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青黴のつぶやき

春退社8月結婚9月~上海に留学
その生活を中心に今日の出来事
中国語を勉強しながら何を思う?
声の小さなラガーマン

今天は何の日 2008年2月11日 一

2008-02-11 23:07:11 | 旅:嫁と
~食べすぎ連休~

両親に会ったのは神戸に引っ越す前
すなわち再就職前の4月だったか
そのときは兄の劇を見て
次の日には両親が私の橄欖球の試合を見て
焼肉食べて
横浜散歩して
10ヶ月くらい経つ

二人に言われたのは「痩せた」
「嫁が食べさせてくれないから」
と冗談
夜遅くでもモリモリ食べている毎天
それでも太らないのはストレスかもしれない

そんなことはさておき
今回の宮崎旅行は良く食べた
空腹を待たずに次の食事がくる感覚
昨晩のすき焼きと餃子はかなりきた
留学準備の父に会いにということだったが
返って
ご馳走になった
そんな実家での朝食もまた多い


厦門へは1週間後経つ
次はどこでどうやって再会するやらって感じの家族
たまには顔を合わすべきだな

飛機の中ではそんな家族について激論
っていうほどじゃないけど
嫁とダンナ
お互いの家族のことを話した
すぐに大阪に着陸した
さて
どんな家族にしますかね

家に到着すると
知床から生牡蠣が届いた
こんどは嫁親からの贈り物
ダンナ親からは日向夏がそのうち届くらしい
いつまでたっても子供な気がした

そんなわけで
牡蠣鍋
生食金柑も向こうに見える
オクラレタスサラダ

満腹
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体罰 2008年2月10日 天

2008-02-10 23:18:49 | 旅:嫁と
~南国陽気に誘われて~

朝からよく晴れた
国営放送では日中ずっと宮崎特集やるらしく県庁前で県知事が早速現れていた
宮崎の客は増えたのか

まあ今はキャンプ時期だからかき入れ時ではある

フリーメール研究
父が使いやすいのはどれかいろいろ触った
中国語と併用できるかがポイント
まあそんなに比べる機会はないが、一長一短
いろんな制限、バグがある
そうやってテスト配信を悪戯に行って終えた


天麩羅うどん
前は書店だった
その横のスーパーは星巴克である
中国での私のイメージ
街に麦当労と肯得基があれば、そこはまあそれなりに栄えている
星巴克があれば、都会
である
それを当はめるのはどうかしらんが、宮崎も都会
しかも
ドライブスルー付き
これ初めて


それから病み上がりの嫁を引き連れてサイクリング
田圃道も通りながら行った先はサンマリン
どこぞの球団も50周年を迎えたキャンプ

終わりかけ
今年の大型補強のひとりもサインしてた


嫁は疲れて日当たりのよいスタンドでぐ~ぐ~だよ
まぁ
我々二人ともその球団に興味ないし

変わったとこ、そうでないとこ、記憶をたどりながら田舎の香水な帰り道を急いだ
病み上がりマスクマン嫁をかなり痛め付けてしまった

帰ると父を手伝って餃子を包んでくれた


夜は
日本一宮崎牛すき焼
父特製蓮根水餃子

夜更け
嫁は続いて母の話し相手

ありがとう
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氷雪節の日にやっぱり日本人 2008年1月5日 六

2008-01-05 22:39:53 | 旅:嫁と
~瀋陽哈爾濱旅行第八天~

今天1月5日は毎年、中国では哈爾濱だけが祝日
氷雪節とよばれ、郊外にある会場で氷祭りが開催される
新聞でも取り上げられ、かなり規模は大きい
そんな日に
開幕する前に、機場へ移動した

この旅行を振り返るに、哈爾濱での金さん家族との出会いをなしには語れない
もともとは、嫁父が10年以上も前に黒龍江省で仕事をするにあたり、通訳などで世話になった方
その後もいろいろと交流はあったそうだ
そして今回その娘とそのダンナが哈爾濱を旅行することとなり、久方ぶりに連絡をとっていただいたわけだ

