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青黴のつぶやき

春退社8月結婚9月~上海に留学
その生活を中心に今日の出来事
中国語を勉強しながら何を思う?
声の小さなラガーマン

またこよ 2007年8月14日 二

2007-08-14 23:06:28 | 旅:嫁と
~それでも中国は好き~

5時起き、6時発
昨晩、フロントに6時退房は伝えていたのだが、そのときのフロント女性が寝ぼけ眼で待っていた 

こちら中国は平日とはいえ、6時だし、何よりもともと機場までが近いこともあり
早く着きすぎた
まあよい

入口→手荷物チェック→チェックイン(預け荷物チェック)→出国手続き→手荷物身体検査→登機

ちょっと順番が日本とは微妙に違う気がしたが、より安全な気もした

がらがらの機内
空いているのに、3人がけの席につめて座る
我々は窓側から2席
通路側の日本人に見える中国人は空いている席に移動すればいいのにと願ったが
ずっと張り付かれた
まあ
そんな席を割り当てた方がいけてないのではある


大連というところ
1.ひとあたりがいいし、親切な感じ(当社比)
2.夏は涼しくてすごしやすい(もちろん冬は寒いだろう):仙台くらいの緯度
3.海鮮ものを含めて、食べ物がおいしく、日本人に合うはず(当社比)
4.観光よりも生活する方がいい
5.東北地方ということで、発音が耳に心地よい

つまり、合格
そして
中国好きだ 

旅遊を終えて、また中国に旅遊したいと思ったし
そのため(仕事のため?)にも、中国語のリハビリは続けようとも思った


家にたどりつくと、ばたばたと免許更新にでかけた
いろいろ変更があった
1.ICチップが導入され、それに伴い、本籍と裏面は記入なし
2.交通事故死者は5年連続減少
3.普通と大型しかなかったのが、普通、中型、大型と種類が増え、もともと普通免許だった人は中型となった(ただし総重量8t以内)
4.優良、一般は5年後に更新、違反運転者というものができ、3年後に更新
などなど
いつの間にか、必要なのかなんなのかよくわからない 

帰りがけに、アルコールの自動販売機があり、年齢確認のために、運転免許書読み込み機が付いていた
しかし
運転免許証はすべての成人がもっているわけではない
よく考えれば、中国では身分証をみな持っている
日本で何か手続きするときには
健康保険証、住民票、パスポート、運転免許証などで
誰もが普段携帯しているものでもない
住基カードというものがあるが、これは運転免許証などを持っていない人のためにというものらしい
つまり強制ではない

いけてねぇな

何よりも
この猛暑日とかいうのがいけてねぇ 
水風呂だ

明天はどうすっかな
家にいても、外に出ても暑いからな
 
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中国の中の嫁と私 2007年8月13日 一

2007-08-13 23:55:13 | 旅:嫁と
~たまには嫌いになることもある~

ようやく青空がのぞいた 
消化不良か、胃腸は荒れ気味

早起きして市場へ向かうも、ガイドブックにある市場は見当たらず
(今回の大連旅遊をまとめてガイドブックに送って何かもらおってやる)
そのまま歩いて大連交通大学へ方向転換
大連でも通勤ラッシュ

そんな中、鉄橋を渡った

遠目に通行人がいるのは分かったが、いざわたってみると、高いし、隙間は多いしで
なかなかの冷や冷や系
嫁は手に汗握る大格闘
実際に火車が通るかどうかはしらないが、いとおかし

そして、「交通大学に恋をした」が
「片思い」だった
 

暑暇中で、食堂も到着した8時過ぎには閉店、美容院など切り捨てられた髪の毛しかなかった
「恋をする」定義はよくわからないが、歴史を感じるとか、中国っぽいとかなのだろうが
昨天の理工大学と比べると、断然いい
それは第六感が訴えた

ということで、理髪in中国の大学はあきらめた
大学お向かいの店でトルコのシシカバブ?風サンドと肉包を買った
これだけ食べて10元満たないのは、さすがであり
校内で食べていたら、その街路樹に突然消毒液を散布しだすのもさすがである


中国銀行へ移動
明天帰るのに、日本円を換金
中山広場にある市内随一の銀行だけあって、にぎわう
当然のように順番待ちの番号札を取る
親切な銀行小姐にアドバイスをもらいながら、並ぶ
そうすると、番号札を取らずに、どんどん自分の後ろに並びだす
さすがである
その横では、3000ドルの両替をする金持ち母さん
いろんな人もいるもので、そこで飲んだ自販機の珈琲は紙コップに穴が開いている上に、激烈まずい
この銀行に発展する中国をみた 

