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青黴のつぶやき

春退社8月結婚9月~上海に留学
その生活を中心に今日の出来事
中国語を勉強しながら何を思う?
声の小さなラガーマン

酔い潰される家系 2007年5月4日 五

2007-05-04 23:47:40 | 旅:嫁と
~こりずに変貌~

朝からよく食べた
日本の朝ご飯
味噌汁、鯵の開きに卵焼き
料理が下手だと言い張るおばさんのそうではない料理
厚焼き卵は中は白身で外側が黄身で見た目も面白かった
それから墓参り
いつもばあちゃんが手入れしてるから、きれいであったが、墓石を水洗いした

嫁の父方のばあちゃんはよく新聞をみている
報紙、テレビにかぎらない
ひょっとして、BSのない自分たちより、大リーグをみてるかも(^O^)

そんなばあちゃんの情報により、昨天、庭に飲み残しビールをコップに入れておいた
その中には思惑どおりナメクジが捕まってた
どんなナメクジ退治薬でもだめだったのに、ビールでイチコロ

それからテレビで松坂の乱調をみて、ばあちゃんとお別れ
いざ、明治維新胎動の地、萩へ
その松陰神社はよーけ混みよったほちゃ
それで1km隣りの東光寺を参ってから歩いて松陰神社へ
あの松下村塾と松陰が閉じ込められていた家
そこで血気盛んな若者達がなにやらやりおったわけだ
それをみた私
何をやらかそうかね

連休中ということもあるが、大勢の客
NPO団体が無料案内もしてたそれから「マラニック」という山口‐萩を歩いて走って往復する大会が開催中で、どこそこに全国から集まった人がゼッケンつけて歩いていた

ホントは萩城址とかいろいろ見たかったが先を急ぐので、萩焼き買って、あとにした

次は下関の山中にある嫁の母方の実家
一番近い隣りの家まで数10mある田圃の中の一軒家
ズバリ田舎である
さっそくばあちゃんが蓬餅をこねていた
そちらに嫁が取られた間、近所散策
田植え待つ稲の苗が家の前に並んでいる
新緑の季節で、どこそこに草花がきれいに生きている

隣りの家には牛もいた

こういうところに来ると懐かしい反面、自分が年齢を重ね、同時に田舎も年齢を重ねていることに気付かされる
時間は刻々と流れているのだ

おじさんの会社の別荘で食事会
これがすごい
まず、その別荘は海に近い丘の上で、そこからの眺めは素晴らしい
料理もすごい
刺身、霜降り肉を始め豪華料理に、ビールは樽で準備
さらに参加者
じいさん、ばあさん以外でいないのは、嫁の母だけ
嫁の従姉妹夫婦まできた
総勢10人と2匹が我々を迎えたのである(*^_^*)

結婚式以来2年ぶりに顔を合わせる面々
皆さん、お変わりなく元気だ
仕切り役が3人の姉妹に囲まれた3番目のおじさん

このおじさん、見るからに真面目な方なのであるが、結婚披露宴のときに締めの挨拶をお願いしていた
私の両親の地元福岡で親族だけのパーティはとても楽しく進行していた

博多ドンタクの血を引く私の父たちが唄いたいと言い出して、しかも博多風ならその唄で締めた方が格好がつくという
仕方ないので、おじさんに締めの言葉をいただいたあと、そこに被せるように父兄弟が唄ったのである

ということで、酔いもほどほどにそれを詫びた
それから頼まれもせず焼酎ロックを飲み出してからは、どこかへ行った
まずは、前述のおじさんにからむ
「やんちゃな姉妹の間で、ホントは言いたいことも我慢してるんじゃないですか?」である
失礼極まりない
それからはよく覚えてない
おじさんおばさんたちとよくしゃべった

はず(‐o-;)

とまあ、またしてもやっちゃったわけだ
嫁の家系はよく飲むらしいが、私もそれに乗せられてか、最初はおとなしいのに、気がつけばご機嫌で、最後は記憶を無くすのだ(ToT)