すでに70を超えた金さん
嫁とも久しぶりの再会
その横には中国語を少し操る初対面のダンナ
中国文化と日本文化の交わりである

まあ、(日本人感覚で)言ってしまえば、私と金さん家族はかなり遠い親族である
嫁父に世話になったからと言って、その娘婿にはどうかとさえ感じるが
中国はそうではなく、かなり、いや予想以上のおもてなしをしてくれた
哈爾濱に滞在したのは4泊であったが、毎日のように食事の世話だけでなく、不慣れな哈爾濱の冬を案内してくれた
しかし、これまた日本人だからなのかもしれないが
毎日のように気を使っていただくことに、こちらも甘えたくないし、また気を使わせたくないという気持ちが働く
結局最後の半日は、金さん家族のご好意を断り、自分たちで行動した
よく考えれば、普段より間違いなく中国語は多く使った
その文化にも触れた
一方で、その重みに耐えられずに断ってしまった部分もあった

一期一会
彼らとは今度いつ再会するかはわからない
過去に嫁父と金さん家族はどれほど交流があったかは話で聞いただけである
そんなことをいろいろと考えていたら、断らずにすべてを受け入れてもよかったかとも思う
ちょっと勝手なセンチメンタルジャーニー

一方で、ダンナの弱気と自己完結が目立った
我々の中国旅行目的はその多くが、私の修行である
それなのに
「中国人は1月1日も働くか聞いて」
という嫁の願いに対して
「1月1日は働かないよ」
と、もともと知っていたことには中国人に聞くに及ばずと私で答えた
ここで重要なのは、その答えの内容ではなく中国人との交流だったはず

そして、金さん家族との交流の中で、行く先々で門票、食事代ほかいろいろとおごってもらった
最初から、受け取らないだろうと中国文化を捉えていたダンナは、渡す気なしでホントに形だけお金を払おうとした
そんなダンナに対して、嫁はちゃんと払いなさい、強気に出なさいと言い続けた
そして、最後の晩餐で嫁がお金を払おうとしたら、払えた

嫁は強い
そして、こういったことで二人は何度も険悪になった
傍から見ればどう見たって嫁の勝ちである

自分を道を切り開くという風にはいかなかったが
何はともあれ、嫁と嫁父と金さん家族に感謝


相変わらず商売っ気の強い中国人
金さんの娘さんも言っていたが、個々は有能だが集団になると全く持って調和がとれない中国人
靴紐が解けることが多かったが、そのたびに足を止めて指摘してくれた見知らぬ中国人
お隣の国であり、すでにアジアや世界を揺るがす大国

前出の娘さんは言う
中国には土地も資源も、何より人が多いから何でもやれる
日本に技術は多いが、結局は資源に頼らなくてはならない

給料の差はあるが、物価の差を考えれば、その生活はあまり差がないのでは
(ある程度の水準での話し)

中国と日本
どないやねん

10℃の日本
正直暑い
そして
やっぱりそこは日本であり
自分はやっぱり日本人なのである

世界3大連池のひとつ「五大連池」の天然ガス入り水を24本に中国一の白酒をふらふら持ち帰った
途中理髪に寄ったので多少帰りは遅くなった
すぐに中国に電話
金さんは数少ない日本語で、「またね」ってことだった

そう
今回の旅
本物の中国人とのふれあい
ある程度言いたいことは分かったが
自分の言いたいことを伝えるには不十分だった
いろいろと振り返ると尽きない

まずは目の前の刺身を噛みしめようと思う
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中日平和の象徴を 2008年1月4日 五

2008-01-04 23:12:03 | 旅:嫁と
~瀋陽哈爾濱旅行第七天~

中国人
羽があるものは飛機以外食べる
足があるものは椅子以外食べる
と言われるほど何でも食べる

でも
老虎は保護のために食べないらしい
 
そんな老虎たちを見に行った
東北老虎
聞くだけで強そうな虎たち
放し飼いの公園を汽車で観光した
雪が積もった敷地内
窓はただの強化ガラス
大型車は大きく揺れながら
またエンストしながら進む
いつ倒れるとも分からない汽車
冬なのに元気に近寄ってくる老虎たち
立ち往生したことを想像するだけで、余計に冷え込む