それから、街には必ずある茶市場へ

これは大酒店や旅遊会社での聞き込みにより発見した
2005年に建て替えられたということで、上海の市場に比べれば、こぎれいである
(そんな上海の市場も今は建て替えられているはず)
嫁の勘にまかせた店だが子連れのわりにのりがわるかった
ま、でもそれなりに語り合いながらお茶を飲んだ

その隣にある商品城はでかかった
これまた上海にもこういう胡散臭い店の集まった商品城はあるが、中はきれいで歩きやすい
ふらっと寄った店で買った
たぶんぼられたがやすいからよかったつもりが、その事実を知ると嫁は怒っているようだ
まあ落ち着け

大酒店で午飯休息後、最後の観光地老虎灘へ
ガイドブックには6匹の虎の彫刻がある無料の海岸とあるだけ
地図上には海洋公園とあり、駅前でもしきりに旅遊会社のおばさんたちが勧めてきたが、それは無視して、海岸を散歩すればいいと思っていた

公共汽車で到着し、地図を広げて、現在地を確認
それが飛んで火にいる夏の虫であった 
二人5元という格安で2km先の虎彫刻のある場所までバイクに乗せて連れて行ってくれるという
初めてのバイクに怖いながらも、風を感じながら乗った
あんた中国人?
といわれたほど普通にやりとりできたこともあり、ちょっと注意が足りなかった
バイクに乗っているときは楽しかった
いや、それが最後の楽しい時間だった
彫刻前に到着すると
「ひとり60元の観光船をふたり100元に値切るけどどうだ?そうすれば5元もいらないよ」

からくりが見えた
つまり、違法に見えるバイクの兄ちゃんが、実は観光船の切符売り場(つまりはその海洋公園)とつるんでいるわけである

人の良さも手伝って、しぶしぶ乗ることにした

乗船してもなかなか出発しない
船員が10元で2階に行った方が眺めはいいとしきりに勧める
それは船に乗るまで知らされていないことであり、それでも進んで金を払う客も多い
2階席が埋まらないと、次の客を数人乗せる
そうやって、2階が埋まるまで続ける
最後の方は5元になっていた

なかなか出発しない船
10元払えば2階にいけると知らされたのは乗船後であり
ついでに、同じ値段で隣にあるモーターボートの方が楽しそうである
などなど
とにかく、その汚いやりかたに、切れまくる嫁 
中国でどういうか教えろというが、この中国商売に疲れただんなは、反応する気力もない 
そんなだんなの態度がさらに火をつける
嫁は日本語で叫んでいた
「きいてねぇよー」

船自体はおもしろくない
だれそれという有名な人が宿泊した島があるとかで、そこにいって戻ってくる30分ほど

こんなあこぎなことをやっていたら、国際社会において干されるだろう
いや、外国人はあまり来ないのかもしれない
もともと、ものすごい観光地があるわけではないが、奥運会を気に大連に寄る客も増えているようだし、それでよそからきた中国人は、せっかくだからと大枚をはたいているようだ
それは、だまされたことを知っているのかどうかは知らない

それよりも
中国で主題公園に来てはいけないということを知りつつも、いつの間にかその沼に入り込み、付け入る隙を与え、後戻りしようともしなかった自分の気の弱さ
火がついたら燃え尽きるまでいく嫁の気の強さ
その海洋公園はふたりをまた成長させたということでいいかな 


そして、ただ
疲れた
最後の最後に疲れた

六匹の虎彫刻から公共汽車乗り場までは歩いて戻った
たぶん2kmもなかったと思う


ついでに
この6匹の虎も取ってつけたようだったな 


早めではあるが晩飯
大地春餅店
これは鎮火するにはもってこい
巻き舌の激しい服務員も親切に教えてくれた
そして、我ながら選んだ香菜と辛い鳥の炒め物がうまかった
さらに、最後に頼んだ青菜ときくらげとシメジの油いためは頼みすぎだし、野菜は取れるが油も摂取できた

そんな胃腸不良気味のだんなのために、嫁の提案で果物食べた
中国は果物が安いからいい
昨晩も含めると
芒果、桃、葡萄、オレンジとたくさん食べることができた

そうして、どたばたの最終日を終えたのである

最後の一日は過ぎた
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中国のめざすもの 2007年8月12日 天

