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青黴のつぶやき

春退社8月結婚9月~上海に留学
その生活を中心に今日の出来事
中国語を勉強しながら何を思う?
声の小さなラガーマン

夢ではない富士山 2009年1月3日 六

2009-01-03 20:21:46 | 旅:嫁と
~写真で見る西安旅~

咽喉の渇きで目が覚めた
西安にいたときはビールを少し飲んだだけだった
昨晩はかなり飲んだ
胃がおかしい
家に着くまで都合5回もトイレに行った

羽田発12時は確認していたが、そこに至るまでの電車時間を調べていなかったため
姉とは車両の中で会い、登機15分前のチェックインとなった

昨天も今天も富士山は綺麗だった

関東では箱根駅伝が盛り上がっているが
関西のスポーツ紙はアニキの新聞が一面だったことに狭い土地ながら興味の違いを感じる

そして
ヨメもダンナもグロッキーだった

家に着くなり洗濯機を廻し、明天からの出張準備を済ませた

もう一息

兵馬俑:
本物と贋物の違いは、おそらくその細かさ
本物なら頭髪から足の裏まで作られている
はず








西安といえばいまだ城壁に囲まれている
その内外で開発は進んでいる



鼓楼と鐘楼はいつも対になっている
何故か 
その鐘楼から見下ろす元旦の町並み
人だけでなく、汽車も多い 







元楊貴妃と現楊貴妃



シルクロードの起点ではないが


張学良紀念館は2009年5月一杯改修予定


大雁塔は玄奘三蔵


身分証がないと入れない陝西省歴史博物館は中国3大博物館


高宗と武則天の墓は田舎のはずれの山の上?





武則天の孫娘は祖母に殺された?


アショカ王の指骨がある法門寺




興慶宮公園には遣唐使の碑と阿倍仲麻呂碑




回民街にある骨董一条は本物か


国際機場にある世界地図は手抜き


帰りの機内から
コメント (2)
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そして旅は続く 2009年1月2日 五

2009-01-02 23:04:31 | 旅:嫁と
~西安再び(六)西安から日本に向かう中国人も少なくない~

ここ数日変な夢を見ていた
初夢が1/1の晩に見たものだとすればどんなものだか非常に気になるものだが、お陰さまで記憶なし

公共汽車で機場に向かうのが一番安いのは違いないが、フライトの時間が微妙だったので出租車にした
行きと同じいい値120元
この運ちゃんはご親切にもメーターも動かしてくれて、高架費込みで90元が正規だった
まあいいか


行きであれだけかかった空の旅も帰りは西風に乗って早めに着いた


西安のまとめ
変わらず人が多い
公共汽車の路線数が多く方便
さらに地鉄も建設中
肯得基は兵馬俑でも大雁塔でもどこそこある
円高元安
北京や上海より西安物価は低い
乾燥で降水量も少ない
滞在中は気温±4℃の間くらい
回族が多く、羊をたくさん食べたが豚は見掛け辛い
発音が北京より心地よい
物乞いが積極的
人はいい奴が多いように見える
連凧挙げする人が多く楽しそう
博物館は身分証がいる
奥運会の恩恵なし
金融危機の影響は少なからずあり
旅行者は各国から来ている
内陸のため、日の出は遅い
そして
日本での知名度はあまりない

そんなとこ


成田までヨメ父に迎えに来ていただいた
市内は成田山参りで混雑

家に着いてしばらく
ヨメ妹夫婦におばさん交えて新年会
2年前にも見た景色
ただ
12月一杯で退職したヨメ父の慰労会も兼ねた

毎度のことながら
お節に加えて、蟹シャブなど大御馳走を頂きました

そしてヨメ父と差しで飲みながら夜が更けた

御馳走さまでした


1/4から中国出張というのは、心身ともにしんどいのは気のせいではない
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今年もまた旅先喧嘩初め 2009年1月1日 四

2009-01-01 23:33:39 | 旅:嫁と
~西安再び(五)とにかく健康で元気な一年が過ごせますように~


片付けしていたら、こないだ日本で上映されたと思った「赤壁」がCCTVですでに放映されていたがやっぱり同じ場面でウトウトし、そのまま寝た

さておき最終日
ただひたすら歩いた感があり、疲れた

玄奘三蔵の大雁塔は周りの公園が随分開発され、思いのほか敷地が広く、塔内に入るまでが長旅だった
7階建の塔に登ったときは目が回って、塔が倒れるんじゃないかとさえ思った
敷地内でイチャつくカップルに「ブサイクのくせに」と吐くほど素直に疲れた