「どうして老虎は哈爾濱にいるの?」
「シンガポールは暑すぎる?」
子供の健気な質問をよそに、老虎はまったりと歩く
 
獅子が現れると、シンガポールか香港から来たと思われるチャイニーズ子供は
「ライオンキングー」
と叫ぶ
 
凍え死にそうな非洲老虎
たぶん野に放たれたら人間の方が殺されるのに
不本意にも人間に養われている

そんな老虎をあとにした

 
途中
明天から開かれる国際氷雪節会場を横切る
昨天見た氷灯よりも見るからに規模が違う
残念ながら会場には及ばず

午飯は春餅と呼ばれるクレープ生地タコスみたいなもの
土豆、肉などを巻いて食べる
うん
おなかいっぱい

これまで、金さん家族には世話になってきた
食事もご馳走になった
これ以上迷惑はかけられないと
食事後は、二人自由行動に出た
お茶を買いたいと伝えていたので、茶店が並ぶ場所に下ろしてくれた
だのに
買わなかった
そもそも「何が買いたい?」と聞かれて
お茶しか思いつかず、お茶市場に行くならまだ会話の楽しみもあったろうが
「お茶市場はだまされるから」
と普通のお店に連れて行ってもらったのである

結局
その通りをうろうろしていたら
それだけで疲れた
ここ数日は運転手付きの汽車で行動していたこともあるだろう
なんともなまった体になっていた

初日に訪れた中央大街へ移動した
何か特別あったわけではないが、イスラム寺院などがあったし
とりあえず移動した
そして
なんとなく懐かしさと落ち着きがあった

アイスを食べ、ふらふらして、お茶は買わずにあとにした


夜は金さんと3人で鴿子を食べた
別にどうってことはない鳥
でも平和の象徴であり
細身の体に鞭打って飛んできた体
骨も頭も食べていいということだったが
ホントに忍びない食べ物である 
頭も食べるように促された
少しやわらかいなんともいえない歯ごたえであった
 

家に戻ると記念撮影大会
そのあと
宿泊費、食費、門票費などいろいろとおごってもらった分を少しでも返却しようと算段した結果、紅包にお金を入れて、圧歳銭として孫たちに渡すように伝えた
もちろん、断られた
それでも嫁の力で渡した

こうして中国文化の生活は過ぎていった
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国宝級の扱い 2008年1月3日 四

2008-01-03 21:44:33 | 旅:嫁と
~瀋陽哈爾濱旅行第六天~

もし閉館後の博物館に招待してもらったら
きれいな紹介員もいて
カメラマンもいて
有料の施設もただでみせてもらえる
そんな待遇があったとしたらどんな気分か
ひょっとして、恐竜が動き出したらどうしよう


ゆっくりとご飯を食べたあとに悲劇が起こった
大便を終えて流そうとしても、溢れそうになるまで水かさが増えた
金さんの奥さんは、気にしないでとしきりに言う
もし、自分の家に遠い親戚が遊びに来て、朝いきなり便所が詰まったとか言い出したら
激切れだろうな
本心をおくびにも出さない中国人にまた甘えた

上午は、姉婿の運転手に連れられて郊外の「七三一」へ
 
七三一すなわち関東軍七三一部隊が細菌兵器研究所を作り、いろいろな人体実験を行った施設
正直、哈爾濱旅行が決まるまで、いや哈爾濱に到着して真剣にガイドブックを読むまでよく知らなかった
子供から大人まで、いろいろな人を捕まえて、細菌の他、真空、凍傷などいろいろな人体実験を行っていた
この所長の石井とかいう人は、開発したその権利を美国に売り渡して、それが朝鮮戦争に使われたそうな
部隊は新潟で解散
その後、国際審判で有罪になった人も多いが、この所長はどうなったかよくわからない
生き残った人やその子孫の手紙などもあった
かなり生々しい
雪が残る冬空がなおのほか、心を凍らせた