2007-08-12 23:30:32 | 旅:嫁と
~大散歩大会~

大連二日目
朝市で食事をめざして、大酒店を出るも、いい体はしているが人のよさそうな旅行案内兄につかまる 
食事がしたいことを伝えると、その先の今風こぎれいな連鎖店まで連れて行ってくれた

旅行団の押し売りは中国でよくある
そういうのはしつこいので無視する
あるいは、道を尋ねると親切に教えてくれることが多く、それをきっかけにその場を離れる
後者は、前者ほど不愉快な感じはないのである


今回もその戦法

入ったその店
こぎれいである
中国の粥や油条、餛飩などはある
しかし、ちょっと汚いが安くてうまいというところで中国を味わいたかった
でも
外でさっきの兄さんが待ち構えているから、出るに出られずそこで食べた
こぎたないけどおいしい餛飩の店などは減っているのかもしれない


30分かけて食べたがその兄さんはいた

結局、旅行団はいりませんと断った

そのわりに、行った先は、ガイドブックにある旅行会社 
結局旅行団を確認しに行くのである
大連はそれほどたくさん観光地があるわけではない
それで旅順まで足を伸ばして、日露戦争の激戦地などをみようと思ったのである
ところが
我々外人が中国人旅行団に参加して、旅順に行くことはできないらしく
(ガイドブックにもそうあった)
汽車一台をチャーターして、さらにはガイドもつけてお一人様700元
たしか北京市内から万里長城いったときのチャーターが1日700元だった気がする
そうすると、その倍の値段
高すぎる 
やめた

それで、そこのおっちゃんと中国語会話もかねて、どこに行くべきかいろいろと聞いた
休日の朝一で、他の社員はいないし、客もいないということで、聞いていないことまで親切に答えてくれた

それから散歩へ出た
昨晩、大酒店で聞いたお茶市場を確認し、俄羅斯風情街に取り忘れた写真を撮りにいき
旧満鉄本社跡から

なぜか中国で切子ガラスの店へ寄り

大連港へ行った

多少ぱらつくことはあったが、涼しい
途中、上島珈琲で休憩をしたが、朝っぱらから歩いた
明天は旅順と決めていたが、それが取りやめになったことで時間ができた
北京のときなどは、行くべきところが多く、旅行期間も長かったので、最後の方は消化不良だった
今回は、3泊4日なれど、まったりとした旅にできた 


大連港は以前日本人客で栄えていたのであろうか、日本人向けのスナックや性保険グッズの店が多く、それは一様に古びていた(もちろん市内は今も日本人向けの店は多い)
その大連港から旅遊船で老虎灘にというすばらしい案を考えたが、風が強く波が荒れているらしく、船は出ていなかった
それが返ってよかったと思う
すでに13時
おなかを空かせていたこともあり、市内へ公共汽車で移動
途中市政府の前で、婦警による手信号をみかけ、奥運会とは関係ない奥林匹克公園を抜けて、目的の餃子店へ

大福餃子店
ひと皿20個と店員が教えてくれたにもかかわらず、ふた皿プラス宮爆鶏丁に啤酒まで頼んだ
挙句、残した
「持ち帰り」とは「打包」というが、その言葉がすぐに出てこなかったときに若干の衰えを感じた
 

さらに歩いて、会展中心→星海公園
会展中心はちょっと前まで絹の展覧、ちょっと先には国際汽車展ということで、今は何もやってない
啤酒節もやってない
ただその先にあったのは、大連100年紀念公園で1999年に直径199.9mの円状公園を作った
でかい
そして無意味に西洋風
遠くに見える万里長城とシンデレラ城を足したような建物


聞くところによると貝殻博物館

他にも日本じゃありえない意味不明の危険な場所
そこに中国が考える成長した証とはどんなものかをみた
口では言いにくいが、そこには中国伝統の建物はなく、微妙に西洋風
狭い国土の日本では考えにくい、中国の大きさを象徴するようなオブジェたち
古代文明発祥の地でありながら、今は西洋を目指しているのか
はたまた、ただものめずらしいから作っただけか
後者かも
人はたくさんいた

予想外に興味をそそられ、歩き回った

朝方の旅行社で聞いた大連一の大学、理工大学へ飛んだ

理髪しようと思ったからだ
その近辺、数碼路や軟件公園などIT系の企業や学校がひしめく
大学自体も日本の東京にあるどこぞの工業系大学のように味気ない
というか、中国の歴史を感じさせない

