加齢とコロナ禍で引きこもりが続き、テレビを見る時間が増えた。ところが最近のエンタメは年寄りにとってはウルサくてしようがない。けばけばしくて安っぽい舞台飾りに「ラップ」に「ロック」、ちんどん屋文化花盛りのように見える。 最近「ほぼほぼ」とか「ごっ(5)パー、じゅっ(10)パー」などという新語をよく耳にする。これがまた違和感のある言葉で、出来の良い面白い新語流行語とは思えないでいる。 ▼ 一部では嫌われている「ほぼほぼ」 だいたい、ほとんど、たいがいなどの類語ガあり、今更ほぼの繰り返し強調型言葉を使う必要があるのだろうか、と疑問に思っていた。 この言葉は30年ほど前から使われているらしいが、案の定というか、ネットで調べてみると「ほぼほぼ」言葉を嫌う人もいるらしく少し安心した。理由ははっきりしないが、なんとなく軽佻浮薄の「空気」を感じるのではないだろうか。 既成単語「ほぼ」は必要にして十分な条件を満足しており、「ほぼほぼ」は軽薄で不必要な、強調というより冗長化単語と考えられる。 ▼ 軽率な感じがする「パー」 コロナ禍の中で感染者数を初め多くの数値データが発表されている。この中でよく使われる「パーセント」の「パー」は「何々につき」であり、セントは100の意であることは今更説明するまでもない。 しかし「ごっ(5)パー、じゅっ(10)パー」などパーセントをパーと縮約している新語(?)については違和感ガある。 一つには英語は短縮することはほとんどないのに、和製英語はこの種の短縮が多いことだ。なぜだろうと思う。
もうひとつ疑問に思うのは、そもそもここまで短縮する必要があるだろうかということだ。この件の追求は日本語の冗長性と音節構造に関わる難しい話に逸れて行きそうなので省略させて頂く。 いずれにしろ、ごっパー じゅっパーと連呼されるとなんだか軽薄な感じを受ける。大人が幼児語を話しているのと似ているようにも感じる。短縮語でないパーは「バカ」「間抜け」の意であることと関係するかも知れない。 ▼ 出来の悪い新語流行語 海や川の泡のように出来ては消えてゆく新語流行語だが、ふと出来が悪くて違和感のあった例を思い出した。 * オーマイガー キリスト教徒でもないのにガー(GOD) *「なります」言葉 行き過ぎた営業マニュアル言葉
*半疑問型の質問 問いかけの型となっているため、返事をしかけると本題をかぶせてくるので相 手はまごつく。実に失礼なのだがテレビ司会者がよくやる悪い癖だ。 「ほぼほぼ」と「パー」も出来の良い新語流行語とはいえないようだ。あまり流行らずに消えていってくれればいいと思う。 年配の有名人や政治家がこれらの俗語を使うと、諺の「年寄りの冷や水」を思い出す。 歳も弁えず若い者の真似をすると碌なことが無い。年寄りの新語流行語好きは要注意だ、と自分に言い聞かせている。 (2022/07/30)