ・カラコルのフードコーナーにも入っていて
なかなか人気があるようです。
カンクンで中華料理店を探すのは困難です。あまり見かけません。
店内に子供が遊ぶ施設もあり、お子様連れの方も楽しめます。
(確か有料・・・^^;)
料理の種類も豊富だし、なかなかおいしいです。
週末はビュッフェになる事もあります。
久しぶりの餃子に感激した私です^^;
ちょっとホテルゾーンからだと中途半端な距離ですが
プラサカラコルで試食して、気に入ったらきてみて下さい^^
(やはり本店でできたてを食べるほうがおいしいですけどね^^;)

11月25日(金)

2005-11-26 | カンクン日記
カンクンにも冬がやってまいりました。
朝晩はめっきり冷え込んできて、半そでではいられません。
今日の天気予報によると、最高気温28度 最低気温18度との事。
気温差に体がついていかなくて、風邪ひきそうだ。
日本はもっと寒くなってきてるのかな。
おでんとか食べたいな。スキーにも行きたいな。
なんて、欲張りなことばかり考えてしまう。
食欲の秋といった気候のせいか、食欲ばかり出てきて
日本から持ってきたジーパンがきつくなってきた。
運動しても足りないくらい食べてるという事になってしまうのか?

昨日はオクラとサボテンを買ってきて茹でてたたいて
納豆というか・・・メカブみたいな感じになって
ご飯にかけたらおいしかった。
オクラが売ってることに感動して買ってみたけど、日本のものより多少大きくて
種もまた大きい。
レジのおねーさんがオクラを持って「これなんですか?」と聞いてきた。
オクラを知らないんだろうか・・・
スペイン語でなんと言うのか分からないから、日本語ではオクラだと答えたけど
うーん・・あまり意味のない会話だったな。
結局誰かに何なのか聞きに行ってしまった。
しかし・・・お客に「これなんですか?」って聞くおねーさんも面白い。

☆今日の一言スペイン語☆
【これなんですか?】 
Que es esto?(ケ エス エスト?)




11月10日(金)

2005-11-12 | カンクン日記
移住して1ヶ月。。。

こちらに引っ越してきて1ヶ月が過ぎました。
早いというか、なんというか・・・

まだ何もしとら~~~ん!!!

あれこれ考えても仕方ないので、日本食屋の「YAMAMOTO」に行って
日本人の板前さんに今後の情報を聞いてみると
「カンクンはこれから物騒になるよ。盗難が増えるだろうな...」との事。
今は蓄えたお金で暮らしてるけど、ハリケーンで仕事をなくした人が
いっぱいいるから、日本人は特に気をつけないといけない。
私も職を失くした一人なんですが・・・と訴えたい気分だ。
元気を出してくださいねと、焼酎のボトルをもらってしまいました。
ちょっと元気が出てきた私。。。

復旧を待つしかできない今のカンクンの情勢は深刻です。
15年前にも大きなハリケーンがきたらしく、同じような状況になったらしい。
やはり自然の力にはかないませんね。。。
こうやってネット屋へ足を運ぶのも、いつまで続くことやら。。。
これを機会にガンガンスペイン語の勉強をしてしまおう!!と思う今日このごろ。





ハリケーン”WILMA”体験記

2005-11-08 | カンクン日記
10月20日(木)
雲行きが少しずつ怪しくなり、風も強くなってきました。
それでも外に出かけるには十分な天気だったのでPCのモデムを買いに”LAS AMERICAS”(ショッピングモール)へ行ってみた。
ほとんどの店は閉店していて、食料を買い求める人で大混雑してた。
タクシーを待つ行列もできていて、ただ事ではないという事に気づき、探していたモデムが手に入ったので急いで家に帰ることにしました。
出口に向かう途中、マクドナルドを発見したのでダブルバーガーセットを購入。
今思えば「マックより食料だろう!!」と自分を責めたくなる。
タクシー待ちをしていと、屋上にいた鳥のフンがマックの袋にポタッと命中。。。
「馬鹿だな、おまえ・・・」と鳥も笑ってたに違いない。
どこの家庭でも料理や飲み水に使う20リットルのタンクの水も減ってきてたので、家に帰り慌てて買いに行った。
このタンクもあとわずかで売れ切れになりそうだった。
もうハリケーンはすぐそこまで来ていた。
この夜から、断水が始まりました。