今年の甲子園は「甲子園に恋をした」
私は残念ながら「理工大学に恋をしなかった」
疲れていたのもあるだろうが、しばし休息して、公共汽車で市内に戻った

七七街という旧日本人街
表札のあとがある
電信柱がどこか昭和の日本
その先にある南山風情街
前述の俄羅斯風情街は俄羅斯人も含め、多くの人がいた
その南山風情街
ただなんとなく風情なだけ
といっても中国風というわけでもなく、こぎれいな歩行者専用道
人もほとんどいない
そこへ1台の観光バス
日本人ツアーだった
中国人ガイドが日本語でしきりに「他より安い」というが、売っているものは日本人形

最終目的は、足裏按摩
足球選手の奥さんが開くその店は、落ち着いていた
よかった
按摩は中国語の練習にもなる
普段嫁に按摩をさせられているとか、大連は按摩がとてもいいとか、奥運会で大連も客が増えているなど
感動の話ばかりだった
そういえば、大連は北京上海に比して自行車がめっきり少ない
どうやら、神戸に似て坂道が多いからのようだ
不健康といわれた嫁も、健康なだんなも満足して、帰宅した

夜は昼の残り物餃子、冷めてもうまいと商店で買った桃、葡萄、芒果で軽めにした
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いろんなことが雨だけど 2007年8月11日 六

2007-08-11 23:13:57 | 旅:嫁と
~大連旅行~

久々の中国である 
海外旅行をしたい嫁
中国語リハビリをしたいダンナ
連休も、ものすごく長いわけではない

ということで、行き先を決めるのにそう時間はかからなかった
東北地方の港町大連である

大連は、いくらでも耳にする都市
日本企業も多いし
たしか、留学中にお試しで受けた現地採用の企業もそうだった気がする

さて
関西空港を国際線で使うのは初めてである
第2滑走路が出来て、日本初の24時間離着陸可能な空港とかで話題になっていた

客が使いやすいかは別
国際空港は、浦東かバンコクがいいな

盆休みで混雑を予想して出発の3時間前には空港にいた
2時間前には出国手続きを済ませた
CA便だとANAのラウンジは使えないのかと嫁に迫られたが 
過去に使えなかった記憶もあり
ラウンジ自体も遠かったということで
そこらへんのいけてない店で麺を食べた
もうちょっとましな食事を出して欲しい

そして定刻通りに搭乗

定刻通りには離陸しませんよ

搭乗して、30分くらい経ったかな
機内放送で、管制塔からの連絡で出発が遅れるという棟が伝わる
予定は
1時間30分後
飛行機の時刻表ほどだいたいなものはない
しかし、時刻表がないとそれはそれで困るし
いつもはちゃんと飛ぶのに、お盆で混雑するとものすごく時間がずれる
まあ、事故がなければいいですが 

そんなわけで、出発もしてないのに、飲料が配られ
さらには
食事も用意された
揺れない中での食事
落ち着いたものだ
でも
予定よりも20分ほど出発が早まったこともあり
急いで片づけをはじめるCAたち
もう機体は動き出していたときにようやく片づけを終えたようで 

うそかまことか北朝鮮の上を越えて、大連に到着
中国上空は雲の中をすすんだので、ラピュタばりに揺れた
どこぞのジェットコースターよりかは安全なのかもしれないが、冷や汗モノである 

入国して
天気がよくないこともあったが、暑くない
出租車の運ちゃんが声をかけてこない
初乗りは8元
市内までが25多元だから、飛行場へのアクセスが便利
大酒店のフロントの対応が北京よりもいい
自分の中国語はそれなり
きれいな街かと思ったが、大連駅の周りにいけば、そうでもないこと
などなど
久々の中国臭を味わった
急成長を感じさせる百貨店
まったくやる気のない地下街
この感じ
雰囲気
緊張感
やはり中国である 


ホテルが駅に近かったこともあり
チェックイン後、駅方面から歩いた
歴史上、俄羅斯と日本の色が見える

俄羅斯風情街に寄った

入り口にはそう書いてあるが、中は非常に中途半端

建物は歴史のあるものなのだろう(きっと)
その前にある出店は中国そのもの
マトリョーシカやロシア人形をしきりに売っているが
その先には韓国とのコラボレーション
さらに先には干物
もう港が近いのである

