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青黴のつぶやき

春退社8月結婚9月~上海に留学
その生活を中心に今日の出来事
中国語を勉強しながら何を思う?
声の小さなラガーマン

中国で迎える終戦の日 2006年8月15日 二

2006-08-15 23:18:47 | 旅:嫁と
~とりあえず何事もなく、感じたことといえば~

朝7時ホテル集合
始発の公共汽車に乗るなどして、ラッシュ前の街中へ
朝刊には、参拝をして欲しくないとあったが、ホテルに着いた頃にはすでに、彼は参拝を終えていたようだ
ホテルのNHKではその新聞が流れていた
私は反対である
それとは別に、全国戦没者追悼式が行われるからそこに行けばよい
ただ、公約を守りたいだけか
まあ、アテネ五輪の有言実行北島康介は確かにかっこよかったがな 
それでも、新聞をみると、やはり参拝してありがとうという日本人もいるわけで
じゃあどないせいと
というか、彼は首相の任期をこのまま終える
すてきな人生だと思うよ
もし今
どこぞの国が日本にミサイル打ってきてもだれも助けてくれないんじゃないとか思う
もちろん、隣国にいろいろ言われても筋を通していく外交というのはあるときは必要だろうが、というか
つかれたので、この話はいいや 

疲れたといえば、本日のコース
朝一豫園で南翔の小籠包を食べるはずが、改装中で営業していない 
別の店で食べた
それから、まったりーと豫園をまわった
両親にとってはかっこうの被写体である私は右に左に報道陣のフラッシュをあびた 
それから、新天地
個々にはひっそりと中国共産党党大会第一会開催跡地がある
成人3元、学生1元
その入場料とは裏腹に、よく空調が効いていた
もちろん、中身も値段の割りによくできてた 

そして昼
食事をどうするかはガイド泣かせであるが
「味千でいいよ」
味千とは熊本が生んだ世界に誇るラーメン店
移動中たまたま目にしたので、話のネタにと両親と姉を連れて行った
相変わらず混んでた
熊本は博多に隠れてそこまでラーメンが有名とはいえないが、ここ中国では大流行
超市や便利店にも味千の生めんが売っているくらいだからな
で、それなりに食べた
個人的には、中国の三得利と麒麟のビールの差が、日本より大きかった方が収穫だ 

下午
口から出る言葉は
「暑い」
「疲れた」
である
予定通り博物館へ行ったが、ここもひたすら疲れた
晩飯前にホテルで休憩した

そのとき、手に入れた晩報紙
靖国参拝について、1面に出ていた 
まあ、日本では知りえない感情的な部分も含めて、読み物としても面白い
そして、もっと自分が知らなければならないこともあるなあと思った

とりあえず、晩飯は好評だった

まあ、暑くてもいい、平和にいきましょうよ 

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とりあえず初日はゆっくりと 2006年8月14日 一

2006-08-14 23:50:48 | 旅:嫁と
~歓迎両親和姉来上海~

両親が来た
その前に
医院へ行った
見るからに腫れは引きつつあるが、まだ完全ではない
結局、アレルギー性皮膚炎用の薬プラス嫁が口酸っぱくして言ってた維生素C片が与えられた 
1週間で治まるでしょうって言われたが、前回の先生と明らかに違う
そしてもうひとつ
平日は通訳がいる
いまいち緊張感に欠けた
通訳と医者が上海語で会話するのを通訳が私に教える
おもしろくないのである 
それから中国電信へ
振込用紙がきていた
で、意味不明な項目が有ったので聞きに行ったら、案の定
以前住んでいた人の分の電話代約10元も含まれているようだった 
だから、おかしいので、いつ費用が発生したものか教えてというと
「出ない」
しかも、そのずっと対応していた実習生、明らかに態度が悪い
過去2回訪れたときはとてもいい印象だったのに 
それから、家の水を頼んだ
中国は水道水が飲めないから5ガロンタンクを頼むのだが
待てども待てどもこない
前回は3時間以上待ったなぁ
で、今回1時間半待っても来ない
催促の電話したのに 

断って、浦東へリニアに乗って行った
もともと2本のレールがあって2台が交互に行き来するが
先日一台が炎上
そのまま停止した状態で何か調べているのが、駅から見えた 
で、1台しか稼動していなかった

浦東は大混雑
嫁はよく夜の晩い便で来ていたのであまり混む場面に出会わないのだが、まあいろんなひとがいるものだ
ようやく出てきた両親と姉
ケチって公共汽車でもよかったが、出租車にした

