ひかるくんがやってきたので、それじゃお酒でも買いに行くか!と、一緒に酒屋まで行った。
これはほとんどわたくしの責任なのですけど、この頃のひかるくんは、日本酒に、なかなかのレベルで詳しくなってまいりまして(^ω^ゞ
そうなりますように!と、ちゃんとやってきた自負はあるのだけど、ひかるくんはそれを素直に反映しており。いろいろ生意気なことをわたくしめに向かって真顔で言うように(^ω^ゞ
おや(・o・)
ずいぶん生意気なことを言うじゃないか(・o・)
と、こちらはこちらで正直に思ってしまうわけなんだが、言ってることはちゃんとしてる(^o^;)
よしよし(*^ω^)♪
まぁ、なんにしたってお酒の話ですからね。
こういうのは理屈云々じゃない。
飲んでしまえば一発解決( ・ิω・ิ)b
今回は、まだ飲ませていない「飛良泉」あたりにひかるくんが興味を示した。
「これ、なんて読むんですか?」
素直な質問。
これはね、「ひらいずみ」と読ませるのですよ(*^ω^)b
今回はこれになるのかな〜(*^ω^)♪と楽しく選んでいたのだけれど、そこに見慣れない「丸飛」シリーズなる新しい「飛良泉」を見つけてしまった(・o・)
なんだか今どきのラベルデザイン。「飛」の文字がど~んと目立つ。
たぶん今どきの、たぶんフルーティなお酒なんだろうなぁ(^o^;)
見た目がちょっと「飛良泉」らしくないな〜(^o^;)と、オールドファンとしてはやや警戒していたのだけど、若者向けのラベルは、ちゃんと若者には刺さるらしい(^o^;)
「なんか気になりますね♪」と、ひかるくんは興味津々。
そうなのか(・o・)
「飛良泉」とは言え、こいつは僕にしても未経験。
しかし、経験しなけりゃ、何事もわかるものではありませんな( ・ิω・ิ)b
それじゃ仕方ない(≧▽≦)
今回は「山廃純米 丸飛 しぼりたて」でいきますか(≧∇≦)b
さて( ・ิω・ิ)b
ここから話は変わるのだが、「飛」という文字そのものに、僕はちょっとした感情をもっていて。
お酒とはまったく関係ない。けれど、ラベルの「飛」を見たときに、僕が否応なしにどうしても思い出してしまったこと。
僕の中で派手に「ゲシュタルト崩壊」を起こした、象徴的な漢字。
それが「飛」(^o^;)
ゲシュタルト崩壊とか言ってしまうと、言葉の響きだけでなんだか大げさに聞こえてしまうのだけど、僕はこれにわりとしょっちゅうつきあわされる。
音楽などをずっと聴いていて、不意に全部がバラバラに聞こえてきたり。。。なんてことは頻繁に起こる。なんというか、耳にも意識の焦点というべき感覚があるようで、これがズレてしまうと「崩壊」ということになるのかな?と思うのだが、一定の時間が過ぎると、ちゃんとピントが合って、もとに戻る感じで。「崩壊」も不思議なんだけど、「戻る」方がもっと不思議で、自分の意識とか、感覚の話のはずだけど、これがどうにもメカニカルな感じがするのである(^o^;)
山ほど文書に接していて、ひたすら文章を書いているはずなのだけど、手で文字を書いていないからか?キーボードなり、スマホなり、デバイス入力する作業が「書く」ことに取って代わってしまったことで、僕の中で「ゲシュタルト崩壊」を余計に招きやすくなったような感じはある。
だけど、「飛」について、これはゲシュタルト崩壊どころのレベルじゃなかった。
はじめてそれを意識したときには、自分に何が起こったのか?わけがわからず、かなりのショックを受けた。
ある一時期、僕は「飛」という漢字がまったく書けなくなってしまったのだ。
字が下手になったとか、そう思うことはよくあったけど、書けないはおろか、文字のカタチさえもが奇異に見えて。
「飛」という漢字が異質を通り越して、僕の中からすっかり消えてしまったのではないか?というくらいで。
焦った。
この時の焦燥はなかなか収まりがつかず、まずは必死で「飛」という文字と意味とを取り戻すべく、ひたすら鉛筆で紙に書き続けた。
一度、そういうことが起こると、不安は拡大して、他のことでもそんなことが起こっているんじゃないか?と、自分のいろいろが信じられなくなる。
意識して、鉛筆を使って紙に書くことをやるようにしてきたのには、そういう事情もあった。今やあたりまえを取り戻していて、あれ以来、あんな危機的なことは起こっていない。
それでわかったことだけど、「飛」だけが、僕の中で危機的だったのだ。
それもずいぶん昔の話になった。
「書く」ということの方が性に合っているというか、自分にとってはこれが自然。
デバイスは毎日使っているけれど、いつも手元に筆記具がある。何かを考えたりするときも、ちょっとしたメモを書きつけるときも、鉛筆なり、万年筆なりを使うのは、精神衛生的にたいへんによろしいことになっている。
文字というのは身体的であり、書くという動作も重要な運動の一種なのだ。意味を持った動きの軌跡。この運動なり、動きが感じられないと、書くことのリアリティは一気に消え去る。
この頃はそういう意味での冷や汗をかくことはなくなった。
レジでお会計をしながら、僕が「飛」という文字に少し緊張していたことなど、ひかるくんが知る由もない(^o^;)