正直どういう評価を得られているのだろうかな
まあよいよい
ごちそうさまm(_ _)m
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心豊かに 2007年5月3日 四

2007-05-03 23:07:54 | 旅:嫁と
~詩人の街~

早起きした
嫁の祖父母に会うために山口に向かうためである

朝の新聞でジャイアンツが5000勝達成したことを知った
別にファンじゃない
むしろ、アンチだ
神戸にきてよかったことのひとつは甲子園にいけること

ジャイアンツが5000勝して悲しいのは、達成日を当てる懸賞が外れたから(T_T)
かなり豪華だったからな

切符の都合上姫路から、こだまに乗った
「新幹線の各駅停車」という響きは、「タートルネックのノースリーブ」みたいな違和感はある
そして、形を見た時に昔の鼻が丸い青い車体じゃなくなったということに気付いてなんとなしにショックを受けた
もっとショックだったのは各駅停車のために、各駅停車じゃない新幹線によく追い越される
そして、今天はことごとくそいつらが遅れ気味なので、追い越し待ち時間が長引いていた
厚狭からローカル線への乗り継ぎはもともと8分しかない

乗り継ぎ失敗で2時間に1本しかない電車を長らく待たされることを覚悟したのである(`ε´)
GW中で、車内は混んでいなかったが、線路が混んでいたちゅーことやな

でも、乗り継ぎ電車は待っててくれて、事なきを得た
その1輛電車は大いに混んでて1時間立ってた

着いた先は長門
昔はクジラも取った港町
祖母とおじさん夫婦に昼から熱烈大歓迎
連休中で市場が休みな割にうまい刺身をさっそくいただく
おじさんとビールを飲み、明るいのにいい気分である(-.-;)
酔い醒ましに行ったのが、金子みすゞ紀念館
嫁の父も、役場ではたらくおじさんもご推薦
長門が生んだ詩人だ
といいつつ
よく知らない(>_<)
でも、深い味わいのある詩がいくつかあった
その紀念館の通りは「みすゞ通り」と名付けられ、各家先には気に入った彼女の詩をぶら下げている
何ともまあすてきな場所
こういう街で育つ子供はいいな

それから湯免温泉でひとっ風呂
湯船の中で、ぐ~ぐ~寝た(-.-)zzZ

夜は和食コース
毎回出てくる料理がちがうというそのコース
う~ん、満足o(^-^)o

家に戻るとお茶で一息

やっぱりビールで第3ラウンド
いつしか夜も更けた

何をそんなに語ったか?
あんまり記憶はないが一部

想像することと感じること
例えば、釣りの楽しさは、収穫の数ではない
水面下にいる魚の動きを、天気などの環境を踏まえて想像し、感じて、それと実際の魚の動きが合ったときに釣れる
その駆け引きが楽しいのである
よく考えれば当たり前だが、魚釣りに限らず、人同士も同じ
全く同じ人はいないし、相手のことは分からない
そういう中で、どう感じることができるかである
ついでに、そのおじさんは、そのことを奥さんから学んだということで、とても感謝してた
ええ話や(ToT)

ということで、金子みすゞの作品をひとつ

「私と小鳥と鈴と」

み鈴 たあき私 じ飛お私
んと くのれが べべ空が 私
な` さ鳴いか たるは両 と
ち小 んるなら を小ち手 小
が鳥 な鈴音だ 速鳥っを 鳥
っと 唄ははを くはとひ と
て` は私出ゆ は私もろ 鈴
`そ 知のなす 走の飛げ と
みれ らよいっ れよべて
んか なうけて なうなも
なら いにども いにい`
い私 よ `` ゜`が
い` ゜ `