10月21日(金)
朝起きたら大雨だった。テレビのニュースによると今夜が直撃との事。
大手のスーパーは全てクローズされ、食料や水を手に入れるのはOXXO(コンビニ)や小さな商店しかなかった。
どこもかしこも長蛇の列で、混雑を防ぐため店に入るのにも制限され、順番待ちで時間がかかったけど、必要な物をなんとか購入。
買い物から戻りテレビ見てると、いきなり電源が切れた。
午前中だというのに、すでに停電が始まった。
この夜からペンライト1本の生活が始まりました。
予報通り、夜になると雨、風が激しくなり、カンクン上空に”WILMA”がやってきた。
日本の台風では経験したことの無い豪雨と強風で、恐怖との戦いです。
私のアパートは「コ」の字型にできていて、私は4階建ての2階に住んでいます。
この部屋の位置は、とても運がよかった。強風の通り道から少し外れていました。
それでも「ガラスが割れるーーーーー!!!」と、何十回も騒ぐ始末です。
窓を閉めてても隙間から水がしみてきた。
日本みたいに頑丈にできた建物ではないし、崩れないでくれ・・・と祈るばかり。
近所では強風の音とともにガラスの割れる音、物がぶつかる音、女性の悲鳴なんかも聞こえて
テレビのドラマや映画のシーンが現実になったようだった。
どんなハリケーン対策をしても、自然の力にはかなわないと実感した。

10月22日(土)
長い恐怖の夜が明けても、まだハリケーンは上空にいました。
停電でテレビが見れないので、ハリケーンの動きがまったく把握できないし
身動きが取れなかった。
少し風が止んだのを見計らって、彼が外の様子を見に行ったけど、1分もしないうちに戻ってきました。
「外は破壊されてるぞ・・・」との事。
ただ部屋に閉じこもり、早くハリケーンが去ることを待つしかできない。

10月23日(日)
今日は雨が降ったりやんだりで、風は徐々に弱まりつつあるように感じられました。
相変わらず停電と断水は続いてた。
家にいても暇らしく、窓を開けて外を見ると、出歩いている人が多かった。
みんな、水とか食料が買える店を探しに行ってたのかもしれない。
私もどんな状況なのか気になったので、近所を歩いてみることにしました。
アパートの門を出てみると、自分がどこにいるか分からないくらい別の景色になってた。
あまりにも見通しがよくて変だなと思ったら、南国なのに緑の葉っぱがなーんにもなくなってた。
やしの木も倒れてるし、電線は切れてるし、背の高い看板は折れて地面に転がってるし・・・
道路は湖みたいになってるし、歩道は割れたガラスの破片だらけ・・・とても危険な状態。
恐ろしい事に、いつも買いに行く大型スーパーの1つの天井が崩れ落ちていた事。
あんなにでっかい建物が破壊されてるのを見ると、ただ事ではないと実感してしまう。家が無事でよかったと心から思う。
ダウンタウンまでそう遠くはないので、街の中心部を見に行こうとしたけど、交通手段も無く途方にくれてると
車で通りがかったメキシコ人の夫婦が様子を見に行くというので同乗させてもらった。
でも道路が雨水で沈んでいる場所もあり、車内に水が入ってくるし、とても先に進めないという事で断念。
私たちは途中でおろしてもらい、近くにあるスーパーの様子を見に行くことにした。
そこのスーパーも形は残されていたけどガラスが派手に割れて、盗難防止の為に入り口はトラックが置かれふさがれていたていた。
何もできないので、もう帰るしかなかった。
帰る途中も、あちこちで破壊されてる家や店がいっぱいあって、大型家具専門店の前には拳銃を持った警備員らしき人もいた。
こんな時、盗難事件は頻繁に起きているんだろうな。。。
呆然として歩いてると、目の前に長蛇の列を発見した。
「HONG KONG」という大きな中華レストランで、どうやらお弁当を売っている様子だった。
これはいいと思い、私も早速並んで購入。1つ500円くらいの中華弁当は、なかなか本格的でおいしかった。
買ってすぐに食べられるように、テーブルや飲み物まで売っていて、ちょっとしたイベント会場みたいで笑い声さえ聞こえた。
さすがラテンの国だ・・・。
一番感心したのは、この長蛇の列の人数を裁くほどのお弁当が用意されていること。
ハリケーン後に合わせて仕込みしてたとしか思えない手際のよさだった。
停電になる事も想定して準備していたに違いない。このレストランの社長は中国人。金儲けに関してはぬかりはないとみた。
でも、おかげでみんなが安くておいしい中華弁当が食べれてよかった。
驚いた事は、3日後に行っても売り続けてたこと。どうやって食材を仕入れていたのか不思議。。。
そして今夜もペンライト1本の夜がきた。
暇なので毎晩10時に寝るクセがつきました。

