ひ鳥ごと

Tweetとは、鳥のさえずりのことです。

「アッコにおまかせ!」の引き起こした初音ミク騒動について

2007-10-20 03:54:38 | コンピュータ
TBS系列で10月14日に生放送された情報バラエティー番組「アッコにおまかせ!」で、
話題の歌声合成ソフト「初音ミク」が取り上げられたのですが、
その内容にあまりに問題が多く、各所で話題になっています。

経緯は少々長くなるので、ITmediaの記事GIGAZINEの記事を参照してください。

放送をリアルタイムでは見られなかったのですが、あとから録画を見ることができました。
とりあえず感想を言いますと、「初音ミクをだしにしてオタク文化を貶めようとしている」という
印象を受けました。そういうVを作りたいんならわざわざミク出さなくていいじゃん、と。
逆に本気でミクのすばらしさを取り上げるつもりなら、
合成エンジン本体を開発したヤマハにもインタビューに行くべきですし、
そもそもわざわざアキバでインタビューする必要性もないでしょう。
放送中の和田アキ子の「わかりません」のコメントではありませんが、
どうやったらあんな不可解な構成にできるのか、こちらこそ「わかりません」。

とまぁ感情的な叩きをしていてもしょうがないので(それじゃ問題のVと一緒になっちゃいますね)、
具体的にどこが問題なのかを検討したいと思います。

その前に、問題のVに関わった局外の当事者のコメントが各所に上がっているので列挙しておきます。
まず、メーカーのクリプトン・フューチャー・メディアのブログ。代表のコメントが出ています。
http://blog.crypton.co.jp/mp/2007/10/1014_1.html
次にV中で顔出ししたtask氏の2chでの発言のまとめ。
なんと、TBSの人が忘れていったという番組の台本(スレでは「企画書」と言われていますが
どう見ても台本でしょう)がアップされています。
http://d.hatena.ne.jp/coldcup/20071014
OAでは使われませんでしたが、企画段階では使われる予定であった
ミク版「あの鐘を鳴らすのはあなた」の制作者Otomania氏のブログ。
http://www.otomania.net/index.php?e=140

顔出ししていないOtomania氏は違いますが(「使われない可能性がある」と事前に通告されています)、
クリプトンの担当者とtask氏のコメントからはともに
「取材の趣旨と実際の放送内容が違う」といった内容が読み取れます。
その「事前の説明」とは、おそらくtask氏がアップした台本の内容なのでしょう。
ユーザーサイドからとはいえ、和田アキ子の代表曲の一つ「あの鐘を鳴らすのはあなた」を
ミクに歌わせることによってミクの能力を見せようとしたのでしょう。
ところがふたを開けてみたら、クリプトン側が伝えたかったコメントは
完全に台本どおりになってしまっていますし(何のための取材だったんだろう……?)、
task氏にいたっては事前の説明にあった楽曲制作風景は完全にカット。

task氏は「制作風景を撮らせてほしい」という取材依頼に対してOKを出しているので、
task氏は撮影された制作風景がOAされることを条件として取材に応じていると推定されます。
しかし実際には制作風景が全くOAされないどころか、全く趣旨の違うVができたわけです。
取材行為を契約と捉えたときに、これは契約違反の虞れがあり、
つまりは不法な手法で取材がなされた可能性があると言えます。
ただしこれは、取材申し込みの際の制作側とtask氏の詳しいやり取りがわからないので、
今ここですぐに「契約に瑕疵がある」と断ずることはできません。

しかし、その背景がわからなくても当該のVには法的に問題がある可能性を否定できません。
それは、最後の「ご立派ですね」です。
Vの最後約30秒はおよそミクとは関係ない、task氏の嗜好および私生活のみを取り上げたもので、
最後の質問「普段は何をされているんですか?」に対してtask氏の「コンビニでアルバイトを」という
答えに「ご立派ですね」は少々問題があると考えられます。
日本語には、本来尊敬語として機能するはずの丁寧語を不必要な部分に余計に付けることによって、
逆に相手を馬鹿にする、という語法が往々にして存在します。
そのままではポジティブな意味である「立派」という言葉に「ご」を付けて余計に丁寧にすることで、
逆に相手を馬鹿にしているという印象を出すことになります。
ここまでは字面だけの話ですが、問題の箇所ではさらにナレーションに(それも少し
投げやりな感じの話し方で)喋らせることで、より言葉に悪意が滲み出てるように感じられます。
さて、話は飛びますが、日本国憲法第22条第1項では職業選択の自由が規定されています。
これは基本的人権であり、憲法第14条で法の下の平等が規定されているので、
ここから「職業に貴賤はない」という思想が法的に裏付けられます。
#もっとも憲法の規定は国家を規制する性質のものですが、
#それを盾に民間人が差別を行っていいということにはなりません
#(内容によっては国家権力で民間人の差別を阻止できる、ということです)
#ここまで講釈垂れておいてアレですが法解釈はあまり詳しくないので間違ってたら解説をお願いします。
何が言いたいのかというと、ナレーションの「ご立派ですね」は、
フリーターに対する人権侵害の虞れがある、ということです。
少なくとも、このような「フリーターいじめ」を助長するような内容の放送をしている時点で、
この局にはいじめ問題を取り上げる資格がなくなります。
#マスメディアが経済的弱者のフリーターをいじめるってどんだけ~

