なんというか、個人的には、ヘイト言論も突き詰めれば立派な言論の一つとして尊重しておこうというのが、個人的な態度なので、僕自身が、どうこう言う立場ではないのだけれども、まあ、なんと言うか、日本人には、中国や韓国を嫌いとか叩くということがヘイトや差別にあたるから、そういう人間を称して「ネトウヨ」と読んで蔑視してよいという風潮があるのは、実に解せない。自己矛盾してるじゃん。
中国人が、愛国無罪を唱えて、反日行動を行う、韓国人もまたしかり。それに対して、日本人の知識人を自認しているアホな連中は、歴史問題だ、なんだと持ち出して、日本が悪いと言い出して、逆に日本人がアレは日本のものだとか反中・反韓を言い出すと、差別主義だネトウヨだと叩く。
いや、相対主義者とよく批判されるから言うわけじゃないんだけど、この論理を言って通用してよいのは、相対主義者の人間だけだよ?
左翼的な本質からすれば、中国・韓国の反日も日本の反中・反韓もレベルとしては同じ排外を含む差別的言論なんだから、排除されるべきでしょ?左翼チックな人々ほど、むしろ、声を大にして、中国・韓国の反日言論を批判すべき立場にあるって気が付かないものなのかね。それをやって同時に、日本の差別的言論を批判できるわけで、中国や韓国の反日は「歴史的経緯があるから許される」みたいな戯言は、いい加減卒業して欲しいものだ。
「歴史的経緯」があれば差別的言論も許されると考えている(そもそもその程度の例外的自由が存在すれば、ヘイト言論や排外言論への批判の絶対性が後退するのを認めているのも問題なんだが)のであれば、それこそ、「被害者最強」のわがままし放題の無秩序状態になると思うんだけど。まあ、そういう論理性を考えずに発言する人々は、たとえ社会的に評価されているとしても、アホとしか言いようがない。プロパガンダとか理解していないアホなのか一方の立場の代弁者に過ぎないのかのどちらかでしかないわけで。
それを差別的とか排外とかいうのは、個人の勝手だろうけど、正直、単に口止めしたいだけでしょ?今回に限らず、歴史的経緯さえ持ち出せれば、日本人の口を封じることが出来ると思っているって言うだけのレベルの低い話しか残らない。対話を望む人間は、口を封じることをしてはいけないと個人的には思うんだが、日本には、日本人は何も言う権利はないみたいなあほなことを平気で言う対話大好き論者がいるから、困ったなと。
まあ、その辺のバランス感覚がないのが日本の左側チックな人々のスタンダードみたいだから、なんというか、議論する気にもならんのだけれども。
個人的には、歴史的経緯があるからこそ、中国や韓国は反日を言う権利はあると思うし、日本も、歴史的経緯を見れば、反中・反韓を言う権利はあるだろうと思う。
だから、その言論に対して、一々差別的排外的だとか、そういうくだらないことを言うつもりはない。国境を接している国で紛争がある国の人間同士って、所詮その程度のものなんだから。それでも、友好関係を築きたいと思えば、築けばいいし、駄目だと思えば、背を向ければいい。ただ、それだの話でしかないというのが、相対主義者の結論。
ぶっちゃければ、世に喧伝されている思想や運動って言うのは、金儲けなわけで、どうやって信者から金を巻き上げるのかということに過ぎない。共感力という言葉の持つ本当の意味は、人間が発明した、もっともエレガントかつ本質を隠す都合の良い金儲けの道具なわけで。まあ、社会の実情なんてそんなもの。資本主義は資本家と労働者に分けているとかいう階層論で成り立っている部分があるけど、アレが実際には嘘なのと同様、社会的正義や理想は、歴史の改ざんすら許容して、なおかつ金儲けの手段として人々を熱狂させる道具に過ぎないわけで。
それを理解せずに、理想は大事だとか、人権はとか、差別は、とか言い出すのは、非常に片腹痛いというか、そういうことを言い出す人間は70年代には社会的には馬鹿にされてきたという歴史をおそらく忘れてしまったので、60年代を経験していない人を中心に最近再び増殖しているのかと思うと、なんと言うか、イデオロギーっていう新種の宗教が誕生したんだなと客観的に認める必要があるような気もする。
まあ、なんというか、底が浅いなと、思ってしまうよね。日本の言論って。
中国人が、愛国無罪を唱えて、反日行動を行う、韓国人もまたしかり。それに対して、日本人の知識人を自認しているアホな連中は、歴史問題だ、なんだと持ち出して、日本が悪いと言い出して、逆に日本人がアレは日本のものだとか反中・反韓を言い出すと、差別主義だネトウヨだと叩く。
いや、相対主義者とよく批判されるから言うわけじゃないんだけど、この論理を言って通用してよいのは、相対主義者の人間だけだよ?