着いたホテルは和平飯店
嫁がやってきたときは、安くてもまともなホテルをモットーにしてきたが
ま、両親ですから、ちゃんとしたホテル
ま、こういうホテルは英語も片言の日本語もできるから、留学生としては物足りないのだが 

休憩して、上海蟹の店
今回の旅行
暑さもそうだが、食事にも気を配る
あまり脂っこいのもいやだし、肉肉しいのも 
で、旺季ではないがあっさり目の蟹料理にした
ここでも、日本語
またしても、物足りないというか、客が中国語しゃべったら、店員も中国語使え 
で、軽めに食事して解散となった

明天は6時から近所で太極拳をやっているから母が見に行くらしい 

もっと気温低めでお願いします 
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いきつけも迷ったり空振りしたりすることはある 2006年8月13日 天

2006-08-13 23:43:09 | 旅:嫁と
~おなかがすいか~

嫁が帰国した 
私が以前働いていたときにたまったマイレージを使ってのフライト
しかもビジネス
ということで空港ラウンジから持てるだけ青島ビールを持てと支持した 
お互いに見送ったり見送られたり何度目だろうか 
結婚1年も速いが留学生活も速いな 
毎度ではないが嫁のサプライズ置手紙にある
「万里の長城のように人生は長く、いろいろと曲がりくねっているものであって」
そうだなぁ
と関心しつつも、その先を見なきゃと 

昨天、北京から浦東
今天、嫁送りで浦東
明天、家族迎え浦東
3日連続浦東

浦東は国際空港のひとつだが、家から1時間半くらい
まあ旅だな
いいけど 

で、嫁を送ってそのまま医院へ
なぜか、先週土曜日に腫れた右手
引いてきてはいるが、まだ完全に腫れが引いていない
医生は2,3日で引くといっていたのに 
心配なので行った

いつもは出租車で行くところを地鉄で行き、炎天下道に迷い、到着するも
日曜日は皮膚科休みなり 

せっかくだから、そのあたりをぶらぶらすること数時間
報紙によると、この日も38度超を記録した上海
家にたどり着いてシャツが乾くと塩が吹いてた 
明天両親たちがくるが、この暑さは心配である 

3週間ぶりの相互学習の帰り
西瓜を買った
中国はさまざまなところで水果を見かける
超市
水果店
台車
道端
そしてトラック
聞くところによると、トラックで売っている水果は上海近郊農家の人が取れたものを直接持ってきているから、安くておいしいと
ということで西瓜を買った
一人暮らしをしたらしたいことベスト100に入るこの所業
悪いことでもないが、贅沢に 

中国南部は水害がひどいようだが、上海は少しでも雨が降って欲しいのである今日この頃 

家族M1
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把北京和上海比較一下 2006年8月12日 六

2006-08-12 23:26:01 | 旅:嫁と
~北京に住みたいと思わせる今天この頃~

北京
思えば、留学先を上海にするか、北京にするか迷ったものである
今回まわったところといえば
天壇-西単
万里長城-前海胡同めぐり-王府井
毛沢東紀念館-天安門-故宮-前門大街-北京烤鴨
盧溝橋-抗日戦争紀念館-瑠璃廠-首都劇場
清華大-北京大-円明園-頣和園-奥林巴克公園
(ざーっと、回った順に)
明十三陵なども含めまだまだ見るべきところはたくさんあるが
回り続けても、もう疲労困憊であっただろうし、実際に頣和園などは通過しただけに過ぎない
それぞれはいいところ、でも1週間で一度に回るのは、しかも個人で自分で道を開拓しながら行くのはとても大変である
そう
住むしかない 

さて
中国では街のいたるところで「文明社会」などという文句を目にする
いわゆる、モラルのある社会だろうか
上海にはやっちゃいけない7つの項目とか言って
痰を吐かない
ごみのポイ捨てしない
公共物を壊さない
草木を汚さない
信号無視をして道路を渡らない
汚い言葉をしゃべらない
公共の場で煙草を吸わない
などである

さて、東京では特に駅のエスカレーターで急がない人は左側に寄って右側は急ぐ人のために空ける(大阪では左右逆らしいが)
これは現代社会の常識か 
上海ではそういう文化はなく、むしろ大勢の人がいっぺんにエスカレーターに乗る
そして、エスカレーターを歩いて登らない
本当に急ぐ人は階段を行くだろう
私が思うに、本当にラッシュのときは隙間なくエスカレーターに人が乗るので、エスカレーターの片側を開けるよりも時間当たりに登れる人の数は多いのではないかと思うのである 