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迷宮入り 2007年5月2日 三

2007-05-02 23:33:07 | 旅:嫁と
~海の街、山の街、神戸~

引き続き、朝から片付け
天気はよい
1m50くらいの高さがある金属網棚
これが高過ぎて、嫁を圧迫するらしく、併せて地震対策にもということで
ひとつは半分にして使い、ひとつは完全に解体された
大学時代から使い続けたこともあって、便利だという認識に加え、思ったより思い入れがあったらしい
解体にいたるまでに、夫婦間の空気は澱んだ
まあ、それ以外も、片付けとか、配置とか、いろいろと、お互いの理想と現実を加味し、ぶつかりながらも片付いていった

下午は買い物
土地勘もなく、携帯電話のインターネットで見つけた電気屋とホームセンターを目指す
と言いつつも、最初の目的を忘れるくらい歩いた
寺まわりから、海岸へ
地図上で10km以上歩いて買い物に行こうとしてた
途中で嫁が腹の調子を崩したおかげか、ひと区間は電車に乗り、それからはタクシーのはずが、乗り場に一台も停車しておらず、やっぱり歩くこととした
(T_T)
海岸からの北上は、まさに山越え
気軽に考えていたが、地図の平面からは計り知れない起伏に終わりなき旅を感じた
30分くらいでようやく1/3進んだときに、普段はいるはずない住宅地にタクシーがいた
迷わず、その迷宮を脱出した
電気屋でもっとお手軽に行ける場所を聞いた
もっとはやく教えて欲しかったと思いつつ、これもまた収穫の一つ
ホームセンターでの買い物を終えると両手いっぱいの荷物
さらに汽車でくるのが当たり前のその場所にタクシー乗り場はなく、またしても迷宮いりである(ToT)

地図上のバス乗り場まで十数分
ちょうどバスもやってきた
まあ、終点の駅は最寄りってわけでもないが助かった

その駅でふたり静かにお好み焼きを食べた
カレー味だったからソースかけんと、食べよった
そしたら相席のおっちゃんが、つっこんできた
「あんたらお好み焼きにソースかけへんの?」
そもそもお好み焼きがカレー味というのも、邪道らしいが、そんな味にこだわらず時には辛めの泥ソースと食べるらしい
いや、そうだとしても
「ええんとちゃうの、どっちでも?勝手に喰わしてくれや」ってな心境である
その方は、過去に東京で働いていた時に、もんじゃ焼きを食べて
「こんなもん喰えるか!」と激怒して、そのまま店長と仲良うなったらしい
震災の話や神戸下町の話などなるほどと思った
そして、気がつけば、もんじゃ焼きの話は3,4回目を聞いたときにエンドレスを感じた
まさに迷宮入りである
今天はよう迷いこむなぁ(^_^;)

関係ないが、片付けしてたら、さっそく障子を破った
さらにノリノリで手をハサミで切った
軽い傷だったが、先日もらったTシャツに「家で怪我するな」という寄せ書きを思い出した
どうも新天地は注意が必要らしい(-_-#)
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テレビの弊害? 2007年5月1日 二

2007-05-01 23:50:52 | 旅:嫁と
~入社日~

社会復帰のため6時に起きるようにしている

ご飯をセットしたら、ぐ~ぐ~とよく寝た
結局9時まで寝た(-.-)zzZ

今天から、5月
すなわち、書類上は、本日付で入社である
時間は否応なく流れている

最近は感じることが多い
同時に、今、神戸で嫁と新しい生活のために、買い物をし、近所に挨拶をし、関西弁に馴染んでいこうとしている自分は、本物か?

