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サンティアゴ・デル・エステロ

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 コスキンからサンティアゴ・デル・エステロに戻ってからの5日間がまた大変でした。前の週にフアンカ&智詠の企画ユニット「Borrando las fronteras」のプロモーションで地元の新聞に取材を受けた(売り込んだ?)のですがちょうど戻った日から朝刊に2日続けて掲載。すると翌日の朝さっそく地元のテレビ局「Cable Express」が家にみえてインタビュー収録。

 私は起きて40分しかたってないのに不思議なスペイン語で受け応えをしつつ演奏。その晩この模様がニュース番組で思い切りアップで映っていました・・・これまで自分がテレビに映ることはあってもしゃべって歌っている姿はほとんどなかったので、ちょっと耐えられず(汗)・・・でもありがたいことです。そのおかげか、その翌日にはさらに2局のクルーの方が来訪してフアンカとインタビューを受け、各チャンネルの夜のニュースでサンティアゴに音楽を学びにきている日本人という紹介をしていただきました・・・

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 金曜日はエル・レフンテと一緒に近所のバー「モローチャ」でのライブ。そういえば2004年の時もサンティアゴ近郊の町での演奏だったので市内でのライブに出演するのは初めてでした。今回は最初にフアンカと、コスキンでもご一緒したパコと3人で10曲ほど演奏、先日フィエスタで一緒だった友達も聴きに来てくれてうれしいです。休憩をはさんでエル・レフンテのステージ。レポは夏休みのためピルーロとオマールのトリオ。最後は私も入って3時までのライブ盛り上がりました!

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 さらにフアンカ制作中の新しいCDのレコーディングにも呼んでいただきました。木曜日と土曜日の夕方にオマールと一緒にスタジオへ。チャカレーラとミロンガを一曲ずつ、ギター2台で収録します。オマールのアレンジがすばらしく、2人で少しずつ交代で録音を重ねながらとても気持ちのいいサウンドに仕上がってきました。完成がとても楽しみです。


 1月30日。私にとって今回の滞在で最後の夜でしたが忘れていません、この日はルーカスとマリの娘(フアンカの孫)のグアダルーペの15歳の誕生日でした。2004年には8歳の誕生日を祝ったばかりだと思っていたらすっかり大人になっていました。時が経つことをもっとも感じる瞬間でもあります・・・当時はあまりしゃべらなかったルピータも立派にコメントしてみんなに祝福されて、こちらも感無量です。アルゼンチンでは女性は15歳はとても重要な意味を持っているそうです(男性は18歳)。ちなみに彼女が抱いているのは「妹」ですので誤解なく・・・

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 コスキンをはさんで半月あまり、フアンカ、アリシア、ファビオ、イニャキ・・・本当にお世話になりました。私が今回アルゼンチンに来た動機の半分はフアンカに会いたかったからなのですが、この数年フアンカのライフワークは「de Pueblo en Pueblo」、子どもたちに音楽を伝え残していこうと小さい村々をまわって講演とコンサート活動を続けています。

 この1年ほどよくフアンカからその模様をメールマガジンで受け取っていましたが、一方でその頻度がとても多いことから根拠はないのですが何か急に心配になってしまいました。ところが実際来てみるとそれは杞憂で、まったく変わってない彼の歌声にひと安心、まさか一緒にユニットを組むとは思いもせず・・・最後にはとうとう「このドゥオで日本でやろう!」と言ってくれるほどフアンカの元気に圧倒される日々でもありました。

 サンティアゴの人たちと一緒に歌い楽しみ、自分にとっても2004年に来た時とはまた違う、大きな「宿題」をもらったような気がします。サンティアゴを離れたときはもはや帰りではなく出発の心持ちです。本当にありがとうございました。
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