〜かたることばが歌になる風になる〜

ロルカの詩「バラの変容」「忘れるな」「明日ともなれば」

6月7日に控えている「女声合唱団風」のコンサートで歌うF.G.ロルカの詩に林光さんが作曲した『グラナダのみどりの小枝』の3曲。
「バラの変容」「忘れるな」「明日ともなれば」の詩の1曲目「バラの変容」のことで2013年10月29日に書いた<バラ『ローザ・ムタービレ』>で、私が認識を間違って書いていることがある。

この曲の出だしのバララーンというアルペジョ(左手ラミラ 右手ドミラ)はチェンバロの音と解釈していると書いた。
これはスペインのギターの爪弾きなのだそうだ。
確かにチェンバロも弦を弾いて鳴らすので同じようなイメージではある。

ロルカはこの3部作の2曲目「忘れるな」で遺言のような詩を書いている。
「僕が死ぬだろう時 僕のギターを一緒に埋めてくれ 砂の下に・・・」という1節がある。

私たちはこれまでこの曲を林さんの手書き譜で練習してきた。
今年1月に全音から出版された『グラナダのみどりの小枝』の楽譜の見開きに「初演(1988年)プログラムノート」から引用された林光さんのコメントが載っている。

この連作は、桜楓合唱団の、今回の演奏会のために編んだ。
三つともフェデリコ.ガルシア.ロルカ(1898~1936)の詩によっている。
「バラの変容」は戯曲『老嬢ドニャ.ロシータ』(牛島信明 訳)に出てくる詩(元々は無題)。「忘れるな」(“Memonto”)は、詩集『カンテ・ホンドの詩』にある、おそらくロルカのもっとも知られた詩のひとつ(長谷川四郎 訳)。
「明日ともなれば」は、旧作の混声合唱の、女声合唱へのリライトで、そのまたもとは、『新しい歌』(“Cantos nuevos”)によるソングであった。
なお、全体のタイトルは、詩人の傑作『夢遊病者のロマンセ』中の一行に基づいている。
 奇しくも今年は(1988年)はロルカが生まれて90年。よい記念の宵になりますように。

『忘れるな』(長谷川四郎 訳)        
              
ぼくが死ぬだろうとき             
ぼくのギターといっしょに埋めてくれ    
砂の下に                                              

ぼくが死ぬだろうとき
オレンジとハッカのあいだで                                  
                          
ぼくが死ぬだろうとき             
よかったら埋めてくれ
吹き流しの旗の中に             
                         
ぼくが死ぬだろうとき!           
                         
『明日ともなれば』(長谷川四郎 訳)
昼過ぎが言う―――影を飲みたい!
月は言う――飲みたいのは星の輝き
澄みきった泉は唇をもとめ 風がもとめるのはため息

匂い 笑い 新しい歌 これがぼくの飲みたいものだ

月だとかユリの花だとか 死んだ愛などから自由な歌だ

明日ともなれば一つの歌が 未来の静かな水面をゆさぶり
そのさざ波とぬかるみを 希望でふくらますだろう                      

光り輝いておちついて 思想に満ちた一つの歌                   
悲しみや苦しみやまぼろしに まだよごれていない一つの歌

抒情的な肉体なしに 笑い声で静寂を満たす歌だ
(未知のものへと放たれためくらのハトの一群だ)

もろもろの物 もろもろの風 その中心にせまる歌だ
とこしえの心の喜びに 最後にはやすらう歌だ

「バラの変容』についてはブログ<バラ『ローザ・ムタービレ』>

活動を終了した「女声合唱団風」のこと、「コーラス花座」のこと、韓国ドラマ、中国ドラマなど色々。

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