りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

転生の仏師Σ(゚∀゚ノ)ノ

2023-11-17 00:20:54 | 更級日記
いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏をつくりて

等身大の薬師仏を「つくりて」、「物語という物語を読ませたまえ」とか、なんとか。ひたすらに祈り、ぬかづく少女。更級日記の有名過ぎる冒頭のエピソードだが、この薬師仏を「つくりて」という箇所が昔から気になっていた。
薬師仏を「つくりて」(*‘ω‘ *)?
受領の娘にしてみれば、さらに上のやんごとなき方々がいるわけなので、ご本人は自分のことを控え目に、控え目に語るわけなんだが、どれだけ控え目に言ったとしても、世間から見ればその立場は「雲の上」の住人である。
娘ひとりのわがままで、仏像一体を仏師に彫らせるくらい、まったくできないという話ではないはず。
なのだが。
「いみじくも心もとなきままに」?
薬師仏を「つくりて」?
これは誰かにお願いして、つまり「つくらせ」たということではない。
どうにかこうにかして、自分で薬師仏をなんとかカタチにしてみた、ということを言っているんだよね(*‘ω‘ *)?
少女が仏像をつくるというシーンを想像してみる。作るのは「等身」、つまりは自分と同じ背丈の「薬師仏」。
これはなかなかにすさまじい光景が想像されるΣ(゚∀゚ノ)ノ
そしてこうも思う。
子供じみた「願い」に対して、「仏像」がやけに大き過ぎやしないか(*‘ω‘ *)?
どうにもこの仏像の大きさ、「等身」であることの理由が、少女の「願い」や「祈り」に比して、不釣り合いなほど大きい。立派過ぎる、のである。

更級日記の後段、あなたは「実は前世が清水様に仕える僧にして、仏師、だった」ということを「夢」で告げられる。
宮中にひっそり置かれているその光り輝く仏像。このおそらくは阿弥陀如来像こそ、あなたがつくった仏なのだと。
仏を作り、箔をさしている途中でお亡くなりになった。。。という前世の最期。あと少しでつくった仏が完成する。そのほんの少し手前で、完成させること叶わず亡くなった。そして、転生した先が「菅原の家」であった、と。
前世で積んだ功徳のゆえに「菅原の家」にお生まれになった。
こう告げられた。
結婚して「橘の家」に入っている自分ではあるが、今なお「菅原の家」に生を享けたことの意味は重い。

この後段のエピソードがあることで、そこまで匂わせるくらいだった「物語構造」の背景が明らかになる。ここまで続いてきたあれやこれやのエピソードが「祈り」の奏上と「夢」による応答、「叶えられた夢」としての「現実」であった。これが「更級日記」の全編を貫いていることを明かす。
すると、幼き日から抱いていた「物語」への「あこがれ」の中身がにわかに変容する。
少しばかり世の中のことを知り、宮中にも出入りするようになって、「物語」への見方が変わった。。。というだけに留まる話ではない。
そもそも「物語」への憧憬は、本当に「物語」のことだったのだろうか?
冒頭の「薬師仏」のエピソードを2度目に読む時には、「あこがれ」の意味はすでに大きく変わっている。
「すべての物語を読ませたまえ」という子供じみた、それでいて分不相応な祈りは強い動機であったが、その不遜な祈りはもはや「きっかけ」にしか過ぎない。少女だった彼女がまだ読んでいない「物語」へのあこがれ。。。これが、本当に「物語」のことを指しているかについては今はまだ問わないとしても、これを発願として、まずやったことが「等身」の「薬師仏をつくる」だった。
全身全霊の祈りのカタチ。
そして、都へと出立するその日の夕暮れ。

薬師仏の立ち給えるを見捨て奉るかなしくて、人知れずうち泣かれぬ

前世と同じシーン、自分がつくった「祈り」、すなわち「仏」との別れ。「祈り」=「仏」を後に残しての出立。これを人生の初めにもう一度繰り返す。
自らの本当の心願の姿形を知らぬまま、その成就を見ぬままに涙のうちに旅立つ。。。のではなく、それこそが心願成就の旅路だったことを知るのは、人生も半ばを過ぎてからのことになる。


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