これはほとんどわたくしの責任なのですけど、この頃のひかるくんは、日本酒に、なかなかのレベルで詳しくなってまいりまして(^ω^ゞ
そうなりますように!と、ちゃんとやってきた自負はあるのだけど、ひかるくんはそれを素直に反映しており。いろいろ生意気なことをわたくしめに向かって真顔で言うように(^ω^ゞ
おや(・o・)
ずいぶん生意気なことを言うじゃないか(・o・)
と、こちらはこちらで正直に思ってしまうわけなんだが、言ってることはちゃんとしてる(^o^;)
よしよし(*^ω^)♪
まぁ、なんにしたってお酒の話ですからね。
こういうのは理屈云々じゃない。
飲んでしまえば一発解決( ・ิω・ิ)b
今回は、まだ飲ませていない「飛良泉」あたりにひかるくんが興味を示した。
「これ、なんて読むんですか?」
素直な質問。
これはね、「ひらいずみ」と読ませるのですよ(*^ω^)b
今回はこれになるのかな〜(*^ω^)♪と楽しく選んでいたのだけれど、そこに見慣れない「丸飛」シリーズなる新しい「飛良泉」を見つけてしまった(・o・)
なんだか今どきのラベルデザイン。「飛」の文字がど~んと目立つ。
たぶん今どきの、たぶんフルーティなお酒なんだろうなぁ(^o^;)
見た目がちょっと「飛良泉」らしくないな〜(^o^;)と、オールドファンとしてはやや警戒していたのだけど、若者向けのラベルは、ちゃんと若者には刺さるらしい(^o^;)
「なんか気になりますね♪」と、ひかるくんは興味津々。
そうなのか(・o・)
「飛良泉」とは言え、こいつは僕にしても未経験。
しかし、経験しなけりゃ、何事もわかるものではありませんな( ・ิω・ิ)b
それじゃ仕方ない(≧▽≦)
今回は「山廃純米 丸飛 しぼりたて」でいきますか(≧∇≦)b
さて( ・ิω・ิ)b
ここから話は変わるのだが、「飛」という文字そのものに、僕はちょっとした感情をもっていて。
お酒とはまったく関係ない。けれど、ラベルの「飛」を見たときに、僕が否応なしにどうしても思い出してしまったこと。
僕の中で派手に「ゲシュタルト崩壊」を起こした、象徴的な漢字。
それが「飛」(^o^;)
ゲシュタルト崩壊とか言ってしまうと、言葉の響きだけでなんだか大げさに聞こえてしまうのだけど、僕はこれにわりとしょっちゅうつきあわされる。
音楽などをずっと聴いていて、不意に全部がバラバラに聞こえてきたり。。。なんてことは頻繁に起こる。なんというか、耳にも意識の焦点というべき感覚があるようで、これがズレてしまうと「崩壊」ということになるのかな?と思うのだが、一定の時間が過ぎると、ちゃんとピントが合って、もとに戻る感じで。「崩壊」も不思議なんだけど、「戻る」方がもっと不思議で、自分の意識とか、感覚の話のはずだけど、これがどうにもメカニカルな感じがするのである(^o^;)
山ほど文書に接していて、ひたすら文章を書いているはずなのだけど、手で文字を書いていないからか?キーボードなり、スマホなり、デバイス入力する作業が「書く」ことに取って代わってしまったことで、僕の中で「ゲシュタルト崩壊」を余計に招きやすくなったような感じはある。
だけど、「飛」について、これはゲシュタルト崩壊どころのレベルじゃなかった。
はじめてそれを意識したときには、自分に何が起こったのか?わけがわからず、かなりのショックを受けた。
ある一時期、僕は「飛」という漢字がまったく書けなくなってしまったのだ。
字が下手になったとか、そう思うことはよくあったけど、書けないはおろか、文字のカタチさえもが奇異に見えて。
「飛」という漢字が異質を通り越して、僕の中からすっかり消えてしまったのではないか?というくらいで。
焦った。
この時の焦燥はなかなか収まりがつかず、まずは必死で「飛」という文字と意味とを取り戻すべく、ひたすら鉛筆で紙に書き続けた。
一度、そういうことが起こると、不安は拡大して、他のことでもそんなことが起こっているんじゃないか?と、自分のいろいろが信じられなくなる。
意識して、鉛筆を使って紙に書くことをやるようにしてきたのには、そういう事情もあった。今やあたりまえを取り戻していて、あれ以来、あんな危機的なことは起こっていない。
それでわかったことだけど、「飛」だけが、僕の中で危機的だったのだ。
それもずいぶん昔の話になった。
「書く」ということの方が性に合っているというか、自分にとってはこれが自然。
デバイスは毎日使っているけれど、いつも手元に筆記具がある。何かを考えたりするときも、ちょっとしたメモを書きつけるときも、鉛筆なり、万年筆なりを使うのは、精神衛生的にたいへんによろしいことになっている。
文字というのは身体的であり、書くという動作も重要な運動の一種なのだ。意味を持った動きの軌跡。この運動なり、動きが感じられないと、書くことのリアリティは一気に消え去る。
この頃はそういう意味での冷や汗をかくことはなくなった。
レジでお会計をしながら、僕が「飛」という文字に少し緊張していたことなど、ひかるくんが知る由もない(^o^;)