昨年3月29日に、新型コロナウイルスによる肺炎によって亡くなった志村けんさん(享年70)。その彼の私生活を人知れず見守ってきた女性がいる。家政婦の星野初弥(はつみ)さん(35才)だ。約15年にわたり志村さんを支えてきた彼女が、一周忌を前に重い口を開いた。我々が知らない志村さんの素顔を、3月25日発売の女性セブンで初めて明かす。

「去年の3月19日のことは、一生忘れられません。その日は、倦怠感に加えて発熱の症状も出始めて。一日中、自宅のベッドで寝ている状態でした。それなのに、わざわざ起き上がって『ありがとうございました』といつも以上に丁寧に言ってくれたんです。私も『明日また来ますね』と返事したんですが、まさかそれが、志村さんと交わす最後の言葉になるなんて……」(星野さん・以下同)

 彼女は、志村さんが亡くなるまで東京・三鷹市にある志村さんの自宅に出入りし、身の回りの世話や病院への付き添いを重ねてきた。交友関係の広さで知られる志村さんだけに、自宅にも頻繁に人が訪れていたかと思いきや、そうではなかった。

 自宅に入れるのは星野さんを含め2、3人の家政婦のみ。言葉を交わすこともほとんどなく、要件はメモで伝えることが多かった。しかし、思い切って質問をぶつける星野さんには心を許し、特別なお願い事をしたり、ポツリポツリと胸の内を語ることがあったという。

「私の見てきた志村さんは、テレビで見る彼とはまったくの別人。自宅では口数の少ない本当に静かな人でした」

 志村さんは稀代のコメディースターだ。高齢になってからも、テレビでは白塗りや扮装して、ハツラツとコントを披露する姿が印象的だった。私生活では毎晩のように大好きな街、東京・麻布十番で豪快に飲み歩いていたとも言われていた。しかし、その姿は彼の一面でしかない。

 星野さんは晩年の志村さんについてこう続ける。

「実は、亡くなる前の年から、志村さんの体は思うように動かなくなっていました。家の外では一切見せていなかったのですが、めまいやふらつきがあり、歩くのもやっとの状態。道路で転倒して頭を強打したこともあって……。ひどいときには『歩き方が分からなくなってしまった』と消え入りそうな声でつぶやくこともありました。

 コロナになる少し前、体調はさらに悪くなっていましたが、本人はそうした姿を絶対に見せまいとしていました。いざ家から出て移動車に乗り込むと別人のようになり、仕事へと向かうんです。誰にも言わなかったけど、本当はかなり無理をしていたんだと思います」

 そんな体調の中、志村さんが全力で取り組んでいた“最後の仕事”がある。山田洋次監督(89才)作の映画『キネマの神様』だ。この映画は、本来、志村さんの初主演映画として昨年公開される予定だった。しかし、志村さんは撮影直前に亡くなった。現在、志村さんの代役に沢田研二が立ち、公開を控える。

「オファーを受けた当時は体力が限界に達して歩くこともままならなかったんです。それでも、敬愛する山田監督の作品だからと悩みに悩んで引き受けたと言っていました。『おれは新人以下だから』『人一倍、一生懸命やらなきゃいけない』と言って、家の中でも外でも、肌身離さず映画の台本を持ち歩いていらっしゃいました。

 台本は特に大事にされていました。机の上に置くときも、必ず両手で丁寧に扱ってそっと置くんです。コロナで体調が悪化し、ベッドで横になるしかないような中でも、枕元には台本を置いていました」

 志村さんは肉体的にも精神的にも追い込まれながら、最後の最後まで「志村けん」であり続けようとしていた。

「自分を見てくれる人を笑顔にするため、必死に努力をし続けていました。志村さんは自分がやりたいからではなく、待ってくれて喜んでくれる人のために一生懸命やろうという心を持った方でした。

 あれから1年経ってようやく私は、志村さんのそんな素顔を、人に伝えたいと思えるようになりました。本当に真摯な方でした」

 15年間、志村さんに寄り添った星野さんだから知れた志村さんの素顔、生き様は、彼のファンならずとも胸に響く物がある。彼が自宅で夜ごと涙を流していたというが、それはなぜなのか。独身貴族を貫いてきた本当の理由とは。屋根裏の奥に仕舞われていたトロフィーが意味するものは何か。