で、北京
地鉄列車にある表示
「エスカレーターでは右側に立ちましょう(大阪風)それがマナーです」
で、駅のエスカレーターにもそういう表示があった

実際
北京は上海よりもマナーがいいぞー 
まず、路上でクラクションを鳴らす汽車が少ない
特に、通行人に対して鳴らすことが少ない
汽車同士のいざこざは見かけたが、どっかの大都市みたいにクラクションが鳴り続けていることはあんまりない
そして、地鉄
これが上海との大きな違い
列車が駅に着いたときに、乗ろうとする乗客が、列車から降りてくる乗客を待つ
最初にこれを見たときに感動さえ覚えた
同じ中国人なのに、どっかの大都市にはありえない
どっかの大都市は、乗客が降りてくる客を待っていると、列車のドアが勝手に閉まる
それもあって、乗客は降りる人を待つよりも先に、乗り込もうとする
これは、列車も悪い 
そして、もうひとつ
たまたま見かけただけだから断定はできないが、歩き煙草をしてたおっちゃんが、わざわざゴミ箱まであるいて、吸い終わった煙草をそこへ捨てた
どっかの大都市に限らず、日本でもポイ捨ては見かける
ちなみに私の持論だが
「煙草のポイ捨てするやつに、戦争を反対する資格はない」

上海は現地人以外に、田舎から出てきた人も数多くいるせいか、正直マナーがいいとはいえないというか、浸透しにくい
北京にも田舎から出てきた人はいるだろうが浸透しつつある
同じ中国でもこの二つの大都市でこんなに差があるのかと思った 

そして、そんな北京から帰ってきた日に上海の地鉄の中で
2歳くらいの子供を座らせて、立ってそれを見守る母親
しかし、その子供がやりたい放題
隣の見知らぬお兄さんの髪の毛をつかんで話さない
母親はそのとき、手を出して止めるべきと思ったが
「No,No」
などと、英語教育をしているのか、英語で言い聞かせようとする
苦笑いの若者
その子供の体の何かをティッシュでふき取る母親
そのまま、ティッシュは車内にポイ捨て
その後も、知らない乗客に迷惑をかけ続ける子供
一切手を出さず(叩くという意味ではなく)、ただ口で「No,No」とか注意する母親
ふと、子供を抱きかかえた母親
ドアに向かって、小便をさせようとした 
未遂に終わった
その後も、子供が一人で歩いて、ドアに向かって小便未遂
おい
母親
やめさせろ 

というか、たたけ
いや、叩くぞ

我が家は非暴力主義なので、これも未遂であるが 

ついで、昨天訪れた頣和園
園内には大きな池があるのだが、中国のどこぞからやってきたあるおっちゃんが、鼻をかんで、そのティッシュをその池に向かって捨てた
北京で買った中国の地図を見ながら、でかい国だな 

これで、2週続けて橄欖球をしていない
きっと、体を動かしたいのだろうな 

ということで双龍行き着けの大吉1号店でなぜか別の組員に飲まれていたボトルを干した 

家族M2
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世界遺産頣和園も疲労に勝てず 2006年8月11日 五

2006-08-11 23:54:38 | 旅:嫁と
~挙句判断ミス~

最終日
北京北側を回る
メインは一般人なら頣和園と行きたいところだが北京大学
こちら中国では一番
日本で言う東京大学にあたる
田舎から出てきた人が東京大学に観光するようなものである
実際、中国人初中学生ツアーにたくさん出くわした
その前に、ナンバー2清華大学
このあたりは北京の学生街で、それ以外にも大学があるのだが、ついでなのでナンバー2にもよった

それから本日の地獄の散歩コース 
嫁曰く「中国の地図は縮尺もないし、地図で見た目以上にでかいのだから」
だけど、この地図が私に言わせれば挑戦的
五道口という駅から清華大学北京大学円明園頣和園とすべてが隣り合っていて、歩いていけそうなのである

実際、清華大学から北京大学まで遠い
路線公共汽車もあるのに、歩いた
地図上は1,2ブロック先なのに 

ようやくたどり着いた都の西北 北京大学 
とりあえずひとこと
「なつかしぃーなぁ」
この北京大学の創立は1898年で復旦大学より少し歴史は長い
そして、見た感じ校内案内地図がない
そして、洗手間が見当たらない
しょうがない
と、目的地のひとつ学食を目指すも、そこら中で礼品が売られている
いわゆるロゴグッズである
欲しい 