なかなか実感できないでいる
会社が始まれば、そういう暇もなくなるだろうけどね(*_*)
朝、ちらっと片付けしてから、お役所参りをした
気のせいか、街にはコンビニは少ないが、喫茶店は多い
昼飯がてら、茶をしばいた

役所も警察署も歩いて行ける距離にあり、そのお隣りには図書館もある
主夫にはナントもステキな街だ
さっきケーキ食べて、経ってないのにラーメン屋で餃子セット
昨天に続いての餃子だし、炭水化物量も多いのである(^_^;)

それから元町中華街経由三宮で買い物した
中華街は横浜ほどの規模ではないが、店は面白そうなのが多かった
そして、呼び込みの店員の喋る日本語、というか関西弁からは、彼が日本人か中国人か、区別つかへんかった
ついでに、手紙を書いたのだが、頭中で考えている文章がすでに関西なまりになりかかっとることに気付いた(ΘoΘ)
ぐるぐる歩き回って、荷物も増え、大概疲れた
鉄板焼で神戸牛を食ろうて、喜んだが、それ以上に疲れた
帰りは、両手塞がりつつも、傘を差しながら、テクテク帰ったのである

夜、棟幹事さんが訪ねてきた
ちと、びっくりした
まあこれまで、宅急便以外は人が訪ねて来るのは皆無だったからな
こうやって、ご近所付き会いしてくことは、小さい頃を思い出しつつ、まだ慣れてなくて、ただ大人になったきもした
夜、レシートをひっくり返して、家計簿つけてたら、4月29日の夜中、つまり、夜な夜なランドリー行って、静かに吐いた日に、MACでテリヤキバーガーを食べていたことが判明した
全く記憶がなく、衝撃の事実であった

そういえば、嫁の親から中古テレビをもらった
おかげで、ジャイアンツのムカツク逆転勝利も見れた
しかし
ぼけ~っと時間過ぎ、しかもふたりとも会話が少なかった
もしかして、テレビない方がええんとちゃうの?
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社宅な生活 2007年4月30日 一

2007-04-30 23:13:39 | 旅:嫁と
~和風に~


といってもさっき寝たばかりのような気がするが、3時間の睡眠ながらよく起きた

2月末に父の最終講義に行った日は寝坊した
つまり、自分のことの方が大切だから、ちゃんと起きれたというわけだ

昨晩、揃ってリバースの夫婦は、フラフラになりながら、駅に向かったのである(T_T)
お陰様で天気がよく、富士山もよく見えた

姫路経由で神戸の社宅に入ったので、多少時間はかかったが、何せ初めてみる街に、初めてみる社宅である
引っ越すにあたり、下見をしないのは、今回が初めてだし、社宅というのもまた初めてだ
昼の時間を待ってから、挨拶廻りをするも、不在(ToT)
引っ越し屋が来るまで、ぐだ~っとしてた


搬入は搬出よりも楽ですぐに終わった
途中、ガス屋も登場して、関西弁に馴染みつつあった
このガス屋のおっちゃんはとても親切丁寧だが、どうしても、そこらの漫才師にみえてもうた

一段落して、お向かいの棟幹事さんにも挨拶を済ませ、散歩大会
ぷらぶらして、地図とガイドブックと買って、餃子食べながら、明天の予定を立ててた
ほんだらな、その中華料理店にいた家族が喧嘩しているわけでもないが、なんか激しかった
その空気はちと中国を感じた
そして、みんなの前でくさい野球スパイクの臭いをかがすおじさんも不思議やった

便所が和式だったことと、最寄りのスーパーの物価が高かったのはいただけないが、築うん十年ではあるが、収納も広いその新しい寝床はまあまあかな(^O^)

父の推薦書「博士が愛した数式」を読み終えた
この作家さんはすごいな
ノンフィクションじゃないのかな
どういえばいいかわからんが、面白かった
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両国散歩 2007年3月24日 六

2007-03-24 23:03:25 | 旅:嫁と
~家に帰るまでが遠足~

今現在は東京に住んでいるだけで、東京で育ったわけでもない自分にとって
両国と浅草と帝釈天、さらには麻布はほぼ同じ
六本木と銀座はほぼ同じに感じられるのと似た感覚 
ということで
両国にでかけた
隅田川を越えたら、もうそれは長旅である 

