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カレーの歴史

2016-10-14 08:47:53 | 日記

カレーの歴史を洗い直したら大きな謎に突き当たった

 日本における「カレー」が、本場のインド由来でなく、英国を経由して日本に伝わってきたというのは知られている話だ。明治初期、文明開化に伴い英国から西洋料理の1つとして伝わったとされている。


 そうすると、日本のカレー史にとって「インドから英国にカレーが渡った」ということが重要な点の1つとなる。英国は1600年に東インド会社を設立し、インドに進出。1858年から1947年まではインドを植民地としていた。当然、この強い関係から、インドから英国に食文化が紹介されて、英国におけるカレーが広まったことにはなりそうだ。

 だが、誰がどのようにそれをしたのだろうか。

■ 「ヘイスティングがカリを英国へ」原典は百科事典

 日本ではさまざまな媒体で、1772年頃、英国人ウォーレン・ヘイスティングズ(「ヘイスティングス」「ヘイスティング」の表記もあり)が、カレーの原料となるスパイスをインドから持ち帰ったと説明されている。ヘイスティングズ(1732-1818)は、インド初代総督で、1772年当時はベンガル知事だった。インド総督に就いたのは翌1773年から1786年までだ。

 S&Bの「カレーの世界史」には、1772年頃のこととして、「ヘイスティングスは、カレーの原料となるスパイスと当時住んでいたベンガル地方の主食である米をイギリスに持ち帰りました。このカレーと米を組み合わせたライスカレーはイギリス王室で大変な評判となり上流階級の人々へ広まり、次いで産業革命で頭角をあらわしてきた資本家階級など、生活に余裕のある人々へと広がっていきました」とある(最終確認2016年10月13日)。

 また、ハウス食品の「カレーの世界史18世紀」には、「ウォーレン・ヘイスティングが、インドからの帰途、インドの料理で使われる粉末の混合スパイスと米を持ち帰ったのが1772年。(略)イギリスに一時帰国することになった際に、『これを国の友達にも食べさせてあげよう、自分もイギリスにいる間食べられないのはさびしいし・・・』というわけで、粉末のスパイスをあれこれ取り揃えて、または混合スパイスである『マサラ』や中でもとくに辛い『ガラムマサラ』を、ついでに米もいっしょに持ち帰ったのでしょう」とある

これらはいずれも、調味するための食材が初めて英国に持ち込まれた趣旨の記述だ。

企業が発信するこれらの似た記述は、何を情報源にしているのか。ハウス食品に聞くと、小菅桂子『カレーライスの誕生』(講談社学術文庫)などを元に作成しているとのことだった。また、S&Bからは、山崎峯次郎著『香辛料 その歴史とカレー』(凸版印刷)、『森枝卓士著『カレーライスと日本人』(講談社現代新書)、水野仁輔著『カレーライスの謎』(角川SSC新書)、そして小菅の同著の記述を主に参考に編集していると回答を得た。

 情報源として共通する小菅桂子著『カレーライスの誕生』を見てみると、ヘイスティングズの名が出てくる。小菅はヘイスティングズについて、「『カリ』を一七七二年に持ち帰ったとある」としている。なお「カリ」は、タミル語の方言で「野菜、肉、食事」などを意味し、これが「カレー」の語源ともされている。

 ただし、小菅の記述も別の情報源によるものだった。同著には「小学館『日本大百科全書』によれば」とある。そこで、原典をたどって『日本大百科全書』を見てみた。たしかに、「カレー粉」の項目にこう書かれている。

<(前略)日本に最初に紹介された西洋香辛料は、イギリスの『C&Bカレー粉』であった。これは、イギリスの初代インド総督ウォレン・ヘースティングズが、インドの『カリ』を一七七二年に本国に持ち帰ったものを、クロス・エンド・ブラックウェル社がイギリス人にあうように混合しなおしたもので、のちにビクトリア女王に献上したといわれている。(後略)>

■ 1772年、ヘイスティングズは帰国していなかった

 これで解決としたいところだったが、ふたたび謎にぶち当たってしまった。

 英国ではヘイスティングズによるカレー伝来をどう伝えているのか知りたくなり、英語での情報検索を試みた。ところが、ヘイスティングズとカレーの関係をめぐる英国発の情報が、皆無といってよいほど見つからないのである。インターネットでは、英文で見つかったのは、S&Bが世界向けて発信する“About Curry”(カレーについて)というサイトや、日本人による高校英語のワークシートの題材での記述ぐらいだった。