食事よりも前にポロシャツを手に入れる

ようやく見つけた学食のひとつは水餃子の店
これがいけてない
現金用とカード用に別れていたが、現金用レジのメニューのほとんどが売り切れ
売り娘は隣のカード用で確認しろって不親切
なんとか手にした水餃子
うまい、安い

とっくに忘れてたのが理髪
大学めぐりにつき物なのが理髪というのを忘れていたが、たまたま学食の近くにあった
地元復旦はもちろん旅行先の西安交通大学でも切ったこの髪
どうして、中国一の北京大学で切らずに帰ることができようか

復旦-切るだけ:3元(別料金で洗髪ありもやったことなし)
西安交通大学-洗髪理髪吹髪:5元
北京大学-洗髪理髪吹髪:7元(若者が切ってくれるからたぶん中国の今風) 

世は満足である 

北京大学の中には忍池風の池を含め庶民も憩える公園がある
そういえば、美しさでは中国で1,2を争うといわれる厦門大学も構内に池と憩いの場があったなぁ
こうやって頭がよくなるのか

それから地図ではすぐ北にある円明園へ
も、予想以上に遠すぎて、門まで行って完了
次なるは頣和園

もうしんどいのです  
これまた予想にたがわず工事中などもあり、というかこのときはそれが理由ではなく、本当に疲れていて、目に入るものすべてが同じであった 

その割には、ぐるぐる迷って外に出た

本日というか今回の北京旅行の最後
デザートみたいなものですが、奥林匹克公園視察
地図上には当然、「在建」の文字
でも、そこにいけば何かを感じられるはず
と、出租車に乗るも、運転手が首をかしげながら進む
実際、たくさんの施設が建設中
ちょっと散歩しようなどという雰囲気もなく
結局、ぐるっと見渡して、最寄の駅へ降ろしてもらった 

北京の夜は上海よりも早い感じである
21時、22時には店が閉まるようで
早めにガイドブックにある店へ行ってみたが、こちらもその通り自体工事中で店がない 
路上にいた旅行客に安ホテルを紹介するおっちゃんにその店の行方を聞いた
その「都一処」という焼麦の店は中国人にも有名でよく知っていた
ホテルには泊まらないが引越し先を快く教えてくれた
で、ついでにそこら辺にいたもしくは知り合いかもしれない違法2輪籠屋を捕まえてくれた
その違法2輪はその店を知っていた
で、2人で30元
安くしてと軽く言ったがだめであった
しかし、そのときは、この旅の歩きつかれもあり、それに乗ることしかありえないと飛び乗った

嫁「なんで、30元で乗るのよどう考えても高いでしょしかも遅いし、出租車に乗った方が速いし、安いでしょ

おっしゃるとおりです 

まあ、たどり着いたし、いいか
だって、乾隆帝直筆の看板があるというその店の焼麦は本当にうまかったんだもーん 

と、疲れたが
明日のために、食後に空港行リムジンバスの出発場所を確認するために歩き回ったのであった 

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盧溝橋と抗日戦争紀念館 2006年8月10日 四

2006-08-10 23:41:40 | 旅:嫁と
~完全聴不懂看不懂でもないが~


早速、昨天苦労して見つけた盧溝橋行きの公共汽車に乗った
しかし
地図にある路線案内と実際バス停にある路線案内の停車地名が違う
我々は乗換えを予定していたが、その乗り換えバス停に着くかよくわからん
一人の乗務員に聞くと、着くと行った
混雑していることもあり、すぐに乗った

ひと段落して、もう一人いる乗務員に盧溝橋に行きたいからなどと聞いたところ
「間違ってるよ」
 
その乗務員は北京独特の舌を巻きながら教えてくれた 
またしても、ガイドブックへの不満が再燃しだしていた

盧溝橋行きにも乗れたし、その公共汽車の乗務員も、我々が降りるべきバス停に着くと親切に教えてくれた
こうなると盧溝橋に行ったことよりも、行くまでの方が印象に残ってしまうのだけど

降りたはいいが、もともと交通の要衝であったその土地は今でも変わらず重要なようで
大きなインターチェンジがあり、その螺旋道路のせいでどちらに向かうべきか、すぐには判断がつかなかった 

