毎日から週3になったお墓参り
お寺の小道は彼岸花からコスモスに~~
昨年(2019年)10月の3行日記、頻繁に書いてあった事
抗癌剤を止めたいと泣き言…(3日に断る)
食も進まず、がんセンターに栄養点滴に行く。
足のしびれと冷えを訴えるので足湯をする。
痛みもあり、薬が増える。
14日、2カ月ぶりに「癌が消える」というマッサージに行く。
マッサージの先生は「私が治す」と力強い言葉を云ってくたれた。
夫は「元気を貰った!来月も生きていたら来るから」と予約をしたが
予約日に逝ってしまった…
小5の孫yuzuki作
20日、私の実家に行きたいというので連れて行く。
弟には「もう長くない」と伝えておいた。
持参した足湯器で母の足を温めてあげ、
弟との会話も弾み楽しそうだった。
いつもなら長居をしない人が
「まだ、帰りたくない。特に用もないから居よう~」
中々 帰りたがらなかった・・・
夫は私の実家が好きで兄弟や友人達を連れて行ったりした。
この日が最後の訪問になった。
その頃、夫は次兄も肺がんステージⅣと知る。
(夫の男兄弟4人,長兄は67歳肺がん、三男兄は60歳で亡くなっている。
次兄と四男(夫)も肺がん罹患・・・ 4人中3人が肺がん!!)
次兄の肺がんは心臓に転移があり、
兄嫁は「どちらが先になるかわからない」言った。
兄の抗癌剤治療が始まった。
夫は兄も「肺がん」に罹り、自分だけではないと
気持ちが軽くなったのではないかと思いました。
お互いに兄弟家の行き来が励みになっていた。
週花はユキヤナギノの紅葉
25日、息子が近くの日帰り温泉に連れて行く。
(お風呂代わりの入浴程度)
元気な時はよく一人で行っていた温泉
病気になってからは息子に連れて行って貰うのを喜んでいた。
29日、息子と最後の温泉に行ったが
この日は車のドアを閉めれないほど衰弱してしまい
帰宅後、ベットに倒れ込んだ。
ギリギリの状態だったが、息子の誘いを断れなかったのかな・・・
10月後半は胃・腹・背中・・・痛みとの戦い。
血痰も出てきた。
医療麻薬(オプソ内服薬)を使う回数が増えてきた。
テレビ、新聞、景色も見みない、ベットで横になってる時間が
殆どだった。食も飲み込む力が弱ってきた。
栄養ドリンクを1日3本飲まなければ死んじゃうと
脅しをかけて飲ませていました。
主治医はいつでも入院できると言うが、、、
自力で最低限の行動はでき、意識もしっかりしていた。
入院はさせたくないと子供達と話した。
でも、今までに一度も言ったことはない言葉を云われた…
「店にお客さんが居ないと時は寂しいから自室に居て欲しい」
私がどこに行こうと関知しなかった人が…おかしいと思った。