風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

荒れ野の食卓  (ウォッチマン・ニー)

2006-05-29 | 日記
5月25日

  というのは、罪はあなたがたを支配することが
  ないからです。なぜなら、あなたがたは
  律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。
           ローマ 6.14


最初に神の光が私の心に差し込むとき、私の叫びは救いを求める叫びです。というのは、私は神の御前に罪を犯したことを悟るからです。

しかしひとたび罪の赦しをいただくと、新しい発見をするのです。すなわち、私は依然として罪人の性質を持っているということです。生まれつき罪に荷担する傾向があり、罪の力が私を強制するのです。この罪の力が充満すると、私は罪を犯すのです。
私は赦しを乞い求め、それを得るかもしれません。しかしやがてもう一度罪を犯すのです。ですから人生は罪を犯し、赦され、また罪を犯すという悪しき循環を繰り返すことになります。

私は神の赦しの事実を正しく捉えてはいますが、それだけでは決定的に何かが足りないのです。私のしてしまったことが赦されているので、私は喜びますが、同様に、私という人間から救われる必要があるのです。罪を犯す私の能力の根幹にキリストの十字架を打ち込んでいただく必要があるのです。

キリストの血潮は私の一つ一つの罪を処理してくださいました。しかし私を処理するには、キリストの死と復活があるのみなのです。



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