 
極楽寺経由して、地質博物館へ
娘さんは国家公務員
その職場の階下にある地質博物館
16時閉館のあとに入場
他の客は当然いない
黒龍江省の地理、資源から恐竜の化石まで七箇所に分かれていた
黒龍江省は中国の石油60%を産出していて、さらに鉱山、農作物と
とても豊かな土地
もう独立してもいいのではないかとさえ思わせる場所だった
途中では職員の方が写真をバシャバシャ撮るし
子供向けの恐竜が卵を産む玩具は無料でやってくれた
もちろん、美人紹介員の説明は親切丁寧
我々のためだけに、残業してくれたわけである
通常2時間かかるところを1時間ですっとばしたのではあるが
穴場なわりに立派な博物館で子供がいればぜひ連れて行きたい場所である
ちなみにここの恐竜骨は、今度名古屋に展示されるらしい
先取り

ついでに、そのなんとか省なんちゃら庁の建屋内にも進入したのであった


火鍋
国家公務員のこの娘さん
なんでもはっきりとものを言う
「日本人は中国人を見下しているでしょ」
「日本は小さい国で、過去に大国中国を攻めたのは、確かに頭がいいことであるが、やったことはひどい」
まあ
中国人の本音を聞けた
そして
今の中国の発展にすごく誇りを持っていることも感じ取れた
各国を回った彼女いわく
「やっぱり中国が住みよい」

中国では
「学校の老師、医者、国家公務員」
がよい仕事だといった
こうして自分の仕事を胸を張って、そこに謙虚さはないが、誇りを持てるというところにすごさを感じた
そういえば、中国の新聞や街には「驕傲」すなわちPRIDEの文字を目にする
愛国心とか故郷に錦を飾るとか
日本にはない心なのかもしれない

家に戻ると、農村からの贈り物猪肉を運んでくれと手伝いに行った
豚が縦半分に切られた塊が自動車の荷台に積まれていた
 

負けるものか 
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氷の国 2008年1月2日 三

2008-01-02 21:15:41 | 旅:嫁と
~瀋陽哈爾濱旅行第五天~

全部吐いたおかげで朝は意外と無事だった
この日本語は正しくない気もする

相変わらず、嫁に謝罪と感謝を続けていた
子供たちはすでにでかけていた
朝からたくさんの食事を用意していただいた
滑雪場に明天連れて行ってもらうことにもなっていたが、膝の怪我を伝えてキャンセルしてもらった

まず家から望める龍塔
 
お台場?を彷彿とさせる電視局の隣にありながら電視塔じゃないらしい
120元もかかってようやく190mの展望台に行ける
眺めはかなりよい
203mまで上ることができるが、そこには何故か唐代の展示があり、外は見えない
不思議な龍塔

哈爾濱駅で地図を買い、一番の観光スポット「中央大街」へ
ここは、19世紀のアールヌーボー建築が立ち並ぶ歩行者天国
 
ロシア料理やロシア民芸の店が多く、ロシア人も多い
もともと泊まる予定だったホテルもここの一角

写真を撮りながら進む
晴れているせいか、それほど寒さは感じない
通りには氷彫刻もあり、アイスバーもある
 

途中、ロシア料理で腹ごしらえ
ボルシチ、ピロシキなどロシア料理で思いつくもの
中国語分からず、適当な料理を頼んだ
そのあとで、ガイドブックにボルシチ、ピロシキがみつかった

中央大街の先には松花江という河にぶつかる
近づくに連れて、マスクのおばちゃんたちが、いろいろと寄ってきた
まだ見ぬその河には何か有料スポットがあるのだろうと想像はつくがうざい
河の手前に大通りがあり、地下道を通ってわたる
渡る手前で、変なおばさんと目が合う
でも、そいつは話しかけてこない
嫁が怪しさに気がついたが、無視して歩いた
微妙な距離をおいて付いてくる
へたな尾行
デパートに入り、柱の脇に隠れた
もうこないだろうと覗いたら、そいつはいた
そして何も話してこない
ストーキングin China
恐ろしくなって、デパートのうえまで逃げて、別の階段から逃げた
もしこれで先回りされていて見つかったときのことを考えると身が凍った