10月24日(月)
ようやくカンクンの空に太陽が昇った。
ハリケーンの雲は3日をかけて抜けていった。
それでも街は回復するというわけでもなく、断水と停電は続いている。
この状況がいつまで続くのか誰にもわからなかった。
とりあえず天気が回復したので心に余裕ができたのか、ある事に気づきました。
「あ・・・日本でハリケーンのニュースやってるよなぁ・・・」と。
今まで不通になっていた携帯電話に電波が通るようになったので、早速家に電話してみた。
日本は朝7時。電話をすると弟が出て「大丈夫なのか?」といきなり聞かれた。
やはり日本でもニュースが流れてたんですね。
「カンクン」の名前が出てたと聞いて、私はびっくりした。
日本でどのようにニュースで放送されたのかは分からないけど、とりあえず心配させてはまずい。
でも、ネットも繋がらないし、電話もようやく繋がったけど、電気がこない限り充電もできず
かろうじて残っている充電分で家に電話ができたくらいで、誰にも連絡ができないままの状態。
ニュースを見た友達は、多分心配してくれてるだろうから早く連絡したいな・・・・。
というより、なんだか友達に会いたくなった・・・。
それから大型スーパーも営業開始してたので行ってみた。
屋根が崩壊されても在庫があるからなのか、ガンガン売り始めてました。
様子を見に行ったけど、恐ろしいほどの長蛇の列で買う気も失い、あきらめて
近所のチキン専門店でチキンを買って食べる事にした。ここも行列ができてたけど、スーパーに比べれば楽なもんだ。
なかなかおいしいので、また買いに来ようと思う。
そして今夜もペンライト1本の夜が来て、10時に消灯。。。