宛平城を目安になどりついた盧溝橋
ここから中日戦争が始まったとされるが、りっぱな観光地になっていた
日本人としては、そこにいるだけで恐縮なのである
それから宛平城の中にある抗日戦争紀念館へ
行き違いで出てきた日本人客がよくできていると口にしていた
中へ入ると、その通り、よくでいていた
「国共合作、中国のいろんな民族が協力して、日本、ファシズムに勝利したことはすばらしいことである」
とあり、今では愛国教育の現場にもなっているそうだが、やはりここでも恐縮
万里長城で戦った写真や、従軍慰安婦にまつわる写真
そして、一番強烈だったのが、当時の日本の報紙記事
2人の将校が何人中国人を殺害したかを競う記事
「106-105」
これをみた中国人が日本に敵意を抱いてもしょうがない 
実際すれ違うひとはどう思うのだろう
同時に、いきなり我々に襲い掛かってこないか心配でもあった
広島や長崎に原爆を落とされた方々は美国がにくいように、中国の方々が日本を憎む当然か
結局、戦争は庶民を巻き込む
最後に、今話題沸騰の甲級戦犯が上げられていた
見終わって、なるほど先ほどの日本人客が行っていたことに納得せざるを得ない
昼も過ぎ、そこらで食事でもという時間帯であったが
そのあたりで「日本人」と知られて、どうにかなるのではないかというびびりもあり
肉饅を買って食べた

もともと北京原人の周口店にも行く予定だったが、いろいろあって辞めた
一番は体力的なものかも

瑠璃廠へ
骨董、印鑑、絵などいろいろある市場
でも疲れた
疲れてた
あれこれ探す体力なし
こうみると、ひたすら疲れているような旅にも思えるが、やっぱり出租車代をけちって歩きまくっているせいかな
その割には、星巴克で珈琲飲んでみて無駄遣いしてるし
まあよい

飯店で休憩後
現代劇をやっている劇場があるので、また歩いて行った 
「首都劇場」
食事もせずに、下見だけの予定だったが、疲労困憊ながらたどり着き、また翌日やってくるのは億劫に思え腹は減っていたが、見ることにした
中国といえば京劇や雑技団などだが、こういった活劇も結構はやっているようで
ただ、当日券でも割といい席が取れた
私自身は兄の影響を受けて劇を見るようになったのではある
舞台はロシアの2人芝居
2人とも「国家1級演員」
字幕もなく、ただでさえ聞き取り大変なのに、名前が難しい
重要なところが聞き取れず、結局何がどうでどうだったのか
嫁に伝えなければというところが伝えれず
たぶん全部聴けたとしても、もやもや系だったと思う 

帰りのワンタンのチェーン店へ入った
まずかった 
学食の方がましだった
まずいというよりも、料理として完成してない
出来立てじゃない
もうそこへは行かない


何故か、いろいろと夫婦のあり方について盛り上がった
体は疲れていたが、頭は動いていた


*盧溝橋に向けて
予定:前門22=>甘石橋309=>盧溝新橋
実際:前面22=>西単109=>広安路715=>宛平橋?=>歩いて盧溝橋
帰り:抗戦彫塑園301=>前面
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毛沢東という人 2006年8月9日 三

2006-08-09 23:33:25 | 旅:嫁と
~ここはいつでもこんでます~

お決まりのコース
毛沢東紀念館から天安門広場を抜けて、天安門、故宮
さらに夕暮れ時に景山公園

毛沢東紀念館には彼の遺体が安置されている
聞くところによると、毎日混んでいて、遺体にたどり着くために1,2時間
実際に見るのは2,3分だということだった
いざ
すごい行列である
あの並ばないことで有名な人たちもきれいに行列を作っている
といってもやはり割り込む人たちも後を絶たない
並んでいると、荷物を通りの向こうで預けてからまた並ぶように支持を受けた
この紀念館は無料
でも荷物を預けるのに金を取られる
さらに献花は自由であるがそこでまた金を取られる
気がつけばそれなりに払っていた
荷物を預けて、慣れたように、また若干控えめに割り込みをして並ぶ
曇り空
そこまで気温も上がっていないのが、助かった
我々の後ろにならぶ小学生がいきなり嘔吐
3回くらい
そんなに体調悪ければならばなくてもいいのに、それでもみる理由とは 

ようやく、行列の進みは速く1時間ちょっとで遺体にたどりついた
蝋人形ではないかというくらい、きれいにしっかりと安置されていた
ここでは写真はおろか、立ち止まることもゆるされない
しかし、この人が中国人にとっていかに偉大なのかは感じられた
私からすれば、文化大革命などの悪い印象が強いがあとに訪れた天安門にも肖像画が飾られているように今の中国を作った人ということではやはり偉大なのであろう