裏道から河に到着
幅1kmはある大きな河が凍っていて、スケートリンクの他
馬車そり、滑り台などが有料であった
現地ではしきりにおばさんが攻めてきたがしかと
河から離れだすと、まったく声をかけられない
その徹底振りは何かに指図されているのか

ロシア喫茶でピロシキをと思ったが売り切れ
English Teaでロシアンティーを飲んだ
その喫茶店であとからきたロシア人おばさんに先を越され、順番待ちをしないロシア人に少なからず衝撃と怒りを覚えた嫁

街ではまだまだ雪かきが続いていたが、ダンナは思いのほか疲れていた

 
ソフィスカヤ聖堂
街に忽然と現れたその協会
中身は荘厳のかけらもないが、外からのながめはよかった
ロシア料理にロシア建築とロシア人
まるでロシアである

いったん家に戻り、食事をかきこんでいざ氷灯へ出発
夜ということで重ね着に、カイロたくさんもりこんだ
カイロは極寒の地ではあまりその暖かさを生かせないことがわかった
それでもないよりかはまし
市内数箇所である氷灯
兆麟公園のそれの規模がどうかはわからないが、よくもまあこんなにたくさんの彫刻をつくったものだと思う
氷灯というだけあって、氷の中には蛍光灯が仕込んである
2008年ということで、奥運会がらみも目に付く
毎日いろんな人が触るので、形は崩れるはず
つまり、白天に修正修復しているのであろう

一緒にいった春燕さんも初めての氷灯ということではしゃいでいた様子
まあ、メインステージとか微妙にがんばりが足りない場所があり、その徹底不足に中国を感じた
重ね着していたせいもあるが、風もなく、それほど寒さは感じなかった

氷のほかに、街の至るところでイルミネーションが施されており
六本木顔負けである

ちなみに連れて行ってくれたのは、金さん娘婿のお抱え運転手
だんだん、金さん一家のすごさが伝わってきたのである
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新年快楽 2008年1月1日 二

2008-01-01 20:49:07 | 旅:嫁と
~瀋陽哈爾濱旅行第四天~

新年あけましておめでとうございます。
こうしてまた新しい年を迎えることができました。
今年もよろしくお願いいたします。

瀋陽発は13時
チェックアウトまで時間はあったが
ホテルで荷造りしながらまったりとした

中国では元旦1日だけが休み
本気モードの春節とは違い、西暦の年明けは爆竹などもなく静かである
それでも2008年8月に奥運会を控えている中国
電視では大々的に2008年を伝えている
中央電視台(CCTV)の5チャンネルは運動専門であるが
年が明けてからCCTV奥運会になっていた
2010年上海世界博覧会と合わせて、中国を盛り上げるイベント
その先には?

機場へ向かう途中
嫁はしきりにダンナに中国語をしゃべらそうとする
当たり前の質問でも練習と思えばよい
でも、自己完結型のダンナはそんなこと聞かなくても分かると言って中国語をしゃべらない
イカロス嫁
天邪鬼ダンナ
嫁の言うとおり、この旅行は高い授業料
損である
わかっちゃいるが、しゃべられないダンナ
そんなんでよいのかと自分ながらその性格に気がメーテル
 

機場ですぐ両替
1万円で624元
昨天銀行で怪しげな違法おじさんに両替を相談されたときは632元
いずれにしろ、過去の1万円で700元のころが懐かしい

さて雪山の中を一っ飛びしてい ざ哈爾濱へ
(緯度で言えば、函館ちょい北から稚内ちょい北へ)