疲れてばっかりなりに三蔵の前で初詣

そこから地図上では1ブロックの長い道程
辿り着いた陝西省歴史博物館は中国3大博物館
下午入場券販売の13時を前に行列
あとで知ったが、上午2500、下午1500の制限があった

ひとまず腹拵えで近くの刀削面
安くてうまいは料理で重要なことである

そしてこの旅行最大の事件へ続く

食事後
例に倣って行列に並ぶ
「省内」と「外地/外国」に窓口が分かれている
売り子はどうやって見分けるのか?
周りの中国人は身分証を手にしている
これまで老人や学生を証明するために身分証を持っている人はいたが
果たして
門票買えず(ΘoΘ;)
厳しかった
情状酌量の余地なし
そこまで明記していなかったガイド本を責めるしかなかった

博物館前で違法に売る葉書セットを買って、この旅唯一の市内出租車に乗ったのである
阿部仲麻呂紀念碑の興慶宮公園から公共汽車に乗るまで無駄に歩き、一旦酒店に戻るも予定ははっきりしていなかった

鐘楼へ登って西安市街を見下ろす
元旦で車道も歩道もすごいことになっていた
ここでも予定ははっきりせず、ひとまず郵局へ葉書を出しに向かったそのとき歴史は動いた

地下道から地上に上がる通路は大混雑
エスカレータは入口がすごかったので階段にした

階段は進むのに時間がかかり、エスカレータは乗ってしまえば速かった
疲れもピークに達していた
階段は失敗だったことでヨメとダンナは今年最初で最大の一悶着
あとで考えればどうでもいいことなのに、その異様な空気はその先も続き、予定のひとつであった按摩は取りやめとなった
それから行きつけの回民街で食事し、日没直後に酒店へ戻った
反って
早く帰国準備ができてよかったのである

こうして西安で迎えた元旦の夜は更けた

城市酒店(徒歩)→回民街:屋台と清真大寺周り(徒歩)→南門(609:1)→大雁塔25元/登頂20元(徒歩)→陝西省歴史博物館:身分証必要(出租車:12)→興慶宮公園無料(徒歩)→東門(29:1)→南門(徒歩)→城市酒店(徒歩)→鐘楼27元/鼓楼とセットなら40元(徒歩)→回民街(徒歩)→城市酒店

ちなみに明け方
ダンナは怖い夢をみた
詳細は忘れた
ただ夢の中で夢中で叫んで目を覚ました
ヨメも恐らく変な呻き声でビビって目が覚めた
ひとまず部屋に異変がないことを確認してまた寝た
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ダンナの愛した山登りは墓の上 2008年12月31日 三

2008-12-31 23:30:06 | 旅:嫁と
~西安再び(四)中国なりに年越し~

「馬鹿っ!!!」

朝から通勤ラッシュの公共汽車内で大声を張り上げたヨメ

乗った公共汽車はひとり1元
5角2枚ずつを料金箱に入れた
運転手のおババは重なった金が2枚に見えないらしく因縁つけてきた
正直箱開けて確認してくれれば住むのに、口でしか言ってこない
よく見てくれるように指指したが運転席から立つ素振りなし
怠慢

先を急ぐので罪を背負ったダンナは渋々1元追加した
ヨメは低血圧ながら朝から激怒した
騙したのか?怠慢なのか?
お陰で郊外行きの公共汽車に間に合った


向かった先は「乾陵」
乾隆帝と武則天の墓

70分以上かかって到着したのに30分しか観光時間がないと言う
急いだ
地下にある棺桶安置場所
なるほどと関心しつつも「乾陵」にしては小さい(?_?)
案内にも「武則天孫娘の墓」とある
「乾陵」はどこ?


なんてことはない
そこから5分くらいしたとこにメインイベント「乾陵」はあり、最初にみたのは「永泰公主墓」である

さて「乾陵」
麓に「乾陵与武則天墓」みたいな墓標があるただの山
与えられた観光時間は1時間半
そんなに時間がかかるようには見えなかった
実際見るべきは墓ではなく、その景色
20分くらいかけて急な山道を登れば、のどかな風景と忽然と現れる墓が見渡せるのである
壁に横穴空けた家や地震で一発の煉瓦家も見えた

中国の皇帝は秦始皇もそうだがやることが無駄にでかい
周りは段々畑しかない僻地に積んだのか、もともとあったのか知らないこの山
都からは80km以上離れてるのにな

そんなことより久々の山登りを満喫し、行くつもりはなかったが公共汽車が連れて行ってくれた「法門寺」
最近になって、世界に配られたというアショカ王の指骨があるということで俄かに盛り上がりを見せていた