天安門へ登った
本日2回目の荷物預け
それだけでうんざり感はあるのだが、電視、電影などでもみかけるそこは、象徴そのもの
でも、毛沢東紀念館の方が人は多い
そこから故宮博物館を抜ければもう丸1日の観光コースである
すでに昼
入ってしまえばまともに食事をする場所もないが、戻ることもまたできず
上海よりも北京は歴史的文化的観光地が多い
そしてそのひとつひとつがでかい
でかすぎるのだが
この故宮も同じ
メインの太和殿が工事中だったが、我々の個々での最大の目的は「珍妃の井戸」
マニア路線であるが、浅田次郎清代末期の小説「蒼穹の昴」の続編のタイトルがそれであり、ふたりとも読んでいた
そうは行っても、一通りみた
その一通りだけでももう広すぎる
どうやら昨年行った、法国ルーブル美術館もそうだったが、広すぎると好奇心もその疲れに負けてしまう
とりあえず、故宮になぜかある星巴克で昼食がてら休んでから、目的地へ行った

小さい 
とても小さい
当時の女性はこんなにも細かったのか
というほどその井戸は小さかった
嫁曰く「私じゃ、落ちることもできない

ちゃんとみれば丸1日といわれるこの紫禁城も、工事中も手伝って3時間足らずで通り抜けた
北側に抜けた先にある景山公園
ここに登ると故宮が一望できる

おかげさまでここも工事中 

早めに終えたので、明朝行く盧溝橋のための公共汽車確認
ある有名ガイドブックの説明にある長距離汽車乗り場へ行った
(ちなみにそのガイドブックにはその乗り場の地図、行き方などは一切なく、ただ名前だけがひっそりとでている)
北京から西蔵や広東の方まである路線図
でかい中国、盧溝橋などは長距離に入るはずもなく、無駄足であった 
そのガイドブックの不確かで不親切な情報にいらつきながらも、盧溝橋にいける路線バス探しをした
もうふたりとも歩きすぎで腰に来ていた
数時間後ようやくそれらしい路線をみつけた


北京烤鴨 
ここにたどりつくためにも、そのガイドブック
地鉄駅から歩くことを主張するだんなと、出租車で行くべきだという嫁
ガイドブックの地図にまたしても不満を抱きながら結局30分近く歩かせて、たどり着いた
おかげで
ビールがうめぇ 
北京烤鴨もうまい
残念ながらふたりなので、丸々1羽頼めないので、その鴨を拝むことはできなかったのであるが、もうはちきれんばかりであった

ずっと歩き続けるこの旅はそうとうの疲労
飯店に戻って足底按摩を受けた
すこし楽になったが、明日はどうなるか 
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どんだけ早起きしても長城にはかなわない 2006年8月8日 二

2006-08-08 23:30:26 | 旅:嫁と
~中国の人たち~

朝、というかまだ夜中1時に起床、2時出発 
向かうは、司馬台長城と金山嶺長城、そして日の出
北京で有名なのは八達嶺長城でたいてい、明十三陵と一緒に回るコース
しかし、あえて人の少なそうな隣り合う二つの長城を選んだ
人が少ないことと、有名な八達嶺長城はきっとまた北京にやってきてそのとき行くだろう

さて、チャーターした汽車 
真っ暗でよくわからないが、3年間日本に留学していた中国人運転手
あとはこの人にゆだねるしかない
聞いていた話では目的地まで2時間、長城の上まで1時間、日の出が5時過ぎ
2時出発で大丈夫なはずである

やはり人の言うことは鵜呑みにしてはいけない
うとうとしながらも、ずっと心配していたとおり、司馬台長城に着いたのは5時前
約3時間もかかった
急がねば 
というか、急ぐ必要がなかった
曇っているのだった 

5時過ぎ
だれもいない早朝の貸切長城を2人で登るのは爽快である 

後ろから第一村人発見かと思いきや、ぞくぞくと人が登ってきた
しかも、真っ黒に日焼けした上半身裸の若者たち
そう
修復作業の工作員たちである
この司馬台長城はもともとが朽ち気味で両サイドの壁もないところがある
行った先の険しく、標高も最も高いであろう場所も階段修復が必要そうであった
早朝からごくろうさまです 
でも十分堪能して下った
その途中、真っ赤な太陽がひっそりと昇ってきた 
薄雲がかかっているため、日の光はなく、ただ真っ赤でまん丸の太陽だった
そしてすぐに雲に隠れた