もともとは、江戸東京博物館に行く予定だった
まあ、何がきっかけというわけではない
新撰組などの幕末に興味を持つダンナ
史跡めぐりがしたい嫁
ふたりして最近読んだ「蒲生邸事件
ということで、東京にまつわる何かが得られるのじゃないかということである

いざ両国へ
10時過ぎに到着した
噂によると、ちゃんと見て回ったら数時間かけても見たりないというその博物館
それならば、先に昼食を取ってから、博物館へ行こうということになった
両国といえば、相撲
相撲といえば、白鵬結婚

ちゃんこ霧島に行くことにした
この店
我々が出会って間もない2005年のオープン戦で、江戸川に試合に行った帰りに寄った店であり、その頃は、まさかその次来たときに二人が結婚していようとは思いも寄らなかった店である
昼の開店まで時間があったので、ぶらぶらすることにした

ということで、本日の旅程
1.両国駅から日大一高経由横網町公園(東京都慰霊堂と復興記念館) 

東京都慰霊堂

復興記念館

1923年9月1日の関東大震災で避難所であったために、よけいに被害が大きかったとされるこの場所に、慰霊堂と記念館が建てられていた

2.旧安田庭園
 
って、何 
江戸の名園のひとつらしい 

3.両国国技館
 
今は、相撲をやってないからひっそしとしてた
夜、亀田なんちゃらの試合が、あるらしくてノボリとともに、並んでる客がいた

4.ちゃんこ霧島
 

 
ちゃんこ鍋
昼から、飲み物込みで4000円/人というのは、安くはないが、うまいなぁ
本日は、味噌を頼んだ
ボリュームもあるし、そしてなぜか最後にうどんを追加するのが運命か 

5.回向院

またしても、回向院って何 
寺である
そこには、歴代の親方を奉った力塚もある
 
さらには、清水次郎長じゃなくて、鼠小僧次郎吉の墓もある
そして、一番はペットの墓
ところ狭しとたくさんある
太郎とかなんちゃらとか、いろいろたくさん
ペットの墓も人間の墓と一緒に並ぶのである 

6.両国花火資料館と握り寿司発祥の地はスルーして、井筒部屋
 
小さい頃、大相撲を盛り上げたのは、逆鉾であり、寺尾であり
ということで、いろんな相撲部屋があったけど、たどり着きやすかったこともあったし、行ってみた

地方場所中で、人影はなし 

7.吉良邸跡
 
赤穂浪士っていつの時代 
さておき、ひっそりと残されたその吉良邸跡である

8.相撲写真資料館
 
今でこそ、興味が薄れつつある大相撲
でも
小さい頃は、学校から帰るとよく見たものだが、どんな写真が残っているか
火曜日に請うご期待 

9.芥川龍之介文学碑
 
これは、狙ったというより、通りかかっただけ
近くに生育の地もあるようだ

10.勝海舟生誕の地
 
これで、生誕の地、江戸城無血開場会見の地墓場勝海舟制覇きどりである 

11.江戸東京博物館
 
ここに到着したのは2時くらいだっただろうか 
お気づきかも知れないが、ちゃんこ霧島でたらふく食べた時点で
店のすぐそばにある江戸東京博物館がものすごく遠くなっていた
門票が、若干高かったこともあるが、何よりも
ま~~ったりした 
結局
江戸東京博物館をぐるりと一周した旅となった 

それから、稽古場の兄をたずねて、次回新作の広告をもらいにいった
かわいげのある弟を演じて、家に戻ると
それから、なにやら知らんが、橄欖球チームの女性人だけで集まる飲み会に行った嫁に放っとかれたが、電視機もなく
世界Figureも、足球のペルー戦も、インターネット速報で知ることしかできず 
嫁の作ってくれたパスタを、静かに食べたのであった

その夜
嫁はとても元気に帰ってきた
そして
元気に寝た 
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中国の未来、私の将来 2007年2月19日 一

