気ままに生きてます 2

日々のつぶやきと旅日記です

私の脳腫瘍の記録 16

2015-07-25 13:55:16 | 悪性脳腫瘍の記録
ICUには1日だけ
入っていたのですが、

脚には
空気が入ったり出たりするような
空気クッションみたいなのが付いてましたし、

たぶん、
点滴などの管や
汚い話ですが、
おしっこの管など、、


ただ、
私はなんとなく、

手術室から出たすぐのところで、
家族と対面したとばかり
思い込んでました。


まだ、
ICUには入ってないって、、


なぜかと言いますと、

家族とは短い時間しか対面できなかったのですが、

私のベッドの
足元の方向

たぶん2.3メートルは離れているとは思うんですが、

そこで、

今日の手術がどうのこうのと、
ドクターが三人ほど喋ってるんですが、
それがちょっとうるさくて、

いつまでも話し続けてるので、

てっきりまた、ICUじゃないって
思い込んでました


ICUって壁がないんですね💧


腰は痛くなってきたし、
うるさいし、
眠りたいのに、、

と、
思っていたら

救世主が現れました

その喋り続けてたドクター達に、

患者に聞こえてるだろ!

と、

一喝してくださいました


その方の上司にあたるドクターだったと思われますが、

去った後、
また、
ヒソヒソ声では話し続けてましたが、
まだましでしたね。


私は腰が痛くなって、
2時間おきに、体勢を変えて頂いて
ましたが、

やはりICUはあまり眠れませんでした。


翌日、

脳外科病棟の看護師部屋の隣に移りました。

最近はものすごく
いろんなことが早いですね。

まず、
おしっこの管を外して、
自分でポータブルトイレに移動

ベッド脇なのですが、
もちろん行く時と、
戻る時は看護師さんに手伝っていただき、

また、
お粥も出ました

ちょっと記憶が定かではないのですが、
1回目のお粥には
手がでなかった記憶がありますが、

曖昧な記憶で申し訳ないんですが、
2回目のお粥は食べたような、、



食べないと
いつまでも
点滴が外れませんから


毎日 研修医の先生が
来てくださるのですが、

日付も、名前も きちんとはなせるのですが、
病院名が出ないことがなんどかありました

たぶん

正式名称を言わないといけないと思っていたのもありますが、

どうやら

医大 と言えば良かったらしいです


この部屋には
2日かな?
入ってまして、

ようやく看護師部屋に近い
4人部屋に移りました。


この部屋は
自分では動けない人達が
入っておられ、

お風呂もベッドごと入る?

みたいな生活を送っておられました。


隣はカーテンで仕切ってあるのですが、

私は話せたりできるのですが、
本当に寝たきりの方ばかりで、、

でも、
私のお隣の方が
意思表示はできるようになってこられたのですが、

それが、
ベッドの柵を激しく揺らして、
看護師さんを呼ぶってことでして、、



隣の私も
最初は仕方がないと考えてましたが、

私も一応病人なので、

申し訳ないのですが、


部屋の移動をお願いしてしまいました

でも、
まだ私は移動は出来ないということで、
しばらくはこの病室で治療に専念してました。

この病室で、
メガネが無くなってることに気づき、
なんだか
大騒ぎになってしまいまして、

もしかして、
長男が持って帰ってるかも?

という
私の言葉で一旦は落ちつきましたが、

それまでに、

人を変えては、
私の持ち物からメガネがでてくるのでは?
と、探しまわされまして、

それがストレスで、

長男が持って帰って無かったのが
解ってから

看護師さんに

すごいストレスを感じるから
もう
メガネの話しは無かった事にして欲しいと、お願いしました







最新の画像もっと見る

コメントを投稿