雨の中を、勝利橋、中山広場、貿易センタービルと進んだこともあり
嫁はサンダルだったこともあり
もう夜だったこともあり
ガイドブックには予約が必要とあった店に寄った


予約はないが座れた
生簀から好きな魚介類を選んで調理してもらうスタイル
人気は海胆らしい
鱘魚もいた
数十分悩んで活青斑を清蒸でお願いした(というか、まかせた)
他には
大扇貝(蒜茸粉絲蒸)
鮮人参炖海螺
水蘿ト炖鮮貝
そして青島純生

雨は夜更け前に~もっと強くなった

大酒店に戻り、シャワーを浴びると、バタンキュー

とりあえず、なじめそうな街大連だった
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でっかかった 2007年7月24日 二

2007-07-24 23:02:35 | 旅:嫁と
~いいとこどり~

神戸に着くと旅行気分を取り払うべく、家にまっすぐ帰って、嫁の手料理に舌鼓
豚肉のトマト煮と冷や奴

北海道では食べ過ぎたので、また普段の生活に戻ろう

食べ過ぎたといえば
朝、世間は平日であり、昨晩酔いどれだったけど、6時には目が覚めて、モリモリご飯のおかわり

母とお別れして、父に名寄から旭川まで送ってもらう
つったってさ
1時間30分の旅である
最後までお世話になりました
予定より早く着いたので、予定より早いライラックという特急に乗って札幌へ
予定より早く到着したので
ちと早めの昼食

♪ジン ジン ジンギスカーン

サッポロファクトリーで恵比寿ビールといっしょにいただいた
迷った挙句、食べ放題をやめて、それ以上に金はかかったが、いつの間にか食の旅と化していたこともあり、バクついた

もう動けません

食後の運動に時計台へ散歩
思ったよりも、がっかりしなかった
むしろ、しっかりして趣を感じた
レンガの北海道庁は遠巻きに見ただけ
雪印の1万いくらのパフェにちらっと気を取られたが、旅の疲れもあり、空港へ早めに移動した

よく晴れていた
期待の揺れもなんのその
旅の思い出話もホドホドに、機内から始まったふたりの人生相談は、関空から神戸空港に向かう船の中でも続いた
激論は嫁の仕事と子供のこと
インフレがどこまで将来の生活に影響を来たすかはわからないが、もっと人生設計は詰めていこう

子供は夏に生まれた方がいいというのは決まっている
あとは肉付けしていくのだ


ようやく梅雨明けした関西は乾燥もしていないし、やっぱり北海道はよかったな

でもね
厳しい冬は知らないし、おいしいことばかりではないさ
所詮我らは旅芸人

ごちそうさまでした

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でっかいどうのに 2007年7月23日 一

2007-07-23 23:48:08 | 旅:嫁と
~下川鉱山‐トロッコ王国‐ウソタンナイ砂金共和国‐宗谷岬‐サロベツ‐名寄~

五味温泉で朝から風呂に入る
嫁父と出くわすも、露天風呂でぼけ~
朝食前には散歩
炭酸塩水で少し苦い源泉水を飲んだ
それから朝飯
こういう旅館風情のところは朝からおかずが多い
しょっぱい焼サバ、納豆、生卵、漬物、味噌汁、海苔などで北海道米が進んだ
そこから、下川鉱山へ
昭和40年代に栄えた鉱山も学校跡地以外は草っパラと管理事務所だけである
でも排水管理は半永久的に続くのだろう

名寄経由で、美深にあるトロッコ王国へ
廃線となった国鉄の線路約5km利用してNPO団体が営むトロッコ王国
自分で速度を調節しながら、自然の中を走るオープントロッコ
白樺並木に草原、さらには鉄橋まである
その振動はお尻にかなり響くが、全身に受ける風は心地よい
単線であり、大量客を好まない施設ということもあり、マイナースポット
ついでに飲む白樺樹液も甘くてうまい

先は長い
枝幸からオホーツク海へ出た
途中の千畳岩で嫁母の押し花のためにハマナスの華を採取
それからは金を採取しに、ウソタンナイ共和国へ
本日、二国目
いまでも砂金採取世界大会が開かれるこの場所
トロッコ王国に負けず劣らずマイナースポット
500円で1日採掘し放題
当初30分だけのはずが、昼飯食べるのも忘れて熱中
1時間30分後、数粒の砂金
その代償として、昼に食べるはずだった帆立ては逃したのである