2007-02-19 23:11:25 | 旅:嫁と
~上海最終引き上げ~

早く目が覚めた
昨天、前天とかすんだ天気だったが
今天はとてもよく晴れた
手机では、多くはない中国人の知り合いに去ることをメールした
そして
嫁と二人乗りでスーパーへ買い物
これが大型スーパーでありながら、7時から23時までやっているからとても便利である
このあと、日本でもする機会はないだろう二人乗り
 
今度あるとすれば子供を後ろに乗せてか 
そんな自行車も、最初はただで、同じアパートに住む無職のおっちゃんに上げるつもりで「いる?」と聞いたら
「いくらだ?」と、相手から聞いてきたので、遠慮なく50元で売りさばいた
いつの間にか、そんなことをやる子になってた

いらないものを相部屋君の家に届けて、房東から残りの押金を引き取ると
出発である

今回、空っぽで持ってきた二つの旅行鞄はおかげさまで満員御礼
ひとりですでに手には豆が出来かかっていた 
晴れたおかげで中国特有の洗濯物にもお目にかかれた

房東は別れ際に、「また来ることがあったら、必ず連絡してくれ」と
彼なりの社交辞令で見送ってくれた
 

街並みを眺めながら、振り返る
大学の回りも、大して何もない場所だったが、今ではデパートも出来て、アパートも立ち並び、大きく変化した
市内でも、地下鉄が伸び、新しい線も出来てきている
この中国経済都市でその発展はまざまざと見ることが出来た
一方で、オープンして半年も経たずに閉店してしまう店
昨天の按摩師も言っていたが、物価は上がれど収入は増えず、貧しい人はどんどん貧しくなる
2050年にはそういった階級差をなくそうと宣言した政府
いったいどうなっていくのであろう

またひとつ大きなターミナルが完成しつつある浦東国際空港を眺める
外資の参入で大きく成長したが、そろそろ国内にも目を向けていくのだろう 

行きつけの空港ラウンジ
そして、荷物がどんなに重くても、決まってここで青島ビールを抱えこんで日本に持ち帰る 
帰りもビジネスに2人で乗ったが、今度こんな豪勢に旅できるのは当分先だろうか 
とりあえず
嫁さん、楽しい留学生活ありがとう
たくさん稼いでたくさん冰淇淋あげなきゃ 


手まめを作りながらたどり着いた
そして
明天の会社の面接が兵庫であることを知った 

8月28日から始まった留学日記
最初は文章もそんなに長くなかったのに、いつの間にか饒舌になっていった
ひとまず、これにて留学日記は終わりだな
続くとは思うけど 

ほんとうにあっという間でした
みなさん、ご心配おかけしました
いろいろとご協力もありがとう
おかげさまで、貴重な時間を過ごすことができました 
といっても
この経験を活かしていくべく、人生これからまた出発である 
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タイミングがいいらしい第2部 2006年8月18日 五

2006-08-18 23:52:12 | 旅:嫁と
~宿泊代として~

家族が遊びに来て、あっという間の時間が過ぎた
毎朝5時に起きて6時には公共汽車に乗るという生活も最後
というか
今天は出租車に乗ってホテルまでいった
最後を飾るべく、屋台の鶏蛋餅と別の店で豆乳野菜包をセットに中国風朝飯を揃えた 
その早飯後、大混雑の地鉄へ乗って、さらに磁浮車へ
先日事故があったので、まだ片側の線路しか動いていない
でも、予定通り出発の2時間前到着

台風が九州直撃中 
果たして 

飛ばず 

とりあえず、出発時刻まで空港で時間をつぶしていたのだが、手机に連絡があり、取り消しになり、明朝8時30分に変更となった

私の家で雑魚寝決定

いつも客人を送ったら公共汽車で家の近くまで戻るのだが、こういう日に限って、磁浮車の往返票を買っていた 
一人ならまだしも、4人でまた乗るとなると出租車の方が経済的なのに 
で、自宅で休憩
引っ越した後の憂い
水が届くのが遅い
飲み水は19升樽を電話注文して運んでもらうのだが、先日も3時間かかっていた
で、注文ついでにどれくらいで届くか聞いた
「すぐ行きますよ」