これでツアー終わり
ツアーというか、3ヶ所の観光地に連れられ、見たかったら見ろ
見たくないなら見なくていい
ガイドも準備しない
路線バスとも違う不思議な仕組みだ

市内に戻ると寒さも加えて疲れていた
不機嫌な果実を落ち着かせる目的もあり、近所の按摩店へ急いだ
高かったが中国語の練習込みとした
奥運会後いいことはなく、金融危機で景気もよくないらしい

夜は行きつけの「回民街」で砂鍋と羊肉

近くの城壁でカウントダウンイベントをやるらしいと仮眠

朝まで仮眠

城市酒店(46:1+罰金)→西安駅(游3:25)→永泰公主墓:観光30分20元/博物館15元(游3)→乾陵与武則天墓:観光90分26元(游3)→法門寺観光60分28元(游2:25)→西安駅(706:1)→城市酒店(徒歩)→大足神農足道118元/100分(徒歩)→回民街(徒歩)→城市酒店
*郊外なので食事は期待できないので、面包と水果持参した

ちなみに明け方
ダンナは下着泥棒をして現行犯逮捕されたが、知らぬ存ぜぬで誤魔化そうと取り調べ室に着いたとこで目が覚めた


よいお年を迎えられますように
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ダンナの愛した兵馬俑 2008年12月30日 二

2008-12-30 15:28:31 | 旅:嫁と
~西安再び(三)秦始皇さん、あんたは偉大だよ~

2006年4月に教学旅行で兵馬俑を見たとき感じたのは
「贋者疑惑」

ひと月後の演講比賽では緊張のあまり参加賞にとどまったが「中国悠久歴史」という題目でその疑惑を伝えた

今回
ヨメを連れて行くに当たり注意したこと
「本物見るまで贋者に合わせない」

西安市内でが公共汽車で1時間かかる郊外に位置する兵馬俑
西安駅は朝から旅行客とうさん臭い旅行団のポン引きでごった返す
すでに嫌気
予定していた朝昼飯を買い込むのも面倒になった

ようやく秦始皇像前で紀念撮影のときは昨晩の辛飯が下から出てきそうで不機嫌極まりないダンナであった

出たら出たで調子が出た途端
デジカメの充電がなくなってきたことにヨメ怒りの鉄拳
不必要なものは撮らない


兵馬俑前で充電ないのに何10枚も納得いくまで撮影した
来年の年賀状にどうかぁ?

ちなみに兵馬俑
発掘後屋根をつけられているがかなり寒い
あと5000体くらいはまだ眠っているらしく
それは兵馬俑工場で作っているわけではない

中国の観光地といえばどうしようもない土産屋
兵馬俑グッズは分かるが旅行鞄は売れないと思う

一番繁盛してそうな肯得基で昼

次なる揚貴妃の華清宮へ
ここは西安事変があった場所で蒋介石が過ごした部屋と銃弾跡もある

兵馬俑を堪能してすっかり冷えていたので脚湯に入った
揚貴妃の入った温泉での脚湯
脚湯後のヨメの変わりようは計り知れない

停車場まで歩いていると半ば強引に公共汽車に乗せられた
意味分からず乗せられた
でも無事に着いた
恐らく少しでも多くの客を乗せた方が儲るのだろう
駅に向かいそうな歩行者に近付いては客を乗せ、満席になるとひたすら駅を目指してた
夜は回民街と呼ばれるイスラム系の屋台街をふらついた


正直
兵馬俑が本物かどうかはわからない
でも秦始皇の権威と中国史の悠久は変わらない

今回の旅目的は概ね果たせた
明天からの2日間はどう過ごす?


城市酒店(603:1)→西安駅(游5/306:12)→兵馬俑65元(游5/306:3)→華清池40元/足湯20元(915:6)→西安駅(14:1)→和平門(徒歩:買物経由)→城市酒店(徒歩)→回民街(徒歩)→城市酒店

ちなみに明け方
ヨメは吉田栄作似のかっこいい男の夢を見たらしく、目が覚めるとダンナを見て少しがっかりしてた
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ダンナが愛した按摩店 2008年12月29日 一

2008-12-29 15:26:31 | 旅:嫁と
~西安再び(二)その先に按摩があるから~

朝目覚ましが鳴る
旅先だからと言って普段の設定を解くことはしない
早いのは5時
最終7:30
ひたすら止め続けて
しかも
起きない

そりゃまあ昨晩の着陸が24時超えていたから勘弁

その機内から何となく見えて街の明かりは縦横綺麗に並んだ街灯だった

京が手本にした長安
中心は今でも城壁に囲まれており、修復されているのでどの石が当時のものとは言えないだろうとも、歴史は感じられる
その城壁を散歩
誤算は朝飯が機内食残りの面包だけだったことと途中で降りられると思っていた門で降りられず、来た道をフラフラ戻らなければならなかった

