くろねこさんの話によれば

くろねこが思ったこと、考えたことを記すだけの日記なのだと思う。たぶん。

叡王戦

2016年11月18日 23時24分38秒 | 比較的短文ではない文章
世界コンピュータ選手権の優勝ソフトとの対局者が決まる、人間側の棋戦「叡王戦」が佳境を迎えています。残すは決勝戦だけ。僕としては、どちらが勝っても満足。叡王と最強コンピュータが番勝負する、来年開催の「第2期電王戦」は、昨年の第1期よりも俄然注目度が上がるでしょう。

決勝戦進出者の紹介の前に、ベスト4から振り返るのが肝要です。

まずは、不世出の天才、将棋会の至宝にして将棋の代名詞、羽生善治三冠。叡王戦への参戦表明は、期待と驚きをもって将棋ファンに受け止められました。「人間界の最終兵器」とも呼ばれ、必ずコンピュータを打ち負かしてくれるものと信じている人も多いのではないでしょうか。

そして、史上初の平成生まれの棋士にして天才と称される若手のホープ、豊島将之七段。無冠のトンネルを抜けて、今期初めて棋戦で優勝し、連勝街道を爆進。ことしは勝率八割を超える驚異の成績を残しています。かつての電王戦では、コンピュータを返り討ちにして注目を集めました。

また、コンピュータの棋譜から徹底的に学ぶ次世代型棋士、千田翔太五段も勝ち上がり。コンピュータを上位の存在と認め、そこから学ぶことを始めた先駆者で、昨年のNHK杯では準優勝。固定概念を打破し、新しい将棋の地平を開拓し続けています。成績も上昇気流で、新しいムーブメントを起こす起点にもなりそうです。

最後に、満を持して登場した現代将棋の最高峰、佐藤天彦名人。ピラミッド型の総当たり戦で序列を決める順位戦で、頂点に君臨します。卓越した攻守のバランス感覚、正確な読み、最先端の研究に裏打ちされた、ど本命のキング。その実力は、今期の名人戦で羽生三冠を圧倒し、とうとうその牙城を崩しました。申し分はありません。

さて、準決勝に進んだのは彼ら四人ですが、その結果はどうだったのでしょう。

佐藤名人が羽生三冠を破り、千田五段が豊島七段を下して、それぞれ決勝の舞台に駒を進めました。特に佐藤名人ー羽生三冠戦は壮絶で、最後は持将棋(の引き分け)の可能性もあったようです。そのぎりぎりの攻防を佐藤名人が突破した。集中力も精神力も、相当高いレベルにあるようです。一方の千田五段も、10連勝以上していた豊島七段に土をつけたのは見事の一言。五段が決勝戦に進むことを予想していた人はいないはずで、充実ぶりが伺えます。

決勝戦は、将棋界のトップと、コンピュータ将棋のスペシャリストが相対することになりました。決戦は12月。そしてその先の電王戦。知性とは何か、進歩とは何か、来るべき人間社会の未来を占う上でも重要な戦いです。そして、2人がどんなドラマを見せてくれるのか、僕としてはとても楽しみです。

読書週間

2016年11月18日 23時01分21秒 | 比較的短文ではない文章
近況というほどでもないけれど、最近はずっと本を読んでいます。いや、ずっとというのは大げさですね。将棋をしない分が読書に回った、ということです。

20年弱前の、一般的には古い部類の小説なのだけれど、森博嗣のシリーズものを読んでいます。「理系ミステリーの金字塔」なのだそうで、一作目からガリガリと読み進めています。いまは四作目。ミステリーだけあって、どんどん人が死んでいく。

体系的に読まないと、その作家の本質は見えてきません。立体的に立ち上がってこないというか、ひと作品だけでは味わえないものがそこにはある。だからシリーズとして読み進めています。

僕は(たぶん)小説はあまり読まないけれど、体系的に読んだ作家は何人かいる。そこで感じるのは、作家自身の視点の置き方についてです。

あくまで個人的な解釈ですが、例えば村上春樹は「個人」を描く。個人が、社会というかより大きなものの中を通過していく時のあり方、スタイルを通して物語を立ち上がらせていきます。

例えば森博嗣の場合は「?(ハテナ)」を描く。答えから問いを導き出して、立ち上げていくような視点です。問いが大事なんですね。問いが物語を作り上げていく。

前者は筋書きのないドライブ感と深い集中を要し、後者は適切な問いを組み上げていく論理力が求められる。ような気がする。あくまで個人的な解釈でね。

まぁまぁ、そんな風にして僕は体系的に読み込んでいます。秋の読書週間。個人的な読書週間。自らの認識力のなさと戦いながら、言葉(というか電磁波)を脳の中で意味(価値)と等値変換し、時にそれを客観視してぐらぐらと揺れながら(メタ認知で行為を相対化させながら)、時間を過ごしています。

読んでいる時に読んでいる行為そのものを認識するのって、自然としちゃうんだけど、すごく疲れます。読書には適さない行為なんだもの。

文庫本

2016年11月18日 20時39分16秒 | 比較的短文ではない文章
文庫本って好きです。片手で持てるサイズと軽さだからです。ハードカバーはそうはいかない。本棚に並べると見栄えはするけれどね。電子書籍は目が疲れそうだし、なにしろ「終わり」が直感的に分からなさそうなので、読む気にはなれません。小説は何日もかけて読むので、進捗度が目に見えた方がいいような気がするのです。漫画は別だけれど。

ところで、人間の認識力って、どれほどのものなのでしょう?

本を読んでいても、まったく文章が頭に入らずに、同じところを何度も読み返すことがあります。言葉の意味を調べて再度読み直しても、うまく理解できない。するっと分かるようになるまでには、少なからず時間(と経験)が必要なようです。

またしても、人間の認識力って、どれほどなんでしょう?

分からなくても読む、ということが多いのかな。分かった気になっていることが多いのかな。むぅ。分かりませんねぇ。

堅い文章を読んでいる時だけじゃなくて、ニュース番組を見る時なんかもそう。言葉が、意味が、頭の中をするすると抜けていって像を結ばない。そういうことって多くないでしょうか?僕は多いです。本当に。

理解って、難しい。というか、理解した気になって生きているのが人間なのでしょう。認識の不完全さ、というよりも、精神の健全さだと思うけれど。

ところで、ブログはぱっと思いついた時に、書きたいと思った時に書くのが良いですね。その瞬間を逃すと、(熟成の可能性はあるけれども)形にしないままに終わることが多い気がします。むぅ。