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風のいろは 何いろ?

手を休めずに種をまきなさい。
どの種が芽を出すか、わからないからです。
(リビングバイブル:伝道者の書 11-6)

「荒野の食卓」より   (by ウォッチマン・ニー)

2004-02-23 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
【21日】

    私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。
     しかし、私は罪ある人間であり、
     売られて罪の下にある者です。( ローマ 7.14)

・・・・・・・・・私たちみなにとって、命令はまったく
正しいのですが、人間自体が完全に間違っているのです。
なぜなら私たちはみな生まれながらの罪人だからです。
問題は律法なしには私たちがそれに気づかないことです。
神が私たちに何もお命じにならない限り、
すべてが順調のように思えます。
私たちの罪深さの壮大な展示の機会は、
神が私たちに何かをお命じになったときにやって来ます。
「戒めによって、極度に罪深いものとなりました」。



【22日】

・・・・・神はすべてを行ないたいと願っておられます。それは主が
すべての栄光をお受けにならねばならないからです。

神は十字架上で私たちの赦しに必要なすべてをなしてくださいました。
そして神は私たちの解放に必要なことすべてを私たちのうちになそうと
してくださっています。どちらにあっても主は「行為者」です。
「神は・・・・あなたがたのうちに働いて」。



【23日】

神の箱がイスラエルを守ったのであって、
イスラエルが箱を守ったのではありません。
虎は森に守られているのをお聞きになったことがありますか。
けれども神は自分のことはご自分でなさります。
神が本来すべきである多くのことを人間が行なっています。
神が語られるのを期待するべきときに、私たちが語ってしまいます。
神が整えてくださるまで待たねばいけないものなのに、
私たちが準備してしまいます。「どうして説教しては
いけないのでしょうか」と私たちは抗議します。
「話したいのですが」。これは私たちの奉仕の欠点です。
これには誰でも思い当たるものがあるはずです。

しかし神を賛美しましょう。私たちが自分の罪を告白すれば、
主は真実で正しい方ですから赦してくださいます。


      ****************************************

     ごちそうさまでした・・・・。
     今日から遅番。これから出勤です。
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