予定外に力を発揮したのがデジカメ買ったときに貰った「ボトルんです」
ペットボトルをデジカメ三脚ネジに取り付けられる大したものではないはずだったが
ボトルをつけていなくても5cmくらいの高さがだせ、しかも角度調節が可能なのだ
ただ中国のボトル蓋規格には合わない(-д-;)


腹は減った
フラフラ探した挙句
1.5年前にも訪れた「羊肉泡*(*食偏に莫)」の店
堅いパンをひたすら契ってそこに羊肉春雨スープをぶっかける特色菜
温まるとともに懐かしい

それからいつものように
タクシーに乗る乗らないでイザコザをしながら絲綢群雕へ
ここら辺はきっと昔もそうであったように今も交通量が多い上に紅緑灯なし
そういうときはヨメの方が今のとこ横断上手

それから陝西唯一の西蔵佛教寺広仁寺経由で旅のメインイベント足底按摩
留学中の教学旅行で毎晩行った「紅千足」

通じなくなった自分の中国語にがっかりしながらも
80分35元で時間たっぷりのあの内容
脚を打撲していたヨメには辣油みたいなサロメチールを塗りまくり
「父さん、今も変わらずいい店でした」

今回3度目の「606路」に乗って酒店に戻り
持ち帰りしたほどたくさん食べたのである


ちなみに期待の「張学良公館」鋭意改修中2009年5月底

城市酒店(徒歩)→永寧門40元(徒歩)→鐘楼(徒歩)→張学良公館/改修中(606:2)→絲綢群雕(606:1)→玉祥門(徒歩)→広仁寺(徒歩)→紅千足35元/80分(606:1)→城市酒店(徒歩)→楽楽餐庁(徒歩)→城市酒店


ちなみに明け方は
夢を見る暇もなく
酷い乾燥のなか久々によく寝られた
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西安へ 2008年12月28日 天

2008-12-28 15:40:07 | 旅:嫁と
~戻りは年明け2日~

16時過ぎのフライト
上海経由で
西安着は22時過ぎ

出発がゆっくりなのは楽
ただ夜中に到着するのはしんどい

出発前にちょっと早めの年越し蕎麦を頂いた

さて
出だしからドタバタだが
どんな旅になるやら

とにかく無事に
できるだけ荷物をなくさないように



旧年中はお世話になりました
まだまだ旅は続きます
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だから乗り継ぎはやめられない 2008年12月28日 天

2008-12-28 15:25:13 | 旅:嫁と
~西安再び(一)待ち惚けも再び~

今回の西安旅
成田発の上海経由
渡された2枚のチケットは16:20成田発と19:00上海発
それで22:10西安着
ツアーを除くと初めての乗換え
荷物は届かないものと思え!だな

牛肉面と百威を平らげた頃には留学以来の上海浦東機場到着
18:45だから乗換え15分って
あり得なくない?

よくわからんが乗換口行くまでは買い物の暇ないのに身辺チェックが厳重に行われ、さっき機内で残した未開封の水さえもぼっしゅーと

出発時刻はいつの間にか19:30
乗り場は9→11→9→11
どこやねん


「天候不良」無期限延期(≧Д≦)ゞ

すぐに思い付いたのが宿泊先酒店への連絡
あまりに到着が遅くなり別の客が入っていることを恐れたからだ
公共電話からかけた
通じた
理解してくれた
ただ
その電話に意味があったかは不明
ちゃんと横通ししたかな?

結局周りのカップラーメンが気になり出した21時過ぎ搭乗21:30離陸と相成りまして、鶏飯食べて日が変わった頃に無事着陸したわけで-2℃

外に出るなり白タクへ
酒店まで150元
下調べでは激高でもない
何より早く辿り着きたい
でも
ヨメは許してくれない
車内で
「言い値じゃなくて値切ればよかったね」

去年瀋陽でもそうだったし
今回のフライト中もそんなことを言い合う
「多少ぼったくられても機場に放置されるよりましで、夜中だから足下見られることもあるだろう」というダンナと
「(ダンナに中国語を使わせたい気持ちの上に)放置されることとぼったくられることとは別問題」というヨメ


タクシーならではの屋根上看板のない白タクは途中明らかに高速から裏を抜けた
土地勘はあるはずもなく、真夜中
変なところに連れていかれたらどうしよう
デジカメは買ったばかりだが場合によっては諦めるか
人気ない場所で夜中放り出されたらどうするか
などといろいろ考えた