さてどうやったらTBSに抗議できるかというと、おそらく直接TBSに意見するのは、
彼らに「反響」と捉えられるだけであってあまり効果はないでしょう。
TBSより力関係が上の団体からの抗議という形にすれば効果が出るものと思われます。
具体的には、まずスポンサー。民放はスポンサーがいなければ仕事ができませんから、
民放にとってスポンサーの言うことは絶対となります。
もし番組内容に不法行為の虞れがある場合、それによってブランドイメージが傷つくのを恐れて
スポンサーが番組内容に介入する可能性が出てきます。
なので、「番組が職業差別を助長しているがそれについて貴社はどうお考えか」と
当該番組のスポンサーに苦情を言えば番組に反映される可能性が非常に高くなります。
また、放送局(NHK・民放連)が組織する機関としてBPOがあるので、
そこに「番組内容に人権侵害の虞れ有り」と訴えれば調査が入る可能性があります。
なので、抗議をする気のある方はそのようなルートを考えるといいと思います。

TBSは問題のある報道が他局に比べても多いそうで、その歴史はなんと40年にも及ぶそうです。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid268.html
GIGAZINEより)
こんなページ見てしまうともうTBSの報道は信用できなくなってしまいますね。

ところで感想の続きなのですが、クリプトンの本社は札幌にありますが、
わざわざ局で作ったコメントを喋らせるためだけに
札幌まで取材クルーを組んで行ったということになりますが、
TBSってよほど暇なんですかね。

今さらながら

2007-10-07 21:34:53 | misc
蓮コラを初めて見ました。
いや、名前は聞いたことがあったんですがね。

蓮コラがどんなものかご存知のない方はとりあえず見てください。
こちら
(いきなり画像は出ません。ワンクッションあります。ご安心ください)

あ、いきなり「見てください」は不親切だなw
言葉で説明しますと、人間の体表面に蓮の実の画像をうまく貼り付けた代物で、
たいていの人には
・自分の体にボコボコ穴が開いているような感覚
・体中をたくさんの虫が這いずり回っているような感覚(!)
が催され生理的嫌悪感を覚えるといいます。
死体やスプラッターなど、「普通の」グロ画像に耐性がある人でも、
蓮コラだけはダメ、という人も中にはいるようです。
それだけ精神的ダメージの大きい画像であるといわれます。

突然話は変わりますが、小学校のころ、冬の体育は長距離走だったのですが、
小学校2年だか3年だったかだと思いますが、
授業で学外の歩行者専用道を走っていたときに、
転んで膝を擦りむいてしまったことがありました。
それだけなら蓮コラとは何の関係もない話なのですが、問題はその後です。
その転んだときから数日後、そのシーンが夢に出てきて、
そして夢の中で膝の怪我の状況を見ようとしたら、
なんと膝に六角レンチがちょうど入りそうな穴がいくつも開いていて、
えらいぎょっとした、という記憶が今でも残っています。

蓮コラを見たときに、そのシーンが蘇ってきたとともに、懐かしさと、
そしてその夢の中のシーンが目の前に(微妙に違うけど)
画像として再現されていることの驚きを感じました。

ふと気付いた気になる日本語

2007-10-05 11:05:58 | misc
久しぶりの更新です。
リピータがいるかどうかわからない状態って、やはりモチベーションにもろに影響しますね。
もしこのブログを読んでくださっている方がいらっしゃったら、
何らかのコメントをくださるととても嬉しいです。

さて、よく講義や講演などで「知ってる人は知ってると思いますが」という人がいますが、
この言葉は聞いてる人に対して非常に失礼な言葉だと思うのは私だけでしょうか。

説明するだけ野暮だとは思いますが、念のため解説。
まずそもそも、ある事柄に対して「知ってる人」は「知っている」のは当たり前で、
「知ってる人は知ってると思いますが」という言葉自体に全く意味がありません。
そして、言外の意味として(ひねた読み方という見方もありますが)、
対象となる事柄に対して「お前ら知らないだろうけど」という気持ちが、
私にはこの表現に滲み出ているような気がしてならないのです。