2時間 
電話すると
「いや、もう家の通りまで着いてますから、本当にすぐ届きます」
で、1時間後到着 

その間、父を留守番させて、買い物
今夜は自宅で鍋
宿泊費の変わりにと、まだ揃っていなかった掛け布団にタオルケット、やかん、さらには母が女性もののレーススカートを切り貼りしてカーテンまで
そりゃどもです 

鍋といえば食材を買いすぎるもの
これは何かの法則ですかね 
すべて姉にお任せ
鳥だしの鍋はだし用の肉以外は全部野菜類
かなり健康的な鍋であった 

まだ21時過ぎであったが、朝早くから動き回って、待ち疲れもあってみんなうとうと
明朝も早いので寝た
私は、買ったばかりの掛け布団を床に敷いて 

明天は飛べよ 
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タイミングがいいらしい 2006年8月17日 四

2006-08-17 23:04:05 | 旅:嫁と
~いろんな運転手と

台風の影響か、曇り空で風がある
今日は涼しくなりそうであった

朝、饅頭を喰らい早速魯迅公園へ
ここは日曜日に「日本語角」と呼ばれる、日本人と中国人の語学交流の場所がある
それで何度か訪れたが、実は「魯迅」にはいまだ出会っていない
今回は、それらも回った
9時過ぎであったが、たくさんの老人たちがあふれていた
日曜の午前中ほどではないが、あちらこちらで、太極拳や社交ダンスなどが目に付く
魯迅の前に「梅園」
無料の魯迅公園において、なぜかその一部が有料のその園
ナンだろうかと思ったら、韓国人尹奉吉という義士が昔日本の天皇誕生日記念式典で、爆弾をなげつけた場所だということであり、この25歳で亡くなった人の紀念館を見に多くの韓国人が訪れていた

本題の魯迅墓
改装中につき、壁の向こうの魯迅像を覗き見

魯迅紀念館

そもそも魯迅って 
「阿Q正伝」くらいしか思いつかない
で、いろいろと並べてあったが、やっぱり「阿Q正伝」しか記憶に残らない 
そして、中国の蝋人形技術がすごい
先日訪れた中国共産党党大会第一会開催跡地もそうだったけど、再現された場面で本当の人間がいるのではと思う
やはり、北京の彼の遺体もそうじゃないかな 
魯迅紀念館には日本語をしゃべれる職員がいて何かしらうざかった
結局母はそこでシルクのスカーフを買ったのだが、旅の紀念にだまされたらしい 

それから改装の旅
魯迅故居改装中 
昼食後、多倫路を抜けて孫中山故居へ
無星ながら若い親切な運転者もよこでぐーぐー寝てるうちについた
が、一部改装中につき、銅像がない 
そして、故居はペンキくさい
でも中にはいろいろなものが残されていた
さらに、彼の妻宋慶齢故居
初心者っぽい女性運転者
最初は分かった風に言いながら、結局私と探しながら到着

改装中で一歩も入れず 

「まあ、こういう日もある」
と家族たち
願いを込めた龍華寺へ
片言日本語の運転者
インチキくさく思われるのがかわいそうなのであるが、実はとても親切だった
到着したとき、最高に暑くなってた
曇り空も晴れに変わり、日差しも強烈
そして、そこで一番涼しいのがトイレ
空調効きまくり
上海で一番古いらしいその寺は、三国時代呉が建てた(焼け落ちること数度、現存のはもっとあと)もので、立派だった 

で、観光したようなしてないような日だったが、最後に訪れたのが古北家楽福 
あたりのDVD店で買いあさる家族たち
それを待つガイド
家楽福でも自由行動で結構な時間を取ったのであった 