少し街が栄え出した頃汽車横転
その事故を切っ掛けに運ちゃんが話しかけてきた
いい人だった


無事に着いた(高速代込150元:言い値)
無事にチェックインできた
佐倉の家を出て13時間が過ぎていた

雪こそないがひどく乾燥した土地
夜中でもお湯が出てくれてよかった

そんな06年4月以来の西安である


成田(MU522:上海浦東機場経由)→西安咸陽機場(白タク:150)→城市酒店
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激流なのは中国だけでもない 2008年7月23日 三

2008-07-23 22:46:40 | 旅:嫁と
~天候に恵まれた廈門合宿~
昨晩
父の宿舎からの帰りに腸子が悪くなった嫁
熱も出た
夏場の貝といえば、その不腸の原因も多くない
朝練も中止して様子を見た

廈門大学は廈門の観光地のひとつとなるくらい面子を気にして大層な校舎と庭の他、多くの博物館がある
今朝も導游が学生を連れていた
実際、中国有数の綺麗な大学らしい

どちらが目的か知らないが、自分土産の現代小説を買うついでに締めとして8レーン5周走った
すでに炎天下
やっぱ夏休みの宿題は暑くなる前の早朝にするべきだ

トラックにはただ我ひとり也
激流の中の中国
それは廈門でも感じられた
1年半前から変わらず建設ラッシュ
橋が増設され
トンネルが掘られ
アパートは高く高く
小さい商店街は立ち退き
北京奥運会の踊り子たちは臍をだし
游泳選手は日本と変わらず鮫肌水着を着るか話題になり
夜中の木陰でいちゃつくカップルを嫁父がみたら中国の変わりように涙するに違いない
一方で
公交車では必要な人に席を譲り
親の割り込みを一人っ子の息子が注意する
超市では全国的にレジ袋有料化
皆が皆ではないだろうが文明化社会を進む

帰りの飛機には多くの中国人客もいた
日本人よりも美人なCAは流暢な日本語
もう亜細亜共同体だな

市場経済
競争化社会
それは批判するものでもなく、あとはそれに呑まれるのみ
ひとまず父に感謝
徐老師に感謝
暑い中一緒に走った嫁に感謝

明天はなんだっけか?
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陳嘉庚と集美 2008年7月22日 二

2008-07-22 23:32:37 | 旅:嫁と
~大詰め廈門合宿~

2年半前廈門旅行で最初に来たのが集美だった
あのときはただ徐老師に連れられて公園や故居をみて回った

今回は家族4人で公共汽車
景点近くに到着すればよかったが、数km離れていそうだ
そこで待ち構える三輪車
すべての景点回って戻ってくるのに40元
ぼったくられるのを警戒する日本人
ぼったくろうとする中国人

結局
一番端の公園まで5元/人=20元
出租車の方が便宜?

到着しても交渉を続ける三輪車のおっちゃんを振り切り嘉庚公園へ

夏休みの子供がいっぱいであった

推定36℃の直射日光のせいか日向の彫刻より日陰の椅子がよいらしく、撮影点は空いてた
ここは陳嘉庚の墓場であるが、それを囲む彫刻が趣深い
野菜動物歴史文学道徳などのテーマがあるなかで兵器も平気である

公園出口
見慣れたおっちゃん
手を振る
さっきの三輪車のおっちゃん
あなたとは運命を感じるよ
でも
乗らない

帰来堂から陳嘉庚故居
途中「時価」ばかりの廈門料理を食べて龍舟池散策

陳嘉庚は華僑
廈門大学だけでなく、この集美に幼稚園からなる学村を作った
今の自分にそんな儲けた金があったとしても、そんなことには使えないだろう

龍舟池から眺める校舎は天気手伝ってよく映えた
よし
取りあえず
あたいは稼いで家建てよう

賓館に戻ってしばらく
丸焦げついでに嫁も連れて走った
8レーン10周
嫁も5レーン5周
人影は少ない
あとで気付いたが、走った16時頃は沈みかけの日差しが一番きつい
そんなときに走るのはへんな旅行客しかいない

そこに嫁も巻き込んだ

晩上
最後の晩餐は
父の宿舎で餃子鍋
和風味のだしと廈門名産牡蠣を合わせた落ち着く味だった
父はこうして半年の留学を終えようとしている
退休後にみんなの心配をよそに異国の地で一人生活
母もまた実家で一人生活
子供はそんな親の背中を見てた


あたいたちは
帰国を待つだけのはずだった
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