迎えてくれたのは金さん
嫁父が以前黒龍江省で働いていたときの通訳さん
それからいろいろあって今に至り、今回喜んで迎えに来てくれた

金さんの孫が運転する汽車で金さんの家へ
金さん娘夫婦が階上に住んでいる
3年前に引っ越したというそのマンションはかなり立派である

予約していた飯店があまり有名じゃないから変えるように勧められた
そして
「なんならここに泊まりなさいよ」
「いや、それではあなた方に迷惑をかけてしまいますから」
「そんなの関係ないわよ、あなたたちが泊まりたいか、泊まりたくないかですよ」
「はい、わかりました、ここに泊まります」

いつの間にかホームステイになった

そうなればドンと来いとばかりに
(いや、もともとたくさんのご馳走を用意していただいておりました)
東北といえば餃子
それ以外にも、たくさんの料理
そして五大連池の水とそれでできた白酒

この五大連池とは世界3大連池であり、そこの水にはミネラルの他、天然でガスが入っており、美容、髪の毛、胃腸などにとてもよいらしい
まあ
結論から言うと、そんないい水で作った白酒を飲みすぎて全部吐いてしまっては健康かどうかは疑問である

金さんの姉ダンナさんは風邪気味で、調子に乗って、変わりに飲みますよと言い放ったダンナは、38度と白酒にしては弱めのアルコールをごくごく飲んだ
飲んだ
中国語を話した
飲んだ
嫁の実家と電話がつながった
「お父さんも酔ってますね」
と言ったらしい
飲んだ
名詞を渡していたらしい
飲んだ
「妹さんが一番美人だっていってもいい?」
って嫁に聞いたらしい
飲んだ
「いやあ、ホントに嫁と嫁父のおかげだよ」
ってほざいていたらしい
飲んだ
気がついたら
トイレを散らかしていた
その向こうには高校生の金さんの孫がいた
その脇には片づけをする嫁がいた

なんか1年ほど前の正月も酔っ払っていた
そのときは、嫁の実家だった
1年後もこうしてよっぱらっていた
いや今年の方がひどい
何を言っていたかも覚えていない
嫁にひたすら謝罪と感謝を述べていた


いいか

今年も一年健康第一でありますように

一年の計は元旦にあり
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数碼相机死了 2007年12月31日 一

2007-12-31 20:34:05 | 旅:嫁と
~瀋陽哈爾濱旅行第三天~

大晦日である
春節を重んずる中国においても、至るところで西暦2008年を迎える準備が進む
なんといっても北京奥運会の年である

平日なのか、年明け前で休日なのか分からないがラッシュを避けるために
地図上では2km未満の瀋陽大学まで歩いた


気温は連日変わらないが、これまでと違い風が弱く、また太陽も出ているせいか
体感は幾分高い
それでも顔に冷気を浴びながら、歩いた
お互いまちまちな距離感覚
2km以上は歩いたという嫁
いや、もう少しだからとなだめるダンナ
なんとかたどり着いて、そこら辺の学生に聞いて到着した理髪店
これが
160元
高い
これまで3元、5元でやってきたので、160元という日本と大差ない額に愕然として去った

そこからちょい先の九一八博物館

あの満州事変のきっかけとなった柳条湖事件の跡地
日本人としてかなり緊張感も高まったところで
「周一閉館」
それでも、中に入る輩に続いて敷地内に入ったが
「維修だよ」
そう
今天だけじゃなく、数日は入れないらしい

まあ
嫁の言うように、中は見なくともある程度想像できたので
次なる墓に急いだ

到着したのは、女真族太祖皇太級の墓「昭陵」
これが、昨天いった福陵と同じ作りながら、とてつもなく広い
朝方、飯店から瀋陽大学までヒーヒー言いながら歩いたのに
この昭陵のある北陵公園は入ってから戻ってくるだけで、それなりに歩くこととなった

少しでも日が隠れるとすぐに極寒となる土地
公園内には、天然スケートリンクがあり、さらさらと滑る人たちで賑わう
皇太級像はちょうど日が当たるのか
はたまた、彼の偉業について語り合っているのか
老人たちがたむろして離れない


そして、ようやく福陵にたどり着いた頃
そこに眠る皇太級に誘われて数碼相机も眠りについてしまった
いや
あまりの寒さに凍結した
充電はまだあるはずだった
レンズが収まる途中で停止した
まあ
お墓で写真を撮るのもなんだからと、後にした