オホーツク海に沿って北上を続ける
すると、昨天の美瑛、富良野の風景とは明らかに異なる
それは風力発電の有無などではない
畑がないのだ
パッチワークの路にあったように美瑛の辺りは麦を始め、いろいろな作物が植わっていた
しかし、今天のこの辺りは、牧草地か、原生地しかない
牛のための牧草ロールは転がっていても、人の食す穀類が全くないのだ
自然、味気無いような緑が続く
もうひとつ
牧草の無効にオホーツク海が見えるのだが、違和感あり
牧草地は丘陵地帯で海岸にあるイメージがないのだ

そうこうしてたら、最果ての宗谷岬に着いた
最北端の碑がある
ただそれだけ
天気によっては樺太も見えるらしいが、見えるのは間宮林蔵の大志を抱く様子だけで、名歌「宗谷の岬」がひたすら流れる
最北端であるだけ
それでも、客はいつでもそれなりにいるそうな
15時を過ぎてようやく昼飯
遠慮気味のミニうに丼
これが、いままで食べた中で一番うまいウニ
濃厚でプリプリ
ミニで十分だ

普段はあまり拝めない利尻富士を眺めながら稚内を抜けて日本海側へ
礼文利尻サロベツの最北端国立公園が両側に広がる直線道路
ここで、父から「運転してみますか」

信号も何もない直線道路
気取りながら美国の海岸を思い出しながら運転した
何となく違和感
遠くの雲が続く、続く、どこまで続く?
陸地の雲は大抵山にぶつかるが、陸地がどこまでもあるから山にぶつからない
数分の運転だったが、でっかいどう

サロベツ原野を散歩した
この湿原は川や沼があれど人が入っていない
昔は海底だったらしいそこには素のままの自然
そこに立ち入るのも、申し訳ない
ちょっと時期が早ければエゾカンゾウの黄色絨毯に会えたらしい

銀ポプラって知ってる?
教えない
その並木道を抜けて家路を急ぐ

朝8時過ぎに出発してちょうど12時間
無事名寄の家に到着した

そこに待っていたものは
食べ損ねた帆立てに加えて

牡蠣
ホッケ
毛ガニ
野菜炒め
酢の物
下川素麺
ピッシャリメロン
旭川の男山(北のあじさい、復古酒)

こりゃ罰が当たるな
間違いない

ちなみに、北海道の食材で作る下川素麺
(他にうどんと冷麦もある)
これから全国に売り出して行くそうですが、腰もあって、どこぞの素麺よりもうまいかも~

今天だけで460km超の運転をして、さらに案内までしてくれた父
家で超豪華料理で出迎えてくれた母
一番でっかいのは、あなた方です
ありがとうございました

そんなことを思いつつ、今宵も酒に溺れて寝たのである
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でっかいどうのいち 2007年7月22日 天

2007-07-22 23:07:28 | 旅:嫁と
~旭川‐美瑛‐富良野‐下川~

昨晩は友人と久々に再会したこととすすきの上陸とあって、よく飲みよく食べた
味噌ラーメンがしょっぱ過ぎたせいで、嫁は朝から体が塩まみれで気持ち悪いと水をゴクゴク

何とか立ち上がって8:00の超白矢に乗って旭川へ向かった
ぐ~ぴ~の嫁を横になぜか眠れず、何となく法国の景色に似てるなぁと気取りながら過ごした

9:30
嫁の両親お出迎え
今回は名寄に単身赴任中で旅行プランナーを目指す?嫁の父の案内

まずは旭山動物園
いつ頃か
なんでか
よく知らないが近年人気の動物園
今年すでに4回目となる父により、人気スポットを回る
空は飛べないが海中を飛ぶペンギンということで、海底トンネル風に彼女らの泳ぎというか飛びを見れた
冬には建屋を飛び出してアスファルトの上を散歩するそうな

次はアザラシ
でかい奴はトンを超える
ごまちゃんというかわいさはない
それから北極熊
全身ダイブはちょっとの差で見逃した

これらが3大スポット
でも数10匹で戯れる猿山は社会が感じられて、見てても飽きなかった
まあ
そうは言っても一番幅を利かせていた動物はね

ついでに、思いのほか中国人がいた
駐日ならまだしも、旅行で旭山に来たとあればかなり渋いな

まだ見る動物もいたが、混み出したところで次を目指した
美瑛のパッチワークの路
麦、蕎麦、じゃがいもなどがパッチワークのように接ぎ剥ぎになっている
しかしその景色は雄大でっかいどう
タバコのCM撮影に使われ、マイルドセブンの丘などと名前があり、それから人気も出たとか

