このごろEV(電気自動車)の報道が増えてきた。自動車のエンジンがCO2(炭酸ガス)を出さないモーターに変わるという。バッテリーの進歩でモーターが自動車の動力として脚光を浴びるようになったのはつい最近のことだが、ハイブリッド車や燃料電池車を追い越していずれEV時代になるといわれている。
EVになると構造が簡単で部品も少なくなるため自動車製造業界に大きな影響がでる。自動車産業は日本の基幹産業だ。社会全体にとっても大きな問題になる。 そのような時代の流れの中で「機械屋」の端くれだった私にはささやかな感傷がある。
▼ エンジン排気の匂い
子供の頃、昭和十年代、私の育った漁村のお医者さんは馬車で往診していた。それが自家用自動車に変わった。櫓や櫂で漕いでいた漁船も焼き玉エンジンを付ける船が現れた。船の引き揚げは「かぐらさん」から巻き上げ機へ変わり、ジーゼルエンジン付き巻き上げ機を使う網元も出てきた。
バスは走っていたがでは起動は手回しハンドルだった。エンジンがかかったらハンドルも一緒に回って人間が大けがするのではないかと心配で怖かった。しょっちゅうエンジンカバーを開けてエンジンプラグを外し掃除していたことも思い出す。戦争が始まってガソリンがなくなりバスは木炭エンジンで走っていた時期もあった。馬力がなくて峠にさしかかるとお客が下車して車を押すこともあった。ストーブを背負って走るような木炭車の姿はグロテスクだがどこか可笑しかった。
小学生のころ私はバスや巻き上げ機のエンジン排気の匂いが好きだった。今考えるととんでもない不衛生な話だがガソリンと潤滑油の混じったあの酸っぱいような匂いが懐かしい。
▼ 不思議だったレシプロ エンジンの仕組み
戦時中の学徒動員で鉄道の工機部で働いたことがある。動輪が四つもある当時花形のD51機関車を見て興奮した。 機関車の駆動部も自動車のエンジンと同じ仕組みでピストンの直線運動をクランクで回転運動に変えて車輪を回している。レシプロケーティング・エンジン、略してレシプロという。今でも記憶に残っているのはクランクの仕組みが不思議でよく理解できなかったことだ。簡単そうなので今更恥ずかしくて聞けないというケースだ。ピトンロッドとクランクが一直線になったら動けなくなるのではないかと思ったのだ。それがクランク機構の「死点」問題だったこととその対策機構も理解したのはずいぶん後のことになった。
▼ 火力発電所のドンキーポンプ
電力会社へ就職したとき最初の配属先が大正末期から昭和の初めに建設された古い火力発電所だった。敗戦後の電力不足時代で電圧や周波数が低下しボイラーの電動給水ポンプの圧力も上がらず給水ができない。そんなとき大活躍したのが電力不要の古い蒸気駆動給水ポンプだった。 構造は機関車の駆動部を大きくしたようなものだった。電動に比べてなんとなく古くさくて垢抜けない感じだったせいか、ドンキー(ロバ・とんま)ポンプと呼ばれていたが、そのときは頼もしい力持ちの救世主だった。
▼「EV」はエコカー?
気になるのは「EV」はCO2(炭酸ガス)を出さないエコカーで地球温暖化対策になるという短絡的な報道だ。
先日、日本のテレビで中国の深圳市では全面的に「EV」を採用した結果青空が戻り環境が改善されたと報道していた。しかし中国でもEVが使う電気の大部分はCO2を排出する火力発電だ。確かに車の多い市街地の空気はきれいになるが火力発電所のある地域のCO2は増える、結局全体量はそんなに減らないのだ。
「EV」は風力発電・太陽光発電・原子力発電などの脱炭素エネルギー発電と組み合わせないと「エコカー」とはならない。「EV」イコール「エコカー」というのは短絡的で誤解を招くレトリックだと思う。 科学技術オンチといわれるマスメディアだが、この手の紛らわしい報道は環境問題の世論をミスリードすることになりかねない。
▼ エンジンの衰退と老人の感傷 科学技術の進展は驚くほど早くて年寄りはついて行けない。うろ覚えだがエンジンの「カルノーサイクル」・「クランク機構」などの知ったかぶり知識も無用の長物になる。超高齢者としては我が身の老衰と自動車エンジンの衰退を重ね合わせて感傷に浸るのみだ。
一般のドライバーもエンジン部分は「ブラックボックス」なので、中身の変化にはあまり興味が無いかもしれない。そのうちに交通博物館で蒸気機関と自動車のレシプロエンジンが並んで展示されるに違いない。 (2017/12/21 )
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