左翼的な本質からすれば、中国・韓国の反日も日本の反中・反韓もレベルとしては同じ排外を含む差別的言論なんだから、排除されるべきでしょ?左翼チックな人々ほど、むしろ、声を大にして、中国・韓国の反日言論を批判すべき立場にあるって気が付かないものなのかね。それをやって同時に、日本の差別的言論を批判できるわけで、中国や韓国の反日は「歴史的経緯があるから許される」みたいな戯言は、いい加減卒業して欲しいものだ。
「歴史的経緯」があれば差別的言論も許されると考えている(そもそもその程度の例外的自由が存在すれば、ヘイト言論や排外言論への批判の絶対性が後退するのを認めているのも問題なんだが)のであれば、それこそ、「被害者最強」のわがままし放題の無秩序状態になると思うんだけど。まあ、そういう論理性を考えずに発言する人々は、たとえ社会的に評価されているとしても、アホとしか言いようがない。プロパガンダとか理解していないアホなのか一方の立場の代弁者に過ぎないのかのどちらかでしかないわけで。
それを差別的とか排外とかいうのは、個人の勝手だろうけど、正直、単に口止めしたいだけでしょ?今回に限らず、歴史的経緯さえ持ち出せれば、日本人の口を封じることが出来ると思っているって言うだけのレベルの低い話しか残らない。対話を望む人間は、口を封じることをしてはいけないと個人的には思うんだが、日本には、日本人は何も言う権利はないみたいなあほなことを平気で言う対話大好き論者がいるから、困ったなと。
まあ、その辺のバランス感覚がないのが日本の左側チックな人々のスタンダードみたいだから、なんというか、議論する気にもならんのだけれども。
個人的には、歴史的経緯があるからこそ、中国や韓国は反日を言う権利はあると思うし、日本も、歴史的経緯を見れば、反中・反韓を言う権利はあるだろうと思う。
だから、その言論に対して、一々差別的排外的だとか、そういうくだらないことを言うつもりはない。国境を接している国で紛争がある国の人間同士って、所詮その程度のものなんだから。それでも、友好関係を築きたいと思えば、築けばいいし、駄目だと思えば、背を向ければいい。ただ、それだの話でしかないというのが、相対主義者の結論。
ぶっちゃければ、世に喧伝されている思想や運動って言うのは、金儲けなわけで、どうやって信者から金を巻き上げるのかということに過ぎない。共感力という言葉の持つ本当の意味は、人間が発明した、もっともエレガントかつ本質を隠す都合の良い金儲けの道具なわけで。まあ、社会の実情なんてそんなもの。資本主義は資本家と労働者に分けているとかいう階層論で成り立っている部分があるけど、アレが実際には嘘なのと同様、社会的正義や理想は、歴史の改ざんすら許容して、なおかつ金儲けの手段として人々を熱狂させる道具に過ぎないわけで。
それを理解せずに、理想は大事だとか、人権はとか、差別は、とか言い出すのは、非常に片腹痛いというか、そういうことを言い出す人間は70年代には社会的には馬鹿にされてきたという歴史をおそらく忘れてしまったので、60年代を経験していない人を中心に最近再び増殖しているのかと思うと、なんと言うか、イデオロギーっていう新種の宗教が誕生したんだなと客観的に認める必要があるような気もする。
まあ、なんというか、底が浅いなと、思ってしまうよね。日本の言論って。