2010年2月2日 吉祥寺学び会
ベック兄メッセージ聞き取りより
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・・・・・・・・・・
ダニエル書10章11節~12節
10:11 それから彼は私に言った。
「神に愛されている人ダニエルよ。
私が今か
ら語ることばをよくわきまえよ。
そこに立ち上がれ。
私は今、あなたに遣わされたのだ。」
彼が、このことばを私に語ったとき、
私は震えながら立ち上がった。
10:12 彼は私に言った。
「恐れるな。ダニエル。
あなたが心を定めて悟ろうとし、
あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、
あなたのことばは聞かれているからだ。
私が来たのは、あなたのことばのためだ。・・・・・・・
私たちは、いったいどうして、何のために救われたのでしょうか。
いつも考えるべきだと思います。まず、主に仕えるため。
それから、再臨を待ち望むためです。
従って、再臨を待ち望まない人、主のために生きたいと思わない人は、
果たして救われているかどうか
問題なのではないかと言えます。・・・・・・・・・・・
・・・「祈りの輪」・・・・現在、671人だそうです。
それだけだったら少し、自分の名前、書いてない人割合多い。
・・・○○姉妹から電話があって、
「私は、入っていないけれど、本当は祈っているよ。」
他の人よりも祈っているのではないでしょうか。
・・・・・・・主の望んでおられるのは、それなのではないでしょうか。
「主と共に働きたい。」
これこそが我々の切なる願いであるべきなのではないでしょうか。
何があっても祈り続けましょう。
この間、少し苦しかったのですけれど、
ドイツのミヘルスブルグの責任者に手紙を出して、
「ごめんなさい。28人の方々と相談した結果、
やはり、ミヘルスブルグやめます。」
本当の意味での一致がなければ、偽善的な行為でしょう。
結局、皆、一つになれば、やはり、豊かなる祝福がある。
今、現在ないから、ミヘルスブルグは、
一度やめると書いたとき、・・・・・・・
結局、今、歌いましたように、「主よ、語ってください。」
そういう心からの願いがあれば、もう心配ない。
けれど、ここで何回も、「神に愛されている人」
とあります。・・・・・
主は、ダニエルに向かって、何故、大いに愛されている人
ダニエルよと言われたのでしょうか。・・・・・・・・・・・・
ダニエルは、主と共に働く者でした。
すなわち、祈りにおいて主と共に働くものだったから、
主に大いに愛された人と呼ばれたのです。
ダニエルの祈りとは、天に届いたのです。
ですから、天にまで届く祈りとは、どんな祈りであるべきか
について一緒に考えてみたいと思います。・・・・・
<Ⅰ.みことばに基づく祈り>
第一番目、みことばに基づいた祈りです。
・・・・・・・・・・・彼は、必ず「主よ、語ってください。」
と祈って、それから、心の眼が開かれるようになって、
悟った、とあります。・・・・・
みことばは、ダニエルの第一の場所を占めていました。
ダニエルは、自分の考えをまじえず、祈りながら、
主のみことばを読みました。
「主よ、語ってください。」
彼は、ただ聖書の知識を蓄えるだけではなくて、主のみこころを正確に知り、
それを行なおうとしてみことばを読んだのです。
1.今の時代に対する主のみこころを知る
天に届く祈りをする前には、まず、私たちは
今の時代における我々に対する主のみこころは何か、
主のご目的は、主は私たちをどのように
お考えになっているかを知る必要があります。
・・・・・・・・・・
それが、必ず実現されないことだったら、
熱心に祈る人は誰もいません。
それは、必ず実現するという確信があって初めて、
熱烈な祈りを捧げることができます。
ダニエルは、主がご目的を変えないことを知り、
ご目的を必ず成し遂げられることを確信して
祈りましたから、彼の祈りは、天に届きました。
ベック兄メッセージ聞き取りより
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ダニエル書10章11節~12節
10:11 それから彼は私に言った。
「神に愛されている人ダニエルよ。
私が今か
ら語ることばをよくわきまえよ。
そこに立ち上がれ。
私は今、あなたに遣わされたのだ。」
彼が、このことばを私に語ったとき、
私は震えながら立ち上がった。
10:12 彼は私に言った。
「恐れるな。ダニエル。
あなたが心を定めて悟ろうとし、
あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、
あなたのことばは聞かれているからだ。
私が来たのは、あなたのことばのためだ。・・・・・・・
私たちは、いったいどうして、何のために救われたのでしょうか。
いつも考えるべきだと思います。まず、主に仕えるため。
それから、再臨を待ち望むためです。
従って、再臨を待ち望まない人、主のために生きたいと思わない人は、
果たして救われているかどうか
問題なのではないかと言えます。・・・・・・・・・・・
・・・「祈りの輪」・・・・現在、671人だそうです。
それだけだったら少し、自分の名前、書いてない人割合多い。
・・・○○姉妹から電話があって、
「私は、入っていないけれど、本当は祈っているよ。」
他の人よりも祈っているのではないでしょうか。
・・・・・・・主の望んでおられるのは、それなのではないでしょうか。
「主と共に働きたい。」
これこそが我々の切なる願いであるべきなのではないでしょうか。
何があっても祈り続けましょう。
この間、少し苦しかったのですけれど、
ドイツのミヘルスブルグの責任者に手紙を出して、
「ごめんなさい。28人の方々と相談した結果、
やはり、ミヘルスブルグやめます。」
本当の意味での一致がなければ、偽善的な行為でしょう。
結局、皆、一つになれば、やはり、豊かなる祝福がある。
今、現在ないから、ミヘルスブルグは、
一度やめると書いたとき、・・・・・・・
結局、今、歌いましたように、「主よ、語ってください。」
そういう心からの願いがあれば、もう心配ない。
けれど、ここで何回も、「神に愛されている人」
とあります。・・・・・
主は、ダニエルに向かって、何故、大いに愛されている人
ダニエルよと言われたのでしょうか。・・・・・・・・・・・・
ダニエルは、主と共に働く者でした。
すなわち、祈りにおいて主と共に働くものだったから、
主に大いに愛された人と呼ばれたのです。
ダニエルの祈りとは、天に届いたのです。
ですから、天にまで届く祈りとは、どんな祈りであるべきか
について一緒に考えてみたいと思います。・・・・・
<Ⅰ.みことばに基づく祈り>
第一番目、みことばに基づいた祈りです。
・・・・・・・・・・・彼は、必ず「主よ、語ってください。」
と祈って、それから、心の眼が開かれるようになって、
悟った、とあります。・・・・・
みことばは、ダニエルの第一の場所を占めていました。
ダニエルは、自分の考えをまじえず、祈りながら、
主のみことばを読みました。
「主よ、語ってください。」
彼は、ただ聖書の知識を蓄えるだけではなくて、主のみこころを正確に知り、
それを行なおうとしてみことばを読んだのです。
1.今の時代に対する主のみこころを知る
天に届く祈りをする前には、まず、私たちは
今の時代における我々に対する主のみこころは何か、
主のご目的は、主は私たちをどのように
お考えになっているかを知る必要があります。
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それが、必ず実現されないことだったら、
熱心に祈る人は誰もいません。
それは、必ず実現するという確信があって初めて、
熱烈な祈りを捧げることができます。
ダニエルは、主がご目的を変えないことを知り、
ご目的を必ず成し遂げられることを確信して
祈りましたから、彼の祈りは、天に届きました。
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