昼時
腹の調子が悪い嫁にとって外れなしといえば餃子
初日に続いて、食べた
だいぶ、腹は落ち着いたが
数碼相机は復活しなかった
一緒に熱々の鍋料理も食べて体の芯まで温まった
はずが
店を出て1分後には身震いが始まっていた
自然の驚異を感じた

嫁待望の按摩
ダンナもここぞとばかりに中国語会話の時間
でもない
食後ということもあり、寝た
ちなみに、彼ら按摩師からしても
嫁の胃腸は悪いらしい

15時過ぎとはいえ、もう一日は終わりではないかと思わせる気候
飯店に戻り、超市で少し買い物して
まったりと果物やら小籠包やらを喰らいつつ、年越しを待った
飯店で放映を期待した紅白もなく
中国の年越し番組をみながら年越しを待った
ちなみに
飯店の暖かさで数碼相机は眠りから覚めていた
しかし
自分たちが眠りから覚めたときには、すでに年が越して2時間経過していた
しょうがないので
また眠りについた

寒さもあるが、どうしても見たいという代物があるわけではない
やはり
旅行ではなく、中国での生活
根の生えた生活をしてみたいというのは感じた
どうしてだろう
こんなにぐちゃぐちゃの国なのに

こうして
2007年は更けていった
重大新聞は別に10個なくてもいい
なんといっても
留学を終えて、気がついたら嫁をつれて見知らぬ土地の神戸で新生活を送っていた
これが今年の唯一そしてすべてである
嫁にはいろいろと協力と迷惑をかけた
そして、周りのかたがたにも同様に
ありがとう
そして
来年はまた、飛躍の年になりますように

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世界遺産よりも大切なこと 2007年12月30日 天

2007-12-30 23:25:49 | 旅:嫁と
沈阳·哈尔滨旅游第二天

中国で嫁と過ごすのは何回目だろう
たまに、興味本位で世界的なファーストフード店に行くことはある
しかし、基本的に気管炎につき、どんな食事であれ、中華を求められる
朝でも、出店で熱々の肉包は当たり前だ

早起きしても外は暗い
ガイドブックとこちらの地図を比べながらどこに行こうか算段する
それはダンナの役目
都合のいいことに地鉄があり、それを使えばある程度は観光できると読んだ
そして
駅も隣なので、食事も取らずに出発した

地鉄の駅なし
売り場、警備に聞いたが、すごくまくし立てられて、聞く耳持たず
まるで悪いことをした感じ
問訊処でようやく教えてくれた
2010年開通だと
時代の先を行き過ぎた地図とそれを信用した自分
公共汽車乗り場を聞いて後にした

まずは食事をと歩いていたが
貧しさに負けた~
いいえ寒さに負けた
こともあろうか肯徳基の早餐を喰らう
あの嫁も文句なし
しょうがないから、こちらでよく見かけるマスクを購入することにした
しかも
おされなやつ

ドラえもんのそれは、日本人とはわからない
現地人化
それでも恥ずかしくない
おそろいの人もいる

この女性ものパンツのきれっぱしで作ったようなマスク
しばらくして
お蔵入りした

たどり着いた故宮
北京とならぶ世界文化遺産
しかし
歩けばそこに世界遺産


ガイドの盗み聞きをしたが、知らないことばと寒さによる早口で1割ほどしか聞き取れない
旅行のもうひとつの目的
中国語
いやはや

世界遺産よりも興味深いのが張作霖と張学良のとこ(金融博物館と張学良の嫁さんの家とセット)
志半ばで関東軍にやられた張作霖もさることながら
2004年になくなったばかりの張学良
国共合作のために西安事変を起こしたこの人
革命の父孫中山よりもえらいのではないかと個人的には思う
そんな偉さにうきうきして、飛び跳ねていたら
嫁が腹痛
(中略)
急いで、烤鴨の店へ
うまい