司馬台長城から降りてもまだ7時
ようやく別の観光客に擦れ違ったが、まだ索道も動いていない 

続いて小1時間ほどで金山嶺長城へ
この隣り合う長城、つながっていて、長城を歩いていけば4時間ほどで行き来できるそうな
また次回

そして8時頃着いた金山嶺長城
やはり人がいない
入場すると、両サイドにみやげ物の店や、住人たちが座っている

嫁があることに気づく
「前を歩いている男の人、私たちが止まると彼も止まるよ
一定の距離を保って、前を進んでいるようだ
怪しい 
ま、無視して進む
と、交差点にたどり着き、地図を見る
すると、さっきの男と別の女性が近寄ってきた
「司馬台長城に行くのか
先ほど行ってきたことを伝えると、まず男の方が、がっかりした様子でどこかに消えていった
で、歩き出すと、もう一人の女性が話しかけてくる
「案内するよ
あやしい
案内したあとで、金を取る気か

とりあえず、便所の場所を聞いて、逃げ込む
も、あまりに便所がいわゆる昔の中国風野ざらし便所ですぐに出ざるを得ない 
結局、その女性ととぼとぼ登る
話を聞いていると
「この長城はいろいろと入っちゃいけない場所とかあるし、迷うから案内しますよ、その代わりその後私たちの商品を買ってくださいね。朋友同士でしょ、これは相互協力ですよ
朋友
この言葉を見知らぬ人でも平気で使う中国人といえば、ばった物売り場しか思いつかない
うーん
着いてきても、あなたの商品は買いたくありませんよと伝えると、よく考慮してそれでも買わないならいいということであった

その40歳くらいのおばさん
公式なガイドではなく、下に住む農民
もちろん、この金山嶺長城のことについていろいろと教えてくれたが、それ以外にも身の上話
この金山嶺長城は河北省
先ほど行った、司馬台長城や、人気の八達嶺長城は北京市
距離こそそこまで変わらないが、管轄が違うのであまりお金がかけられない
だから観光客もものすごく少ない
この当たりは、岩山で農地面積も小さく、しかも降水量も少ない
こうして観光客を案内してその代わりに商品を買ってもらうのだと
そのためには、その女性でも片道4時間かけて司馬台長城までいってくることだってある
そういう人が50人くらいいるそうだ
かなり情に訴えてきた感じであるが、実際に彼女のガイドは役に立った
ロスなく回れて、しかも写真を撮ってくれたし、北方人と会話もできた 

この金山嶺長城は司馬台長城よりもしっかりしていて、彼女曰く、一番きれいな長城
そして、日の出よりも日の入りのころがとてもきれいだと
なるほど、実際想像してみるだけで、きれいであった

下山後、ファイナルプレゼンテーション 
「こんだけ、説明したんだから買ってくれてもいいでしょ」
ということはなく
「この辺鄙な土地で大変なんです」
と、最後までそういう訴え方だった
結局長城写真集を買った、それでもいい値の半額まで負けた、そしてそれでもきっと彼女は儲けたのだろうが、貧しいのには変わりなし
最後に年齢を聞いた
「27歳」 
嫁とひとつ違いでこの生活
ちょっと間違えば、立場は変わっていたかもしれない
その夜、中国の貧困について嫁と語ったのである

長城を堪能し、北京市内へ
戻っても12時30分
まだお昼の時間である

チャーターの運転手に炸醤面を紹介してもらって食事後、早速胡同周りへ
輪タクと呼ばれる、自行車籠に乗せてもらう簡単ツアーもあるのだが、一人180元
歩いて回ることにしていたが、ツアーの人たちが、合法違法限らずどんどんよってくる
うざい
こちら、朝2時から起きとんじゃ 
途中、別の中国人歩行ツアー客にまぎれてみて、恭王府にもいったが
前海の星巴克によって休憩したら、さほどみてないが、胡同めぐりももういいか
といいつつも胡同だらけなのだが、工事中の科挙試験上「国子監」と「孔廟」を軽く除いて家路に急いだ

夜は、飯店で軽くと決めていたのだが、飯店の周りには何も超市がなさそうだったから
手前の繁華街王府井をうろうろ
ここには、きれいに着飾った人たちがあふれている
も、何も食料がない
ここでふたりの空気もどんより 
歩き回った挙句、何も手に入れずに飯店まで歩く
やっと隣の中華料理から持ち帰って飯店についたころには、口数も少なく
疲労困憊であった

チャーターの運転手に聞くと、どこも今は工事中
いろいろ見るところは多いが、結局は故宮と万里長城
今天、そのひとつをみたことで結構満足なのだである
あとは、焼いたアヒルかな 