10月25日(日)
毎朝、水が出てるんじゃないかと期待をして目を覚ますけど、今日も元気に断水、停電は続いている。
この日、水もなくなったしスーパーで並ぶことを決意して行ってみた。
お気に入りの”SORIANA”スーパーは建物の崩壊も無く、自家発電を持っていたらしく冷凍食品や出来立てのパンまで売っていた。
電気があるということはレジも動くので、スムーズに会計ができる。他の店は電卓だったので時間がかかったんだろうな。
ここで私はどこに行っても売り切れていたろうそくを手に入れる事ができた。普通のろうそくは売り切れていて、残っていたのはアロマのろうそく。
匂いにこだわってなんていられないので、とりあえず購入。そして肝心な水は売り切れていたけど、炭酸入りの水が売っていたので、あるだけ購入した。
炭酸を抜けばただの水だろうと思ったけど、なかなか抜けなくて、手を洗うたびにシャワシャワしてた。
買い物を済ませ、バスやタクシーがようやく動き出したので、ダイビングセンターへ行くことにしました。
観光客が賑わうホテルゾーンや、海はいったいどうなってるんだろうと、ずっと気になっていた。
予定が詰まっていたので、詳しく見てる暇はなかったけど、どのホテルも窓ガラスが割れてたり、建物が崩壊されてたり、ひどいことになっていた。
海が目の前にあるわけだし、そうとうひどい状況になったんだと思う。
ダイビングセンターにつくと、建物がすっぽり波にのまれた様子が伺えた。
社長のトーマスが工事の人と話を終えて、私たちに気づくと「ここもひどいけど、家も破壊された」と落ち込んでた。
ダイビング機材をここに置いたままだったので、急いで探しに行くと、盗まれることなく無事に見つかった。
どうやら他のインストラクターの機材やレンタルの重機材は、いくつか盗まれてたらしい。
ダイビングセンターが回復するには2ヶ月くらいかかるだろうと肩を落とした社長のトーマス。。。
まてよ。。。ということは、私たちも仕事ができないっちゅーことかーーーーー!!!!
・・・・・・今は、深く考えるのはやめよう・・・落ち着け・・・落ち着け・・・・・
そして無事に機材を取り戻し、次に向かったのはイミーグレーション。
ハリケーンに遭遇し、私のビザの申請が済んでいないという事態になってしまった。
私が観光でいられるのは29日まで。。。
このままでは不法滞在になってしまうので滞在延長手続きを済ませなくてはいけない。
しかし、これもまたやばい・・・・。イミグレーションだってやってるわけがない・・・
とりあえず行くだけ行ってみたけど、なにせ電気が通らなきゃPCも動かないわけで、手続はやはりできないとの事。
警備員のおじさんに話を聞くと、とりあえず事情が事情なので、電気が回復したら来いというばかり。
・・・・・・今は、深く考えるのはやめよう・・・落ち着け・・・落ち着け・・・・・
何もできず仕方ないので、この近所にある「カーサ吉田」という知り合いのホステルの吉田さんに会いに行ったけど、お客もいるわけでもないので、どこかに非難したのか誰もいなかった。
疲れたので帰ろうとタクシーを捜すけど、なかなかつかまらず、イライラがたまったのか彼とくだらない事で喧嘩になり、
どーせ周りは日本語なんてわからないメキシコ人ばっかりだと思い、大声で日本語で喧嘩してたら
「日本人の方ですよね?」と日本人のカップルに声を掛けられた。
今更「いえ、メキシコ人です」と、冗談も言えず、「はい、そーですよ♪」と笑顔で答えて話を聞くと
個人旅行でカンクンに来たらしく、明日日本に帰るチケットを取りたいのでアメリカン航空のオフィスが何処にあるか知りたいとの事だった。
アメリカン航空のオフィスにある用紙に名前を書いておくと、その日のチケットが手に入るらしいと
同じホテルの”シェルター”で一緒だった外国人に聞いたらしい。
ホテルの人に話を聞いた方が早そうなので聞きに行くと、”シェルター”で一緒だったという外国人が現れて場所を教えてくれることになった。
こうしてこのカップルは無事に場所を確認する事ができたようなので私たちは帰ることにした。
しかし・・・”シェルター”って・・・
聞きそびれてしまったけど、ホテルにシェルターがあったというのだろうか・・・
ハリケーンで非難しているとは思っていたけど、まさかそんな場所を用意してあるホテルがあったとは・・・
中級クラスのホテルだけど、高級ホテルに格上してもいいのではないだろうかと思った。
それとも、実はどのホテルにもシェルターは存在しているのかな。詳しく聞いておくべきだった。
そして私たちは喧嘩のほとぼりも一気に冷めたので、とっととタクシーを捕まえて帰る事にしました。
タクシーの運転手に場所を伝えると、私たちの住む区域に電気が通ったと話し掛けてきた。
確かに近所のスーパーに明かりが点いているのも確認できた。こ、こ、これは・・・・と期待を胸に家に帰ると
アパートの明かりはどれ1つもついていない。道路を挟んだ反対側のアパートには明かりが灯されている・・・。
どうやら隣の区域までは復旧したらしい。
がっかりしたけど、復旧は想像以上に早く進んでいるので明日あたりは私の区域にも明かりが来るかもしれない♪
そうして今夜はアロマのろうそくを部屋中につけて、少し早いクリスマス気分を味わい、今日も元気に10時に消灯。

