穏やかに

これからの人生を穏やかに過ごせたら幸せ!

2019年10月の日記

2020年10月27日 | 夫の闘病記

毎日から週3になったお墓参り
 お寺の小道は彼岸花からコスモスに~~


 

 

昨年(2019年)10月の3行日記、頻繁に書いてあった事
 
 抗癌剤を止めたいと泣き言…(3日に断る)
 食も進まず、がんセンターに栄養点滴に行く。
 足のしびれと冷えを訴えるので足湯をする。
 痛みもあり、薬が増える。


 14日、2カ月ぶりに「癌が消える」というマッサージに行く。
  マッサージの先生は「私が治す」と力強い言葉を云ってくたれた。
   
 夫は「元気を貰った!来月も生きていたら来るから」と予約をしたが
    予約日に逝ってしまった…


小5の孫yuzuki
 

 
 

20日、私の実家に行きたいというので連れて行く。
  弟には「もう長くない」と伝えておいた。
  
 持参した足湯器で母の足を温めてあげ、
  弟との会話も弾み楽しそうだった。
 
 いつもなら長居をしない人が
 「まだ、帰りたくない。特に用もないから居よう~」

  中々 帰りたがらなかった・・・ 

 夫は私の実家が好きで兄弟や友人達を連れて行ったりした。
    この日が最後の訪問になった。

 

 
  
   

 

その頃、夫は次兄も肺がんステージⅣと知る。
  (夫の男兄弟4人,長兄は67歳肺がん、三男兄は60歳で亡くなっている。
    次兄と四男(夫)も肺がん罹患・・・ 4人中3人が肺がん!!)

   
  次兄の肺がんは心臓に転移があり、
   兄嫁は「どちらが先になるかわからない」言った。
  
  兄の抗癌剤治療が始まった。
   
 夫は兄も「肺がん」に罹り、自分だけではないと
    気持ちが軽くなったのではないかと思いました。
 
お互いに兄弟家の行き来が励みになっていた。



 

 週花はユキヤナギノの紅葉
 


   

 25日、息子が近くの日帰り温泉に連れて行く。

     (お風呂代わりの入浴程度)

 元気な時はよく一人で行っていた温泉
 病気になってからは息子に連れて行って貰うのを喜んでいた。
 
 29日、息子と最後の温泉に行ったが
 この日は車のドアを閉めれないほど衰弱してしまい
  帰宅後、ベットに倒れ込んだ。
 ギリギリの状態だったが、息子の誘いを断れなかったのかな・・・



10月後半は胃・腹・背中・・・痛みとの戦い。
 血痰も出てきた。
医療麻薬(オプソ内服薬)を使う回数が増えてきた。

テレビ、新聞、景色も見みない、ベットで横になってる時間が

 殆どだった。食も飲み込む力が弱ってきた。

栄養ドリンクを1日3本飲まなければ死んじゃうと

 脅しをかけて飲ませていました。



主治医はいつでも入院できると言うが、、、

 自力で最低限の行動はでき、意識もしっかりしていた。

入院はさせたくないと子供達と話した。

 

でも、今までに一度も言ったことはない言葉を云われた…

「店にお客さんが居ないと時は寂しいから自室に居て欲しい」

 私がどこに行こうと関知しなかった人が…おかしいと思った。

 

 

 

  

コメント (2)
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