ホテルに戻って荷物を置いた
戻るときの運転者
妙にあくびばかり
眠いらしく、急いで裏道を使って送り届けてくれようとした

袋小路でたどり着けず、途中で降ろしてもらって歩いて帰った 

それから北京烤鴨
渋滞で電話予約の時間ぎりぎりであったが、そのときの運転者
とてもまじめなのか、初心者なのか、わざとなのか
特有の荒っぽさが微塵もなく
クラクションを鳴らさず、路はゆずりまくりで信号は止まりまくりで
こちらが急いでいるときほど、そんな運転者にあたる
安全はいいことで、普段は危ないと言っているのに、いざ安全な出租車に乗れば、遅いと愚痴をこぼし
勝手なもんだ 


電話予約した北京烤鴨の店
通された机10人 
4人を10人と間違われた 
siとshi
よく練習させられたはずなのに 
4人で大卓
ちょっと広いがまあよかった
商売上手の店員に乗せられて、ふかひれスープまでつけた

家族たちは喜んでくれたし、残さない家族だから、今宵もまた平らげた 

明天帰国する家族たち
それを迎えるように九州に向かう台風
果たして 


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京劇と観客と 2006年8月16日 三

2006-08-16 23:54:03 | 旅:嫁と
~家族紹介の日~

曇っている 
どうやら九州には台風が近づいているようで、後天無事に帰れるだろうか 

さて、本日予定していたのは
お茶市場
魯迅公園周り
復旦大学周り
京劇

お茶市場は時間がかかるということで8時過ぎに上海駅北の小汚いワンタンの店で腹ごしらえしてから到着
まだ通勤ラッシュのころである
とりあえず、わんたんに両親感動

今さっき起きたばかりという、店主たちが早速お茶を入れてくれた
両親を連れてくるというのは先日伝えていたのであるが、父曰く商売上手の店主は、手厚くもてなしてくれた
お茶のほかに、西瓜、葡萄、お菓子
私が母に頼んで持ってきてもらった日本のお菓子もかすんだ 
まあ、彼らの思惑通りに我々がお茶を買ったのかは分からないが、ついでの土産も結構もらった 
そして、前回のように食事をしていかないかとも言われたのであった

2時間弱
とりあえず大学方面へ
今回の旅行
そんなに観光スポットのない上海にとって、息子の留学先はかっこうの的 
暑いことも予想して、同学たちから自行車を借りていた 
もちろん、自行車でも暑いし、何より危ない
ので
できるだけいいものを両親にのせた
で、私が乗っていた借り物の自行車に空気を入れようとしたら、大学北門にある無料空気入れが壊れた
で、その入れようとした自行車も要修理ということで、修理店に行くと、母の乗っていたもののブレーキが切れた 
まあ、ただで借りていたのでどちらも修理した
気温がそこまで高くなかったこともあり、快適そのもの 
途中、私の愛する中国語の老師の一人にでくわし、両親と姉を紹介
短期性に授業するため休みはないらしい
相変わらずオーラがよかった 

毛沢東、礼品屋、光華楼と回れば、もうよいでしょう

それから、行きつけの火鍋店、引っ越したばかりの家へ行った

本日はこれにて 

ホテルに戻り、まったりしてから京劇へ
歌舞伎並みに聞き取りはできないが、内容がわかりやすかった
で、後ろ3幕目に盛り上がりを見せ、ラスト2幕目にはいると席を立ちだす客たち
みえねえよ
で、無事終了後、先をいそぐでかいおばさん、我々の足が邪魔して、なかなか通れないと、太い足で強引に歩みだす
そして、禁煙なのに煙草を吸いだす別の客
 
内容もやさしく、すっきりみれたのに最後の最後で胸焼けがした

さて、最終日の明天はどこいきましょうかね
  
コメント (2)
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