10月26日(月)
朝起きて水が出ないことを確認し気が遠くなりそうになりながら、ガス入りの水で顔を洗い途方にくれた。
今日は今まで閉まっていた大型スーパーの1つである”MEGA”へ様子を見に行ってみた。
営業開始したばかりらしく、水もいっぱい残っていて、お酒も買えないスーパーが多かったけど、ここはOKらしく、お水とテキーラを購入。
夜の娯楽といえば、私が飛行機に乗る際に必ず持参するクロスワードの携帯本だけだった。
それを彼と二人でムキになって解きまくり、10時に消灯という生活が続いたので、久しぶりにお酒でも飲みながらカンクンの秋を楽しもうと思った。
買い物が終わり暇なので、HPに体験記を書こうと思いついつき、夕方までメモ用紙に文章を書き続けた。
そろそろローソクタイムが始まるなぁ~と一息入れたら、突然打ち上げ花火のような、「バン!!」という爆発音が外に響き渡った。
その後すぐに、子供たちが「ブラボ~!」と叫び、大人たちも「ブラボー!」と続いた。
寝ていた彼も何事かと飛び起きてきたので、「電気が通ったかもよ~」と冗談で言うと、しばらく顔を見合わせ沈黙になった。
「ま、まさかねぇ・・・」と変な顔して笑いあった後、猛奪取でブレイカーをあげて電気のスイッチを押してみた。
すると明かりが「ピカッ」と点いたのでした。。。。
「おおおおおおお~~~っ!!!!」と二人で声をあげて、外の住人とタイミングを外しましたが、喜びの歓声をあげた。
その後、アパートの水道ポンプも作動し、蛇口から水も流れ始めた。またもや「おおおおおおお~~~~!!!」と叫ぶ叫ぶ。

1週間近くに及ぶ停電と断水は、これでひとまず開放されたのです。
テレビはケーブルを切られているため見ることもできないし、ネットもできないけど
贅沢は言ってられません。
どう表現していいか分からないけど、明かりがついた瞬間の喜びは一生忘れないと思う。
この夜、アパートの中庭にあるプールの横ではバーべキューをする住人や、家の掃除を始める住人など、さまざまに夜遅くまで笑い声が絶えなかった。

ハリケーンでの断水、停電という生活をたったの1週間だけど体験してみて、当たり前に出る水、当たり前につく電気という事に感謝の気持ちを覚えました。
私のアパートを含め、近所の家やアパートにもプールがついているので断水になってもトイレ用の水はくみに行く事ができたのでありがたかった。
食料も困ることなく缶詰めやパンもいっぱあったから不自由なかった。
なのできっと他の被災地に比べたら、被害のうちに入らないのかもしれないな。
ただ銀行にお金を預けてた人は、お金が下ろせなくて困ってた人が多かったと思う。
とりあえず騒ぎも一段落したし、まだまだ建物の復旧には時間がかかりそうだけど、生活難からは十分脱出できた。

3週間近くは停電、断水は続くだろうといわれてたから、思いのほか早く復旧して驚いた。
お国柄、復旧もかなり時間がかかるだろうと思ってたけど、私の思い違いだった。
住人同士が協力して家の周りに散乱したゴミを片付けたり、飛んできた看板の整理をしたり、
折れた木の処理には自衛隊の人達がやってきて処理してくれたり、面白かったのはディズニーランドで流れるような曲を流しながら、トラックに乗ったかわいい制服を着たボランティア団体が
道路のゴミを集めるというパフォーマンスがあったりで、道行く人が拍手で迎えてあげてるのです。
そして電柱の配線工事の人が現れると、「ブラボー!」と声をあげるのです。
こんな状態なのに「早く直せー!!」ではなく、「ブラボー!!」という言葉で迎えてあげるメキシコ人が、なんだかカッコイイと思った。
私はイライラして「早く直せー!」で迎える人間かもしれない・・・。おはずかしい話です。

まだまだ完全な復旧には時間がかかるけど、体験記はここまで。。。