うまい

冷めたら若干油っこかったか

そして、これが本日最初で最後の中華となるとは

続いて郊外の墓へ
これまた世界遺産の福陵
そう
女真族の太祖努尓哈赤の墓
これがまたこないだ世界遺産になっている
ここにきたのは努尓哈赤に興味があったのか
はたまた世界遺産だから
それは分からない

公共汽車で40分
ついたとたん腹痛で虫の居所が悪い嫁とその変わりように驚いたダンナが
雪景色の中で、バトル
とりあえず雪崩れこんだ福陵のトイレで嫁はバトル
その奥からはまるで努尓哈赤のそれかと思わんばかりの泣き声がした

世界遺産
そうすれば多くの観光客を見込めるのか
島根の石見銀山も、それ以来電視に出ることは多くなった
しかし
この日
我々を含めても、10人そこそこの客しかいなかった


年の瀬のこんな寒い日に
郊外にあるただの墓に誰が来ようか
そんな感じである

いつの間にか、手を取り合う夫婦は雪に滑りながら
さっさと帰った

それほどたくさんの昼食だったわけでもないが
腹持ちがよく
寒さで体力が奪われていたわりには
腹が減らず、少しの果物を買って帰った

その中には、KING of Fruitsもいた
初めてだったがくさい割りにうまかった
果物と思わなければよい

 

昨天より少しは暖かかったかな
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餃子っ腹 2007年12月29日 六

2007-12-29 21:50:45 | 旅:嫁と
沈阳·哈尔滨旅游第一天

というわけで、今年の年越しは中国は瀋陽と哈爾濱
中国で一番きれい?らしい中国語哈爾濱
ついでに瀋陽
哈爾濱では、嫁父の知人がいて、その方とも連絡がついているので
お世話になる
まあ
何より8月の大連旅行、広州出張以来の大陸
どうなることやらである

飛行機で2時間30分
国内線とそんなに変わらない
期待も1列5人だから小さい
おおむねが中国人客

雪景色が窓の外に見えた頃、まもなく到着の放送
ついでに、氷点下8度という情報

降り立てばそこは北国
スキー場であった

早速、出租車につかまる
この手はつかまっていいことはない
いくらか聞いても教えてくれない
怪しい
去ろうとしたら120元と言い出した
旅行本には100元とあったので80元に値切った
値切れた
これが怪しい
運転手も、値段交渉済んでんだから、料金計算をやめればいいのに
到着したら、高速代込みで70元
やはりぼられている
金で解決するならと、無口なダンナ
キレ気味の嫁
空は曇りで寒い
心も落ち込む
ちなみに
この運転手
しきりに安いホテルを紹介してくれた

私はこの「人生かけてます」というような姿勢に中国人のエネルギーを感じる
まあ
それと、ぼったくられても素直に金払うのは関係ないのであるのだが

チェックインしてからすぐにお決まりの地図を買いに外へ
うん
寒い 
雪はちらちらだが
風が強い
1週間前に嫁に言われて買った厚手のダウンがまさかここまで役に立つとは思わなんだ

もう夕方
向かった先は「老辺餃子館」
新宿にあって、父とよく行った蒸し餃子の店
その本家なはず
北方の人の主食である餃子
たどり着くまでにも数件の餃子店は見えた
さて
餃子

日本人なら焼餃子でしょうが

蒸し餃子が有名なのに、たくさんの焼餃子
中国というところは一皿が多い
店員に諭されて、少なめにもしたが
結局
食べて
食べて
蒸し、焼き、水の各餃子を合わせて64個/二人
その中には、「清水河蟹」という芸術餃子
これが、10円玉大でありながら、10元と
中国で一番の高価食品


なぜかただのお湯の中で泳いでいた
蟹の味がした

満腹107元

それから、店のある中街を散歩

大吹雪

鼻水が凍りかけ

ホテルに戻ると今天の天気


最高が-8℃
そうか
哈爾濱はもっと寒いのか

19時過ぎには部屋でぬくぬくとなった

やっぱり
冬に
北国に行くべきではない
でも
風邪も忘れられる
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