「横浜大空襲60年、語り継ぐ記憶」の題で、数日記事が出ました。
友達のご主人が、中学生の時、この真っ只中に居た事を知っていましたので
テレしましたら、千葉の新聞には出ていないとの事。
早速新聞を切り抜いて、ファックスで送りました。
朝日新聞で、投稿を募っていましたので、ご主人は、原稿を朝日新聞に
ファックスで送ったり、中学にも送って、校長先生にお礼の手紙を頂いた
そうです。 教えてくれなければ、発表の機会がなかったと、たいへん
喜ばれました。
翻って、亡夫は、神戸大空襲に遭っております。
義弟に聞きましたら、6月5日朝、警報が鳴り「今日は学校に行かんでも
いいわ」と思っていましたら、屋根に上っていた兄貴が、「すげえ飛んでくるぞ」
と言って、皆で逃げたそうです。
何故か、釣竿を忘れて戻った時、布団に水がかかっていたのを覚えている
そうです。
でも「もう、色々忘れてしもうたなあ」と言って居りました。
私は、「何でもいいから、書き残しましょうよ」と言って置きました。
戦後60年、今あちこちで、語られています。
友達のご主人が、中学生の時、この真っ只中に居た事を知っていましたので
テレしましたら、千葉の新聞には出ていないとの事。
早速新聞を切り抜いて、ファックスで送りました。
朝日新聞で、投稿を募っていましたので、ご主人は、原稿を朝日新聞に
ファックスで送ったり、中学にも送って、校長先生にお礼の手紙を頂いた
そうです。 教えてくれなければ、発表の機会がなかったと、たいへん
喜ばれました。
翻って、亡夫は、神戸大空襲に遭っております。
義弟に聞きましたら、6月5日朝、警報が鳴り「今日は学校に行かんでも
いいわ」と思っていましたら、屋根に上っていた兄貴が、「すげえ飛んでくるぞ」
と言って、皆で逃げたそうです。
何故か、釣竿を忘れて戻った時、布団に水がかかっていたのを覚えている
そうです。
でも「もう、色々忘れてしもうたなあ」と言って居りました。
私は、「何でもいいから、書き残しましょうよ」と言って置きました。
戦後60年、今あちこちで、語られています。