と、こんな感じで結婚1周年をすごしたのであった 
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天国への階段も工事中 2006年8月7日 一

2006-08-07 23:32:39 | 旅:嫁と
~奥運会前につき~

朝起きた
そこはもう北京あたり
直通で軟臥とはいえ、寝っぱなしでは腰に来る
食事して寝ただけなので、お向かいさんとどうのということもなく普通に到着

駅に着くと、どこの駅も同じ風景
地図を売る人、旅行団を紹介に来る人
で、北京のどこに着いたか分からない
全く土地勘のない街である

地下鉄でひと駅先がホテル
しかし、8時
当然、上班交通高峰で混雑
駅員の進めもあり、歩いてホテルへ

もともと12時がチェックインなのについたのは8時30分頃
フロントとベッドメークの人の連携がさすが
時間が早すぎるにもかかわらず、何の障害もなくチェックイン

部屋は全く手がついていない、退房してほかほかの状態だった 
すぐに、田町で1年間働いていたというおばさんが掃除してくれた
そのおばさんに万里長城で日の出を見れるか聞いた
「いやぁ、行ったことないから分からないけど、無理じゃないの」

インターネットを部屋でできるとHP上にはあったが、どうも電話線を使うと教えてくれたが
いくつにダイアルして、いくらなのか、フロントにいちいち聞いてようやく開通
どうも、外線にかけられるように部屋ごとに設定も必要らしい
そんなフロントにも、万里長城で日の出を見られるか聞いた
「みれられるんじゃね、日の出の時間?4,5時じゃねえの」
これまた適当な感じ 

果たして?

とりあえず、歩いて天壇へ
中国語の課本にもよくでてくる場所
天国

緑のネットが目に付く
噂には聞いていたが、あと2年後にある国際大会のために急ピッチで改修工事がいたるところですすめれらているようである
おそらく、天壇に限らず 

さらっと天壇を見て、お昼
さてどうするか
暑いので、冰淇淋と哈蜜瓜で喉を潤す

公共汽車でたどり着いた繁華街
いろいろと小吃の店を探したが、結局のところ肯徳基 
食べながらガイドブックを見るとそのもう少し先には料理店があったようで

で、今回、細かい時間スケジュールは決めていなかったのだが、明天万里長城へというのは決めていた
そして日の出も見たいと
チャーターすればいけることも分かった
フロントで別の人に聞くと、5時15分に日の出というのも分かった
早朝2時出発 

夕飯は残り物のビールと食料
19時には寝た

夜中胃痛の嫁
大丈夫か

早朝1時起きである 
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上海発の夜行列車 2006年8月6日 天

2006-08-06 23:04:01 | 旅:嫁と
~重い空気~

右手の腫れが薬を飲んで一晩経ったがそこまで引いていない
でも、まあ医者に診てもらった安心感もあり、予定通り北京へ出発
嫁にも体験させたかった中国の寝台車
といっても、今回は取れた票が、軟臥でしかも、上海北京直通12時間
だから上海を出れば、どこに停車することもなく、朝起きれば北京に着いているのである
私が以前乗ったのは硬臥で、3段床の一番上
天井までの距離が座高よりも短いので寝起きも苦労する

今回の軟臥
2段床で、しかも4人1ブロックに鍵付のドアまである
その硬臥のときは、教学旅行だったということもあり、わいわいがやがや
乗っていた時間も長かったことで暇さえあれば喰ってた
その印象が強すぎて、乗る前からやれ果物だ、飲み物だと買い込む
しかし
実際、19時26分に出て、朝起きればもう着いているのである
しかも
火車票を買ったときに、軟臥は夕食がついていますといわれていたのだが
てっきり、食堂車まで行って食べなくてはならないと思っていたので当てにしていなかった

さて
我々2人以外に、最初にひとり
なにやら難しい本を読む女子大生風の人
早速上に登って、お勉強というか手机いじり
もう一人は
というかひとつの床にカップル
普通ありえない
というか、女性がちゅっちゅっちゅっちゅしながら泣いている
結局予想通りに出発間際に男性だけが降りた

出発してからしばらくずーっとため息を吐き続ける女
我々は準備したおにぎりをばくばく、ビールをがぶがぶ
しかし、重い
おにぎりをひとしきり食べ、落ち着こうかという頃
「晩飯だよー」
と、列車員が晩飯を運んでくれた

ありがとう

引き続き食べる
きっとよく食べる日本人だと思われただろう
そして気がつけば、ため息女は寝に入っている
しょうがない
と21時30分頃には寝た
コメント (2)
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