昼にはオーナーが自分で建てたログハウスで営む赤麦パスタの店
休みで狭い見せも混雑
よくわからんが、取れたて麦な感じでうまかた

それからラベンダーへ
「北の国から」で知名度を上げた富良野
ラベンダー農家も増えたという
町中に植わっている
行った先は富田農場
完全に観光地化していたが、ちょうど収穫が始まったところ
全面が紫絨毯、いたるところラベンダーの香
青空も見えて、向こうに見える十勝岳と映えて、よかった
でも、案内人の父がまっすぐ向かったのはラベンダーソフトクリーム
ラベンダーの味なのかは知らないが、酸味があっておいしかった
ここでも多くの中国人
この花を見て何を思う

入場無料でも客はたくさん金を落としていくのだろうな

上午の動物園では雨にも降られたが、下午は日もさして、十勝岳や大雪山も見えた
旭川で名酒男山に寄って、宿泊の地、下川へ到着
日暮れ前だったが街の温度表示は26℃を示していた

日本が誇る下川鉱山の街
そこで沸く炭酸塩温泉は本物らしい

すぐに温泉
じゃなくて食事
天然山女魚のフライも下川うどんも、あれもこれもうまかた
男山の冷酒「く~る」を飲んだ頃にはもういい気分
座席から部屋に戻って飲み直すはずが、バタンQ
1時間くらいして、なんとか温泉大浴場で泳いだ

それからは


よくおぼえてない

また明天
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12年ぶりの再会 2007年7月21日 六

2007-07-21 23:44:25 | 旅:嫁と
~町全体がすすきの~

というわけで、4連休
空港に向かう途中、嫁がいつのまにやら発見したおいしいパンの店へ
いつのまにやら嫁は三宮の街に詳しい
特に食べ物の店
いつのまにやらである

関空は初
手荷物を預けるときのX線チェックでSTAR ALLIANCE GOLDメンバーの優先を受けられず、憤慨した
羽田はよかったな

夏休み初日ということで、うるさいおばさんたちとともに札幌に到着
半袖短パンで乗り込んだが、それなりに気温は高く没問題
チェックインすると、早速すすきのへ出かけた
すすきのの由来は知らない
しかし、すすきの=歓楽街というのは誰もが思うことであり、すすきのという音で、不穏な空気を感じずにはいられない
小さい頃に母の職員旅行に着いて札幌に来た記憶はあったかな
でも、大人になって来たそこは、すげかった
歓楽街は路地裏にあるものという自分のイメージを覆して、大通りに面して軒を連ねる
松尾芭蕉がいたら
すすきのや
あぁすすきのや
すすきのや


すすきのに出たのは友との再会である
高校卒業以来だから、12年ぶり
しかし、ふたりとも会えばすぐに認めあった
それはふたりが当時と変わっていない
顔が年齢に追いついたわけだ
中学時代に人生最大の栄光のひとつとなることがあった
軟式テニスで、九州大会優勝、全国大会3位
地元新聞社が取材にもきた

そのときペアを組んでいたの彼が、札幌にいるので連絡していたのだ
札幌で8年、すでにふたりの息子を抱えるた彼はすっかりお父さんである
自然と昔話に花が咲いた
前衛だった自分からしたら、頼もしい後衛
いや、九州大会で勝ったのは、前衛がだれでもよく、後衛の彼のお陰だとさえ思ってた
今宵の話では、そうでもないことを言ってくれたので、今更ながら、少し嬉しかった

今なら間違いなく体罰になるだろう厳しかった顧問の先生のお陰で今がある
平日の部内マッチで負ければ数km先の消防学校まで走り
公式戦で不甲斐なければ、チェンジコートの際、グリップで脳天叩きラケット投げっ放し
試合に負ければ、大会終了まで隣りのトラック走り続けた
2年の夏休み明け実力試験期間
数人を除くほとんどは昼練習をしていなかった
そしたら、放送で全員呼び出し、その場で練習してなかった部員は退部宣告
のちに反省文を出したものだけが復帰を許された
実際、多くがそのときに辞めた