 そこで、チャールズ・ローソン卿という人物が1895年に著した『The Private Life of Warren Hastings(ウォーレン・ヘイスティングズの私的生活)』(ロンドン・スワン社刊)を読んでみると、本国の英国に「カリ」を持ち帰ったとされる1772年、ヘイスティングズは、「カルカッタでの新たな役職の仕事に忙殺されていた」とある。同年、彼はマドラス管区における参事会メンバーから、カルカッタ知事へと役職を移していた。そして、この年、ヘイスティングズが本国の英国に帰国をしたという記述は見当たらない。

 別の資料にも当たってみる。英国の歴史家トーマス・マコーリー(1800-1859)が著した『Warren Hastings : An Essay(ウォーレン・ヘイスティングズ 随筆)』には、版によってヘイスティングズの年表がついている。それらを見ると、問題の1772年について、彼がマドラス管区参事会メンバーからカルカッタ知事への異動したことは書かれているものの、やはり本国に帰国したという記述はない

ヘイスティングズの年表から、彼がインドに行った時期と英国に戻った時期を整理すると、表のようになる。少なくとも、『日本大百科全書』にある「ウォレン・ヘースティングズが、インドの『カリ』を一七七二年に本国に持ち帰った」という記述はありえなさそうだ。

■ 四半世紀前にはカレーのレシピが英国の料理書に

 もしもヘイスティングズが「カリ」を英国に持ち帰ったのだとすれば、1764年から1769年にかけての一時帰国時か、1786年のインド総督退任後の帰国時以降となるだろう。

 しかし、後者はありえなさそうだ。インド総督退任後の帰国時期には、すでにロンドンでカレー粉が売られていたとみられるからだ。英国の現代の料理著述家であるローラ・ケリー氏が、彼女のサイトの「The Origins of Curry Powder(カレー粉の原点)」という記事で、1780年代中頃のザ・モーニング・ポスト紙(その後デイリー・テレグラフに買収)に、カレー粉の新聞広告が出稿されていたと紹介している。

 ちなみに、この広告には、「カレー粉と呼ばれる非常に貴重なこの食材は、かの有名なソランダーによって東インドから持ちこまれたもので」といった記述がある。「ソランダー」は、スウェーデン出身の植物学者ダニエル・ソランダー(1733-1782)と考えられる。だが、彼が参加した航海ではインドには寄っていないため、ソランダーがカレー粉を持ち込んだという広告の記述の信憑性は疑わしい。

 では、1764年から1769年にかけての一時帰国時、ヘイスティングズがインドの「カリ」を英国に持ち帰った可能性はあるのだろうか。

 これについては、残念ながら確証的な情報を得ることはできなかった。ただし、カレーのレシピについては、ヘイスティングズが「カリ」を持ち帰ったとされる1772年の四半世紀前にあたる1747年、すでに英国の料理本で紹介されていることは分かっている。

 ジャーナリストの森枝卓士氏は前出の著書『カレーライスと日本人』で、大英博物館を訪れて見つけ出した1747年発刊の英国の料理書『The Art of Cookery Made Plain and Easy(明快簡易料理法)』に「To Make a curry the Indian way(カレーのインド式調理法)」が載っていることを述べている。ここで使われている香辛料は、ターメリック、ショウガ、そして胡椒だという。

 ヘイスティングズがおそらく人生で初めてインドに渡った1750年よりも前に、英国で「インド式」としてカレーの作り方が料理書に載っていて、具体的な香辛料が書かれていた。少なくとも、ヘイスティングズが関わるより前に(関わっていればの話だが)、英国ではインド式を意識したカレー作りのための香辛料が存在していたことになろう。

 分かっているのは、英国のカレーがインドから伝わったのは18世紀のいつかであるということ。しかし、誰がどのような形で、カレーを作るためのスパイスなどの材料をインドから英国に初めて持ち込んだのか。日本のカレーの“源流の源流”には謎が残されている。

今日はカレーが食べたくなりました。

 

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