アジア映画巡礼

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好耐冇見(ホウノイモウギン)、任姐&仙姐!『蝶影紅梨記[修復版]』

2022-01-26 | 香港映画

昨日は、久しぶりに粤劇映画を見ました。任姐こと任劍輝(ヤム・キムファイ)と仙姐こと白雪仙(バク・シュッシン)という、香港粤劇ゴールデンコンビの作品『蝶影紅梨記[修復版]』(1959)です。見たのはもちろん、こちらの「香港映画発展史探究」上映です。

今回の上映プログラムは、お話を聞いた時から「粤劇映画も入っているに違いない。任白コンビの『帝女花(皇帝の娘)』(1959)だったらいいな~」と思っていたのですが、残念ながら『蝶影紅梨記[修復版]』で、ちょっとがっかりしつつも未見作品のため楽しみにしていたのでした。そして期待した「修復版」は予想以上の仕上がりで、モノクロ作品ですが美しい画面と音声を十二分に楽しめました。冒頭に出てくる香港電影資料館の説明によると、モノクロ作品なのにカラーフィルムに焼き付けられたプリントとか、3種類のプリント素材から一コマ一コマ修復し、音声もきれいにしたようで、日本のIMAGICAが担当したというその修復技術の素晴らしさに思わず拍手したくなりました。

白雪仙と任劍輝(「戯迷情人任劍輝逝世特輯」1989?より)

そして映画自体は、オールスター出演の見応えのある作品で、舞台劇らしいアリャリャもあったものの(笑)、大満足で帰ってきました。オールスターというのは任白コンビのほか、脇役の男優陣も梁醒波(リョン・センポー)に靚次伯(レンチバーク)という大物であり人気者のスターが揃っていたからです。実は私、靚次伯のちょっとハスキーな声に惹かれていまして、今回の作品では結構歌って下さってもううっとり~♥。今回は悪役だったのですが、「春香伝」に似た筋立てで最後に制裁が加えられる宰相役のため、情けない顔も拝見できてこれまた幸せでした。

任白ご両人と波叔こと梁醒波は、返還前ですが切手にもなりました。この切手はイギリス時代を示す王冠マークが付いているので、現在は使えません。

左の李小龍(ブルース・リー)はよくご存じだと思いますが、右は北京語映画の人気女優だった林黛(リンダ・リン)で、真ん中が粤劇映画の人気者たちです。真ん中だけ、ちょっと拡大しておきますね。

波叔は広東語映画の現代劇にもたくさん出演していますが、1970年以前は粤劇映画、つまり舞台の粤劇をスクリーンに移し替えたものが数多く作られ、特に1950年代は香港で作られた広東語映画の3分の1が粤劇映画であったと言われています。舞台をそのまま撮ったのではなく、結構お金を掛けたセットを作り、そこで時代劇映画のような作り方で撮ってあるので、映画としても上出来の作品が多いです。今回の『蝶影紅梨記』は、こんなお話です。

蝶影紅梨記

妓楼の人気ナンバーワンである謝素秋(白雪仙)は、お寺の石碑に書かれた詩に心酔し、作者の書生趙汝州(任劍輝)に恋い焦がれて、離れた地に住む彼の元にラブレターのような詩をずっと送っていました。そして彼がその寺に来るというので、素秋が胸を高鳴らせて初対面の彼を待っていると、そこへ妓楼のおかみがやってきて「宰相様がお召しだよ」と半ば無理矢理素秋を宰相の屋敷に送り込みます。宰相(靚次伯)は彼女を大勢いる妾の1人に加えようと呼んだのですが、同席していた劉公濟学長(梁醒波)の機転でなんとか宰相の毒牙から逃れようとしていたところに、素秋がそこにいると聞いて汝州がやってきます。「科挙の試験を受けるのでご挨拶に」という口実だったのですが、宰相が邪魔をして2人は表門で隔てられ、とうとう会えずじまい。おまけに素秋は、強引に宰相の妾にさせられ、任地に連れて行かれることになります。

蝶影紅梨記36476

一計を案じた劉学長は、旅の途中で素秋が亡くなったことにし、別人の遺体を谷間に捨てさせて彼女と共に逃亡します。素秋と学長は素秋の親戚を頼り、外に対しては素性を偽って別邸に住まわせてもらいます。ところが汝州も偶然から、別邸の隣に一時滞在することになり、素秋と知らずに顔見知りに。そんなこんながあるうちに、汝州は見事科挙の試験に合格し、地方官吏の悪を摘発する役人として宰相の元にやってきます。そこでやっと素秋の素顔を知り、劉学長の導きで2人は結ばれるのでした。

上は題字のとおり任姐が亡くなった時に出たらしい記念冊子なのですが、任姐はコミカルな演技も得意で、『蝶影紅梨記』でもそういうシーンが用意されています。ですが全体としては結構ハラハラドキドキさせてくれる筋立てで、ラストはハッピーエンドだろうか、それとも2人とも死んでしまう(『帝女花』がコレなんですね)のだろうか、とだいぶ気がもめました。悲劇かな、と思ったのは、冒頭に『帝女花』(1959)の有名な一節「♫落花満天蔽月光」のメロディーが流れたためで、この歌は主人公2人が自害というか心中する直前に華燭の典を挙げる場面で歌われる歌なのでした。粤劇のことを書き出すと際限がなくなってしまいますが、今回1本でも日本語字幕で見られて本当によかったです。このあたりの年代の作品の字幕は、翻訳者が鈴木真理子さん、監修は韓燕麗先生(東京大学)で作られたようで、大変だったことと思います。お陰をもちまして、日本語でしっかりと意味がわかり、本当にありがたかったです。『帝女花』も『紫釵記(紫水晶?のかんざし)』も、いつか日本語字幕で見たいです...。

 


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