今振り替えるだけでもよくやってた
嫁はそのときがあるから、ストイック気味だともいう

兄の火災事件もあったな

そんなこんなで、息子たちがお寝むになったので、お開き
宮崎育ちのふたりが北海道で再会する不思議な時間
また次会うのはいつか分からないけども、お互い元気で生きましょう


といいつつ
それから、嫁とふたりで、人生初のホッケの刺身を食らい
味噌ラーメンを食らい
不健康一直線でホテルに戻った

そして湯船中でウトウトしてたら、叱られた

明天はさらに北上す
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なが~いGWの終わり 2007年5月6日 天

2007-05-06 23:05:27 | 旅:嫁と
~新生活へ~

朝からしくしく雨が降る
嫁としばしの別居生活が始まるということもあるだろう
そして、社会復帰を迎えることもあるだろう

約2年前に留学を決めたときは、目の前の中国での生活のことでいっぱいだった
こうして、新生活を迎えようとは思ってもいない
まあ、いずれにしても2年という間、職を離れていたことは事実であり、どうなるかもわからない
ただ、ただがんばるだけである

今天は雨ということもあり、ガスコンロをセットして、家でお土産の盛り合わせを食べてまったりした

この間、嫁には随分助けられた
帰国して、ようやく職を見つけたはいいが、嫁に仕事はやめさせて関西に連れてくることになった
またしても、振り回した

ぐだぐだくだ

そんなにぐだぐだ言ってもしゃーない
二人は結婚し、家族を作ったのだ
家族や友人たちとの出会いや別れは繰り返されるが、帰る場所が我が家であればよい

これからどんな生活になるかは、ようわからんが、何があっても、何かのご縁だということですわ
ぼちぼち生きましょ

夕方、嫁を新幹線の駅まで送った
帰国以来久々の見送りであった

武蔵野ラガーズは負けてしまったようだが、まだまだやるしかねぇ

何より、自分がやるしかねぇ!

それ、それ
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嫁を作ったとこ 2007年5月5日 六

2007-05-05 23:16:37 | 旅:嫁と
~それ、それ~


ものすごい喉の渇きで目が覚めた
結局、昨晩はいつなんどきどうやって布団に入ったのか、定かではない
すでにじいさんばあさんは起きて孫婿を待っていた

薄曇りだけど相変わらずいい眺め

一休みして、おじさん夫婦にお礼して、じいさんばあさんを家まで送り届けた

それから長門五大温泉のひとつ、黄波土温泉へ
海岸を見渡す高台にある露天風呂は最高で、酔いも覚めた
そのままレンタカーを返却
延長料金1時間分を払わなければいけないのに、そのときいた店の人が「私、新人だから」ということでサービスしてくれた
うに丼を食べ、蒲鉾を買い、おじさん夫婦(嫁の父の弟)を合流した
我々は1kmちょっと先の駅まで送っていただければよかったが、せっかく山口に来たのだからと秋吉台経由で小郡は新山口まで送ってくれた
中学の修学旅行以来で当時の記憶はない
残念ながら雨が降り出したが、秋吉台の景色は見事で、ゆっくり散歩したいところだ
ちなみに秋吉洞には時間の関係で寄ってない

今回の旅も終盤である
政治家が多い土地柄、道路の整備はしっかりしている
そんな様子をいろいろと紹介を聞いているうちに新山口に到着
嫁の予想どおりにおばさんが蒲鉾を手土産にくれた(*^_^*)
ほんとうなあっという間だった

特にばあちゃんたちが元気
父方の方は毎天情報を仕入れて、欠かさず墓参りしている
母方の方はじいさんと稲作の準備に励んでいる

最近「博士が愛した数式」を読んだせいで、じいさんばあさんは80分しか記憶が持たないイメージが勝手にあったが、あたりまえながらそんなことはないし、むしろ自分より元気な気がした

そして、いい家族たち
甥姪が婿嫁を連れてきたら、みんなで歓迎してくれるおじさんおばさんたち
そんなことより、お互いが関心を持ち、助け合う
嫁の育った環境、嫁を作り上げた環境をみた
旅行中、嫁は自分に親戚のことをいろいろと教えてくれた
自分の親戚のことをここまで教えられるかなってくらいの内容だった

別に自分たちの家系が悪ということじゃない
いうなれば文化の違いというだけだ
そして自分の家族はどうなっていくのだろう

さらに、どうであれ嫁とみんなとで満足行く人生をおくりたいね
太かろうが細かろうがV(^-^)V

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